ワインでさよなら


「どうしてって・・・刑事さんにもお話したでしょう。封が切られてたように見えたって」
 私の問いに亜由美がそう反論する。私は静かに首を振って、
「僕が問題にしてるのはそこじゃないんですよ」
「ならどこを問題にしてるんですか?」
 不機嫌そうに亜由美が言うのを聞いて、警部も、
「俺も何を問題にしてるのか、解らんな。尾崎の証言は矛盾しないと思うが」
 ほれ見なさい、と得意げにフフンと鼻を鳴らした。私はそれを無視して話を進める。
「亜由美さん、亮介さんは死ぬ直前までお酒を飲んでたんですよね」
「そうよ、それがどうかしたの」
「おかしくないですかね」
「全然おかしくないじゃない」
 と亜由美は言う。
「なにがおかしいの?」
「酔って倒れた可能性は考えなかったんですか?」
「そ、それは・・・」
 亜由美は震える手で紅茶を飲むと、しばらくうつむいた。何ごとかぶつぶつ呟いている。顔は蒼白だった。
 どうしたんですか、と私はさらに追究する。亜由美は引き攣った笑みを浮かべて、
「な、なんでもありません」
「そうですか」
 どこからどう見ても大丈夫じゃない。警部がやりすぎだぞ、と言いたそうに脇腹を小突く。私はいいんですよ、と囁くと、警部は、
「あまりやりすぎるなよ」
 と言って腕組みをした。私は解りました、とうなずく。
「で、なぜです?」
「それは・・・、亮介はお酒が強かったたちですから」
 いかにも取ってつけたような口振りを聞いて、苦笑いを浮かべた。
「そうなんですか?」
「はい、私は下戸であの時もお酒は飲まなかったんですけど」
「運が良かったですな」
 と警部が言うと、はい、と言って亜由美は肩を竦める。
「納得して頂けましたか?」
「はい、とっても」
 と私はうなずいた。

 なんなの、この男は!
 有沢を見ながら心の中で呟いた。まるでわたしが犯人だと言うことを知っているかのような素振りである。そんなことを考えながら、気分を落ち着けようと紅茶を一口飲んでいると、
「料理、お好きなんですね」
 一瞬、何を言っているのか解らなかった。しかし、調味料の瓶を見ている有沢の様子でようやく意味が解った。
 それと同時に背筋に寒いものが走る。見つかってしまうのでは、という恐怖を覚えたのだ。しかし慌てれば怪しまれてしまう・・・。そう思って作り笑顔で、ええ、と答えたが、引き攣っていたに違いない。
「拝見させてもらってもいいですか?」
 そう言って立ち上がると、わたしの返事も聞かずにずんずん歩いていってしまう。断る理由が見つけられなかったので、呼び止めても意味がなかったかもしれないが。
「お、おい」
 西口が制するのも聞かずに、まるで昆虫か何かを目にした子供のように恍惚に浸っているようだった。何かに夢中になっている男性はやはり格好よく見える。
 そういえば、亮介もバンドに夢中になっている姿に惚れて付き合い始めた、とふと思い出す。今思えば殺すことはなかったのではないか。彼は浮気癖があるが、友達としては結構いい人だったかもしれない・・・。そんなことを今頃になって思い出していると、
「ほう、粉末ガーリックまで」
 そう言って彼は瓶を摘み上げ、なめるように見ている。無邪気な微笑みを浮かべて、
「この空の瓶は何が入ってたんですか?」
 ストリキニーネが入ってました、なんてことが言えるはずもない。男の人なら料理に疎いから出鱈目にスパイスを言ってもばれないだろう。わたしはそう考え、
「グリーンペッパーです」
「ああ、ステーキとかに使われるヤツですね」
 飄箪から出た駒、というのは正にこのことだろう。ええ、そうです、とうなずこうとしてはたと考える。もしかしたらこれは罠かもしれない・・・。
 ないはずのスパイスをどうして買えるんですか、と詰問されるかもしれないのだ。どっちだろうと考え、有沢の顔を眺めていた。しかし、表情を変えないため心中を推し量ることができない。そこでわたしはどっちでも言い逃れできるように答える。
「ええ、確かそんな名前だったと思います」
「覚えてないんですか?」
「残念ながら」
「でも用途くらいは・・・」
「残念ながら床に落としてしまって・・・」
「わぁ」
 有沢は突然、素頓狂な声を出す。そして悲しそうに首を振り、
「それはもったいないことを」
「ええ、本当にもったいなかったですよ」
「それ以来、グリーンペッパーは?」
「買いませんよ、もったいない」
 と笑いながら言うが、早く帰ってくれないかと心から願っていた。これ以上、彼と話すと心臓によくない。
「そうでしょうね。・・・さて警部、もうそろそろ帰りましょうか」
 もっと粘ると思っていたわたしは、少し驚いて、
「もう帰るんですか?」
「ええ、あなたが犯人じゃないことは解りましたし」
 と微笑みを浮かべ、一礼すると出て行った。

 パトカーは私たちを乗せて、マンションや公共団地が聳えている住宅街を通り抜けている。授業が終わったらしく、小学校一、二年の可愛らしい子供が下校しているのが、信号待ちをしている時、見えた。
「・・・有沢、有沢」
 野太い声がして、考えごとをしていた私ははっと我に返る。どうやら警部が私のことを呼んでいるらしい。
「はい、何でしょう」
「昼飯、何か食うか?」
 そう言われて、携帯で時刻を確認すると、もう十二時を少しすぎていた。それを横目で見て警部は、パトカーのデジタル時計があるだろ、と言いたそうに苦笑する。
「癖なんですよ。ほら、僕いつも携帯を時計代わりにしてるもんですから」
「そうか、で昼飯はどこにする?」
「どこでもいいですよ。安いところなら」
「いくら持ってるんだ?」
「ちょっと待って下さい・・・」
 と言って私はズボンのポケットをまさぐる。出てきたのは千円札と小銭が少し。それと本の注文書。これは恋人の萌から借りた本をなくしてしまい、同じものを買ってごまかそうという作戦である。しかし丸善まで行ったところ、売切で取り寄せてもらっているのだ。
「えーと・・・一二五八円ですね」
「それがお前の全財産か?」
「ええ」
「社会人だろ?それも会社の社長だろ?俺より貧乏でどうする」
「今月は本を買いすぎまして・・・」
「いくら買ったんだ?」
「ええと・・・五、六万円と言ったところでしょうか?」
 見ると警部が頭痛でもするかのように頭に手をやっている。長年の付き合いなのでそれが芝居だと解っていた。
「どうしました?」
「お前の神経が解らないだけだ」
「心配しないで下さい。よく言われますから」
 警部は一つ苦笑しただけだった。
「あぁ、そうそう。一つお願いが」
「ん?いくら貸して欲しいんだ?」
 と言ってニヤニヤしながら二つ折りの財布を取り出す。どうやら金の無心を頼んでいると思っているよりかは、奥さんからプレゼントされた財布を見せびらかしたいらしい。
 私は苦笑して、手を振る。
「違いますよ。そうじゃなくって・・・、捜査資料を貸して欲しいんです」
「何でだ?見せただろう」
「ええ、解らないから資料を見てもう一回検討したいんです」
「しかし・・・、外部に持ち出したって解れば俺の首が・・・」
「警部は無実の人が逮捕されてるのに何とも思わないんですか?」
「何だって!?」
 警部は叫ぶ。
「それじゃあ、やっぱり俺の勘は・・・?」
「まだ犯人が解ったわけじゃありませんよ」
 私は慌てて言った。
「ただ、彼を犯人にするには不自然な点が多すぎるってことなんです」
「ふむ・・・」
 しばらく考えていたが、腹を括ったらしい。
「よし、お前を信じよう」
 と言って資料を渡した。ありがとうございます、と私は微笑を浮かべて言った。突然、警部が、
「あっ、あそこにラーメン屋があるぞ。いいだろ、あそこで」
 構いません、と私は浮つきながら答えると、警部は小さなラーメン屋にパトカーを停めた。

「やっと帰ったわ!」
 わたしは大きな溜息を吐くと同時に腹の底から笑いが込み上げてきた。やっぱり警察は無能なんだわ!さっきは後悔が胸いっぱいに広がって、涙が出そうだったが、今は不思議なもので達成感でいっぱいだ。
 有沢が次々と犯行の手掛かりとなるものが置いてある所に近付いていったが、あれは単なる偶然に過ぎなかったのか。そうだとしたら有沢はよっぽどバカだということになる。
 その時、チャイムが鳴った。誰だろうと思いながら、ドアを開けると有沢が立っていた。わたしはしつこさにムッとしながらも、
「どうしたんですか?何か忘れ物でも?」
「亜由美さん・・・。自首を勧めにきました」
「自首?」
 笑いながら答えた。しかし動揺を隠すための笑いだったのは言うまでもない。こうなれば最後まで白を切ってやろう。
「亮介を殺したの、私とでも言いたいわけ?」
 その通りです、と有沢は無表情に言う。わたしにはそれが悲しみを押し隠しているようにも見えた。
「バカバカしい!」
 吐き捨てて言う。
「第一、毒はどこに入れたの?警察が家の近くのゴミ置き場を探しても・・・」
「見つかるわけないですよ」
「なんですって?」
「だってあのグリーンペッパーが入ってたと言われた瓶に入ってたんですから」
「証拠はあるんですか?」
 わたしは一瞬眩暈を覚えたが、それを隠そうと噛み付く。
「証拠がなければ単なる憶測ね」
「あるんですよ、警部の前じゃあなたを思って言えませんでしたが」
 あらありがとう、と澄ましてわたしは言う。
「じゃあ、その証拠を見せてちょうだい」
「まずお断りしなければいけないのは、空瓶に硝酸ストリキニーネが入ってたと言う証拠はない、ということです」
「何それ」
 と嘲笑してわたしは、
「さっき証拠があるって言ったのはあなたでしょう」
「ええ、あなたがやったという証拠はあります」
「じゃあ、早く見せてよ」
 有沢は無言でうなずき、持っていたファイルのページを捲る。わたしや亮介の顔写真が移っているところを見ると、捜査資料らしい。
「ほら、ここの写真をよく見てください」
 わたしは言われた通り、写真を見た。ワインボトルの写真で、宙に白い粉が漂っている。それのどこが証拠に・・・と言い掛けて、はっと気付く。
「気付かれたようですね」
「な、何のことかしら」
「化学に明るくなくとも気付くことです。これは入れられて間もない粉だとね」
 わたしが黙っていると有沢はさらに、
「もし、警察の推測通り通り魔的犯行・・・つまり三、四日前に入れられたものだとしたらこれらは沈殿しているはずです」
「解ったわ。自首する」
 わたしはふう、と溜め息を吐いた。これ以上あがいてもムダだと思ったのだ。
「そうしてください。無実の人間が捕まってるんです」
「いつから疑ってたんですか?」
「車の中で警部から資料を見せてもらったときに気付きましたよ」
「解らないわ」
 わたしは首を振る。
「なぜ最初から私を犯人として糾弾しなかったの?」
「それはあなたに同情したからです。最悪な男に振り回されて」
「あら、でも亮介は友達としてはいい人よ」
 どういう心境の変化だろう、と訝っているらしく、きょとんとわたしを見つめる。やがて、どこか遠くでも見るように、
「ええ、そうかもしれませんね」
「できればあなたとは・・・唐沢さんでしたっけ?」
「有沢です」
 気分を害した様子でもなくさらりと答える。いつも間違えられているのかもしれない。わたしは最初は変人だと思っていたが、徐々に騎士道精神に溢れる人だと思うようになっているのを実感していた。
「あら、ごめんなさい。有沢さんとは友達として知り会いたかったわ」
「僕もです。まぁ、人生まだまだこれからですよ。やり直しの利かない人生なんてありませんから」
「ありがとう。・・・ねぇ、実家から届いたワインがあるの。ご一緒しない?」
 どういうわけか、この言葉を口にしていた。恐らく、彼とじっくり話したかったのだろう。そして今、このチャンスを逃せば、二度と来ないに違いない・・・。
 有沢は携帯で時刻を確認して、しばらく迷っているようだった。
「ええ、いいですよ。ただしストリキニーネは入れないでくださいね」
「どうかしらね」
 わたしは軽口を叩いたお返しとして、真顔を作って言った。
「あなたを信じます」
 有沢は微笑してそう言うと、失礼します、と言った。