遠すぎて届かないものと近すぎて気付けないもの

あるところに一体のからくり人形がありました。 一人のおじいさんがある少年に似せて作った人形です。 人形は、全く人と同じように作られていました。 人と同じように動いたり、話したりも出来ましたが、心だけは持っていませんでした。
心が無いので、人形は笑いません。
心が無いので、人形は泣きません。

ある日、おじいさんが言いました。
「わしは、お前の事を、本当の孫のように愛しているよ」
人形は言いました。
「僕はただの人形だよ。おじいさんの孫じゃない」
おじいさんは哀しそうに言いました。
「確かにお前は人形だよ。わしが作った、人形の体だ。 でもね、お前は人と同じ心を持っているはずだよ。 わしの孫のようにね」
「僕には心なんて無いよ。笑った事も無ければ、泣いた事だって無いじゃないか」
おじいさんは、静かに首を振りました。
「いいや。お前は心を持っているはずだよ。 もしも今心が無かったとしても、いつの日かそれを見つけることができるはずさ」
おじいさんは人形に[心]を見つけてくるように言いました。 人形は、おじいさんの家を出て、歩き出しました。

「心って、どういう物だろう」
人形は考えました。けれども、全く想像がつきません。
人形が、空を見上げて、心がどんな物か考えていると、一人の少女が歩いてきました。
「ねぇ、心って、どんな物だかわかる?」
人形はその少女に聞いてみました。
「心は、人の中にあるものだわ」
少女は言いました。
「僕には心が無いんだ。 どうしたら、心を手に入れることが出来るのかな」
少女は静かに頭を振りました。
「わからないわ。どうして、心が欲しいの?」
少女は人形に尋ねました。
「心があっても楽しい事だけじゃない。 哀しいことも、つらい事もたくさん目に入ってくるのよ。 心なんて、無くても良いんじゃないの?」
人形は、少し考えていいました。
「僕が心を探しているのは、おじいさんが探してこい、って言ったからさ」
「それだけ?」
少女が人形の顔を覗きこんで言いました。
「心なんて、無くったって、……無いほうが、楽に生きて行けるわ」
人形はじっと考え込みました。

少女の言う通りのような気もしました。 心があるから、おじいさんが哀しんでいる様子を人形は何度も見てきました。 人形は、深く、深く考えました。 今まで人形はそんな事を考えた事はありませんでした。 考えても、考えても、なかなか答えが見つかりません。 少女はそんな人形を、じっと見つめていました。

「やっぱり、僕は心が欲しいんだ」
人形はしばらく考えた後に言いました。
「どうしてそう思うの?」
少女が聞きました。
「確かに、心があるおじいさんはそのせいで哀しい思いをしているよ。 でも、僕は心がないせいで、おじいさんを哀しませているんだ」
少女は何も言わずに人形の言葉を聞いています。
「おじいさんは僕を孫のように愛しているといってくれた。 でも、僕にはその気持ちがわからない。 せっかくおじいさんが愛してくれているのに、僕にはそれがわからないんだ」
人形は言いました。自分の中から、何か重い物を吐き出すように、言いました。
「僕はそのせいでおじいさんを哀しませてしまった。 僕に心があれば、おじいさんは哀しまずにすんだのに。 おじいさんは、僕に心がある、といってくれた。 僕には、心なんて無いのに。 でも、持てたら良いな、って思えたんだ」
人形はそっとため息をつきました。
「あぁ、心って、どういう物なんだろう。 きっと、何より大切で、綺麗な物なんだろうな。 やっぱり、僕にはそれがどんな物なんだかわからないよ」
人形がゆっくりと座り込みました。
「どこかに、僕の心はあるのかな。 でも、あったとしても、僕にはきっとそこまでなんて行けないよ。 とってもとっても遠くて、遠すぎて、届かないんだ。 どんなに心が欲しいと願っても、僕は心なんて無い、ただの人形なんだ」
少女が尋ねました。
「ねぇ、どうして、心が欲しいと思ったの?」
少女が、淡い微笑みを浮かべて、人形を見ました。
「そんなに哀しい思いをしてまで、どうして?」
人形が少女を見ました。
「哀しい?」
「何故、泣いているの? 心が無いって、何故泣いているの?  貴方の中には、もう心があるのに」
人形は、泣いていました。大粒の涙を流して、泣いていました。
「おじいさんが、好きなんでしょう?  本当のおじいさんのように、愛しているんでしょう?  そう思えたなら、もう貴方の中に心はあるのよ」
人形は、呆然としながら、頬を伝う涙に触れました。 少しだけ苦く、そして暖かい涙でした。
「僕に、心があるの?」
少女は優しく微笑みました。
「その涙が、その証拠よ」
人形は、泣きました。 何故だかとても心に染みて、後から後から涙があふれてきました。
「さぁ、おじいさんのところに行きなさい。 おじいさんは、きっと誰より喜んでくれる」
人形は大きく頷くと、いいました。
「ありがとう。君のおかげで、僕は心を持つ事が出来たよ」
少女は軽く首を振っていいました。
「ちがうわ。心はもう、ずっと前から貴方の中にあったの。 近くて、近すぎて、なかなか気づく事が出来なかっただけ」
人形は、少女の言葉を聞くと、ゆっくりと微笑みました。 それは、とてもすがすがしい笑顔でした。

人形が走り去っても、少女はずっと人形のいなくなったほうを見つめていました。
「ありがとう」
ふいに、誰かの声が響きました。それは、人形の声と同じ声でした。 少女がふりかえると、そこに人形と全く同じ姿の少年が立っていました。
「いいえ。私は、同じことを言っただけだもの」
穏やかな笑みを浮かべて立っている少年に、少女は言いました。
「まだ心を知らなかった私に、貴方がいった事と、同じことを……」
少女もまた、人形だったのです。
「これで、おじいさんもしあわせになれるかな」
少年は透明な笑みを浮かべて言いました。
「きっと、幸せになるわ」
少女が答えます。
「先に逝ってしまった貴方の分まで、あの子が幸せにしてくれる……」
ゆっくりと、少年の姿がかすんでいきました。 優しい笑顔のままで、少年は言いました。
「そうだね。そして、おじいさんはきっと彼を幸せにしてくれる。 2人で、幸せになってくれるよね」
言葉の余韻を残して、少年は消え去りました。 そこには下から何も無かったような静寂が残りました。 少女は少年の消えた空を見て、ささやきました。
「……さようなら。私たちに心をくれた貴方……」
――少女のつぶやきが風に溶け――
少女は軽く頭を振ると、淡い微笑みとともに、歩き出しました。 少年の残した、[心]という宝物を抱いて。

おしまい。

++コメント++
心って、何だろう……?
そう言う話でした。
きっと思うまま笑えたり泣けたりするのは大切なことです。


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