ある、春も間近な草原でのお話です。
1羽の白鳥が草原にぽつりと佇んでいました。
その白鳥の他には、誰もいません。
白鳥はじっと空を見上げていました。
蒼い青い空は、雲一つなく澄み渡っています。
白鳥は目を逸らすことなく、空を見つめていました。
不意に、誰かが白鳥を後ろから抱き上げました。
突然のことに驚いて、白鳥は羽をばたつかせて暴れます。
「大丈夫。何もしないよ。恐がらないで」
優しくかけられた声に、白鳥は暴れるのを止めました。
白鳥を抱き上げたのは、華奢な少女でした。
少女は、白鳥の頭をなでて言いました。
「良い子だね。ごめんね、驚かせて」
少女は、白鳥を抱いたまま、ちょこんと草原に腰を下ろしました。
白鳥は、少女から興味を失ったように、空を再び眺め始めました。
「仲間に、置いて行かれちゃったんだね」
少女が、白鳥を見つめて言いました。
白鳥は、空を見つめたままです。
「ボクと、一緒だね」
白鳥が少女を見上げました。
少女は優しく微笑むと、言いました。
「ボクも、置いて行かれちゃったんだよ」
少女はすい、と空を見上げました。
「皆、もう遠い所に行っちゃった。
ボクは、どうしても追いつけなかったんだ」
白鳥も、空を見上げました。
空は、全てを吸いこんでしまいそうなほど青くて、白鳥はその蒼さに心が少し痛みました。
「今ごろ皆、どこかで同じ空を見てるかもしれない」
少女はぽつりと言いました。
「皆は、この蒼い空をどんな気持ちで見てるのかな。
やっぱり、こんな風に心が締めつけられてるのかな」
白鳥はそっと少女に頭を摺り寄せました。
自分と同じ思いを埋められるように。
蒼い蒼い空にぽっかりと取り残されたような孤独を、癒せるように。
「飛びたいね。飛んで、みんなの所に行きたいね」
少女が白鳥の羽にそっと触れました。
「怪我、しちゃったんだね。だから飛べないんだ」
少女は赤く腫れた白鳥の翼をゆっくりと撫ではじめました。
白鳥は静かに身を任せています。
「頑張って、追いつこうとしたんだね。
でも、痛くて、飛べなくて、追いつけなかったんだ」
少女は、白鳥をじっと見詰めました。
真摯な、とても切なげな目で見つめました。
「もう飛びたくないって、思った?
空なんか飛べなくても良いって、思った?」
白鳥はじっと少女の顔を見つめました。
「違うよね」
少女が柔らかな笑みを浮かべました。
「痛くて、少し休んでるだけだよね。
どうしたら良いのか、考えてるんだよね。
あの空を、あの蒼い空を飛びたい気持ちは変わってない、よね」
白鳥は一声高く鳴きました。少女の言葉を肯定するかのように。
少女の笑みが深くなりました。
「それなら、また飛べるよね。
羽根が治ったら、みんなの所に飛んでいけるね」
少女はそっと立ちあがりました。
「さぁ、きっともう、君は飛べるよ。皆の所に、飛んで行ける」
白鳥は恐る恐る翼を広げました。
すると、さっきまで赤く腫れていた翼は、すっかり治っていたのです。
「ね、もう、飛べる」
白鳥は、ゆっくりと少女の手を離れると、真っ白い翼を羽ばたかせて舞いあがりました。
白鳥は空の高い所に昇ると、1度くるりと大きく回りました。
そして、一声短く鳴くと、仲間が飛んでいったのと同じ方向に飛んでいきました。
蒼い蒼い空の彼方へ飛んでいきました。
少女は白鳥の姿が蒼い空に溶けて消えて行くのをじっと見ていました。
残されたのは、草原と少女と、青い蒼い空だけです。
少女は白鳥の消えて行った空を見つめて言いました。
「空、飛びたいな…。飛べるかな。…飛べる、よね?」
少女が体を抱えるようにしてうずくまると、その背中から一対の白い翼が生えてきました。
「飛べるかな…。飛べるよね。恐くない。皆、ボクを待ってるんだ」
少女は意を決したように翼をはばたかせました。
最初は恐る恐る。次第に、力強く。
すると、少女の体がふわりと浮かび上がりました。
次第に、高く浮かび上がります。
幸せそうに微笑んだ少女は、そっと蒼い空に向かって何か囁きました。
少女は、そのまま白鳥とは別の方向へ飛び去りました。
白鳥と少女が飛び去った後で、真っ白い羽根が空からふわふわと舞い落ちてきました。
後に残されたのは、草原と青い蒼い空。
そして2対の真っ白い羽根でした。
羽根は並んで空を見上げ、空はいつになく青く蒼く澄み渡っていました。
おしまい。
+コメント+
お題は『白鳥』。
プロットが固まっていた割に難産の話でした。
ペーパームーンさまへ。