ワインでさよなら

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1

 この男を見ただけで虫酸が走るわ!
 わたしが住むアパートの玄関先でこの男を出迎ると、肚の中で呟いた。彼、佐藤亮介はだぶだぶのズボンという格好をはいている。恐らく本人にしてみれば格好いいつもりなのだろうが、わたしに言わせるとだらしないようにしか見えない。
「さあどうぞ」
 と言ってドアを開けた。まず飛びこんでくるのは、真ん中にはコーヒーテーブルと、左手手前のステンレスでできた流し台と調味料である。
 亮介は上がりこむと、まず隅に置かれた本棚からマンガを探す。しかし化学関係に本ばかりだと解るとつまらなそうに真ん中に座る。
「あぁ、そうそう。手ぶらじゃなんだから手土産持ってきたぜ」
 そう言うと、コンビニの袋から惣菜やらワインやらを取り出す。ひとしきり並べ終ると、
「でも驚いたぜ。亜由美が俺と会ってくれるなんて滅多にないことだもんな」
「ごめんなさい。最近、大事な実験があって……」
 一日に十数件も会いたい、というメールを送られたら会うしかないだろう。こんな男と付き合ってたのかと思うと、恥かしくなる。
 まぁいいわ、亮介とも今日でお別れなんだから。わたしはキッチンに並んでいる瓶に一瞥を投げ、呟いた。調味料の瓶に混ざって、硝酸ストリキニーネが置いてあるのが見える。それを見て、静かに笑みを浮かべた。
「で、今何やってるんだ?」
 亮介の声がして、ハッと我に返る。
「私は塾で講師をしながら、大学院に通ってる」
「俺はマックでバイトしながら、バンドやってる」
「ふーん」
「ふーんって何か冷たいな……」
 亮介がどうなろうと知ったことじゃない!
「ごめんなさい。何か実験で疲れてて……」
「寝たらどうだ?そんなに疲れてるなら」
「ありがとう、でもいいわ。亮介がいる前で寝たら失礼でしょ?」
「いいよ、別に。なんなら添い寝するぜ」
「い、いえ……遠慮しておくわ」
 わたしはニヤついた亮介の口許を見て、鳥肌が立つと同時に怒りが込み上げてきた。
「遠慮するなよ」
「冗談じゃないわ!」
 とわたしは言って、
「私がこの手の話、嫌いなの知ってるでしょ?」
「怒るなよ、皺が増えるぞ。今日は機嫌が悪いな」
「あんたと一緒にいるからよ」
「おいおい、冷たいな……」
「下品な男には冷たいの」
「あの日じゃないのか?」
 笑いながら亮介が言うのを聞き、
「いい加減にして」
「おや、怒った顔も中々可愛いな」
「いい加減にしてって言ってるのが聞こえないの!?」
 とうとう不快さのあまり叫んだ。
「あんたの脳ミソ、下半身に付いてるんじゃないの?」
「こっちは冗談で言ってるのに……冗談が通じないなんて」
「冗談でも嫌なものは嫌なの!」
 彼がやれやれ、と言いたそうに溜息を吐く。それを見て、わたしは、
「あんたはどうしようもない馬鹿ね」
「何だと!」
 そう亮介は叫ぶと拳を固める。
「もう一回言ってみろ」
「何回でも言ってあげるわ。馬鹿って言ったのよ!」
「この野郎」
「あら結局は暴力なのね」
 そう蔑まれると、拳を下ろしてどこかに立ち去ろうとした。恐らくはトイレだろう。彼は都合が悪くなるとトイレに逃げ込むのだ。
「どこ行くの?」
「トイレだよ」
 亮介がいなくなりシーン、と静まり返る。
 毒の瓶を取ってワインに混ぜると、苦しむ姿が早くも目に浮かんできた。あんなに愛し合ったのが嘘みたい、と自嘲する。何も知るよしもない、亮介の足音が近付いてきた。

「おかえり、さっきはごめんなさいね」
「気にするな」
 と言って、亮介は腰を下ろす。わたしは相手のグラスが空なのに気付き、
「ワイン、もっと飲むでしょ?」
 相手のコップにワインを注いだ。亮介は訝しそうにわたしの顔を見つめ、
「何か、優しくないか?」
「な、何が?」
「お前だよ。今までこうして注いでくれることなんてなかったじゃないか」
「そ、それは……」
「それは?」
 疑いを持つなんて予想外のできごとだった。わたしは頭をフル稼働させて、言い訳を考えた。それは……、ともう一回口籠もる。
「何だ?」
 身を乗り出して、容赦なく詰め寄る。気付くと、咄嗟に口をついて言葉が出ていた。
「ほらさっきの口論のこと、本当に悪いと思ってるから」
「あぁ、なるほど。てっきり毒でも入れたかと思ったからさ」
 わたしはドキリとしたが、必死で動揺を押し隠した。原始人だけあって、どうやら野生の勘だけは鋭いようである。
「そ、そんなわけないじゃないの」
「いや、悪いって言ってるだろ」
 一口ワインを飲む姿を見て、心の中でほくそ笑む。そして自分でも気味が悪くなるような甘ったるい声でわたしは、
「ねぇ」
「何だ?」
「いいこと教えてあげようか」
「何?」
「私ね、このワインに毒を入れたの」
「まさか。冗談だろう」
 と言いながらも、引き攣った笑みを浮かべている。薄々感付いてたんじゃないかしら、とわたしはその表情を見て考えた。
 なぜこのことを言う気になったのかは、わたしでもよく解らない。多分、この計画を誇示したいと思ったのだろう。または、せめて殺される理由を教えてやろうという憐憫の気持ちからかもしれない。
「いえ、本当よ」
「だ、第一何で俺を殺さなきゃ……」
「あんたを殺す必要?自分の胸に手を当てて訊いてみたら?」
「俺は何もしてない!」
 そう亮介は気が狂ったように喚くと、口の中の春雨サラダを撒き散らした。わたしは飛んできたそれを手の甲で拭う。
「何をしたっていうんだ」
「何もしてないのにあんたを殺すと思う?」
「なら何で殺すんだよ」
 この声が近所に聞こえてないかな、と心配になってきた。誰かが聞いたところで酔っ払って暴れてた、と言えばいいだけである。そう思いつつも、どこから足が付くか解らないという不安から気を揉んでしまう。
「本当に解らない?」
「解らないから訊いてるんだろ」
「浮気よ、あんたの」
「浮気だって?」
「そうよ、別れる原因となった浮気」
「あぁ、あんな下らないことか」
「下らないですって?」
 わたしは亮介を睨み付けて、
「あのことでどれだけ私が傷ついたと思ってるの!?」
「好きになっちゃったものは……仕方ないじゃん」
「私はそこを問題にしてるんじゃないのよ!」
「じゃあ、どこを問題にしてるんだ?」
「あの時の態度よ」
「態度ぉ?」
「そうよ、あの時ヘラヘラしながら私にこう言ったわよね?『ごめーん、俺、こいつのことが好きになっちまったみたいなんだ。悪いけどさぁ、別れてくれない?』って」
 気分が悪くなるのを抑えて言うと、
「言ったっけか?」
「……やっぱりあんたを殺して正解だったわ」
「それどういうことだ!?」
 わたしが次の台詞を言おうとした途端、亮介が一瞬フラついて、倒れた。わたしは急いで脈を取る。
 もうこの男に悩まされることはないわ……。そう思うと安堵感に包まれた。これでよかったのよ。
 ストリキリーネの瓶を丁寧に洗う。流し台でこういうものを洗うのは気が引けたが、向かいの公園で洗うよりはマシである。誰かに見つかって怪しまれるかもしれない。八時なら誰にも会わないかもしれないが、やはり用心にこしたことはない。
 誰もいない向かいの公園をぼんやりと見ながら、計画を思い出す。本来なら浮気のことを持ち出して、トイレに立たせるつもりだった。少し計画が狂ったが問題ないだろう、と心配する自分に言い聞かせる。
 警察へは愉快犯だと思わせて、わたしは容疑者から外れる。これがわたしの考えだった。
「我ながら上手い方法ね」
 と調味料の瓶に置いて呟く。前々から化粧用の瓶に塩などを入れていて、まったく違和感がない。ストリキリーネの瓶をどうやって処分しようか。そう頭を悩ませていたが、この方法を思い付いたときは自画自賛した。
「手抜かりはないわね」
 辺りをぐるりと見回して呟く。そして携帯を取り出し、
「もしもし……。警察ですか?と、友達がワインを飲んだら急に苦しみ出したんです!」
 携帯を切ると、息を大きく吸う。
「さぁ、これからが一番大事よ。警察の前でボロを出さないように気を付けなくっちゃ」
 しばらくして、遠くでサイレンの音が聞こえてきた。

「とすると、急に苦しみだしたんですな?」
 と太鼓っ腹の刑事が言う。どうやら西口という名前らしい。こう言っては失礼だが、見かけは愚鈍そうなので少し安心する。
 しかしこう言う時は余計なことを言わないに限る。わたしは怯えて、声も出せないのを装い、黙ってうなずく。
 亮介の死体はもう既に運び出されていて、チョークの白い線が残るばかりとなっていた。「鑑識課」と書かれている服を着た五人の男が指紋を採取しているし、警官たちは西口の指示で付近の訊き込みに出かけている。
「お友達をなくした悲しみは解ります」
 そこへ実験に失敗した化学者、という比喩がぴったりの男が通りがかった。西口は彼を見つけると、
「先生、何か解ったかい?」
「司法解剖せにゃ何とも言えんが、まだそんなに経ってないんじゃないか?死体が暖かいからな」
 この医師は妙に間延びした口調である。
「ふむ、そうするとこの娘の言ったことと合致するわけか」
「そいつは結構。あと他に訊きたいことあるか?」
 わたしは何が結構なんだろう、と会話を盗み聞きして思う。裏を取る手間が省けたからだろうか。
「死因は何だ?」
「頭に烈傷があるからそれが致命傷になったんだろ」
「あの、そこの刑事さんにも話したんですが……」
 わたしは遠慮がちに手を挙げた。毒が直接の死因ではないのか、とふと興味が湧いたのである。西口はわたしに向き直り、
「何ですかな?」
「一瞬、ふらついて倒れたんですが、毒が盛られてませんでした?」
「それはまだ何とも言えませんな。解剖してないもんだから」
 と医師は厳かに言った。
「それとも何か思い出したことでも?」
「は、はぁ、私の記憶違いかもしれませんが」
「構いませんよ」
 西口は、さり気ない優しさを込めて言った。
「買った時から少し封が開いてたような気がするんですよ」
 もちろん、これはわたしの容疑を逸らすための嘘である。誰かがイタズラで硝酸ストリキリーネをコンビニのワインに混入した。そういうことにすれば容疑者は無数にいることになる。
「うーむ、そうすると愉快犯か」
「あ、でもそんな気がするっていうだけですよ」
「解ってますよ」
 と西口は愛想笑いを浮かべる。
「ところで、どなたから恨みを買ってませんでしたか?一応、怨恨の線からも捜査を進めたいので」
「さぁ、でも彼と付き合ったことのある女の子は皆、恨んでると思います」
「と言いますと?」
「彼、かなりの浮気症でしたから……。」
「なるほど。あなたもその一人だったんですか?」
「……はい」
「解りました」
「でも私は殺してませんよ」
 手帳に何やら書き留めているのを見て、わたしは思わず強く言う。その口調から疑われていると感じたのだ。
「絶対に違いますからね」
「解ってますよ。その女性は何人ぐらいいましたか?できれば名前もおっしゃっていけると助かるんですが」
「七、八人はいたと思いますが……」
「お名前までは?」
「知りません。すみませんが」
「いやいや、構いませんよ。それにしても随分、多いですね……」
「そりゃそうでしょう」
 とわたしは言った。
「女の子を見かけたら絶対口説いてましたからね」
「なるほど」
 わたしの刺を含ませた言い方を気にも留めない様子でうなずく。
「そうすると、その線で当たるのは難しそうだな……」
 とわたしに断ってから煙草に火を点ける。普段は奥さんに煙たがられて家では吸えないんだろうな。すごく美味そうに紫煙を吐き出す姿を見て、そう考えていた。
「よかったらいかがです」
 じっと見つめているわたしに気付いて、煙草のケースをこちらに向ける。吸いたいけど、刑事と打ち解けると余計なことを喋っちゃうかもしれない。そう警戒して、
「結構です」
 と言った。

2

「おかえりなさい」
 私がドアを開けると、部下の若い女性が声を掛けた。自宅をリフォームした居間には六個のデスクが並んでいるのが見える。
 彼女は青山といって髪をキレイに整えている。私はというと、髪がボサボサで、まるで頭にキャベツを乗せたようである。しかし、色白なのや顔がシャープなのも幸いしてか、浮浪者に間違えられたことは一度もなかった。
 私は自分のデスクまで来ると、懐炉代わりに買った缶コーヒーのプルタブを起こす。デスクの上は相変わらず仕様書や見積書などが散乱していて、「夢の島」のようだった。
「あぁ、ただいま」
「携帯、お忘れでしたよ」
「あぁ、気付いてたよ」
「ならどうして取りに戻ってこなかったんですか?」
「面倒臭くない?」
 それを聞いて、青山が苦笑する。
「てっきりまた警察に捕まったのかと思ったじゃないですか」
「何か犯罪でもやったみたいじゃないか。僕は警察に協力してるだけだよ」
 と言ってようやく椅子に腰を押し付けた。そしてほどよい温度になった缶コーヒーを飲む。
 青山が言っているのは旧知の西口警部のことだ。彼とはあるホテルで起きた殺人事件を解決したことで知り合った。それ以来、警察の手に負えなくなった事件を持ち込んでくるのである。
「断ればいいじゃないですか。お人好しすぎますよ」
「義理で協力してる訳じゃないんだ。まぁ、確かにそういう面もゼロじゃないけどね」
「じゃあ、何で協力してるんですか?」
 私はニヤリと笑い、
「知的パズル、だよ」
「はぁ……」
 解らない。そう言いたそうに首を振るのを見て、私は自虐的に笑った。
 まさか今日は警部も来ないだろう……。そう思いながら机の上に目を落とすと、メモが置いてあるのに気付いた。青山は思い出したように、
「あぁ、浦上様が打ち合わせ時間を一週間ほど繰り上げてほしい、と言ってましたよ。それとちゃんと整理してください」
 解ったよ、と適当に受け答えをしながら、私は壁に掛かっているカレンダーに目をやる。それに気付いて、青山が、
「十日ですね」
「ありがとう」
 と言って電話に手を伸ばすと、まるで待っていたかのように携帯が鳴り出す。青山がそれを見て、
「電話する手間が省けましたね」
「もしもし」
 私は黙ってうなずいて、電話に出る。しかし……、
「おう、有沢か」
「あぁ、警部。また事件ですか?」
「察しがいいな。その通りだ」
「ダメですよ、警部。今からやることがあるんです」
「隠れて推理小説を読むことか?」
「いえ、違います。クライアントに電話をしなきゃいけないんですよ」
「そんなもの、パトカーの中でやれ。ともかくつべこべ言わずに俺に協力しろ」
「そんな無茶な」
「お前の家の側まできてるんだ」
 サイレンが近くから聞こえきた。音の大きさから察すると約百メートルと言ったところだろうか。
「今のサイレン、聞こえたか?」
「ええ、聞こえましたよ」
 どうやら協力するしかなさそうだ。私はうんざりとして、うなづいた。
「協力してくれるよな?」
「解りましたよ……」
 と私は言うと、また冷たい部下の視線を浴びながらドアを開けた。

「解りました。……はい……はい……お見舞いの品でも届けましょうか?……はぁ、そうですか……お大事に」
 と言って、電話を切るとふぅと溜息を吐いた。隣で面白そうに警部がニヤニヤと笑っている。
「お前もベンチャー企業の社長ならもっと稼いだらどうだ?フジと揉めてるどこでもドアみたいに」
「あぁ、ライブドアのことですか」
「そう、それだ」
「僕は必要最低限の暮らしさえできればいいんですよ。あとは数学の研究だとか好きなことに時間を割きたい」
「今の不景気、そんなことじゃやってけないぞ」
「じゃあ、僕が事件に協力しなくてもいいんですね」
 私がやり返すと、警部はううん、と唸った。しばらくしてわざとらしく咳払いをすると、ぶっきら棒に、
「は、早く本題に入るぞ」
「ええ」
 私は笑いを噛み殺してうなずいた。
「被害者は佐藤亮介……」
「あぁ、先日起きた殺人事件ですか。確か体内から硝酸ストリキニーネが発見されたんですよね」
 パトカーの助手席から窓の外を見ながら、言った。お昼時の住宅街は人通りがまばらである。
「おお、よく知ってるな。そんなに大きな記事じゃないだろ」
「一応、殺人事件の記事は全てスクラップしてますからね。でもあれは一応のカタはついたはずでしょう?」
「そうだ」
「ならどうして僕を呼んだんです?」
 警部だって全ての事件を私に押し付けているわけじゃない。相談するからには何か理由があるはずである。
 西口はかなり分厚い捜査ファイルを私に渡すと、目を通せと言いたそうに顎でしゃくった。私はページをめくると、一ページ目に人物相関図が描かれていた。
 報道されている以上のことは書かれてないな。二、三行読んで、そう判断したので読み飛ばすことにした。
 次に書かれていたのは司法解剖の結果である。直接の死因は転倒によって後頭部を強打したらしい。私も烈傷が見られた箇所をグリグリと触ってみたが、ここを打ちつければ死ぬ可能性が極めて高い。また死後直前までアルコールを呑んでいたらしく、血中アルコール濃度が高かったことも記されていた。
 硝酸ストリキニーネが体内から検出されている。このことから、中毒症状の一つである眩暈を起こし、それで転倒したとのだろう。司法解剖した医師はそう推察している。
 次には鑑識課からの報告が書かれていた。硝酸ストリキニーネが検出されたワインボトルには白い粉が漂っている。このボトルからについていた指紋は、被害者と尾崎亜由美のものだけらしい。
 私はパタンと閉じ、大体は解りましたと言う。警部は火の点いていない煙草を口から離し、
「俺はその容疑者はシロだと思ってるんだ」
 と言って火を点けようとする。私にジロリと睨まれ、残念そうにポケットにしまった。
「それはまた一体どうしてなんですか?」
「俺たちは愉快犯だと睨んで捜査してたんだ。尾崎亜由美がキャップが少し開いてた気がする、と言ってたからな」
「亜由美さんの記憶違いってことは?」
「もちろん、それも視野に入れたさ。でもコンビニの防犯カメラに映ってたんだ。ワインを何本か手に取って結局何も買わずに帰っていった男が」
「確かに亮介さんはワインをそこで買ったんですか?」
「間違いない。レシートを調べたからな」
 解りました、と私はうなずく。
「それでどうして、犯人のはずがないと?」
「決め手はカメラの映像だけだからだ」
「……似たような事件は発生してないんですよね?」
「あったらとっくにブンヤが飛びついてる」
「それもそうですね」
 愉快犯は見つかるか見つからないかのスリルを楽しんでいるのだ。そうだとしたら、複数の瓶に毒を入れるはずである。実際、過去の事例を見ても、複数の瓶に毒を仕込むケースがほとんどである。
 しかしそれが見られないということは、愉快犯の可能性が低い。警部の疑念はそこなんだろう。
 窓の外にはまるでオフィスビルのような建物が見えた。最近、立て直したと盛んにテレビなどでやっているG大学である。そういえば、尾崎亜由美はあそこの大学院に通ってた、とワイドショーで報じられていた。
「怨恨の線は?」
「ヤツの周りの女は皆恨んでた。口説き回ってたからな」
「なるほど、それで彼女たちの中に怪しそうな人は……」
「皆、シロだった。殺せる機会がないからな」
「あれ?第一発見者の尾崎さんはどうなんですか」
「俺も一番最初に彼女を疑ったさ。でも硝酸ストリキニーネの入った容器が見つからなかった」
「どこを探したんですか?」
「周辺のゴミ置き場、公園のゴミ箱などを探させた」
「見つからなかったんですね?」
 仏頂面で警部はうなずく。
「そうですね……。薬包紙で持ち歩いたんじゃ、危険すぎますし」
「くそっ」
 と警部は悔しさの余り、顔を赤くする。
「ヤツなら動機、毒を手に入れる機会があるのに」
「チャンスがあったというのは?」
「ヤツは化学学科の院生だ。毒を手に入れる機会なんていくらでもあっただろ」
 なるほどと私がうなずくと、パトカーは今にも崩れそうなアパートの前に駐まった。

 翌日、わたしのアパートへやってきたのは西口とスーツの変な若い男だった。警官だろうか、とも考えたが制服を着ていないので違うんだろう。
「どうも始めまして。有沢といいます」
 有沢は屈託のない微笑を浮かべ、手を差し出す。わたしはしばらくして、握手を求める仕草だと解った。
「は、はぁ……」
 わたしは戸惑いながらも、玄関先で彼と握手を交わした。挨拶が終わると西口が、失礼しますと言って入ってきた。
「どうしたんだ」
 と西口が尋ねるのを聞いて、振り返って見る。一向に有沢は入ってくる気配がなく、顔を赤らめていたのである。
「いえね、女性の部屋に入るのはちょっとどうかと思いまして……」
 下心があるんじゃないのか。亮介みたいな男が言うと、そう疑ってしまう。しかし有沢に言われるとそんな気が全くしない。
「あぁ、あの子のことか。事件の捜査とでも言っておけば大丈夫だろ」
 西口が小指を立てて、ニヤリと笑った。どうやら有沢には恋人がいるらしい。
「そうじゃありませんよ」
 と呆れたように有沢が言う。
「あんまり気になさらなくてもいいのに」
「は、はぁ……。それじゃ失礼します」
 有沢はもの珍しげに辺りを見回しながら、入った。
「今、お茶入れますね」
「あぁ、お構いなく」
「まぁ、いいじゃないですか」
 西口が言うがそれに構わず、紅茶を入れる。
「それでもう一度あのときのことを話して頂きたいんですが」
 ひょっとしてわたしを疑ってるんじゃないかしら。有沢が言うのを聞いて、そう考えた。いや、そんなはずはない。今まで何もわたしは馬脚を現すことは言ってないはずである。
 だが、念の為にわたしは探りを入れることにした。
「あの事件の犯人はもう捕まったって新聞に載ってましたけど……」
「でもどうしても腑に落ちない点があるんですよ」
 と西口が言う。
「刑事さんも大変ですね」
「いや、それが私どもの務めですから」
 果たして解るかしら。西口がそう力強く言うのを聞いて、わたしは内心、警察を嘲けた。

「冷めないうちにどうぞ」
 私はそう言って出されたティーカップに口をつけた。ティーカップには花と二匹の蝶が戯れている絵が書かれている。
 なぜか女性の部屋に入ると緊張してしまう。座ったままではあるが、一礼して、
「いただきます」
「それで何をお訊きしたいんですか?」
「あの晩のことを確認させてください」
 と警部が言うと、戸惑いながらもうなずく。再三、話しているのに、と言いたそうだ。警部が何やら言おうとするのを私は遮り、
「実は犯人が捕まったんですが、なかなか自白しないんですよ。それで証拠固めをしようと思いまして……」
「なるほど、そういうことですか」
「はい、是非ともお願いします」
「私はあの晩、久々に佐藤亮介君と会ってここで飲んだんですよ」
「どちらから会おうと?」
「あぁ、それなら被害者からだ。事件が起きた日にメールが入って、会うことになったらしいからな」
 と警部が言うと、亜由美も、
「そうです」
 とうなずく。
「なるほど。何で会うことにしたんですか?」
「何でって……、どう言う意味だ?」
 と警部が言う。
「考えてもみてください。亜由美さんは亮介さんのことを憎んでたんですよね?」
「これを……見てください」
 と言うと突然、壁に手を伸ばした。新しい美容健康法か、などと訝っていると、黒い携帯が手に握られている。あぁ充電器だったのか、と壁に置かれた可愛らしい人形を見て少し恥かしい気持ちになる。
 お借りしますと言って携帯を受け取ると、警部も横から覗き込んだ。
「ひどいですね」
 私は憤りを覚えて言った。一日に数十件は会いたい、というメールが入っていたのである。
「着信拒否はしなかったんですか?」
「前、したんですけどここで待ち伏せされてしまって……」
「なるほど」
「どうして我々にご相談なさらなかったんですか?」
 警部が非難めいて言うのを聞いて、私は、
「できるはずないじゃありませんか」
 とやり場のない怒りを抑えて、
「警察に相談なんてしたら何されるか解らない、と思うんですよ」
「その通りです。警察の方を信用してはいるんですが・・」
 と亜由美がうなずく姿を見て、警部は仏頂面で、黙ってうなずく。どうやら彼女の言うことを信用していないらしい。
「それであなたは仕方なく会った、と」
「はい、あんな男、見るのも嫌だったんですが」
「そりゃそうでしょうね、お察しします」
「ありがとうございます」
「いえいえ、それで何か要求してきたんですか?」
「やり直そう、と」
 まるでストーカーのお手本みたいな男だな……。そう心の中で苦笑して、
「どう答えました?」
「もちろん断りました」
「なるほど、それで激情した亮介さんは立ち上がって……」
「ええ、そのまま倒れました」
 と亜由美が私の後を引き継いだ。それを聞いて、なるほど、とうなずき、
「後頭部を壁に強打して、頭蓋骨を折った。これが直接の死因ですよね」
「うむ、そうだ。ほらあそこにまだ血が残ってるだろ」
 警部の指差す方を見ると、真新しい白い壁に赤黒いシミのようなものが見えた。
「ありがとうございました」
 と私は警部に言うと、
「一つお伺いします」
 そう言って亜由美に向き直った。
「どうして毒だと解ったんですか?」

3

「どうしてって……刑事さんにもお話したでしょう。封が切られてたように見えたって」
 私の問いに亜由美がそう反論する。私は静かに首を振って、
「僕が問題にしてるのはそこじゃないんですよ」
「ならどこを問題にしてるんですか?」
 不機嫌そうに亜由美が言うのを聞いて、警部も、
「俺も何を問題にしてるのか、解らんな。尾崎の証言は矛盾しないと思うが」
 ほれ見なさい、と得意げにフフンと鼻を鳴らした。私はそれを無視して話を進める。
「亜由美さん、亮介さんは死ぬ直前までお酒を飲んでたんですよね」
「そうよ、それがどうかしたの」
「おかしくないですかね」
「全然おかしくないじゃない」
 と亜由美は言う。
「なにがおかしいの?」
「酔って倒れた可能性は考えなかったんですか?」
「そ、それは……」
 亜由美は震える手で紅茶を飲むと、しばらくうつむいた。何ごとかぶつぶつ呟いている。顔は蒼白だった。
 どうしたんですか、と私はさらに追究する。亜由美は引き攣った笑みを浮かべて、
「な、なんでもありません」
「そうですか」
 どこからどう見ても大丈夫じゃない。警部がやりすぎだぞ、と言いたそうに脇腹を小突く。私はいいんですよ、と囁くと、警部は、
「あまりやりすぎるなよ」
 と言って腕組みをした。私は解りました、とうなずく。
「で、なぜです?」
「それは……、亮介はお酒が強かったたちですから」
 いかにも取ってつけたような口振りを聞いて、苦笑いを浮かべた。
「そうなんですか?」
「はい、私は下戸であの時もお酒は飲まなかったんですけど」
「運が良かったですな」
 と警部が言うと、はい、と言って亜由美は肩を竦める。
「納得して頂けましたか?」
「はい、とっても」
 と私はうなずいた。

 なんなの、この男は!
 有沢を見ながら心の中で呟いた。まるでわたしが犯人だと言うことを知っているかのような素振りである。そんなことを考えながら、気分を落ち着けようと紅茶を一口飲んでいると、
「料理、お好きなんですね」
 一瞬、何を言っているのか解らなかった。しかし、調味料の瓶を見ている有沢の様子でようやく意味が解った。
 それと同時に背筋に寒いものが走る。見つかってしまうのでは、という恐怖を覚えたのだ。しかし慌てれば怪しまれてしまう……。そう思って作り笑顔で、ええ、と答えたが、引き攣っていたに違いない。
「拝見させてもらってもいいですか?」
 そう言って立ち上がると、わたしの返事も聞かずにずんずん歩いていってしまう。断る理由が見つけられなかったので、呼び止めても意味がなかったかもしれないが。
「お、おい」
 西口が制するのも聞かずに、まるで昆虫か何かを目にした子供のように恍惚に浸っているようだった。何かに夢中になっている男性はやはり格好よく見える。
 そういえば、亮介もバンドに夢中になっている姿に惚れて付き合い始めた、とふと思い出す。今思えば殺すことはなかったのではないか。彼は浮気癖があるが、友達としては結構いい人だったかもしれない……。そんなことを今頃になって思い出していると、
「ほう、粉末ガーリックまで」
 そう言って彼は瓶を摘み上げ、なめるように見ている。無邪気な微笑みを浮かべて、
「この空の瓶は何が入ってたんですか?」
 ストリキニーネが入ってました、なんてことが言えるはずもない。男の人なら料理に疎いから出鱈目にスパイスを言ってもばれないだろう。わたしはそう考え、
「グリーンペッパーです」
「ああ、ステーキとかに使われるヤツですね」
 飄箪から出た駒、というのは正にこのことだろう。ええ、そうです、とうなずこうとしてはたと考える。もしかしたらこれは罠かもしれない……。
 ないはずのスパイスをどうして買えるんですか、と詰問されるかもしれないのだ。どっちだろうと考え、有沢の顔を眺めていた。しかし、表情を変えないため心中を推し量ることができない。そこでわたしはどっちでも言い逃れできるように答える。
「ええ、確かそんな名前だったと思います」
「覚えてないんですか?」
「残念ながら」
「でも用途くらいは……」
「残念ながら床に落としてしまって……」
「わぁ」
 有沢は突然、素頓狂な声を出す。そして悲しそうに首を振り、
「それはもったいないことを」
「ええ、本当にもったいなかったですよ」
「それ以来、グリーンペッパーは?」
「買いませんよ、もったいない」
 と笑いながら言うが、早く帰ってくれないかと心から願っていた。これ以上、彼と話すと心臓によくない。
「そうでしょうね。……さて警部、もうそろそろ帰りましょうか」
 もっと粘ると思っていたわたしは、少し驚いて、
「もう帰るんですか?」
「ええ、あなたが犯人じゃないことは解りましたし」
 と微笑みを浮かべ、一礼すると出て行った。

 パトカーは私たちを乗せて、マンションや公共団地が聳えている住宅街を通り抜けている。授業が終わったらしく、小学校一、二年の可愛らしい子供が下校しているのが、信号待ちをしている時、見えた。
「……有沢、有沢」
 野太い声がして、考えごとをしていた私ははっと我に返る。どうやら警部が私のことを呼んでいるらしい。
「はい、何でしょう」
「昼飯、何か食うか?」
 そう言われて、携帯で時刻を確認すると、もう十二時を少しすぎていた。それを横目で見て警部は、パトカーのデジタル時計があるだろ、と言いたそうに苦笑する。
「癖なんですよ。ほら、僕いつも携帯を時計代わりにしてるもんですから」
「そうか、で昼飯はどこにする?」
「どこでもいいですよ。安いところなら」
「いくら持ってるんだ?」
「ちょっと待って下さい……」
 と言って私はズボンのポケットをまさぐる。出てきたのは千円札と小銭が少し。それと本の注文書。これは恋人の萌から借りた本をなくしてしまい、同じものを買ってごまかそうという作戦である。しかし丸善まで行ったところ、売切で取り寄せてもらっているのだ。
「えーと……一二五八円ですね」
「それがお前の全財産か?」
「ええ」
「社会人だろ?それも会社の社長だろ?俺より貧乏でどうする」
「今月は本を買いすぎまして……」
「いくら買ったんだ?」
「ええと……五、六万円と言ったところでしょうか?」
 見ると警部が頭痛でもするかのように頭に手をやっている。長年の付き合いなのでそれが芝居だと解っていた。
「どうしました?」
「お前の神経が解らないだけだ」
「心配しないで下さい。よく言われますから」
 警部は一つ苦笑しただけだった。
「あぁ、そうそう。一つお願いが」
「ん?いくら貸して欲しいんだ?」
 と言ってニヤニヤしながら二つ折りの財布を取り出す。どうやら金の無心を頼んでいると思っているよりかは、奥さんからプレゼントされた財布を見せびらかしたいらしい。
 私は苦笑して、手を振る。
「違いますよ。そうじゃなくって……、捜査資料を貸して欲しいんです」
「何でだ?見せただろう」
「ええ、解らないから資料を見てもう一回検討したいんです」
「しかし……、外部に持ち出したって解れば俺の首が……」
「警部は無実の人が逮捕されてるのに何とも思わないんですか?」
「何だって!?」
 警部は叫ぶ。
「それじゃあ、やっぱり俺の勘は……?」
「まだ犯人が解ったわけじゃありませんよ」
 私は慌てて言った。
「ただ、彼を犯人にするには不自然な点が多すぎるってことなんです」
「ふむ……」
 しばらく考えていたが、腹を括ったらしい。
「よし、お前を信じよう」
 と言って資料を渡した。ありがとうございます、と私は微笑を浮かべて言った。突然、警部が、
「あっ、あそこにラーメン屋があるぞ。いいだろ、あそこで」
 構いません、と私は浮つきながら答えると、警部は小さなラーメン屋にパトカーを停めた。

「やっと帰ったわ!」
 わたしは大きな溜息を吐くと同時に腹の底から笑いが込み上げてきた。やっぱり警察は無能なんだわ!さっきは後悔が胸いっぱいに広がって、涙が出そうだったが、今は不思議なもので達成感でいっぱいだ。
 有沢が次々と犯行の手掛かりとなるものが置いてある所に近付いていったが、あれは単なる偶然に過ぎなかったのか。そうだとしたら有沢はよっぽどバカだということになる。
 その時、チャイムが鳴った。誰だろうと思いながら、ドアを開けると有沢が立っていた。わたしはしつこさにムッとしながらも、
「どうしたんですか?何か忘れ物でも?」
「亜由美さん……。自首を勧めにきました」
「自首?」
 笑いながら答えた。しかし動揺を隠すための笑いだったのは言うまでもない。こうなれば最後まで白を切ってやろう。
「亮介を殺したの、私とでも言いたいわけ?」
 その通りです、と有沢は無表情に言う。わたしにはそれが悲しみを押し隠しているようにも見えた。
「バカバカしい!」
 吐き捨てて言う。
「第一、毒はどこに入れたの?警察が家の近くのゴミ置き場を探しても……」
「見つかるわけないですよ」
「なんですって?」
「だってあのグリーンペッパーが入ってたと言われた瓶に入ってたんですから」
「証拠はあるんですか?」
 わたしは一瞬眩暈を覚えたが、それを隠そうと噛み付く。
「証拠がなければ単なる憶測ね」
「あるんですよ、警部の前じゃあなたを思って言えませんでしたが」
 あらありがとう、と澄ましてわたしは言う。
「じゃあ、その証拠を見せてちょうだい」
「まずお断りしなければいけないのは、空瓶に硝酸ストリキニーネが入ってたと言う証拠はない、ということです」
「何それ」
 と嘲笑してわたしは、
「さっき証拠があるって言ったのはあなたでしょう」
「ええ、あなたがやったという証拠はあります」
「じゃあ、早く見せてよ」
 有沢は無言でうなずき、持っていたファイルのページを捲る。わたしや亮介の顔写真が移っているところを見ると、捜査資料らしい。
「ほら、ここの写真をよく見てください」
 わたしは言われた通り、写真を見た。ワインボトルの写真で、宙に白い粉が漂っている。それのどこが証拠に……と言い掛けて、はっと気付く。
「気付かれたようですね」
「な、何のことかしら」
「化学に明るくなくとも気付くことです。これは入れられて間もない粉だとね」
 わたしが黙っていると有沢はさらに、
「もし、警察の推測通り通り魔的犯行……つまり三、四日前に入れられたものだとしたらこれらは沈殿しているはずです」
「解ったわ。自首する」
 わたしはふう、と溜め息を吐いた。これ以上あがいてもムダだと思ったのだ。
「そうしてください。無実の人間が捕まってるんです」
「いつから疑ってたんですか?」
「車の中で警部から資料を見せてもらったときに気付きましたよ」
「解らないわ」
 わたしは首を振る。
「なぜ最初から私を犯人として糾弾しなかったの?」
「それはあなたに同情したからです。最悪な男に振り回されて」
「あら、でも亮介は友達としてはいい人よ」
 どういう心境の変化だろう、と訝っているらしく、きょとんとわたしを見つめる。やがて、どこか遠くでも見るように、
「ええ、そうかもしれませんね」
「できればあなたとは……唐沢さんでしたっけ?」
「有沢です」
 気分を害した様子でもなくさらりと答える。いつも間違えられているのかもしれない。わたしは最初は変人だと思っていたが、徐々に騎士道精神に溢れる人だと思うようになっているのを実感していた。
「あら、ごめんなさい。有沢さんとは友達として知り会いたかったわ」
「僕もです。まぁ、人生まだまだこれからですよ。やり直しの利かない人生なんてありませんから」
「ありがとう。……ねぇ、実家から届いたワインがあるの。ご一緒しない?」
 どういうわけか、この言葉を口にしていた。恐らく、彼とじっくり話したかったのだろう。そして今、このチャンスを逃せば、二度と来ないに違いない……。
 有沢は携帯で時刻を確認して、しばらく迷っているようだった。
「ええ、いいですよ。ただしストリキニーネは入れないでくださいね」
「どうかしらね」
 わたしは軽口を叩いたお返しとして、真顔を作って言った。
「あなたを信じます」
 有沢は微笑してそう言うと、失礼します、と言った。
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