月の石

「何も知らないでいられたら、きっと幸せなままでいられたのね」
少女は悲しそうに微笑みました。少年はただ空を見上げました。 何を言えば彼女の心を癒せるのか、少年にはわかりませんでした。 だから、少年は空を見上げました。
深々と降る雪が、二人を、世界を包み込みました。

ある小さな村に、二人きりの兄妹が住んでいました。 親は既にいませんでしたが、二人とも働き者でしたので、何とか暮らしていました。 その兄妹の、ある冬のお話です。

ある日のことです。
妹は家を片付けていて、小さな石を見つけました。 透明で、不思議な輝きを持った綺麗な石でした。 妹はそれまでそんな綺麗な石を見たことはありませんでした。 うっとりと石を見つめ、触っていると、不思議な声が聞こえてきました。
『私は月の石。さぁ、一つだけ願いをかなえましょう』
妹は突然聞こえてきた声にびっくりしました。 よく見ると、手にもった石がちらちらと光を放っています。 妹は恐る恐る言いました。
「さっきの声は、お前の声なの? お前が私の願いを叶えてくれるの?」
石は、ちらちらと光りながら言いました。
『そう。私は月の石。一つだけ何でも願いを叶えましょう』
「何でも、叶えてくれるの?」
妹はどうしようか迷った挙句、兄が仕事から帰ってくるのを待つことにしました。

しばらくして、兄が帰ってきました。 妹は早速見つけた石のことを兄に言いました。
「お兄さん、今日家の中から、こんな石を見つけたの。
 何でも一つ、願いを叶えてくれるのですって」
兄は不思議に思いながらその石を受け取りました。途端、頭の中に声が響きました。
『私は月の石。さぁ、何でも一つ願いを叶えましょう』
兄は驚いて、言いました。
「今の声は、お前、石が言った声なのか?」
『その通りです。さぁ願いなさい。何でも一つ願いを叶えましょう』
「本当に、願いを叶えてくれるのか? 何でも、叶うのか?」
少年は恐る恐る聞きました。
『何でも一つ、願いを叶えましょう。叶わないことは何一つありません。さぁ、願いなさい』
石はちらちらと光りながらそういいました。兄はごくり、と唾を飲み込むといいました。
「じゃあ、僕はお金が欲しい。妹と二人、何不自由無く暮らせるだけのお金が欲しい」
『その願い、叶えましょう』
そう言うと、石は強い強い光を放ちました。兄妹はあまりに強い光に目が眩んで、その場に倒れこんで気を失ってしまいました。

二人が次に目を覚ましたとき、目の前には一人の綺麗に着飾った女の人がいました。 女の人は二人が目を覚ますと、言いました。
「お会いするのは初めてね。 私は、あなた方のお婆様に当たる方の御使いです。お母様の妹に当たります。 お婆様は貴方たちを随分探していたのです。 さぁ、一緒に行きましょう。お婆様と一緒に暮らすのです」
二人は何の事やらわからぬうちに女の人に連れられて、大きな御屋敷に連れていかれました。

御屋敷で二人を待っていたのは品の良い、優しそうな老女でした。老女は自分を二人のお婆様だというと、二人をきつく抱きしめました。
「あぁ、酷い目に遭っていたのでしょうね。 貴方のお母様たちが亡くなってから、私はずっと貴方たちを探していたのです。 さぁ、これからは寒い思いもひもじい思いもしなくていいのです。 お婆様と暮らしましょう」

お婆様はとても優しい方でした。二人は綺麗な洋服と広い部屋、美味しい食べ物を食べ、何不自由無く暮らすことが出来ました。

けれども、幸せは長くは続きませんでした。体の弱かったお婆様は、流行り病ですぐに亡くなってしまったのです。二人は嘆き悲しみました。

お婆様はたくさんのお金を二人に残してくれました。まわりの大人たちが、急に冷たくなりました。

そんな二人のもとに、従姉妹がやってきました。
「あぁ、貴方たちがきてすぐにお婆様は亡くなってしまったわ。貴方たちがお婆様を死なせたのよ」
従姉妹たちはそんなことを言っては二人をいじめました。周りの大人たちも、誰一人として二人の味方をしてはくれません。それどころか、『財産目当てで来た子ども』だの『親が親なら子も子だ』などとひそひそと陰口をたたくようになりました。

兄妹は、暮らしこそ楽になりましたし、お金もたくさん持っていましたが、とても悲しい日々を送るようになりました。

あるひ、とうとうまわりの仕打ちに耐えられなくなった兄妹は、もといた村に帰る事に決めました。雪の降る道を踏みしめて、二人はとぼとぼと歩いていました。

妹は、家で見つけた月の石を、お守りのように持っていました。月の石は囁きます。
『さぁ願いなさい。何でも叶えましょう』
妹は亡くなってしまったお父さんやお母さん、お婆さんが恋しくてたまりません。そして、願いをいいました。
「お願い、教えて月の石。何故お父さんとお母さんは死んでしまったの? 何故私たちはこんなに悲しい目に遭っているの? 私たち、どうしたらいいの?」
月の石は言いました。
『願いを叶えましょう』
そう言って月の石は強い光を放ちました。兄妹は、またも気を失ってしまいました。

目を覚ますと、二人は小さな教会にいました。年老いた神父が二人を覗き込んでいます。
「大丈夫かな?」
神父はそっと二人に言いました。
「君たちは教会の前で倒れていたのだよ。体を壊してはいないかね?」
優しい神父の声に、二人はほっとして泣き出してしまいました。神父は二人をじっと見つめると、言いました。
「おやおや。……もしかして、君たちはあのお屋敷を飛び出した、メアリーさんのお子さんたちかい?」
それは、お母さんの名前でした。
「お母さんを、知っているの?」
ようやく泣き止んだ兄が、神父に尋ねました。
「知っているとも。君たちのお父さんとお母さんは、ここで式を挙げたのだよ」
神父は懐かしそうに二人を見つめました。
「あの二人は、幸せそうだったよ。とてもね。君たちが生まれたときも、この教会にやってきた。あの時の子どもたちが君たちなのだね」

「お母さんたちのこと、もっと聞かせてください」
妹が言いました。神父は困ったように言いました。
「そうは言ってもね。私はそう多くは知らないのだよ」
神父はゆっくりと語りました。
「お母さんのメアリーさんは、とても立派なお家のお嬢さんだったのだよ。 やはりいい家の坊ちゃんと結婚が決まっていてね。 けれどもメアリーさんは家を飛び出した。 君たちのお父さんと、駆け落ちをしたのだよ。 当然ご当主……君たちのお爺さんは怒ってね。 メアリーさんを勘当してしまったのだよ。まだ、怒っているのかねぇ」
神父は首を捻りました。
「……そうだなぁ。そういえば、お嬢ちゃんのほうかな。 いつだったか酷い流行病にかかったことがあったね。覚えているかい? その時に、お父さんは坊ちゃんを連れて何度もこの教会にやってきたね」
昔が見えるかのように神父は遠くを見つめました。
「酷い病でね。一時はもう死んでしまうかもしれない、というところまで行ったのだよ。 けれども、助かった。どういうわけかは判らないがね。お父さんの祈りが主に通じたのかもしれんな」
兄妹は静かに神父の話を聞いていました。
「そのあとすぐに交通事故で夫婦ともに亡くなられたのだな。痛ましいことだなぁ……」

ふと思い出したように神父は言いました。
「そう言えば、お父さんはおかしなことを言っていたな。石を手に入れた、とか。 これで嬢ちゃんの病が治るとか、そんな風に言っていたなぁ。なんでも願いが叶う石だとか」
妹は思わず掌の石を見つめました。 石はかすかな光を放ったまま、黙り込んでいました。
「もしかしてその願いがかなったのかねぇ。 けれども私に言わせれば、そんな石は間違っても使ってはならないのだと思うよ。 確かに願いは叶うのかもしれないけれどね。 勘でしかないけれど、そんなものに頼って願いを叶えても、いつか悲しい目に遭うような気がしてならないのだよ」
神父は二人を優しく見つめました。
「私が知っているのはこれくらいのことだよ。 君たちは今どうやって暮らしているのだね? ちゃんと食べていけているのかね?」
神父はここで暮らしてもいい、とまで言ってくれました。けれども二人は丁重にそれを断ると、そっと教会を出ました。

教会を出て、二人は並んで歩きました。 さくさくと雪を踏む音だけがあたりに響きます。妹が、歩きながら言いました。
「ねぇ、おにいさん。お父さんも、きっとこの月の石を使ったのね」
兄は言いました。
「そうだね。きっと使ったんだ」
妹は空を見上げました。
「この月の石は、願い事を叶えてはくれるけれど、それによって幸せにはしてくれないのね」
月の石は何も答えません。 願いを叶えたあとは、何も言ってくれません。
「お父さんもお母さんも、この月の石に願いをかけたのね。 それで、私を治して事故に遭ってしまった。 お父さんとお母さんの命は、月の石がもっていってしまったのね」
兄は妹を見つめました。
妹は、今にも泣き出しそうな顔で微笑んでいました。
「お兄さんは二人で生きていけるだけのお金が欲しいと願ったわ。 確かにお金は手に入った。でも、お婆様は亡くなってしまったわ。 私は何故こんなことになったのか知りたいと願った。 神父様はそれを教えてくださったわ。 けれども月の石に願ったことはもうもとには戻らないもの。 もう、どうしようもないのね」
妹はそっと顔を伏せました。
「こんな石、見つけなければ良かった。 こんな石が無ければ、お父さんもお母さんも、お婆様だって死なずにすんだわ」

兄が何も言えずにいると、妹は涙目で笑いました。
「……いいえ、違うわ。私のせい。 私が流行り病にかかってしまったから、お父さんは月の石を使ったのだわ。 私さえいなければ、きっとみんな幸せでいられたんだわ」
「違う!」
兄は妹に向かって、言いました。
「それは、違う。きっとお父さんもお母さんも後悔なんてしなかった。 お前を助けたことを後悔なんてしなかった!」
妹は兄をじっと見つめました。
「二人とも死んでしまったけれど、それまで悲しい思い出しかなかったわけじゃない。 みんなで暮らして、楽しかったじゃないか。それすら否定してはいけない。 神父様も言っていたじゃないか。二人は幸せそうだった、って。 だから、そんなことを言ってはいけない。 お婆様だって、最期、幸せそうに笑って逝ったじゃないか。 それとも、お前には悲しい思い出しかないのか。 僕らと暮らしてきて、そんなに悲しい思い出しかないのか」
兄は妹を真っ直ぐに見つめて言いました。

「少なくとも僕は、お前と一緒でよかった。 お父さんもお母さんもお婆様も死んでしまったけれど、一人きりじゃなくて良かった。 お前が生きていてくれて、良かった」

妹は、泣き出しました。大きな大きな声をあげて、泣き出しました。 兄はそっと妹の背中をさすりました。雪が降る中で、二人は一緒に泣きました。

「ありがとう。私、幸せだった。皆と一緒に暮らせて、幸せだった」
妹は涙を拭うといいました。
「でも、やっぱり月の石なんて見つけなければ良かった」
妹は月の石を見つめました。
「何も知らないでいられたら、きっと幸せなままでいられたのね」
妹は悲しそうに微笑みました。兄はただ空を見上げました。 何を言えば妹の心を癒せるのか、兄にはわかりませんでした。 だから、兄は空を見上げました。 深々と降る雪が、二人を、世界を包み込みました。

「せめて、最後の願いをかけなかったら何も知らないままでいられたわ。 その方が、幸せだったかもしれない」
兄は妹を見つめました。
妹は笑みを深くすると、力いっぱい月の石を放り投げました。石は、大きな弧を描いてどこか遠くに飛んでいきました。
「でも、いいの。もういいの。願いは、取り消せないものね。 皆いなくなってしまったけれど、お兄さんはいてくれるもの。 お金も何も無かったときも、二人で楽しく生きていられた。 だから、もう一度やり直しましょう。 あの頃みたいに。二人でもう一度。できる、よね?」
妹は不安そうに兄を見つめました。 兄は晴れやかな笑顔で言いました。
「あぁ。二人で、もう一度暮らそう。きっと前みたいに……前より、楽しく暮らせるさ」
妹は、とびきりの笑顔で頷きました。


雪深い村の片隅で、何かがきらりと光りました。 月の光を浴びた雪の中に、光る何かがありました。

それは、小さな石でした。

月の光を浴びて、月の石は涙と同じ色に光っていました。 月の石は今でも待っているのかもしれません。誰かが願いをかけるのを……。





おしまい。

+コメント+
最果ての海に続いて月の石再登場。
この石が手に入ったなら、貴方はどんな願いをかけますか。
その願いの代償は、なんなのでしょうね。
もう一個くらい、月の石で書くかもしれません。

Chaos Paradise 登録中。


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