黄の固執

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 わたし、有瀬恵子は薄暗い文芸部の部室に入ると、円形に並べなれた椅子に腰を下ろした。隅にはコピー機が置かれ、編集用のノートパソコンがその上に置いてある。向かい側には痩せぎすで、眼鏡を掛けた栗原先輩が本を読んでいた。いつも陰があるのだが、インテリな彼に憧れているのである。
 ふと彼の隣にある鞄に目を移す。太宰治やカフカなどの文庫本が鞄からはみ出していて、黄色い栞が顔を覗かせている。よほど黄色が好きなのかな、とわたしは心の中で呟いた。
「明日までの宿題があったんだっけ。すっかり忘れてた」
 と焦ったわたしは鞄からプリントを取り出した。文学史か・・・、苦手なんだよなぁ、わたしはそう心の中で呟くと、溜息を吐く。
「羅生門って誰の作品だっけ・・・」
 わたしは国語便覧で調べたが結局、解らなかった。そうだ、栗原先輩に訊こう。
「あの、すみません・・・『羅生門』って誰の・・・」
 わたしが言い終わらないうちに本に目を這わせたまま、
「芥川龍之介」
「あ、ごめんなさい・・・」
 彼の邪魔するな、とでも言いたそうな口調を聞いてわたしは思わず謝った。しばらく沈黙の後、
「読んだことないなら貸そうか?」
 わたしは意外な言葉に驚いてしまった。
「えっ?いいんですか?」
「うん、文学史は読むのが一番だから」
「ありがとうございます」
 満面の笑みを浮かべながら、お辞儀をした。ふいに栗原先輩は、
「髪の毛に何かゴミみたいのがついてるよ」
 わたしはポケットからコンパクトを取り出した。ゴミなんてついていないじゃない、わたしはそう心の中で呟いた。
「とってあげようか?」
「お願いします」
 ゆっくりと立ち上がるとわたしの髪を触った。
「とれました?」
「あっ、ごめん。僕の勘違いだったみたい」
 そう言った彼の表情は心なしか嬉しく見えた。わたしの髪に触れるのがそんなに嬉しいのかな、とも思ってしまう。
「そうですかぁ?」
 思い過ごしかな、と思ったわたしは少し媚びを売るように言った。栗原先輩は興味がないらしく、
「うん」
 やっぱり気のせいか・・・、わたしはちょっとがっかりしてしまった。ふと、わたしは大事そうに懐に入れている箱を見付けた。その箱は黒光りしていて、何の飾りもないものだ。何が入っているんだろう・・・?わたしは尋ねようかどうか、迷った末、意を決して、
「その箱、何ですか?」
 その言葉を聞いて一瞬ドキッとした表情になったが、すぐにもとの温和な顔に戻り、
「秘密だよ」
 気のせいかもしれないが、わたしはうっとりした調子に聞こえた。秘密、と言われると余計に気になってしまう。よし、今度トイレにでも立ったときに見るか、とわたしは作戦を立てる。ちょっといけない気もしたが、好奇心を抑えきれない。
「あ、そうか、いつも肌身離さず持っているんならトイレに行っても持ってるはずじゃん・・・」
 わたしは自分のバカさ加減に呆れて呟く。あの箱の中には何とかして見たい。さて、どうしたものかと考えあぐねているところへ、ガラガラと扉が開いた。わたしは考えるのを止め、顔を上げると肥った金田眞佐子が入っているのが見える。
「こんにちは・・・」
 急いできたのか、ぽっちゃりとした頬はリンゴ色に染めていた。わたしは笑顔で、
「やぁ」
 と答えたが、栗原先輩は手を上げるだけだった。眞佐子は何か知ってるかな?と思ったわたしは彼女に囁くように、
「ねぇ、先輩の箱の中身知ってる?」
 とチラッと箱を見て言ったが、眞佐子は困ったように笑い、
「何で私が知ってるのよ」
「そうよねぇ」
 やっぱり何も知らないか、とわたしは溜息を吐いた。

「ただいま」
 僕、栗原智弘はそう言いながら家の扉を開けた。薄暗い廊下を通り、居間をちらっと見るとおやつのクッキーと紙が乗っている。いつまでもガキじゃないんだから・・・、僕は吐き捨てるように心の中で呟くと、急いで二階の自室へ向かった。
「あれが待っている」
 僕ははやる気持ちで自分の部屋を開けようとする。
 古い家なので建付けが悪く、ギィ・・・と言う音を立て、ドアが開く。電気を点けると、黄色い壁紙が落ち着かせてくれる。僕は黄色が大変好きで部屋中を黄色一色に染めているのだ。部屋の隅には黄色い絵の具で塗った椅子や、本棚やベッドなどがある。
 早く、早くと心の声が僕を急き立てた。まぁ、焦るな・・・。そう心の中で呟いて今日の収穫を入れようと、本棚の上に五個並べた箱を手に取った。
「あの黄色は見事だったよなぁ」
 僕は恵子の見事なまでのブロンドの髪を思い出して、うっとりした。あんな見事な黄色は見たことない・・・。
「また、あの手を使うかな」
 僕は思いのほか、あの作戦がうまくいったことに味を占めた。そうだ、今度は埃でも手に握って、ほら、と見せよう・・・そんなことに思いを馳せながら、僕はゆっくりと開けた。
「僕にとっての宝石箱だよ・・・」
 思わず頬擦りしてしまった。中に入っていたブロンドの髪の毛がばらばらと落ちる。僕が今まで何か理由を付け、頭に触ったときに頂戴したものだ。中には満員電車で気付かれずに抜いたものもある。
「おっと、いけない」
 僕は一本一本ゆっくりと拾うと、丁寧に箱にしまった。元の位置に戻すと、僕はこう呟いた。
「あぁ・・・、幸せ・・・」
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