最果ての海

遠い遠い、とても綺麗な海での話です。 最果ての海と呼ばれるその海は、人に荒らされる事のない、とても綺麗な海でした。最果ての海に住むものは、皆とても美しく、そして楽しそうに生きていました。

その最果ての海の深い深い海のそこで、なにかがきらりと光りました。海を照らす月の光にも似た、淡い光を放っていました。色とりどりの魚たちは光のまわりを緩やかに泳ぎます。海の底の海藻も、光を吸いこみながらたゆたいます。海の中で、柔らかな光がゆらゆらと揺れていました。 そんな最果ての海でのお話です。

その海の深い所に、小さな人魚の集落がありました。 集落には、セリというまだ若い女の人魚がいました。 セリはどの人魚よりも早く、そして軽やかに泳ぎました。 セリは毎日のように海を泳ぎまわってはあちこちを探険していました。

ある日のことです。セリは、海の浅い所に遊びに行きました。 小さな魚たちが、日の光を浴びてきらきらと輝きました。 水面も光を映してこれ以上ないほど美しく輝いていました。

セリはおもいました。
『海の上は、どうなっているんだろう。もっと、綺麗な所なのかしら』
そう思うと、いてもたってもいられず、セリは水面に顔を出しました。

海の上には、蒼い蒼い空が広がっていました。 まぶしい太陽があたりを晧晧と照らしています。 よく晴れた蒼い空を、かもめの一群が通って行きました。 一面の蒼に、かもめの白が眩しく映えました。

セリがかもめをじっと見ていると、
「そんなにかもめが珍しいかい?」
と後ろから誰かの声がしました。セリは驚いて海の中に隠れます。
「大丈夫だよ、逃げなくても。何もしないよ」
優しい声に、セリは恐る恐る顔を出しました。 そこにいたのは、セリと同じような年の少年でした。 岩場に腰掛けた優しそうな少年の背中には、一対の羽が生えていました。

物珍しげにセリが少年を見ていると、少年は気恥ずかしそうに言いました。
「そんなに羽根が珍しい?」
そういって、少年は器用に羽根をはばたかせました。セリはいいました。
「珍しいわ。だって私の集落には羽を生やした人魚なんていないもの」
少年は少しきょとん、とした後で、笑い出しました。
「そうだね。そう言えば僕も尾びれを持った羽根人なんて見たことがないや」
セリと少年はしばらく2人で笑いました。

少年は、シウと名乗りました。セリとシウの2人は、お互いの暮らしを話しました。そして、お互いの暮らしにすっかり惹きつけられてしまいました。
セリは空を飛ぶ時の爽快さ、風の冷たさや眺めの素晴らしさに、すっかり夢中になりました。シウは海を泳ぐ時の楽しさ、水の温かさや魚たちの美しさに、すっかり夢中になりました。

2人は、日が暮れるまでずっと岩場で話していました。

夜になって集落に帰ってきても、セリはシウの話に心を奪われたままでした。シウのように空を飛んでみたい、シウの言った景色を見てみたい…。そう思っているうちに、セリはある事を思いだしました。
『そうだわ。あれを使えばきっと空を飛べる…』
セリはそっと集落を抜け出すと、深い深い海の底目指して泳いで行きました。

海の底は、集落のある所よりももっともっと暗い所でした。セリは恐る恐る奥底に泳いで行きます。やがて、底の方にぼんやりと光る場所を見つけて、セリはそこめがけて泳いで行きました。

海の奥底で光っていたのは、小さな石でした。月の光にも似た光を淡く発する、小さな丸い珠でした。

セリの耳に、集落の長老の言葉が蘇りました。

……
……セリ……

海の底には行ってはならぬ。
海の底には月の石があってな。
月の石はぼんやりと光る綺麗な綺麗な石なんじゃが。
その石には不思議な力があってな。
願い事をなんでも一つ叶えてくれるんじゃ。

でもな、月の石は意地悪な石でな。
願い事を叶えはしても、絶対に幸せにはなれんのじゃ。
そうなるように石が細工をするんじゃよ。
願いを叶えても、皆結局は不幸になってしまうのじゃ。

なぁ、セリよ。
月の石には触れてはならぬ。
海の底にも行ってはならぬ。
お前に意地悪を言っているのではないよ。
爺はお前に不幸になって欲しくはないんじゃ。
爺の只一つのお願いじゃ。

……海の底には行ってはならぬ……
………月の石に触れてはならぬ………


『ごめんなさい、長老のおじいちゃん』
セリは心の中で謝りました。
『でも、私はどうしても、空を飛んでみたいの』
セリはそっと光る珠、月の石に近寄って行きました。

月の石は、海藻や魚に囲まれて、淡い光を放っていました。セリが恐る恐る触れると、月の石の光が不意に消えました。そっと持ち上げると、頭の中に小さな声が聞こえました。

『私は月の石。さぁ、一つだけ貴方の願いを叶えましょう』

セリは恐る恐る言いました。
「私、空が飛びたいの。シウみたいに、自由に空を飛びたいの」
そういうと、月の石は突然眩い光を放ちました。セリはそのまま気を失いました。

気がつくと、セリはシウと話したあの岩場にいました。 手の中には、月の石が握られています。 ふと水面を見ると、背中に羽を生やした自分の姿が見えました。
「これで空を飛べるのね!」
セリは喜んで羽を広げました。真っ白な羽根が、月夜によく映えました。何度か羽根をはばたかせると、不器用ながらもセリの体が宙に浮かびました。

セリは月の光の中、海の上を飛びました。 空の星と、海の波がとても綺麗でした。 吹きつける風が涼しくて、とても爽快でした。 それは、今までセリが感じた事のないほど気持ちの良い事でした。

しばらく飛びまわっていると、そこへシウがやってきました。
「君は、セリ? どうして空を飛んでいるの?」
セリはシウにすっかり事情を話しました。シウはびっくりしましたが、一緒に飛べることは嬉しくて、セリに笑いかけました。 2人は夜空をいつまでもいつまでも飛んでいました。

その2人を、物陰からじっと見ている一対の鋭い目がありました。 大きな大きな、鷲の目です。 鷲はじっと狙いを定めると、一気に二人に向かって襲い掛かりました。

鷲に先に気がついたのはシウの方でした。鷲はまっすぐにセリに向かってきます。
「セリ、あぶない!」
シウは大きな声で叫びました。けれども飛びなれていないセリは、鷲をよける事が出来ません。シウはセリをどん、と突き飛ばしました。セリは大きく跳ね飛ばされて、よろめきました。次にセリがシウを見たとき、シウには鷲の鋭い爪と嘴が襲い掛かっていました。

セリは大きな悲鳴を上げました。
このままではシウが殺されてしまう…!
セリは夢中で鷲に向かって行きました。 身につけていたくしで鷲を何度か刺しました。何度も何度も刺しました。鷲は、たまらず逃げて行きました。

鷲から逃れたシウは、よろよろと海に向かって落ちて行きます。セリはなんとかシウを捕まえると、岩場の上に横たえました。

シウの体はぼろぼろでした。あちこちから血を流して、今にも死んでしまいそうです。
「シウ、シウ、死んじゃいやだ」
セリは必死でシウの名前を呼びました。シウは辛そうに目を開けて、ぎこちなく微笑みました。けれども、そのまま目を閉じて、二度と開けることはありませんでした。

「シウ、シウ!」
セリは大粒の涙を流して泣きました。 自分のしてしまった事の重大さに、涙が溢れて止まりません。 セリは自分を責めました。

私が鷲から逃げられなかったからシウはこんな目にあったんだ。私が空なんて飛んだから。空を飛びたいなんて思ったから。空を飛びたいって、月の石に願ったから。

月の石。願いを叶える月の石。 セリは握り締めていた月の石にいいました。
「ねぇ、お願いよ、月の石。 お願いだからシウを元気にして、治してあげて」
けれども月の石はなにも言いません。月の光を反射して、淡く光っているだけです。
「ねぇ、ねぇ、お願い。お願いだから……」
月の石は、なにも答えません。

只一度だけ願いを叶える月の石は、セリにはもう何もいいません。

セリはわんわん泣きました。泣いて泣いて、月の石を海に投げ捨てました。 すると、セリの背中の羽根はすぅっと消え、元の人魚に戻ってしまいました。それにも気づかず、セリは泣き続けました。
どれくらい経ったのでしょうか。
セリは冷たくなったシウの体を抱いて、そっと海に潜りました。蒼い青い海の中を、シウを抱いたまま泳ぎます。泣きながらセリはシウにいいました。
「ね、シウ、泳ぎたいっていったよね。 海を自由に泳ぎたいって、いったよね。 ほら、今泳いでるんだよ。 水の中、暖かいでしょ。ほら、魚たちが綺麗だよ。 海の中にいるんだよ。……ね、シウ……」
セリはそのまま遠く遠く、どこまでも遠く泳いで行きました。
そのあと、セリが人魚の集落に戻る事はもうなかったということです。

……最果ての海の話です……
海の中に、光る石がありました。 月の光にも似た、淡い光を放つ綺麗な石でした。その青白い色は、少女の流す涙にも似て、人を惹きつけてやみませんでした。
海の中に、そんな石がありました。
セリの投げ捨てた月の石は、いまでもこの最果ての海で淡く光っているのかもしれません。
++おしまい++

+コメント+
海と聞いて性懲りも泣く人魚、そしてまた死人が出てます。
誰か純粋なハッピーエンドの描き方を教えてくださいまし。

2000HIT記念。深崎サマへ。


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