ワインでさよなら


「おかえりなさい」
 私がドアを開けると、部下の若い女性が声を掛けた。自宅をリフォームした居間には六個のデスクが並んでいるのが見える。
 彼女は青山といって髪をキレイに整えている。私はというと、髪がボサボサで、まるで頭にキャベツを乗せたようである。しかし、色白なのや顔がシャープなのも幸いしてか、浮浪者に間違えられたことは一度もなかった。
 私は自分のデスクまで来ると、懐炉代わりに買った缶コーヒーのプルタブを起こす。デスクの上は相変わらず仕様書や見積書などが散乱していて、「夢の島」のようだった。
「あぁ、ただいま」
「携帯、お忘れでしたよ」
「あぁ、気付いてたよ」
「ならどうして取りに戻ってこなかったんですか?」
「面倒臭くない?」
 それを聞いて、青山が苦笑する。
「てっきりまた警察に捕まったのかと思ったじゃないですか」
「何か犯罪でもやったみたいじゃないか。僕は警察に協力してるだけだよ」
 と言ってようやく椅子に腰を押し付けた。そしてほどよい温度になった缶コーヒーを飲む。
 青山が言っているのは旧知の西口警部のことだ。彼とはあるホテルで起きた殺人事件を解決したことで知り合った。それ以来、警察の手に負えなくなった事件を持ち込んでくるのである。
「断ればいいじゃないですか。お人好しすぎますよ」
「義理で協力してる訳じゃないんだ。まぁ、確かにそういう面もゼロじゃないけどね」
「じゃあ、何で協力してるんですか?」
 私はニヤリと笑い、
「知的パズル、だよ」
「はぁ・・・」
 解らない。そう言いたそうに首を振るのを見て、私は自虐的に笑った。
 まさか今日は警部も来ないだろう・・・。そう思いながら机の上に目を落とすと、メモが置いてあるのに気付いた。青山は思い出したように、
「あぁ、浦上様が打ち合わせ時間を一週間ほど繰り上げてほしい、と言ってましたよ。それとちゃんと整理してください」
 解ったよ、と適当に受け答えをしながら、私は壁に掛かっているカレンダーに目をやる。それに気付いて、青山が、
「十日ですね」
「ありがとう」
 と言って電話に手を伸ばすと、まるで待っていたかのように携帯が鳴り出す。青山がそれを見て、
「電話する手間が省けましたね」
「もしもし」
 私は黙ってうなずいて、電話に出る。しかし・・・、
「おう、有沢か」
「あぁ、警部。また事件ですか?」
「察しがいいな。その通りだ」
「ダメですよ、警部。今からやることがあるんです」
「隠れて推理小説を読むことか?」
「いえ、違います。クライアントに電話をしなきゃいけないんですよ」
「そんなもの、パトカーの中でやれ。ともかくつべこべ言わずに俺に協力しろ」
「そんな無茶な」
「お前の家の側まできてるんだ」
 サイレンが近くから聞こえきた。音の大きさから察すると約百メートルと言ったところだろうか。
「今のサイレン、聞こえたか?」
「ええ、聞こえましたよ」
 どうやら協力するしかなさそうだ。私はうんざりとして、うなづいた。
「協力してくれるよな?」
「解りましたよ・・・」
 と私は言うと、また冷たい部下の視線を浴びながらドアを開けた。

「解りました。・・・はい・・・はい・・・お見舞いの品でも届けましょうか?・・・はぁ、そうですか・・・お大事に」
 と言って、電話を切るとふぅと溜息を吐いた。隣で面白そうに警部がニヤニヤと笑っている。
「お前もベンチャー企業の社長ならもっと稼いだらどうだ?フジと揉めてるどこでもドアみたいに」
「あぁ、ライブドアのことですか」
「そう、それだ」
「僕は必要最低限の暮らしさえできればいいんですよ。あとは数学の研究だとか好きなことに時間を割きたい」
「今の不景気、そんなことじゃやってけないぞ」
「じゃあ、僕が事件に協力しなくてもいいんですね」
 私がやり返すと、警部はううん、と唸った。しばらくしてわざとらしく咳払いをすると、ぶっきら棒に、
「は、早く本題に入るぞ」
「ええ」
 私は笑いを噛み殺してうなずいた。
「被害者は佐藤亮介・・・」
「あぁ、先日起きた殺人事件ですか。確か体内から硝酸ストリキニーネが発見されたんですよね」
 パトカーの助手席から窓の外を見ながら、言った。お昼時の住宅街は人通りがまばらである。
「おお、よく知ってるな。そんなに大きな記事じゃないだろ」
「一応、殺人事件の記事は全てスクラップしてますからね。でもあれは一応のカタはついたはずでしょう?」
「そうだ」
「ならどうして僕を呼んだんです?」
 警部だって全ての事件を私に押し付けているわけじゃない。相談するからには何か理由があるはずである。
 西口はかなり分厚い捜査ファイルを私に渡すと、目を通せと言いたそうに顎でしゃくった。私はページをめくると、一ページ目に人物相関図が描かれていた。
 報道されている以上のことは書かれてないな。二、三行読んで、そう判断したので読み飛ばすことにした。
 次に書かれていたのは司法解剖の結果である。直接の死因は転倒によって後頭部を強打したらしい。私も烈傷が見られた箇所をグリグリと触ってみたが、ここを打ちつければ死ぬ可能性が極めて高い。また死後直前までアルコールを呑んでいたらしく、血中アルコール濃度が高かったことも記されていた。
 硝酸ストリキニーネが体内から検出されている。このことから、中毒症状の一つである眩暈を起こし、それで転倒したとのだろう。司法解剖した医師はそう推察している。
 次には鑑識課からの報告が書かれていた。硝酸ストリキニーネが検出されたワインボトルには白い粉が漂っている。このボトルからについていた指紋は、被害者と尾崎亜由美のものだけらしい。
 私はパタンと閉じ、大体は解りましたと言う。警部は火の点いていない煙草を口から離し、
「俺はその容疑者はシロだと思ってるんだ」
 と言って火を点けようとする。私にジロリと睨まれ、残念そうにポケットにしまった。
「それはまた一体どうしてなんですか?」
「俺たちは愉快犯だと睨んで捜査してたんだ。尾崎亜由美がキャップが少し開いてた気がする、と言ってたからな」
「亜由美さんの記憶違いってことは?」
「もちろん、それも視野に入れたさ。でもコンビニの防犯カメラに映ってたんだ。ワインを何本か手に取って結局何も買わずに帰っていった男が」
「確かに亮介さんはワインをそこで買ったんですか?」
「間違いない。レシートを調べたからな」
 解りました、と私はうなずく。
「それでどうして、犯人のはずがないと?」
「決め手はカメラの映像だけだからだ」
「・・・似たような事件は発生してないんですよね?」
「あったらとっくにブンヤが飛びついてる」
「それもそうですね」
 愉快犯は見つかるか見つからないかのスリルを楽しんでいるのだ。そうだとしたら、複数の瓶に毒を入れるはずである。実際、過去の事例を見ても、複数の瓶に毒を仕込むケースがほとんどである。
 しかしそれが見られないということは、愉快犯の可能性が低い。警部の疑念はそこなんだろう。
 窓の外にはまるでオフィスビルのような建物が見えた。最近、立て直したと盛んにテレビなどでやっているG大学である。そういえば、尾崎亜由美はあそこの大学院に通ってた、とワイドショーで報じられていた。
「怨恨の線は?」
「ヤツの周りの女は皆恨んでた。口説き回ってたからな」
「なるほど、それで彼女たちの中に怪しそうな人は・・・」
「皆、シロだった。殺せる機会がないからな」
「あれ?第一発見者の尾崎さんはどうなんですか」
「俺も一番最初に彼女を疑ったさ。でも硝酸ストリキニーネの入った容器が見つからなかった」
「どこを探したんですか?」
「周辺のゴミ置き場、公園のゴミ箱などを探させた」
「見つからなかったんですね?」
 仏頂面で警部はうなずく。
「そうですね・・・。薬包紙で持ち歩いたんじゃ、危険すぎますし」
「くそっ」
 と警部は悔しさの余り、顔を赤くする。
「ヤツなら動機、毒を手に入れる機会があるのに」
「チャンスがあったというのは?」
「ヤツは化学学科の院生だ。毒を手に入れる機会なんていくらでもあっただろ」
 なるほどと私がうなずくと、パトカーは今にも崩れそうなアパートの前に駐まった。

 翌日、わたしのアパートへやってきたのは西口とスーツの変な若い男だった。警官だろうか、とも考えたが制服を着ていないので違うんだろう。
「どうも始めまして。有沢といいます」
 有沢は屈託のない微笑を浮かべ、手を差し出す。わたしはしばらくして、握手を求める仕草だと解った。
「は、はぁ・・・」
 わたしは戸惑いながらも、玄関先で彼と握手を交わした。挨拶が終わると西口が、失礼しますと言って入ってきた。
「どうしたんだ」
 と西口が尋ねるのを聞いて、振り返って見る。一向に有沢は入ってくる気配がなく、顔を赤らめていたのである。
「いえね、女性の部屋に入るのはちょっとどうかと思いまして・・・」
 下心があるんじゃないのか。亮介みたいな男が言うと、そう疑ってしまう。しかし有沢に言われるとそんな気が全くしない。
「あぁ、あの子のことか。事件の捜査とでも言っておけば大丈夫だろ」
 西口が小指を立てて、ニヤリと笑った。どうやら有沢には恋人がいるらしい。
「そうじゃありませんよ」
 と呆れたように有沢が言う。
「あんまり気になさらなくてもいいのに」
「は、はぁ・・・。それじゃ失礼します」
 有沢はもの珍しげに辺りを見回しながら、入った。
「今、お茶入れますね」
「あぁ、お構いなく」
「まぁ、いいじゃないですか」
 西口が言うがそれに構わず、紅茶を入れる。
「それでもう一度あのときのことを話して頂きたいんですが」
 ひょっとしてわたしを疑ってるんじゃないかしら。有沢が言うのを聞いて、そう考えた。いや、そんなはずはない。今まで何もわたしは馬脚を現すことは言ってないはずである。
 だが、念の為にわたしは探りを入れることにした。
「あの事件の犯人はもう捕まったって新聞に載ってましたけど・・・」
「でもどうしても腑に落ちない点があるんですよ」
 と西口が言う。
「刑事さんも大変ですね」
「いや、それが私どもの務めですから」
 果たして解るかしら。西口がそう力強く言うのを聞いて、わたしは内心、警察を嘲けた。

「冷めないうちにどうぞ」
 私はそう言って出されたティーカップに口をつけた。ティーカップには花と二匹の蝶が戯れている絵が書かれている。
 なぜか女性の部屋に入ると緊張してしまう。座ったままではあるが、一礼して、
「いただきます」
「それで何をお訊きしたいんですか?」
「あの晩のことを確認させてください」
 と警部が言うと、戸惑いながらもうなずく。再三、話しているのに、と言いたそうだ。警部が何やら言おうとするのを私は遮り、
「実は犯人が捕まったんですが、なかなか自白しないんですよ。それで証拠固めをしようと思いまして・・・」
「なるほど、そういうことですか」
「はい、是非ともお願いします」
「私はあの晩、久々に佐藤亮介君と会ってここで飲んだんですよ」
「どちらから会おうと?」
「あぁ、それなら被害者からだ。事件が起きた日にメールが入って、会うことになったらしいからな」
 と警部が言うと、亜由美も、
「そうです」
 とうなずく。
「なるほど。何で会うことにしたんですか?」
「何でって・・・、どう言う意味だ?」
 と警部が言う。
「考えてもみてください。亜由美さんは亮介さんのことを憎んでたんですよね?」
「これを・・・見てください」
 と言うと突然、壁に手を伸ばした。新しい美容健康法か、などと訝っていると、黒い携帯が手に握られている。あぁ充電器だったのか、と壁に置かれた可愛らしい人形を見て少し恥かしい気持ちになる。
 お借りしますと言って携帯を受け取ると、警部も横から覗き込んだ。
「ひどいですね」
 私は憤りを覚えて言った。一日に数十件は会いたい、というメールが入っていたのである。
「着信拒否はしなかったんですか?」
「前、したんですけどここで待ち伏せされてしまって・・・」
「なるほど」
「どうして我々にご相談なさらなかったんですか?」
 警部が非難めいて言うのを聞いて、私は、
「できるはずないじゃありませんか」
 とやり場のない怒りを抑えて、
「警察に相談なんてしたら何されるか解らない、と思うんですよ」
「その通りです。警察の方を信用してはいるんですが・・」
 と亜由美がうなずく姿を見て、警部は仏頂面で、黙ってうなずく。どうやら彼女の言うことを信用していないらしい。
「それであなたは仕方なく会った、と」
「はい、あんな男、見るのも嫌だったんですが」
「そりゃそうでしょうね、お察しします」
「ありがとうございます」
「いえいえ、それで何か要求してきたんですか?」
「やり直そう、と」
 まるでストーカーのお手本みたいな男だな・・・。そう心の中で苦笑して、
「どう答えました?」
「もちろん断りました」
「なるほど、それで激情した亮介さんは立ち上がって・・・」
「ええ、そのまま倒れました」
 と亜由美が私の後を引き継いだ。それを聞いて、なるほど、とうなずき、
「後頭部を壁に強打して、頭蓋骨を折った。これが直接の死因ですよね」
「うむ、そうだ。ほらあそこにまだ血が残ってるだろ」
 警部の指差す方を見ると、真新しい白い壁に赤黒いシミのようなものが見えた。
「ありがとうございました」
 と私は警部に言うと、
「一つお伺いします」
 そう言って亜由美に向き直った。
「どうして毒だと解ったんですか?」