美月は朔夜さんのことが大好きでした。 朔夜さんも美月の事を大切に思っていました。 美月がじゃれ付くと、朔夜さんは柔らかく微笑みました。 美月はその微笑みが大好きでした。
ところが、ある時から、朔夜さんは笑わなくなってしまいました。 いつも何か考え込んでは、ため息をついています。 時折浮かべる笑みも、何故か哀しげなものに変わってしまいました。 美月は心配でたまりません。
美月はどうにか朔夜さんに元気になってもらいたいと思いました。
けれども、美月はただの猫なのです。
美月はただの猫だから、人の言葉を話せません。
美月はただの猫だから、朔夜さんの言葉がわかりません。
美月にできるのは、ただ朔夜さんの隣で心配そうになくことだけでした。
ある日、朔夜さんはふらりと外に出かけました。 美月は家で留守番をしていましたが、なんだか胸がもやもやして、外に飛び出しました。 闇雲に走っていると、朔夜さんが見つかりました。 朔夜さんは、橋の上でぼんやりと川を眺めています。 朔夜さんの瞳は、以前見せた事もないくらい暗く、空虚なものに見えました。 朔夜さんの体が、ふらり、と傾きました。
美月は何故だか、このままでは朔夜さんがいなくなってしまうように感じました。 そう思うと、胸が締め付けられるように苦しくなって、美月は叫んでいました。
『いなくなっちゃいやだ! 美月を置いて行かないで!』
朔夜さんがびくり、と震え、恐る恐る振り返りました。
美月は朔夜さんに飛びつきました。
朔夜さんが何かをささやきます。
美月には、朔夜さんが何を言っているのかわかりませんでした。
美月はそっと朔夜さんに頬を寄せました。
朔夜さんはゆっくりと美月をなでました。
朔夜さんは、涙ぐみながらもゆっくりと微笑みました。
その微笑みは、美月が今まで見た事がないくらい、優しい微笑みでした。
それから、朔夜さんは、以前のように笑ってくれるようになりました。 けれども、何かを考え込んで哀しそうにする事はまだあるそうです。 そんなとき、美月はそっと朔夜さんの隣にいて、朔夜さんが元気になるまで一緒にいるのだそうです。
美月は朔夜さんの飼い猫です。
美月はただの猫だから、人の言葉がわかりません。
美月はただの猫だから、人の言葉を話せません。
でも、ただの飼い猫の美月にも、朔夜さんの隣にずっと座っている事は出来ます。
ただの飼い猫の美月にも、朔夜さんを微笑ませる事が出来るのです。
おしまい。
+コメント+
傍にいて、言葉に出来ない思いを伝える事はできるのか?
という事を思って書いたお話。