桜の見る夢

「お花見に行こう」
色づいた町を見つめながらぽつりと言った彼女の言葉。
「私、桜好きなんだ。丁度今が盛りだよ」
「初耳」
「そう?」
たまには、悪くないかと思った。花を愛でるような高尚な気持ちはよくわからないが、ただ酒をかっ喰らうだけの花見ではなくて、下戸の彼女としっとりと花を見るのもいいかもしれない。
「ね、行こうよ」
「そうだな」
予定と空模様と体調と腹の空き具合をちょっと考えて言う。
「じゃあ、これから行くか。その辺のコンビニで適当に食い物買って、歩いて五稜郭公園まで。丁度晴れてて暖かいし、夜桜ってのもいいだろ」
俺がそう言うと、彼女は心底嬉しそうに頷いて笑った。

言ったとおりに近くで適当に食い物を買って、公園まで歩く。平日だというのに、妙に人が多いのは桜の季節だからか。人ごみが苦手な俺達は少し辟易しながら公園まで歩いた。
「ほら、満開」
ちらりと見えた桜並木に彼女は満足そうな笑みを浮かべた。
「そういや、お前と花見来るの、初めてか」
「だって、いっつも人ごみがいやだとか言ってどこにも連れて行ってくれないし」
「お前だって嫌がるだろいつも」
「何のことかな。まぁ、冗談はともかくとしてもさ」
とことこと公園の入り口まで走っていく。
「……忘れちゃった? 去年、ここにお花見に来たでしょ」
軽い既視感。
「……そうだったか? けどお前と付き合いだしたのって夏からだろ」
「うん。そうだけど……あれ、来なかった?」
「しらねぇな。別の男と来たんじゃないのか?」
「ちがうって。今日みたいに急に思い立ってきたの」
考えると、そういうことがあったような気もする。けれど、去年の今ごろはこんな風に気安い仲ではなかったはずだ。
「……んー、まぁいいや」
なんとなく歯切れの悪い、納得のいかないカオで彼女は呟くと公園の中に走っていった。俺は荷物を持ち直すとゆっくりと彼女に続いて公園に入った。

「桜って、何で散るんだろうな」
家族連れだの若者の集団だのがあまりいないあたりに座り込んで握り飯をつまみながら俺はぽつりと呟いた。
「ぱーっと咲いてぱーっと散っていく。まぁそういうもんなんだろうけど。でも早すぎるだろ。おちおち花見もできねぇ」
サンドイッチをぱくつきながら、もごもごと彼女が反論する。
「……そういうのがいいんでしょ、桜だし」
「何で散るのがいいんだよ。綺麗なんだったら散らない方がいいだろ」
「違う違う」
わかってない、という風情で肩をすくめ、舞い落ちてきた花びらをひょい、とつまんで彼女は言った。
「綺麗な花もいつか散ってしまう。風に吹かれて、雨に打たれて、いつ散ってしまうか知れない。でも今この一時は綺麗な花を愛でることが出来る。この瞬間が愛しいの。明日花は散ってしまうかもしれない。そして、花を愛でた人だって明日死んでしまうかもしれない。時は移ろい行き、生き物は死んでいく。その儚さを桜を通して愛でるの。そういうものなんじゃない?」
ひらひらと舞い落ちる桜を見ながら彼女の言葉を反芻する。
「そういうものかね」
「そういうものでしょ」
肩をすくめて、俺は言った。
「やっぱり俺は散り行く花よりかは咲き誇る花のほうが好きだね」
「まぁ、人それぞれ、ってことで」
彼女は面白そうに俺を見て笑った。

食うものを食った後、腹ごなしに公園の外周をふらふらと歩いた。眼下に広がる桜の木は、やはり綺麗だと思った。
「素面で花見なんてするの、随分久しぶりだな」
「飲みすぎ。いつか体壊すよ」
「その時はその時さ。好きなもの我慢するのはイヤだね」
「そういうこと言ってると、あっさり肝硬変で死んだりするんだよ」
「最後まで好きなもの食って呑んで死ぬよ俺は」
他愛無い軽口をたたく。いつもより緩やかに時間が進んでいく感覚が、妙に心地よい。
外周の半分を過ぎた頃だろうか。ふと彼女が立ち止まって遠くを見つめた。その視線の先を追うと、桜の煙る向こうに函館山が見えた。
「……へぇ」
函館山も、こうやって見ると割に綺麗なものかもしれない。いつもは単なる山としか思っていなかったが。
「あの、ビル」
彼女が唐突に呟いた。
「あのビルがなかったら、もっと綺麗だったかな」
桜と山の間にある背の高いビル。確かにそれがどうにも風情を半減させているように見えた。
「……そうかもな」
彼女は軽く溜息をつくと、言った。
「わかってるんだけどさ。この公園だって、人の手で作られた物だってこと。この一面の桜だって、人が植えたものだってこと、わかってるんだけど。でも、どうしてもあれが邪魔だなぁ、って思っちゃうの。あのビルがなければもっと綺麗だったのになって、何で作っちゃったんだろうって」
「でも、景色のことだけ考えて町を作るわけにはいかないだろ」
「そうだね。それも、わかってるよ。人が暮らしやすいように町を作ってった結果があのビルで、ここを上から眺めるために作ったのがあのタワーでしょ。でもさ、不恰好だと思わない? 定規で測ったみたいに四角い建物が建ってるのとか、桜の向こうに塔が立ってるのとか。あれさえなかったらなって、あれがない頃の風景が見たいなって思ったの」
「あぁ……それはちょっと見たいかもしれん」
「でしょ? わかってるんだけどね。ああいうのが作られたおかげで便利に生きられてることとか、いざあれのない世界にいったら不便で仕方ないとか。無いものねだりなんだってこともわかってるんだけど」
「でも、見たかった、って?」
「うん。……そう」
「そか」
暫くその場で遠くを見つめる。あたりを見渡すと、思いのほか四角いはこのような建物は多く目に映った。彼女がそっと桜に触れた。
「この木が植えられた頃。……ここの景色は、どんなだったんだろうね」

さわさわと風が桜の花を渡っていく音が急に強くなる。ざぁ、と音を立てて桜の花吹雪が待った。

その中で、一面の桜の向こうに、鉄塔にもビルにも遮られることの無い山の景色が見えた気がした。

ふと我にかえると、彼女は呆けたように山の方を見つめていた。
「大丈夫か?」
きっと同じ情景を見たのだろう。……そんな気がした。
「……今……」
山と桜の間には、やはり変わらずビルが立ちはだかっている。
「幻?」
不思議そうな顔で山を見つめる彼女。その上で咲き誇る桜は、はらはらと花びらを風に舞わせていた。
「……夢だったのかもな」
ぽつりと口から言葉が流れ出た。
「え?」
予想していなかったのか、きょとんとした顔で彼女がこちらを見つめた。
「夢……こいつの見た、夢だったのかもな」
ぽん、と桜の幹をたたきながら俺は言った。
「遠い昔を懐かしんで見た夢。俺やお前が生まれるもっともっと前の、もしかしたらこの木が生まれた頃の記憶。それを思いだしてみた夢に巻き込まれたのかもな」
「……ふうん?」
俺と桜を見比べながら彼女が言った。
「なんか、意外。そういうこと、言うんだ」
自分が言った台詞の気恥ずかしさに今更ながら気付く。赤面する顔を逸らして遠くの山を見つめる。
「桜の花は、人を惑わせるって言うしな」
ぶっきらぼうに言った俺の言葉を聞いて、彼女はくすりを笑った。

すっかり夕闇に染まった公園をでて、俺達は家路についた。まだ公園のあちこちでは酒盛りだの宴会だのが繰り広げられていた。
「あの桜はさ」
ぽつりと言った彼女の言葉に、俺はびくりと反応する。
「別に茶化す気は無いってば。あの桜はさ、昔を思いだして、戻りたいと思ったのかな。それとも、ただ思い出しただけなのかな」
「さぁな」
肩をすくめて応える。
「俺にはわからねぇよ。お前はどう思うんだ?」
彼女はちょっと考え込んで、ふわりと笑みを浮かべた。
「私にも、わからないや」

懐かしく思い出す桜の記憶。今も桜は昔を想って華やかに咲き誇る。幾度も散り、幾度も咲いて、その花に、幹に刻み込まれた記憶を抱いて咲き誇る。

繰り返し、懐かしく夢を見ながら、桜の花は咲き乱れる。

++おしまい++

+コメント+
作者は一人で花見に行きました。そして思ったこと。 「とりあえず花見は一人で行くものじゃない」
てなわけでカップルで花見に行かせて見ました。 ……羨ましくなっただけでした。


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