Oの悲劇(The Tradegy of O)

このエントリーをはてなブックマークに追加

 私の机の引き出しを開けてみよう。中には様々なボードゲームが入っている。囲碁、将棋、そしてリバーシ・・・。リバーシとは何かと疑問に思った読者諸君もいるのではないだろうか?日本では「オセロ」という名で親しまれてている。
 実を言うとこの「オセロ」の名前はシェイクスピア作「オセロ」に由来する。黒人オセロと白人デステモーナの波瀾万丈の人生。それが黒石と白石のひっくり返される様子に似ているからこの名が付けられた。
 さて、私の蘊蓄(うんちく)はこの位にしておいて、なぜこんな話をしたかと言うと、実は私のこれから語る事件は「オセロ」を思い出させるからである。

FILE1、一九九九年アメリカにて

 一九九九年と言う年は私にとって最も印象深い年である。その理由はかのノストラダムスという大嘘吐きが人類滅亡という途方もない戯言をたった四行の詩に託したからではない。私はオカルトには全く興味がないのだから。
 ではなぜ印象深いのだろうか。それは私がアメリカで起きた、ある事件のせいと「風変わり誕生日」を迎えたからである。前者はそう難しくはないのだが、結末が非常に悲劇的だから私の心の中に強く残っている。あれは確か、五月のゴールデン・ウィークの事である。
 私はある理由からこの物語を公表するのを控えていたのだが今年一月、関係者が全員死んだ事もあり、公表を決定したのである。

 私と萌ちゃんはロサンゼルスにいた。私の顔色は蒼白い事が自分でも解る位、気分が悪かった。
「何で萌ちゃんがついてくるの?」
 私は自分でもその声を聞いて機嫌が悪いと思った。
「まあまあ、いいから。いいから」
 彼女が暇だったので私の事務所を訪れたら私が旅仕度の真最中だった。そこで私は飛行機での旅行を急遽、キャンセル。船旅に変更したのだった。しかし、私は船に弱いので、船酔いで散々な目に遭った。
 気分が落ち着くまで、私はどこか休める場所を探し、横になった。一組の若いカップルがデートをしている。気分が悪かったので何も考えられなかった。
 少し顔色も良くなったので、私たちはハリウッド街を父の事務所を探すために歩いた。やがて探偵事務所の表札がかかっている建物に着いた。
「ただいま」
 私は日本語で言った。まず戸口に立っていたコーデリアが、
「You look pale,what the matter?(顔色が悪いわよ。どうしたの?)」
 と心配そうに言ってくれた。コーデリアは私が解決した一家皆殺し事件で偶然難を逃れた十三才の少女である。その事件で孤児になった彼女を、私の両親が引き取った。つまり戸籍上は私の妹である。
 彼女は碧い目、栗毛の髪を方の辺りで垂らしている。鼻が高いのが欧米人らしい。ふっくらとした顔付きはまだ幼い。
 あの事件以来、すっかり対人恐怖症になってしまったようである。しかし、私の両親の努力で今は同性と信頼出来る人なら話せる。しかし、異性、つまり男性はまだ苦手であるようだ。
 母の話だと、私と父親には心を開いているようである。どうやら彼女は私を尊敬しているらしいのである。といっても、彼女に取っての尊敬と恋愛は全くの別物であり、尊敬はしても恋愛対象となる事はないとメールで言っていた。実は、私は親父に何か奇妙な事件はなかったかとメールで問うのだが、彼女が親父の代わりに返事をくれることがあるのだ。いや、彼女の代弁の方が多い。それでしばらく親父の解決した事件を訊いている内に、段々とメール友達になっていたという訳なのだ。
「I came by ship.So I feel sick(船で来たから酔っちゃって)」
 と事情を説明した。私は父がいないのに気付き、
「Well,where is my father?(ところで親父は?)」
「He is following a man.Criant had come(男の人を尾行してるわ。さっき依頼人が来たのよ)」
 私は父の解決した難事件の話を聞きたかったのでがっかりした。えてして父は事件に乗り出すと一週間から一カ月家に戻らないのである。
「He was looking forward to seeing you.(あなたに会えるのを楽しみに待っていたのよ)」
 それを聞いて私は残念だと思った。萌ちゃんが横から、
「Hello!(こんにちわ)」
 と精一杯の天使のような優しい笑顔を作った。思わず、私も見取れてしまった程である。コーデリアもそれに釣られて同じように挨拶した。私と萌ちゃんは依頼人用のソファに腰を下ろした。コーデリアと会話を楽しんだ。萌ちゃんも片言ながら会話に参加した。コーデリアは彼女を気遣い、ゆっくり発音したが、度々、
「Pardon?(えっ、もう一回)」
 という台詞が飛び出した。会話開始から十分ほど経った頃だろうか。ギーという音を立て奥の戸が開いた。
「あら、誰かと思ったわ。おかえり」
 と私の声を聞きつけて、母が戸口を開けた。私はただいまも言わずに、
「お母さん、脚本の仕事はかどってるようだね。今日の事件をネタにするなんて」
「どうして解ったの?」
 萌ちゃんは驚く。
「何。極めて簡単さ。ばかばかしい位ね。いいかい?1.親父は万年筆で事件のメモを取る。2.お母さんの手にはそのインクが着いている。3.お母さんが事件のメモを持ち出すのは脚本を書く時で、古い事件順にネタにする」
「ということは、インクが乾かない内に持ち出したから最新の事件である今日の事件を持ち出したって解った訳ね」
「うん。その通り」
 私はうなづいた。
「おや、お客さんみたいだよ」
 入口の曇りガラスに人影が見えたので依頼人だと私は思った。コン警部補だった。
「Sir Shunsaku isn't here?(俊作さんは不在かな?)」
「Yes(ええ)」
 彼は迷った様子を見せて、
「Well...Will he come buck soon?(ううん。彼はすぐに戻りそうかい?)」
「I don't know.But my san is here.So Why don't you tell him?(さあ?でも、息子帰って来てるから、彼に頼んだら?)」
 私はちょっと手を挙げた。コン警部補は私の向かい、コーデリアの隣に腰を下ろした。彼女は、腰を上げ萌ちゃんの移動した。やはり、警察の人間でも男性は苦手らしい。コン警部補は少し苦笑したが、事件を語り始めた。

FILE2、事件

 母はコン警部補にコーヒーを出した。私と萌ちゃんの前にもそれを置いた。
「Coddy,Do you want some drink?(コーディー、何か飲む?)」
 と彼女はコーデリアに訊いた。コーディーはコーデリアの愛称である。コーデリアはいらないと言った。喉がそんなに渇いていないらしいのだ。
 コンは出されたコーヒーも飲まずに事件を語り始めた。
 ロス市警、殺人課コン警部補の話だと、事件はついさっき起きた。殺されたのは日本人留学生であるオクザキ=ヒロマサ、二十一才。彼はアメリカの大学に通い、遺伝子工学を専攻していたと言う。
 発見者は同じ大学の留学生、カノウ・ヒロコ、二十二才。彼女はロシア文学専攻で、ドストエフスキーやトルストイを原書で読むツワモノらしい。私の友達にも十七才にしてロシア語をやっている男がいる事をふと思い出した。彼女は前述したオクザキとは恋人関係にある。
「All callage student envy them(皆、羨ましがってたよ)」
「Then?(それから?)」
 私は後を促した。コン警部補は彼の交遊関係を中心に語ってくれた。ヤザキ=オサムという高校時代の友人がいる。年齢は二十一才。彼はこのゴールデン・ウィーク中に四、五泊して、オクザキの元を訪れる事になっていたらしい。彼の性格は極めて温厚で人を殺せる性格でないそうである。警察の質問にも、協力的だったそうだ。
「Did Mr.Yazaki trip on my owm?(ヤザキさんは一人で来たんですか?」
「No.(いや)」
 と彼は言った。
「He triped here with Mr.Okada(彼はオカダって人と来たよ)」
「Who is he?(彼はどういう人ですか?)」
 コン警部補の話だと、オカダと言う男はヤザキ同様、高校時代の友人らしい。年齢は二十一才。ただ、度々オクザキに金の無心をしていたようで、八万位の貸があるそうである。オクザキは返すのはいつでもいいと言っていたが、本当はどう思っていたか・・・。
 次に紹介されたのがトマス・オコナー(Thomas=Oconar)である。彼はオクザキの専攻している遺伝子工学の五十四才の教授だ。彼とは別段、トラブルがなかったようなのだがオクザキの書いた論文「遺伝子組み替え食品が人体に及ぼす影響について」があまり評価されなかった事に少々不満を持っていたらしい。しかし、彼は恋人に、
「My report is not good.I will try again.(俺の論文が良くなかっただけだよ。また頑張ればいいさ)」
 と言っていたといっていたので格別恨んでいる様子はなかったという。
「After all,who get exellent?(結局、誰が最高ランクだったんですか?)」
 萌ちゃんが質問する。
「Mr.Ed Oylar got(エド・オイラーさ)」
 エド・オイラーとはオクザキとと共に遺伝子工学を専攻している男である。いい所のボンボンで金のトラブルは一切なかったと言う。しかし成績の方は良くも悪くもなかったらしい。
 隣人のトミマス・ヨネスケは八十四才の老体ながらも、精力的に自分の戦争体験談を小説風に出版している。私は読んだ事ないのだが、萌ちゃんの話だと零型戦闘機を詳しく描いた『Kamikaze(神風)』や敗戦の様子を生々しく描いた『15th.Aug.1945(一九四五年、八月一五日)』、原爆の被害を描いた『Hiroshima and Nagasaki(広島と長崎)』があるという。
 彼は元零戦パイロットであり、中でも『神風』は外見はおろか内部の様子まで詳しく書かれているらしい。日米で話題の作品である。
「How did you think why he was killed?(殺害動機についてどう考えてます)」
 私が尋ねた。
「Envy(嫉妬)」
 コーデリアがクスリとシュールな微笑を浮かべてその一語を呟いた。
「Isn't it?Mr.Chief.(そうじゃない?刑事さん)」
 その刑事はあっけに取られた様子でコーデリアを見つめた。
「Ye,Yes(そ、そうだよ)」
「Then you checked up on her background?(それでは彼女を背後関係を調査した訳ですよね)」
「Yes,of caurse(ああ、もちろんさ)」
 彼の話だと、まずオリーヴ・ウォレット(Olive=Wallet)、二十一才。ロシア語学科の生徒でカノウとは仲が良かったらしい。オクザキとも、親交があったらしく、話している所を見かけたと言う証言もある。
 次にロシア文学教授で六十才のロシア人のウラジミール・ロマネンコフ(Uragimil=Romanenkov)。彼はオリーヴの教授である。
「I have finished to tell you acter of this case(この事件の役者は全て言い終ったよ)」
 と言って彼はコーヒーに漸く口を付けた。きっと冷めきっていただろう。
「And most mysterious thing is...(そして最も不可解なのは・・・。)」
 と彼は持ってきた書類のうち一枚を、私に見せた。
「This is a photo which shows the spot(これが現場を写した写真だ)」
 私はそれを見た。萌ちゃんもそれを覗き込む。男の刺殺体が映し出されている。誰が見ても即死だろう。しかも滅多刺しにしてある。致命傷は心臓の一撃だが、腹などに十数ケ所の刺し傷が見られる。コン警部補が怨恨の線で捜査を進めている気が解った。
「You can see the scarlet cercle in center of photo(写真中央に紅い円が見えるだろ?」
「Sure(確かに)」
 その円はアルファベットの"O"のような形をした円である。
「How do you think?(これをどう考える?)」
「It is "O" in alphabets.(アルファベットの"O"ですね)」
 私は思ったままを述べた。
「It may be a dying messege.(ダイイング・メッセージかも知れませんよ)」
 萌ちゃんが言った。
「But all suspects have O in inisial.(でも容疑者全員のイニシャルにOがあるんだよ。)」
 彼は容疑者リストを見せてくれた。それには、

Olive=Wallet
Osamu=Yazaki
Tak=Okada
Thomas=Oconar
Ed=Oylar
Yonesuke=Tomimasu
Hiroko=Kano
Uragimil=Romanenkov
 という具合に容疑者の名前が書かれている。萌ちゃんは突拍子もなく、
「Are there Duch in this list?(この中にオランダ人はいますか?)」
「Duch!?(オランダ人だって!?)」
 と目を丸くして訊いた。私には大体想像がついた。きっとオランダのOだと思ったのだろう。
「ははははは、萌ちゃん。英語ではオランダとは言わないよ。HollandつまりH-O-L-L-A-N-Dと綴るんだ」
 私は萌ちゃんの考えで閃いた事があった。
「Are there any surspect who live in Ohio, Oklahoma or Oahu(オハイオ、オクラホマ、もしくはオアフに住んでいる容疑者はいますか?)」
 彼はいないと告げた。私は困ってしまったのだった。

FILE3、訊き込み

 私は手掛かりが"O"だけという、この事件に好奇心が沸いた。しかも殆どの容疑者はイニシャルに"O"がついている。オリーヴ、オコナー、オイラーと言う具合にだ。
 数時間後、私と萌ちゃんはコン警部が教えてくれた住所を頼りにモーター・インにいた。ヤザキとオカダなる人物に会うためである。通りすがりの人を捕まえて、その場所を訊いたのは私が方向音痴である何よりの証拠であろう。
 モーター・インと言うのは、車の旅行者のための宿だ。そこには簡単な料理が出来るよう、調理器具は皆、揃っている。布団を整える作業は従業員の人がやってくれるが、それ以外は皆、セルフ・サーヴィスでやらなければいけないのである。
 その代わり、費用が一泊二十九ドル(一ドルは約百円)と凄く安いのである。高くても七十九ドルと一泊一万円以下。大学生の彼らにとっては正にうってつけと言う訳だ。
 ロサンゼルス・モーター・インは鳩のように白い壁が上品な、二階建の建物だった。ちょうど「コ」の字形になっており、充分な駐車スペースが確保されている。
「Hi(こんにちは)」
 と私はオウナーと書かれた一室をノックした。当然の事なのだが彼は私たちを旅行客と勘違いしたらしい。何泊するか尋ねてきた。
「No.we are not traveler.I wanna see Mr.Osamu=Yazaki(旅行者ではないんです。ヤザキさんに会いたいんだけど・・・)」
「Who are you(誰?あんた)」
 と警戒心の塊のような目で見た。
「The ditective.And I asked to check up from police(探偵です。警察から捜査を頼まれました)」
 白髭の初老のオウナーは訝しそうに私たちを見つめた。しかし私がその節くれだった手に紙幣を握らせるとほくほく顔で教えてくれた。部屋を覗いて、
「They are seeing sight(観光中だね)」
「Do you know when they will come buck?(いつごろ帰るか解りますか?)」
 彼は解らないとジェスチュアで示した。
「I will visit again.Thanks.Bye.(また来ます、ありがとうございました。それじゃあ)」
 私はドアを閉めると、萌ちゃんに言った。
「次は大学だよ」
 と。

 日はもう落ちかかっていた。腕時計を見ると七時だった。
「まだ七時か」
「ねえ、お腹空かない?私ペコペコなんだけど」
「じゃあ、どこか入ろうか」
 ということになり、私は日本でもある某ハンバーガー・ショップへ入った。いや。正確に言うと入らされたとすべきだろう。入ろうと言いだしたのは彼女なのだから。
「何でアメリカに来てまで・・・」
 私はファスト・フードが嫌いと言う訳ではない。むしろ、私のように一人暮らしをしていると、どうしてもファスト・フードを利用しがちである。しかし、アメリカに来たらステーキとか、その地独特の物を味わいたい。しかも、こう言った店のコーヒーはえてして不味いのが決まりである。まるで泥水を飲んでいるかのようで、あの独特の香ばしさも、苦みと少しの酸味も全くない。
「まあまあ、いいじゃないの」
 彼女は笑いながら言う。混雑具合、というのか、客の入りは日本と同じでこの時間になると結構込むようである。客層も日本と変わらず、若者が多い。日本と違う点は人種の坩堝(るつぼ)と言う名の通り色々な人種が集まっている。
 その中の英語の話し声の中に紛れて、聞き慣れた日本語が私の耳に飛び込んでくる。
「しかし、驚いたな。オクザキが殺されてるなんて」
 私はその声の方をじっと見つめた。金髪で太めの男と、黒髪で痩せた男がハンバーガーをパクついている。私は席を離れて、彼らに歩み寄った。
「こんにちわ」
 見知らぬ男に声を掛けられ、きょとんとした様子で見つめている。
「ぼくはオクザキさんの大学の友達です」
 私は嘘をついた。この方が捜査が進め易いからだ。それに遺伝子工学にはちょっとした知識もあるのでまずバレないだろう。私は多方面に興味を持つ事は前作、「Hの悲劇」に書いた。遺伝子工学にも興味を示しているのだ。
「は、はあ・・・」
 戸惑う二人。
「今、好きな子をデートに誘った帰りなんですよ」
 好きな子と言うのは本当だがデートに誘ったと言うのはもちろん嘘である。
「オクザキ君の死について少し伺いたい事があるのですが」
「はい」
「あっ、まだ名前を言ってませんでしたね、有沢翔治、有る無しの「有」りに、さんずいの「沢」、「翔」んで「治」めるです」
 私は古畑任三郎ばりの気さくさで彼らに話し掛けた。
「お二人はオクザキ君とはどういったご関係で?」
「高校時代の友達です」
 太った男が言った。
「ちなみにお名前は?」
「矢崎と岡田です」
 と漢字を書いた。太った方が矢崎、もう片方が岡田と言う名前らしい。私を警察だと思っているらしく、警戒心たっぷりの目で見つめている。そこで、そうでないことをアピールするために、
「実は彼の死について彼女の父親と勝負をしているんです。どっちが先に犯人を見つけられるかってね」
 と適当に事件の捜査をする口実を作った。こう言う場合は警察から雇われた探偵だと言うと、一気に相手が緊張してしまい些細な事が聞けなくなってしまう。普段警察が気にも止めない事、例えば相手の好きなアイドルなどが事件を解く鍵となった事件も私は経験している。西口警部と知り合って実に多くの事件を解決したのである。些細な事程、何よりも重要なのである。
「ははは、何か賭けているんっすか?」
 と岡田は言った。米人だらけのこの街で日本人と出会えて嬉しいのだろうと私は思った。
「でも、何でぼくたちの事を知っているんですか?」
 矢崎は質問する。こう言う疑問を抱くのは当然だろう。こう言う時は本当の事を喋るようにしている。私が“探偵”だと言う事を知られては拙いが、他の事は知られても別に構わないのだから。
「すみません。実はお二人の会話盗み聞きしちゃったんです」
 と言う具合に、である。
「ははは、構わないっすよ。それでさっきの質問なんですけど・・・」
 岡田が言う。
「ええ、ちょっと・・・、ね」
「何を賭けているんっすか?」
 岡田がそれを制す。
「こら、有沢さんに失礼だぞ」
「いいですよ、ぼくもあなた方から訊きたい事が色々ありますしね」
 矢崎の目が活き活きとしだした。
「ぼくが勝ったら彼女がぼくとの婚約を考えてくれるんです」
 と私は演技ではにかんでみせた。
「ほほう」
 二人は驚いた様子で私を見つめた。
「もし負けたら?」
 矢崎が言った。
「別れなければいけません」
 私は出来るだけ沈痛、そして暗い顔を装った。
「それは何としてでも勝たなければなりませんね」
 岡田は励ますように言った。私の演技を本気にしているようだったので、
(しめしめ。まずは成功だ)
 と心の中で呟いた。
「でも、何でそんな事になったんです?」
 岡田が訊いた。私は、その答えに対して、彼女の両親は私の交際に反対している。というのも私は大学に行く傍ら、推理小説好きなのを生かしオンラインで発表しているという事にしておいた。とっさに思い付いたにしては好い口実だと心の中で少し自画自賛した。
「小説家は収入が不安定ですものね」
 岡田は同情するように言った。
「それで訊きたい事とは?」
 矢崎が言った。
「はい。まず彼の漢字を教えて下さい」
「感じ?第一印象ですか?」
 矢崎が訊いた。
「いえいえ。漢字でどう書くかです。例えば矢崎さん、あなたの場合でしたら、弓矢の「矢」に・・・・と言う風にです。あっこれは、前々から知りたかったのですが、訊く前に本人が死んでしまったものですので」
 どうやら奥崎博雅と書くらしい。次に恨まれるような心当たりを尋ねた。
「恨まれるような心当たりですって?」
 岡田はおうむ返しに言った。私は岡田が奥崎から金を借りてるのを知ってるにも関わらず、
「例えば金銭関係ですとか」
「それだったらこいつが少々・・・」
 矢崎が岡田の視線を避けるように言った。
「矢崎、余計な事を!」
 と首根っこを掴みかかりそうになったが、私がいるのに気付いたようでふっと我に返った。
「お見苦しい所を見せてすいません」
 と苦笑して謝った。お詫びの印に、とタバコを一本勧められた。しかし嫌煙家の私は、いらない旨を彼に伝えた。彼はライターを取り出し、安物の紙タバコを一本ふかして語り始めた。
「有沢さんはギャンブルやりますか?」
 私は否と答えた。
「俺はギャンブル弱いクセに好きでねえ」
 彼はタバコの火を店の黒いプラスチック灰皿に押し当てて言った。
「それで彼に借金したんです」
「いくら借りたんですか?」
 私はずけずけと訊いた。失礼だと思い、
「あっ、すみません。ぼく、一旦事件に集中しちゃうと周り見えなくなるんで」
 と私の習性を詫びた。
「八万です」
 岡田が告げ口するように言った。今度は飛びかからなかった。
「ええ、岡田の言う通りです。」
 と矢崎は言って、
「麻雀、花札、トランプ賭博・・・、俺は和洋中のギャンブルを修めましたよ」
 と自慢するように言った。
「ほうほう。では、恋愛関係はどうだったのでしょう。女遊びだとか」
 二人は顔を見合わせ、首を傾げた。
「さあ?ぼくは心当たりありませんね・・・。矢崎、お前は?」
「俺もないぜ」
「高校時代、恋愛関係のトラブルはなかったですか?」
「聞いた事ないな」
「俺も。っていうか高校の頃、一度も告らなかったって話です」
「そうそう。くそ真面目な奴でした」
 二人の目は濡れていた。口調もむせ返っている。きっと死んだ奥崎の事を悔やんでいるのだろう。私はその会話が収まるまで入るに入れなかった。しかし、恋愛がらみの線は二人の話からすると薄そうだ。更には、
「生物、化学とかあいつ得意だったよな」
「そうそう。それでいてガリ勉君でもなくって明るかったしよ」
「あっ、ごめんなさい・・・辛い事思い出させてしまって」
 私は本心から謝った。
「いえいえ、好いんです」
「最後にもう一ついいですか?」
「はい、何でしょう」
 と岡田が言った。
「現場近くに"O"と書いてあったんですが何か心当たりは」
「さあ?酸素とか?」
 と岡田が言った。どうやらクラスメイトの隠語として使っていたらしい。例えば一番はH、二番はHeというように。
「ぼくは六番だったから確かCだったよな。こいつは三十八番だったから・・・」
「Sr・・・つまりストロンチウムじゃないですか?」
 と私は言った。
「そうそう。でもって酸素は・・・」
「あいつじゃないか?あの・・・、ほら髪の長い女子。奥崎の事好きだって噂が立った・・・」
「木下加奈実?」
 と岡田が言った。
「違うだろう。木下は七番だから窒素だ。ああ、思い出した、工藤麻美だ」
「いつも燃え上がる恋をしたいと言ってたな」
「そうそう。それで奥崎と酸素だからぴったりだなって」
 確かに酸素の原子記号はOxygenの頭文字のOである。元素番号は八。しかし、酸素がこの事件に関係しているとも思えないし、八という数字が特別な意味を持つとも思えない。また、酸素の最大の特性、物を燃やして錆させるという働きもこの事件には関係なさそうだ。また、高校時代、彼らがクラスメイトに付けていた隠語も事件には関係なさそうだ。彼らの話だと工藤麻美なる人物は日本の大学にいるのだから。
「それでは失礼します」
 そう言うと私は離席したのだった。

「いや、偶然ってあるもんだね」
 私は萌ちゃんに機嫌よく言った。予期せぬ場所で二人と出会えた事に私は非常に嬉しいのだ。
「次はどこ?」
 萌ちゃんが訊くと、
「大学・・・、といいたい所だけど家に帰ろう。真暗だしね」
 私はドヴォルザークの『家路』を口ずさみながら家に戻った。あの何とも言えない曲の情緒が私の心を慰めてくれる。日本では、「遠き山に日は落ちて」の歌詞で有名である。キャンプの夕食の定番がカレー・ライスであるように、曲の定番は『炎よ、燃えろ』か恐らく今、私の歌っているこの『家路』であろう。
 家に着いたのは既に七時半を回っていた。

FILE4、コーデリアの話

 私たちが家に戻った時には、意外な事に親父が戻って新聞を読んでいた。もちろん、ここはアメリカなので英字新聞である。ラックにはもう数種類の新聞が入っている。更に数枚の新聞が机の上に乱雑に投げ出してある。父は私たちの気配を感じたのか、
「おかえり」
 と日本語で言った。しかし、目は新聞の活字を追っている。私がコーデリアに尋ねる前に、
「The target was murdered(尾行するよう頼まれていた人が殺害されたのよ)」
 彼女がひそひそ声で、しかし淡々と私に事情を告げた。私は解ったとジェスチュアで彼女に示すと、親父の方に歩み寄った。
 彼はV字型の眉に皺を寄せて、新聞を読んでいる。乱雑に投げ出されている新聞の中にはニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなどロサンゼルス市以外の新聞などもあった。私は父が投げ出した新聞を取って、目を通す。新聞には奥崎博雅殺害事件の事が報じられていた。
 親父が新聞を大量に買い込むのは、事件についての情報を出来る限り多く集めたいからだ。テレビはもちろんのこと、インターネットのハイテクを駆使して集めようとはしない。いまだシャーロック・ホームズ式に新聞と自らの足で情報収集を行っているのである。私は確かに足は使うが新聞よりもオンラインの新聞、つまり新聞社のサイトに行く方が多い。
 ・・・結局は一緒か?
 私は親父の投げ出した新聞に半分まで目を通した。しかし、親父と同じように新聞を投げ出した。私が知っている情報の方がより詳しいからだ。そこで私は新聞からの情報を諦め、コーデリアから殺された不幸な客人の話を聞くことにした。
「The client was Mr.Okuzaki,wasn't it?(依頼人は奥崎さんだよね?)」
 私はコーデリアに確認の意を込めて質問した。
「That's right(ええ)」
 次に私はどんな様子で来たか訊いた。
「He was a waverer,but his voices were clear(動揺はしてたけど、声はしっかりしてたわ)」
「I see.(ふうん)」
 私は相槌を打つ。誰を尾行するよう頼んでいたか、コーデリアに訊いた。彼女は面倒そうに、
「Miss.Hiroko,or his lover(ミス・ヒロコ、つまり恋人よ)」
 と答えた。考えれば解るのに何で一々訊くのかと言いたそうな苛ついた口調だ。もしかしたらもう眠いのかも。と思って壁に掛かっているアナログ時計を見る。針は八時少し前を告げていた。やはり私の質問の仕方が彼女の苛々の原因らしい。
 私はその客がどれ位いたか訊いた。
「Well...(ええと・・・)」
 とコーデリアは思い出す仕草をして、
「About half hour.(大体三十分ね)」
「Only 30 munits!?I think it is too short to ask to my father(たった三十分かい?親父に依頼するには短すぎると思うけど・・・)」
 親父はたかだか不倫調査の依頼に最低でも一時間は掛けるのである。出来るだけ、依頼人の緊張を解し、リラックスさせようとしているためだった。確かに動揺していては、事件の正確な全貌が掴めない。しかし、依頼人を一時間も引き止めている必要はないと思うのだが。
「Not of my business.But...(そんなの知らないわよ。でも・・・)」
「But?(でも?)」
 私は後を促した。コーデリアは帰宅途中に探偵事務所に寄ったのではないか自分の考えを述べた。
「My thougt is too easy.Please forget(単純すぎるわね。忘れて)」
 と自嘲的に淡々と言った。私は過小評価していると思った。いや、私に奇抜な推理を期待しているのかも知れない。どっちでも私としては関係ないのだが。
「No,it isn't easy.I think very logically(いや。そんなことないよ。とても論理的だと思う)」
 私がコーデリアの身でもまずそう考えるだろう。私はこの台詞を本心から言ったつもりなのだが、コーデリアはお世辞だと受け止めたらしい。
「Thanks(ありがとう)」
 と無表情に言った。logically(論理的)と言う単語がお世辞っぽく聞こえたのか、と少し後悔した。wonderful(素晴らしい)と言う単語を使うべきだったかもしれない。
 しばしの沈黙。私としては他に訊きたい事はないのだ。
 しかし、ここで自分から別れを告げてしまっては事件のためだけに話し掛けたようで失礼のような気がする。むろん、コーデリアに話し掛けたのは生前の奥崎氏がどんな様子で事務所に来たのかを尋ねたかったからである。そして、彼女も私が事件の事を訊くためだけに話し掛けたのは、コーデリア自信好く知ってるだろう。それでも何となく失礼に当たる気がしたのである。
「Any another question?(他に質問は?)」
 助かった、と思った。彼女から話を終わらせようとしたのだ。不思議と気まずい沈黙もこれで解消できる。私はない事を彼女に伝えると、
「I see.I'll take a bath.So please go the restroom at second floor when you want(解ったわ。私、お風呂に入るからトイレに行く時は二階のを使ってちょうだいね)」
 アメリカでは、ホテルのようにお風呂とトイレが一緒になっている。だからこんな言葉を口にしたのだ。
「I see.(解ったよ)」
 と私は苦笑しながら言った。
 私の言葉を聞くか聞かない内にコーデリアは自室に行った。そして、着替えを抱えて風呂場の扉を開けたのだった。
 後で萌ちゃんにこの事を話すと笑いの種になった。コーデリアは私が覗くとでも思っているのだろうか?しかし、よくよく考えればうなづけないこともない。彼女自身、男性には悲惨な目に遭わされたのだから。その悲惨な目というのは、ここで語るには余りにも忍びない。また、あんな悲惨な事件をもう私自身二度と書きたくはないのである。
「そんな事考える暇あったら事件、事件」
 あの忌むべき事件の感傷に浸っていることに気付いた私はそう呟いた。

FILE5、大学へ

 その日は久々にソファでなく、ちゃんとしたベッドに寝れた。いつも私はソファに寝るのだ。そのため、いつか記したと思うが私の寝相がいいためにソファから転げ落ち、床に頭をぶつけるという不名誉な目覚めを経験するのだった。
 しかし、その日の夜はもちろん違う。母が出した豪勢な和食に舌鼓を打ち、親父の秘蔵のロマネ・コンティやナポレオンと言った高級な洋酒にグラスを傾けた。
「はい、萌ちゃんはお酒飲んじゃダメよね」
 と言いながら母は未成年の少女二人、つまりコーデリアと萌ちゃんはグレープ・ジュースを注いだ。洒落を効かせだろうか、それとも偶然なのか?ワイングラスに注ぐ。
 私は酒には弱くはない。しかし、この日は慣れない船旅の疲れとアルコールの回りもあり、八時頃には睡魔に襲われた。いつもならモーツァルトかチャイコフスキーでも掛けながら仕事をしている時間なのだが。
 そんなわけで翌日目覚めたのは九時を少し回った所だった。休日はいつも遅い時間帯に目覚める。九時、十時はざらである。
 私は寝ぼけ眼で、階下に行った。
「Good-morning(おはよう)」
 下にいたコーデリアは私と同様に、朝の挨拶をした。そして、トーストが焼けてる事を告げ、スクランブル・エッグ、ウインナー・ソーセージ、そして牛乳を出してくれた。私はあくび混じりに礼を言った。
「You will go to the universety Mr Okuzaki belonged today,won't you?(今日、奥崎さんが通ってた大学へ行くんでしょう?)」
 私は口にトーストを入れた状態だったのでうなづいた。コーデリアは顎を両掌に乗せて私の食べる姿を何気なく見ている。
「Your girl-friend longed it(彼女がお待ちよ)」
 クスクス笑いながら言った。私は彼女ではないと顔を真っ赤にして否定した。朝食を食べ終えた私はあくびをしながら洗面所に行き、歯を磨く。そして髭も剃り終えた後、コーヒーをブラックで一杯飲み、萌ちゃんの元に歩いた。
「やあ、待たせて悪かったね」
 と私が言うと萌ちゃんからは、
「本当よ、さあ、行きましょ」
 不満の声が返ってくる。私たちは大学へ散歩も兼ねて、徒歩で行った。大学は探偵事務所から歩いて二十分そこそこの所だ。関係者全員の話を聞かない限りあのダイイング・メッセージについて考えるのは無意味である。したがって"O"について私は考えるのを止め、木々に観察の目を向ける事にした。
 街路樹の木々が五月に相応しく、緑く染まっている。白くて洒落た一戸建、大きなショッピング・モール、そして、庭の垣根の隙間から垣間見れる様々な色の花々。花の名前や花言葉にはテンで興味がない私も奇麗だと思う。
「見て見て。あの花、なんて言うのかしら」
 私に訊いてくれるな。そう言う知識は人並み以下なのだから。解る花といえば桜だのチューリップ位で、小学校低学年レヴェル。むろん、トリカブト、芥子、大麻など薬物になり得る草の知識は専門書を読んでいるので豊富なのだが。・・・私は変わり者だろうか?
 私たちはラッシュ・アワーの終わった時間帯だという事もあり、人の稀ら(まばら)な通りを歩いた。雀、烏、梟などの鳴き声、オフィスを出るスーツ姿のサラリーマンや、公園で子供を遊ばせて、談笑に耽る品の好い夫人たち。車のクラクション、自転車のベルの音、子供たちの楽しそうに遊ぶ声も聞こえる。
 大学へはすんなり入れた。私はまず、遺伝子工学のトマス・オコナー教授に話を聞くことにした。
「萌ちゃん、ぼくたちは新聞記者だよ。そして、事件の事を訊くんだ」
 彼女は一瞬不思議そうに私を見上げたが、やがて私の言っている意味を理解したらしい。納得した表情でうなづく。
 私たちは生徒を捕まえて教授の居場所を尋ねた。
「えーと・・・」
 言われた部屋を捜しながら、大学内を彷徨う。教わった部屋にやっとの事で行く。ドアは閉じられており、オコナー教授は遺伝子工学の講義をしていた。低いテナーの声である。話題は『クローンについて』で、私も閉められたドア越しに英語で語られている遺伝子工学の講義に耳を傾けていた。
 クローンは雌の卵細胞から核を取り出し、雄の体細胞を核の代わりに入れると言う話やクローンの倫理性などがテーマだった。クローンの作り方についてはNHKの「クローズアップ現代」という番組で紹介されたのを見ていたので知っている。
「Well,cloned humans will be made if it isn't allowed(えー、クローン人間は禁じられてるとしても確実に作られるでしょう)」
 私もこれについては教授と同意見である。そして次の講義までにこのことについてどう思うか、倫理的な見地からでも科学的な見地からでもいいので考えてくるように、と言う課題が出されて、終わった。そして見事今年になってクローン人間がイタリアだったか、どこかの都市で誕生したのである。
「Excuse me.Prof.Oconar(すみません、オコナー教授)」
 私たちの偽りの身分、つまり新聞記者だと言う事を告げる。
「Yes(はい)」
 オコナーは黒人の痩せ形の教授だ。背は割と高い方だろう。知的な鼻眼鏡の奥の黒い瞳。髪もウェイブがかった黒髪で若白髪が混じっている。いつも白衣を着ているらしい。生物実験で薄汚れた白衣の下には、青っぽいポロシャツを着ているのがちらっと見えた。下は紺のズボンを履いている。
 教授は私たちの簡単な経緯をふんふんとうなづいて協力してくれた。その経緯というのは言うまでもなく、取材である。これはもちろん、嘘である。
「Well...May we ask some questions about murder case of Mr.Okuzaki(ええと、奥崎氏殺害事件についてお伺いしたい事があるのですが)」
 彼は腕時計を確認した。次の講義があるのだろう。
「All right.I will give you 10munits.I have another lecture.(解りました。十分程度時間を裂きましょう。次の講義がありますんで)」

FILE6、二人の教授

 オコナー教授は私たちに研究室へと案内した。ステンレス製の本棚に生物学関係の本がびっしりと並んでいる。本棚の奥の棚には電子顕微鏡、試験管、ビーカー、シャーレと言った実験器具やBTB液、酢酸オルセイン液、フェノールフタレインと言った試薬などがあった。そして奥の木製デスクには椅子とパソコン・・・。
 私たちに彼はソファを勧めてくれた。私は今、前にあるコーヒー・テーブルに向かい合っている。レポートや数冊の本が乱雑に散らかっている。オコナー教授はそれらを脇に除けた。
「Would you like some coffee?(コーヒーはいかがですか?)」
 私は教授の申し出を断った。インスタントの予感がしたからである。案の定、教授は茶色い粉末を熱湯で溶かし始めた。あんな泥水が好く飲める、といつも思う。次の講義まであと十分だと言う話なので単刀直入に、
「Well.How did you feel?(彼をどう思っていましたか?)」
 過去形にしたのは拙かったか、とやや危惧した。
「I felt ... he was a good student(私は・・・彼を優秀な生徒だと感じていました)」
 私はコン警部補から教わった死亡推定時刻、つまり四日前夕方四時から七時に掛けて何をしていたか訊いた。むろんこれは彼が確認済みだろうが。
「I was checking report(レポートの採点をしていましたよ)」
 とコーヒーに口を付けて言った。多少、むっとした表情だ。
「Alone?(一人で?)」
「Yes.(ええ)」
 不快感を抑えているような口調だ。
「If you OK, please show me Mr.Okuzaki's report and Mr Oylar's.(もし宜しければ奥崎さんとオイラーさんのレポートを見せて頂けませんか?)」
 一瞬彼は顔を曇らせたが、
「OK. If I can find,I do(解りました。見つかりましたらですけど)」
 最後の言葉を意味深長に感じたのか、
「Well...Reports will go to the dust box soon?(論文はすぐに捨てられるんですか?)」
 と萌ちゃんが部屋の隅のゴミ箱に視線を向けて訊く。この場合はwillよりshallの方が好ましいのだがこの際、文句は言うまい。中年の教授はコーヒー・カップに口を持っていき、
「No, But I don't wanna see his report since I remember him.(いいえ。でも、私は彼のレポートを見ると彼を思い出すから見たくはないのです)」
「Ah...I see.(ああ、納得しました)」
 死んだ人の遺品をそのままにしていく人と、すぐさま処分する人がいる。私は彼と同じで思い出として取る方である。
 学内でいざこざはなかったか訊くと、思い当たる節はないと答えた。
「He had be not satisfied with my judgment. But he felt satisfied soon(彼は私の評価に不満を持っているようでした。でもすぐ納得してくれましたよ)」
 とコーヒーを飲み干して言った。私は「遺伝子組み替え食品が人体に及ぼす影響について」であるかどうか確認した。
「Yes.(はい)」
 教授は短く答えた。
「Mr.Oylar's thema was better?(オイラーさんのテーマの方が好かったんですか?)」
「No, but contents was.(いいえ。内容が、です)」
 続いて彼のレポートの拙い点をコーヒーを飲みながら二、三個列挙してくれた。彼は腕時計を見ると、
「Oh. It is time to lecture.See you again(ああ、もう講義の時間ですね。また会いましょう。)」
「Last question.OK?(最後の質問、いいですか?)」
「What?(何でしょうか?)」
 苛つきながらか、多少怒気が含まれていた。講義に遅れそうだからかもしれない。
「Where is Prof.Romanenkov?(ロマネンコフ教授はどこでしょう?)」
 オコナー教授は彼の居場所を快く教えてくれた。もっと、複雑な質問だと思ったらしい。私たちは別れを告げた。
「広い大学ね、迷っちゃいそう」
 萌ちゃんが言う。確かに広い。もしかしたら日本の大学が狭いのか?当たり前なのだが、部屋がいくつもある。奇麗に掃除された階段。
 その階段を上がると、カップルが寄り添って談笑を楽しんでいるのが窓から見下ろせた。円形の椅子に腰掛け、新緑のオリーヴの木の下で。それに加えて白い鳩も何羽か彼らの回りをうろついている。空は、雲一つない碧空である。遠くでは、テニス・コートで白いコスチュームの二人が、ゲームをしている。ただし、日差しが強いためか栗毛の男性と寄り添っているブロンド・ヘアの女性はサングラスを掛けており、人相は判断する事は出来ない。
 まさに絵にするとしたら・・・私は絵には余り興味がないのだが・・・これ以上のモチーフは他にないだろうと感じる。
「オリーヴ・・・か・・・」
 私は窓の下にある『ノアの箱舟』で鳩が銜えてきたという葉の名前を呟いた。関係者にオリーヴという名前の女性がいた。ふと順風満帆のカップルを見て、とある妄想に浸っていた私を現実世界へと引き戻す。
「問題はOの示す意味よね」
 萌ちゃんが言う。確かにその通り。しかし、今は情報収集の時間である。私が彼女にそのことを伝える。彼女は悪戯をした子供のように、罰の悪そうな顔をして、私を見た。それから彼女は私の視線が行っている窓の外を見た。
 まだ、あのカップルは互いに笑顔を浮かべ談笑を続けている。どうやらコメディカルな話らしい。大口を開けて笑っている。今にも哄笑が聞こえてきそうであった。共通の友人の失敗談だろうか。はたまたコメディ番組のトークだろうか。根拠のない想像を働かせてみる。
「ああ、あの二人・・・、楽しそうね」
 私はうなづく。
「たまにはこう言う微笑ましい光景も目の保養になっていいじゃない?」
「いつも血ばっかり見てるからね」
 クスクス笑いながら言う。
 これがコーデリアだったらいつ別れるのか訊いていた事だろう。彼女はそういうある種の冷徹性を持った女だ。
 シャーロック・ホームズが女嫌いであるようにコーデリア・スペードは男嫌いなのである。むろん、彼女の場合は歪んだ愛情を兄から受けたせいだろう。そのため、彼女が恋愛に対して嫌悪感に似たものを抱くのはそのせいかもしれない。
 ここまで来て、私ははっと気付いた。また感傷に浸っているではないか。
「仕方ないよ。あんな事されたんだもん。しかも唯一信頼出来る人が捕まって・・・」
 私が今、思っていた事を彼女に話すと同情するように言った。愛の告白を断られた後のような気まずいムードが私たちを包み込む。私は軽い罪悪感に駆られた。
「どうやったら、あの手の犯罪を減らせるんだろうね」
 と哀しそうな高校生の質問には、数秒間、本気になって考えた。私とて、冷徹人間ではない。私自身が納得の行く答えは・・・。
「それは、ぼくたちが異性についてちゃんとした知識を持ち、理性を働かせる事が大切だと思う。そして・・・」
「そして?」
 萌ちゃんが後を促す。
「そして、思いやりをもって接する事が大切だと思う」
 大人に言わせれば理想論だと一蹴されるだろう。確かに、と私は思うのだが理想を失ったら、何のために生きるというのだ?そして私は、ぎこちなく空咳をする。もうこの話は止めよう、という意志表示だった。
「あ、もうすぐだよ」
 話題を切り替えるため私は言う。四〇二と書かれた白い扉をノックする。
「Yes(はい)」
 とバスの声がする。ドアを半開きにして、訝しそうに私たちは誰か訊いてきたので
「We are news editors. I want you to tell us case about Mr.Okuzaki(新聞記者です。奥崎氏の事件について伺いたい事があります)」
 やっとドアが開いた。私たちは、焦茶色のソファを勧められた。が、渋い顔をしている。彼はリプトン(紅茶のメーカー。安価な事で有名)の紅茶をコーヒーカップに注いでくれた。彼は小型の冷蔵庫からジャムを取り出すと私たちの紅茶の中に入れた。生粋のロシア人らしい。
「わあ、紅茶にジャムを入れるなんて初めて」
 萌ちゃんは感嘆と感激の入り交じった声で言う。
「あれ?知らない?有栖川有栖に『ロシア紅茶の秘密』ってあったじゃん」
 ロマネンコフはわざとらしく大きな咳払いをした。下らない話はするな、とでも言うように。
「Why do you ask me? If you asked to Dr.Oconar, you will get many infomations.(何で僕に訊くんです?オコナー先生ならもっと沢山の情報を得られるのに)」
 背の高く筋肉質の逞しい体躯のロシア人は言った。金髪をこめかみの辺りで切り揃えており、青い瞳、高い鉤鼻が印象的だ。どうやらこの教授は私たちの事の訪問をあまり歓迎していないらしい。何か研究中だったのではないか、と不安になる。
「I did(もうやりましたよ)」
 萌ちゃんが言う。解ったとジェスチュアでロマネンコフ教授は示した。
「But I think you are not clear since I didn't have chances to see him(しかし、あなたがたはあまり賢いとは言えませんね。僕は彼と逢う機会がなかったんですから)」
 攻撃的な口調だ。研究の邪魔をされ不快感を覚えているのかも知れない。現にロシア語の書かれた数冊の本が机の上に伏せて置いてある。私はその本を読んでいたのだろうと思った。
「But his lover,or Miss Hiroko listens your lecture(でも彼の恋人、つまりヒロコさんを聞いていますよ)」
「Yes.(ええ)」
 とロシア人の教授は短く答えた。それがどうした、と言いたそうだ。
「Well...We disturbed your study?(あの・・・。研究の邪魔だったでしょうか?)」
 彼は否と答えたが、邪魔だという表情をしていた。
「To get out soon, I ask what I want(訊きたい事を訊いたらすぐ退室しますんで)」
 私は言った。ロマネンコフ教授は苛ついた口調で、
「Well, what's your question?(それで、あなたがたの質問は)」
 私はカノウ・ヒロコの人柄について尋ねた。彼女のロシア語の講義を受ける姿勢は実に真面目、大人しく、人付き合いの余り得意でない少女だったらしい。成績もトップ・クラスを争っていた。そして威かすように、
「She didn't kill. It was warrented by me(彼女は人を殺してなんかない。それは僕が保証する)」
 これではまるで私が彼女を疑っているようではないか。私は教授の大柄な体付きと、ドスの効かせた声に威圧感を感じ、黙りこくってしまった。萌ちゃんはロシア人の教授に、
「Well...Does she have privete troubles(ええと・・・。彼女はプライヴェートな面のいざこざはありましたか?)」
「I don't know. But as far as I know,the answer is no(知りません。でも、僕の知る限りではその答えはノーです)」
 彼は何で自分に訊くのか、と言うような苛々した口調で答えた。そんなに性急だと長くは生きられないぞ、と喉の所まででかかった。
「Anyhow, she has nothing with murder case(とにかく、彼女はこの事件に関わりが有りませんので)」
 ロマネンコフ教授はきっぱり言った。そしてその根拠として彼女のイニシアルはH.KでOがつかない事を挙げた。
「But she found dead lover first.(でも彼女は死体の第一発見者ですよ)」
 強気に私は言った。教授の反応を窺おうと言う作戦だ。
「Surely(確かに)」
 ロマネンコフ教授は呟いた。そして、ラクダの絵の書かれた紙タバコのケースを胸ポケットから取り出すと、そのタバコを吸い始めた。私の強気な姿勢に対抗するためだろう。あるいは、単にニコチンの刺激がほしくなっただけかもしれないが。
「Well...(ええと)」
 ロシア人の教授は呟いた。考えを纏めているらしい。
「Anyhow, she has nothing with murder case(とにかく、彼女はこの事件に関わりが有りませんので)」
 再び同じ台詞。一語一語をしっかり発音し、nothing(無関係)という単語を特に強く発音した。
「And me,too(それと僕もね)」
 ロマネンコフ教授は言った。そしてその根拠として彼のイニシアルはU.Rで"O"がついていない事を挙げた。私は収穫が望めないと思い彼の研究室を後にしたのだった。

FILE7、カノウ・ヒロコ

 大学の近くにあるレストランで私たちは軽く昼食を済ませた。そして、その後、再び構内に入る。受付の中年に差し掛かったばかりの女性は私たちが新聞記者だと思っているらしく、丁重に目で挨拶してくれた。
「さて・・・」
 私は呟く。
「学生を見つけるのは至難の技だぞ」
 ロマネンコフ教授の話だと彼女は交遊範囲はあまり広い方ではないらしい。
「さて・・・、どうするべきか・・・」
 私は呟く。
「ねえ、手当たり次弟に学生に訊いてみたら?」
 萌ちゃんが提案する。
「それじゃあ、警戒心を抱かさせかねないよ」
「うーん。じゃあ、門の前で待ち伏せは?」
「いつ来るんだい?」
 私は苦笑しながら言う。
「うーん」
 萌ちゃんは考え込んでしまった。
「でも、もう悩まなくても好いみたいだよ」
 私は彼女に微笑みながら言う。萌ちゃんは驚きの表情をする。私は連れ添って歩いている二人の若い女性を指差す。一人は顔を手で覆って、時折小刻みに肩を上下させている。黒髪の小柄な日本系。もう一人の女性はその白人の女性を慰めている白人の女性である。私は近付き、
「Hi(こんにちわ)」
 と声を掛けた。
「カノウさんですか?」
「はい」
 泣きじゃくりながら彼女は言う。瞳には涙が流れている。彼女はハンカチで目頭を抑えている。白人の女性は日本語が解らないらしい。私とカノウの顔を交互に眺めた。
「奥崎氏殺害事件について伺いたい事が」
「Excuse me(すみませんが)」
 荒々しくオリーヴが言った。
「I don't know who you are. But she is...Hiroko is shoked.So don't say murder case, please.(どなたか知りませんが、彼女は・・・ヒロコはショックを受けているんです。だから事件の事は口にしないで頂けますか?)」
 奥崎と言う名前に反応したらしい。そして、今もすっかり塞ぎ込んでしまい楽に死ねる方法はないか、と訊いている事を私に告げた。
「Ms.Wallet(ミス・ウォレット)」
 私は穏やかに言った。
「I wanna ask only one(ぼくが訊きたいのはたった一つだけなんです)」
 オリーヴは頗る不機嫌に、
「Then will you go down soon if you ask(それでは、訊いたらすぐに向こうへ行って下さいますね?)」
「We promise(約束します)」
 オリーヴは深い溜め息をついた。
「漢字を教えて下さい」
 紙とボールペンをカノウに渡した。彼女は一瞬驚きの目で私を見つめたが、すぐに叶野博子とサインした。私は礼を言うと約束通り退散した。

FILE8、トミマス・ヨネスケ

 大学から出て私は隣人で戦争体験記の作家であるトミマス老人に話を訊いた。「富益」と漢字で書かれていたのには流石に苦笑した。アメリカ人が漢字が解る訳ない。さて、私が驚いたのはそれだけではなかった。外装はヨーロッパ風なのだが、中に足を踏み入れると、畳が敷かれているのだ。私はてっきり、内装もヨーロッパ風だと思ったのだ。
「いやあ、驚きましたよ。外装と内装が点で違うんですもの」
 和室に通された私は率直に感想を言った。富益老人は喜寿を迎えたとは思えない位、若々しい印象を受ける。頭髪こそ白い物の、それも若白髪と思える程だ。見た所、還暦まもなくという若々しさ。
「して、儂に何用かの」
 久々に日本語が話せる人と巡り逢えた事を心から喜んでいる様子だ。
「はい、隣人の奥崎博雅さん殺害事件の事で二、三お伺いしたい事が・・・」
 彼は一瞬顔を曇らせたが、すぐに菩薩のような柔和な顔付きになった。
「何じゃな」
「奥崎さんの事をどう思っていましたか?」
「コンとかいう刑事さんにもそのことを訊かれましたよ」
 とやるせない微苦笑を浮かべた。富益は彼の事を恩に切っていた、と言った。彼から英語を教わったのだから。
「へー、何でアメリカに越してこられたんですか?」
 私は恐らく事件とは関係ないこの疑問をぶつけてみた。彼は過去を思い出すように語ってくれた。
「儂の息子は一時アメリカ転勤になっての、儂は敵国という思いもあったので、最初は反対した。しかし息子夫婦がいなくなると儂一人になるんじゃ。儂は自炊ができないから、仕方なく息子のアメリカ転勤へついていく事になった。じゃが、アメリカにいる内に段々、この国が好きになっての。息子夫婦が大阪に帰った今でもこうしてロサンゼルスに残っておる。」
「それで」
 私は納得した。
「そうじゃ、アメリカに来てみて日本が何で負けたか解ったような気もする」
 遠い過去を振り返る、懐かしいと言いたげな微笑みを浮かべた。私は脱線した話の軌道修正をどうやってしようかと迷った。別に迷惑でないのだが、訊きたい事がまだ残っている。しかし、それは私の杞憂で彼の方から軌道修正してくれた。
「えーと、どこまでいったかの?」
 私はその質問に答えると、次の質問に移った。
「誰かから怨みを買われていただとかは聞いた事ありませんかね?」
「さあ?儂は知らんぞ」
 申し訳なさそうに言った。
「そうですか。では四日前の四時から七時辺りに悲鳴とかは聞こえませんでしたか?」
「四日前って言ったら、確か、儂は出版社に新作の原稿を入れに行ったはずじゃから不在じゃよ。帰ってきたらパトカーが二、三台止まってたがの」
「そうですか・・・」
 私は残念に思った。隣人なら何かしら言い争っていただとか悲鳴が聞こえただとか、そのような有力な情報が期待出来たのに。
「そう言えば」
 私はゴクリ、と唾を飲んだ。
「そう言えば?」
 萌ちゃんが後を促す。老作家は思案深げな顔をして、一生懸命思い出そうとしている。
「言おうとしてた事を忘れてしもうた。はて?何だったかの?」
 私たちはこけそうになった体制を立て直した。まるでギャグ漫画である。しかもベタベタな落ち。
「近頃、ぼけてしもうて。思い出したら連絡入れるの」
 私はそうして下さい、と言って、次の質問に移る。
「"O"という文字について心当たりは?現場近くに彼が残していたんですけど・・・。」
「オウ?オウで思い浮かぶのは王貞治の事じゃが?」
 野球か。野球、というよりスポーツに余り興味がない私でも名前位は知っている。たしか、パ・リーグのどこかの監督だったような。
「オウ・・・キング・・・」
 私は呟いた。しかし、死にかかっている人間がそんな回りくどい方法で犯人を示そうとするだろうか?私は"O"が"王"を示していると言う考えを以上の理由から捨てた。
「それかオウじゃなくて数字のゼロと読むとか」
 萌ちゃんが素頓狂な声で叫ぶ。
「ゼロじゃとしたら一番怪しいのは儂じゃな」
 富益米助は冗談めかして言った。
「元零戦パイロットなんじゃから」
「すみません・・・」
 彼女はすっかり縮こまっている。元気のない声だ。さっきまでの威勢はどこへやら。
「いやいや、いいんじゃが。しかし、お嬢ちゃん。儂には現場不在証明がある」
 老人にっこりして言った。現場不在証明とは今で言う、アリバイである。
「あっ、でもゼロが別に零戦の事を示していると捕らえなくても好いと思います」
 萌ちゃんは明るい声に戻って言った。
「例えば電話番号とか」
「いや、それはない」
 私はナイフのように鋭い声できっぱりと即答した。
「何で?」
 彼女は私を見つめた。好きな先生の講義が始まる、というような目だ。
「いいかい?萌ちゃんが死にそうで犯人の情報を伝えようとする時に名前と電話番号とどっち書く?」
 彼女は黙り込んでしまった。自分のミスに気付いたらしい。私は彼女に二、三の慰みの言葉を掛けてやると、次の質問に移った。
「誰かから怨みを買っていた、というようなことは御存じありませんか?」
 富益は宙を見つめる。私の質問に対する返事を思い出しているようだった。やがて、
「すまんの。儂の知ってる限りでは何もなかった。彼は優しかったし、朗らかな青年だった。あの子が怨みを買うだなんて」
 とても信じられない、と言うように重々しくかぶりを振った。
「ありがとうございました」
 私たちが暇を告げようとした時、彼は私たちにプレゼントがある、と言って本棚に向かった。何だろうかと訝りながら、私たちは待つ。彼は私たちに最新作の小説だと言って渡した。とことん商売上手だ。
 私たちはその文庫本を片手に富益宅を後にしたのだった。

FILE9、親父のつかんだ情報

 私は、我が家の近くまで来たので一服でもつこうかと立ち寄った。やはり自分の家が一番落ち着く。ドアを開けると来客を知らせるベルが高い音を立ててなる。
 コーデリア、母、そして親父の視線が一気に私たちの方へ向いた。コーデリアはファッション雑誌を読んでいたらしく、彼女の膝の上には雑誌がある。
「翔治」
 親父が不気味な程、優しい声で言った。息子に頼み事がある時の声だ。
「へえへえ、何でしょうか?お父様」
 私は彼の座っているソファに腰を下ろしながら、ばか丁寧に言った。彼は私の反応に苦笑して見せたが、すぐに真顔になった。
「手札を交換しようじゃないか」
 私はどこまで彼が手札、つまり事件の鍵を握っているかは知らないが、
「解った」
 と真剣な顔付きで応じた。
「ぼくの掴んだ情報は」
 と私がこれまで掴んだ全ての情報を父に教えた。
「ふうん・・・。Oね・・・、お前はどう考えてるんだ?」
 と言う質問には応じず、
「それで、お父さんの掴んだ情報は?」
「うん、俺の掴んだ情報は賄賂疑惑だ」
「賄賂?」
 私は興味津々に訊く。
「ああ、エド・オイラーはオコナー教授に賄賂を送っていたんだ」
「ふうん」
 私は教授の曇った顔を思い出した。
「それで進級させてもらってたと」
「ああ、コン刑事から聞いていると思うが彼は金持ちのボンボンだ」
 と苦虫を潰したような顔で言った。
「それから、オリーヴと死んだ奥崎は浮気していたらしい」
「浮気だって?」
「ああ、あくまで噂だがな」
 彼は胸ポケットから紙煙草を取り出して、マッチでしゅっと火を点けた。
「それで叶野さんと奥崎さんの反応は?」
 私は紫煙を煙たそうに手で追い払いながら訊いた。
「ああ、叶野は気にしていたらしいが、奥崎は全くと言って好い程きにしていなかったよ」
「ふうん」
 私はオリーヴが叶野を慰めている姿を思い出した。とても、そんな印象は受けない。親父はコホンと咳払いをして、
「ま、まあ、あくまで噂だからな」
 と煙草の火を灰皿に押し付けて言った。

FILE10、最後の環

 その日の夕方、コン刑事が尋ねてきた。私は事件の進み具合を尋ねに来たのだな、と思った。母がコーヒーを出す。
「Well(それで)」
 コン刑事は口を開いた。
「Did you find the criminal?(犯人は解りましたか)」
 私はそれに適当な答えを返すと、
「May I ask a question?(一つ質問していいですか?)」
「O.K(なんなりと)」
 私は誰の指紋があったのかを訊いた。
「Why,Did I forgot it(ああ、そのことを言ってなかったか)」
 とコーヒーを飲みながら呟いた。Whyには「なぜ」と言う疑問詞と「おやまあ」という感動詞の二つの意味がある。それらを掛けた軽い駄洒落のつもりだったのだろうが私はそれを流した。コン刑事は居心地が悪そうに空咳をした。
「Mr.Okuzaki's and Miss Kano's only(奥崎氏と叶野市の物しか発見されなかったよ)」
「He lived with Miss Kano,didn't he?(彼は叶野さんと一緒に住んでたんですよね)」
「Yes(そうだ)」
 と彼は言った。
「それは奇妙だな」
 私は日本語で呟いた。日本語の通じないコン刑事はまるで未知の言葉を聞いたとでも言いたげ・・・実際言いたかったのだろう・・・な表情を浮かべた。
「Only I said to myself(独り言です)」
 と私は軽い説明を加えた。時計を見たコン刑事は、
「It time to start meeting(会議が始まる時間だ)」
 とコーヒーをくいっと飲み干してから別れを告げた
「Good-Bye(さようなら)」
 私は言った。今のロス市警の警部補からの報告で犯人は解った。しかし、問題は"O"の意味だ。
「ねえ、ジージョ」
 と萌ちゃんが言った。私は"O"に考え始めたのに、彼女に妨げられたので少し不機嫌になった。
「何?」
 私はぶっきらぼうに答える。
「私、ロマネンコフ教授が犯人だと思うの」
 私は黙って冷めきったコーヒーを口に含んだ。それから、
「"O"はどう解釈するんだい?」
「カタカナの<ロ>よ」
「はははは。カタカナの<ロ>だったら四角じゃないか」
「でも私、面倒だからノート取る時なんかに丸く書いちゃうけど?」
 その言葉を聞いた後、私の頭の中で電撃が走る。そして言いようのない笑いが込み上げてくる。
「なるほどね。解ったよ、全ての謎が」

幕間

 さて、私の作品はエラリィ・クイーンのようにフェアな勝負であることは読者諸君も御存じであろう。
 今回は初めてのダイイング・メッセージである。"O"なる人物は一体誰なのだろうか? 以下に示すのは私の書いた容疑者リストである。この中に奥崎氏の命を奪った犯人がいる。

ウラジミール・ロマネンコフ・・・・ロシア語教授
オリーヴ・ウォレット・・・・・・・大学生
矢崎治・・・・・・・・・・・・・・被害者の友人
岡田・・・・・・・・・・・・・・・同上
叶野博子・・・・・・・・・・・・・被害者の恋人
富益米助・・・・・・・・・・・・・被害者の隣人。もと零戦パイロット
トマス・オコナー・・・・・・・・・遺伝子工学教授
エド・オイラー・・・・・・・・・・大学生

 

FILE11、犯人

 私は直接、犯人と会うために富益宅付近まで来ていた。もちろん彼は、犯人ではない。
「こんな所に犯人がいるの?」
 萌ちゃんが言う。
「いや、いるんじゃなくて来るんだよ」
「犯人は・・・もしかして叶野さん?」
 恐る恐る萌ちゃんが訊く。私は無言のままうなづいた。
「とすると、やっぱり浮気が原因?」
「多分ね」
 私は短く答えた。萌ちゃんはふと思い出したかのように、
「でも"O"は?」
「ああ、そのヒントとなったのは萌ちゃんのロマネンコフ教授犯人説だよ」
 私はしばらく相手が来そうもないので、道路の歩道に腰を下ろした。相方も私の隣に座る。
「私の言葉が?」
 彼女は嬉しそうに歓声を上げた。
「うん」
 私は微笑みながら、
「その点ではお手柄というべきだね」
 鮮やかな夕日が目に眩しい。私は目を細めた。
「でも私、何の根拠もなく言っただけよ。まああえて言うなら"O"を<ロ>と読んだだけ」
 愛すべき私のワトソン博士は悲観的に言った。
「ワトソン君」
 私は穏やかに、しかし道化けて彼女の名を読んだ。
「正確に言えばその後が重要だったのさ」
「その後って言うと・・・・」
 萌ちゃんが思い出そうとしている。
「ロを丸く書くって事?」
「ピーンポーン。正解です」
 私は昔のクイズ番組の司会者のようにわざとオーヴァー・リアクションをした。しかし、私は叶野博子の姿を見つけたために、会話の中断を余儀なくされた。私たちが走り寄ると、またですかと言いたそうに顔をしかめた。
「すみません。今回で終わりですので」
 私は慇懃に微笑した。
「立ち話もなんですから、中に行って話しましょう」
 彼女は儀礼的にそう言ったのだろうが、私を迷惑そうに見つめた。
「すみません」
 私は苦笑して言った。

 中に通される。部屋は結構狭いのだが、家具が少ないために広く感じる。
「それで」
 叶野はインスタント・コーヒーをカップに入れながら言った。
「用とは何ですか?」
 刺々しい口調だ。明らかに歓迎されていない。
「今日は奥崎氏を殺した犯人についてお知らせに来ました」
 彼女は一瞬、顔を曇らせた。
「そんなことでしたら・・・そんなことでしたら、帰って下さい。博雅のことについてはもう思い出したくないんです」
 唇を震わせながら言った。
「おや?犯人を知りたくないんですか?」
 私は余裕をちらつかせて言う。
「それは・・・それは知りたいですよ。でも知った所で博雅は帰って来ないんです。そうでしょう?」
「確かに」
 私は呟いた。そしてコーヒーを口に含ませた。緊張のため味、香りは感じなかった。
「でも、知りたいんならお教えしましょう」
 私は不謹慎にも不敵な笑みを零した。叶野は私の話を聞かなければ退散しないと思ったらしい。
「なんですか?」
 と不機嫌そうに溜め息をついたのだった。

FILE12、四角か丸か

 叶野博子はルビーのように紅く、そして光沢のあるその唇をしきりに舌で湿らせている。かなり強引に話を進めたか、とやや危惧したのだが、
「解りました。話を聞きましょう」
「ありがとうございます」
 私は慇懃に微笑んだ。
「その代わり、犯人を告げたら出て行ってくれますね」
 と迷惑そうに言った。
「解りました」
 と微笑んで言った。この私の笑みに隠された心境は言うまでもないだろう。
「それで犯人は誰なんです?」
 彼女は犯人は誰かと言う事に興味がなさそうである。
「その前に"O"という奥崎さんのダイイング・メッセージについてお話しましょう」
「ダイイング・メッセージですって?」
 叶野は眉をピクリと上げた。
「いかにも」
「でもOという人なら山ほどいるわ。オコナー先生、オイラーさん・・・。私にはOはつつきませんけど」
 少し冷静になったらしく、余裕を持って私の言葉に反論した。
「でもアルファベットじゃなかったとしたら?」
 私はにやり、と笑って言った。
「アルファベットじゃない?」
 叶野は私の言葉が未知の言葉であるかのように上の空で言う。
「そう」
「アルファベットじゃなかったとしたら数字のゼロ?だったら一番怪しいのは隣のお爺ちゃんね。もと零戦パイロットだったんだから」
 と異様に喋りまくる叶野とは対照的に静かに私は、
「違います」
「じゃあ、なんなの?」
 ここで始めて萌ちゃんが口を開く。
「言ったろう?萌ちゃん、君の言葉がぼくにヒントを与えてくれたって」
「えーと・・・、ロを丸く書く事?」
 思い出す仕草を見せて萌ちゃんが言う。
「ちょっと、それじゃあ」
 叶野が噛み付く。
「ロマネンコフ先生が犯人だって言っているようなものじゃない?」
「でも、彼は犯人じゃありません」
 私は落ち着き払って微笑んで言った。
「じゃあ、誰が犯人なんです?」
 かなり苛々している様子だ。私はもう限界だと思い、
「オウは漢字の一部です。つまり」
 私は一呼吸置き、
「叶野博子さん、あなたが犯人です!」

FILE13、指紋の問題

 叶野博子は幽霊でも見たかのように、蒼ざめた顔をしている。全身はガクガク震え、真紅で美しかった唇も今や醜い紫色に変化している。脂汗はぐっしょりかいて、ブラウスの袖口は透けて見える。
 奇妙な沈黙がその場を支配した。聞こえる音と言えばアナログ時計のチクタクと言う音、外の雑踏、そして叶野の、
「私じゃない・・・。私じゃ・・・」
 と繰り返し繰り返し何度も呟く声のみである。車のクラクションの音が遠くで聞こえた。私はもう少しで自供してくれると思った。
「あなたは浮気していると思って奥崎さんを殺した」
 私は動機についても、ちらつかせた。
「違いますか?」
 私は努めて優しく言った。猫が鼠を前にしてゴロゴロと喉を鳴らすのと同じ感情である。
「違います・・・違います・・・」
 顔面は血の気が引き、もともと肌の白い彼女はより一層、白くなる。体は小刻みに震え、暑くもないのに汗が滲み出た。
「違います・・・違います・・・」
 壊れた玩具(おもちゃ)のように何回も何回も同じ事を言っている。
「まあ、動機面についてはあくまでぼくの想像ですがね。しかし、殺したのはあなたに他なりません」
 私はまるで近所の主婦たちが井戸端会議で世間話をするような何気ない口調で言った彼女はインスタント・コーヒーを震える手で飲み干した。
「でも・・・奥崎さんが残した"O"というメッセージで彼女を犯人にするのはちょっと乱暴じゃない?」
 萌ちゃんが言う。彼女がそう思うのはもっともだ。しかし、私はきちんと証拠固めをしてから、犯人を発くので言い逃れの出来ない証拠も用意している。
「そ、そうよ」
 叶野は元の強気な姿勢に戻った。
「それだけ仰るのなら証拠はおありなんですね」
 彼女は、あるはずがないと言わんばかりに嘲笑した。
「あるなら見せて下さい」
 私は、黙ってコーヒーをすすった。彼女は私の態度に腹を立てたのだろう。喚き散らした。
「ちょっと!黙ってないで何とか言ったら!?証拠は?ないんでしょう。私は犯人じゃないんだからないに決まってるじゃない」
「ありますよ」
 と不敵に微笑して言った。
「だったら見せてよ!」
 と強気の姿勢を保ったまま、言った。しかし、身体は小刻みに震え、顔面は血の気が失せている。
「指紋ですよ」
 私は鋭く答えた
「指紋?」
 萌ちゃんがおうむ返しに言う。
「指紋ですって?」
 叶野もやや拍子抜けした様子だ。
「ああ、指紋ですよ。奥崎さんと叶野さんの指紋しか発見されませんでしたよ」
「ふんっ、私の指紋が発見されても別に不思議でも何でもないじゃない!」
 私を嘲笑するように怒鳴って言った。萌ちゃんも彼女の意見に賛同した。
「私も叶野さんの指紋が発見されてもおかしくないと思う。ここは彼女の家なんだもの」
「いや・・・。ぼくが問題にしてるのは叶野さんの指紋じゃない」
 私は鋭く言った。
「じゃあ、誰の指紋なの?」
 萌ちゃんは訊く。
「犯人のだよ。つまりね、犯人は指紋を拭かなかった。というよりは拭く必要がそもそもなかったのさ。拭いたら逆に怪しまれるからね」
「犯人は家の人?」
 萌ちゃんが鋭い質問をする。私は無言でうなづいた。
「ということは犯人は奥崎さんか叶野さんかのどちらかになるね。でも奥崎さんは被害者だから?」
「犯人は私、ということになるんですか・・・」
 叶野が言う。そして、安堵の長い長い溜め息をついたのだった。
「いつから怪しいと思ってました?」
 彼女は魂の抜けきったような、まるで夢を見ているかのように呟いた。
「死体の写真を見た時です」
「嘘でしょう?」
 彼女はちょっと笑った。
「いや、本当です。証拠はありませんでしたが」
 私は真顔で答えた。魂の抜けきった表情で、
「どうして、解ったんです?」
「まず強盗の可能性はない事は明らかです。強盗ならあんなに滅多刺しにする必要はありませんので」
「それで?」
 萌ちゃんが後を促す。
「うん。じゃあ訊くけど滅多刺しにしたい場合ってどんな時?」
 私がさりげない口調で彼女に訊いた。
「信じてた相手が裏切った時?」
 萌ちゃんは言葉を選んでる様子だった。
「つまり、浮気とかだね」
 私は優しい口調で言う。 「うん・・・。まあ」
 なぜ彼女は言葉を濁したのだろう。おそらく叶野に対して配慮したのだろ、と私は思った。
「さて、ここで問題だ。奥崎の恋愛絡みのトラブルと言えば?」
 私がにやり、と笑って言う。
「私、ですか・・・」
 叶野が気の抜けた声で言う。
「その通り」
 私が微笑んで言う
「でもオリーヴの場合は検討しなかったんですか?」
「検討しました。でもオリーヴさんが犯人なら奥崎さんはもっと別な方法でぼくたちに手掛かりを残してくれるはずです」
「別な方法?」
 萌ちゃんが検討もつかないというふうに肩をすくめた。
「そう・・・つまり、これさ」
 私は財布を取り出して萌ちゃんに見せた。
「財布は英語で?」
 私は萌ちゃんに英語の問題を出した。
「Purse」
 萌ちゃんが当たり前だというふうに言う。馬鹿にするなと言う調子だ。
「もう一個は?」
 萌ちゃんは頭を悩ましている様子だったが叶野はさらりと言った。
「Walletですね」
「そう。オリーヴさんのファミリー・ネームもウォレット、綴りも一緒です」

「つまり犯人の名前を書くより財布を握った方が早いというわけね」
 萌ちゃんが言った。
「その通り」
 私は微笑みを湛えて言ったのだった。
「見事な推理ですね、でも一つ細かい点で間違っていますよ」
 叶野は言った。
「どこがです?」
 私はさりげなく訊いた。
「指紋を拭かなかったのはでなく、拭くのを忘れていたんです」
「なるほど、でも拭いたとしてもぼくはあなたを疑っていましたよ」
 ええ、解ってます、と言わんばかりに彼女はうなづいた。
「もし、あなたの指紋がなかったら、それはそれで矛盾が生じます」
「どういうこと?」
 萌ちゃんが訊く。
「つまりね、あるべきはずの指紋がないわけだから、家主二人に疑いがかかるわけさ。でも奥崎さんが殺されてるから・・・」
「結果は一緒と言うことね」
 萌ちゃんは納得したように言った。
「でも、なんで殺したのです?」
 私は叶野の方を向き、真顔で言った。
「はい、こういう事があったんです」
 意を決したのか淡々と語る叶野の話は以下のような物だった・・・。

FILE13、過去

 ここで話は事件発生から数年前に遡る。
 アメリカの大学の廊下でオリーヴ・ウォレットと叶野博子は歩きながら談笑していた。そこへエド・オイラーと奥崎がその日の昼食のメニューに話しながら歩いていた。
「The restaurant is good,since a waitless was quite cute(そのレストランは好かったぜ。ウェイトレスが可愛いんだ)」
 女には興味のない奥崎は聞き流した。
「Well...Are foods good?(それで・・・味の方はいいのかい?」
「So-so(そこそこかな)」
 そして、オリーヴたちを見つけると、
「Hi(やあ)」
 と声をかけた。日本で言うナンパである。
「Good-afternoon(こんにちわ)」
 叶野はやや怯えて挨拶した。彼女はこの手の男性はあまり好きではなかった。
「We will go restaurant.Shall you go together?(俺たち、今からレストランへ行くんだけど、一緒に行かない?)」
「Will we go,Hiroko?(行く?博子)」
 叶野は躊躇った。
「Well...Ummm(えーと・・・うーん)」
「Hurry up.(早くしろよ)」
 エドは苛々しながら言った。そこへ奥崎が割り込む。
「Stop!Ed,You don't find that they hate you?(止めろよ、エド。彼女たちが嫌がってるのが解らないのか?」
 エドは渋々止めたが、叶野の目には騎士のように映っただろう。
「I'll go together(お供します)」
 叶野の口からは無意識にそんな言葉が出ていた。この男性となら好いと思ったのかも知れない。
「Thank you very much(ありがとうございました)」
 例の可愛いウェイトレスのいるレストランで食事を済ませた後、叶野は奥崎に言った。
「いえいえ、日本の・・・方ですよね?」
 と奥崎はあえて日本語で言った。
「日本人と知り合えて嬉しかったですね。ここはアメリカ人ばかりですので」
 彼はちょっと苦笑した。
「まあ・・・、そうですね。私も・・・ええと・・・」
 叶野は名前をまだ訊いていなかったのでどう呼んで好いか解らなかった。
「名前ですか?奥崎です。奥多摩の「奥」に山に奇妙の「崎」」
「私はカノウです」
「カノウって、加えるに納入の納の可能ですか?」
「違います、口に十に野っ原の野です」
「よろしく」
 彼らは日本式にお辞儀をした。やや、サラリーマン風のぎこちない挨拶だったが、出会えただけでも成果上々と言えよう。
 それから数カ月が過ぎた。叶野と奥崎は専攻分野も全く違い、すれ違っても挨拶を交わす程度だった。余り親しいとは言えない関係が続いた五月のある日、叶野はオリーヴと談笑していた。オリーヴは叶野に奥崎との関係をしつこく訊いた。少しではあるがオリーヴも奥崎が気にはなっていたのである。
「Only bow if he see me(あったら挨拶するだけよ)」
「Then,why don't you ask his e-mail address?(それじゃあ、彼にメールアドレスを訊いたら?)」
 とお互いの事を知る提案した。どうしようかと迷ってると、古い諺通りに奥崎がやってきた。
「Look at!He comes!(見て。彼が来るわ)」
 奥崎は少し手を挙げると叶野はお辞儀をする。オリーヴが立って、挨拶すると
「Well...She wants to ask your e-mail address(彼女があなたのメールアドレスを知りたがっています)」
 と言った。奥崎は少し驚いたように叶野を見つめるが、さらさらとメールアドレスを書いて彼女に手渡した。
 何通、メールのやり取りをしただろう?段々、女性を軽蔑していた奥崎はほのかな恋心が芽生え始めていた。奥崎の想像する女性は、いわゆるギャル系のイメージしかなかったからだ。むろん、彼自身はそれが恋心だとまだ気付かないのだが。
 一方、叶野も男性と言うものに対して、恐怖心を抱いていたが奥崎は紳士的で唯一男性の中で気を許せる人になっていた。
 そして廊下であった時もただお辞儀するだけではなく、
「おかげで、レポート大好評でした。私、理系全くダメなんです」
 と言ったり、話題を色々持ちだす仲になった。奥崎はこの恋心が風船のように膨らみ始め、だんだん気持ちを持ち続けるのが苦しくなった。
 彼女に言おう。そう決心したのは忘れもしない三月十四日、ホワイト・デイの日だった。彼はヴァレンタインにはチョコをもらわなかったが、いつもお世話になっているお礼として送る事にした。
「ありがとうございます」
 叶野はいかにも嬉しそうに言った。心から喜んでいる様子だったので奥崎の心は弾む。
「あ、あのさ」
 改まった口調で奥崎は言った。
「何ですか?」
 微塵の不審も感じずに、彼女は訊いた。
「俺、実は・・・」
「ん?」
「い、いや。何でもない」
 無理に微笑んで言った。意気地なしだと奥崎は自分でも思った。
「何ですか?言いかけた事は言って下さいよ」
 くすっと微笑を漏らした。その微笑がまた愛くるしい。
「ええと・・・、俺、叶野さんの事が好きに・・・」
 しばしの沈黙。奥崎が失恋かと思いきや、
「本当に好いんですか?私なんかで」
 奥崎は首を縦に凄い勢いで振った。
「じゃ、じゃあ、よろしくお願いします」
 叶野は恭しくお辞儀をした。こうして二人は恋人同士になったのだ。この日の翌日、叶野はオリーヴと、
「Listen.I have a lover(聞いて。彼氏が出来ちゃった)」
 さも嬉しそうにオリーヴに言った。
「Who is he?(誰?)」
 とオリーヴが言う。
「Mr.Okuzaki(奥崎君)」
「How good!(素晴らしいわね)」
 オリーヴ・ウォレットは心から祝福してくれた。しかし、彼女の心には無意識に嫉妬心が沸いていた。そして、その話をしているうちに奥崎が狙い済ましたように現れた。叶野は彼にお辞儀をした。恋人同士になってもその仕草は何の変わりもなかった。
「こちらはオリーヴ、私と同じくロシア文学を専攻してるの」
「Nice meet to you(はじめまして)」
 奥崎はオリーヴと握手を交わした。 彼の手は肉付きもよく温かかった。叶野は本当に幸せものだと思った。しかし、それと同時にオリーヴは何だか言いようのない虚しい気持ちに襲われていた。それが何なのかは彼女も好く解らなかった。
 しかし、しばらくするとオリーヴはそれが何なのかが解ってきた。恋心。しかし、親友の恋人を奪う気には到底なれなかったのである。
「Well...What shoud I do.(ええと・・・どうしよう・・・)」
 誰に問うでもなく呟いた。深く淀んだ森の中にでも迷い込んだような気分だ。
「I love him.But he has a lover(彼が好きだけど恋人がいるわ)」
 彼女の机の上にある、緑の目をした怪物の可愛らしい縫いぐるみに自分の部屋のベッドに座って話し掛けた。むろん返事がない事は解っていた。しかし、どうしようもない哀しい時などはそれに向かって話し掛ける幼児性を持っているのである。
――I have a good idea.You've better to tell a lie(僕にいい考えがある。噂を流すんだ)
 縫いぐるみが優しくそう言ってくれたような錯覚に陥った。
「What?(えっ?)」
 思わず声を上げた。
――You wanna be Mr.Okuzaki's lover,don't you(奥崎さんの恋人になりたいんだろう?)
「Yes(ええ)」
 オリーヴは知らず知らずのうちに呟いていた。
――Then you've better to tell a lie you went to bed with him(だったら、自分と一緒に寝たと言う噂を流した方が好い)
 その言葉を聞いた途端、ぞくっと寒気が走った。しかし自分自身を見失っていた彼女はその言う言葉に従ったのである。それが悲劇の始まりとも知らず。
「Well...(ええと・・・)」
 と翌日、オリーヴは罪悪感を感じつつも叶野に言った。
「Yes(何?)」
 と微塵の疑いも見せず、彼女は言った。
「I saw your lover entering another girl.(昨日、他の女と入るのを見たのよ)」
「Maybe you mistaked for another man(他の人と見間違いじゃない?)」
「I hope so,too(そうだと好いわね)」
 とあえて引っ掛かる言い方を選んだ。始めは叶野も奥崎もそんな噂を気にしていなかったのだが悲劇の起きる三日前、尾行を探偵に頼んだ。
 その探偵は警察もお手上げの難事件を快刀乱麻を断つごとく解決している、有沢俊作だった。
「浮気調査を頼みたいのですが」
「浮気調査?」
 有沢俊作はV字の眉を吊り上げて意外そうに言った。
「ええ。そうです」
 叶野は言った。探偵は煙草の灰を灰皿に落とした。
「いいでしょう、それで調査する方の写真は?」
 彼女は恋人の写真を見せた。浮気していると言う噂が学内に広まっている事も告げた。
「解りました、それで彼を私に尾行してくれと言うのですね」
 探偵がコーヒー・カップに口をつける。
「恐らく探偵さんの思っていらっしゃる事とは逆だと思います」
「逆ですと?」
 探偵はまたV字の眉を吊り上げて意外そうに言った。彼女は奥崎が浮気していない事を証明したいがために調査を頼んだと彼に告げた。探偵が、
「引き受けましょう」
 と言うと彼女は嬉しそうにお辞儀をして、退室したのである。

 家に着いた彼女をを奥崎が出迎えてくれた。この時、既に奥崎と叶野は一緒の部屋に住んでいた。
「ついさっき探偵事務所へ行ってきたわ」
 布団に包まって遺伝子組み替えに作物についての本を読んでいた奥崎は驚いた様子で、
「へぇ、何のために?」
「あなたの尾行を頼んだの」
 と言って、向き直り、
「この際、はっきりさせておこうと思って」
 努めて彼の気分を害さないように言った。
「だから、あれは単なる噂。俺は無実だよ」
 奥崎は優しく言った。叶野は、
「だから私は博雅が何にもやってないって言う証拠がほしいのよ」
「はいはい、ご勝手に」
 奥崎は興味がなさそうに言った。やっぱり無実なのかしらと一安心した。
「そうだ」
 彼は思い出したように言う。叶野は応えようとしたが、ドアベルが鳴った。立ち上がりざまにちょっと待って、と奥崎にジェスチュアで示す。
「はーい」
 と日本語で言って、叶野はまずチェーン越しに覗く。見知らぬ白人女性の姿。実はこの女性オリーヴ・ウォレットが仕組んだ罠だった。奥崎と叶野の仲を無理矢理裂いて、自分が代わりに恋人の座に着こうという寸法だった。
「Is Hiromasa here?(博雅いる?)」
 いきなりファースト・ネームで呼ぶ間柄とは、と訝りながらもチェーンを外す。
「博雅、お客さんよ」
 と言いながら奥に通した。自分に客が来るなんて不思議だと思いながらも、奥崎は布団から芋虫のように這い出る。
「誰?」
 頭をぽりぽりと掻きながら玄関まで出た。とその途端、その白人の女性が奥崎に抱きつき、そして、濃厚にキスまでしたのである。もちろん、これは演技なのだろうが、叶野の愛情を憎悪に変えるのには充分すぎる程だった。
「ま、待て。俺は知らない。本当だ」
「嘘よ!」
 と言いながら手にナイフを握った。
「ま、待て。落ち着け。な、な?」
 必死に説得する奥崎。だが、彼の言葉も逆上した彼女にとっては焼け石に水だった。
「まずナイフを捨てろ、落ち着け」
 と言うのが彼の最期の台詞だった。そのまま、奥崎目がけて突進したのである。吹き出す鮮血。憎しみ、悔しさの余り、馬乗りになって何回も刺した。我に返った彼女はまず足ががくがく震え、恐怖と戦きが支配した。その後、恋人を失ったと言う絶望感がやってきた。浮気していても好かった、と彼女は感じた。ただ彼が生きていてくれれば・・・。
 日は既に没していた。月のない夜。彼女は布団に潜り込んで泣いた。彼の温もりが彼女を包み込んでくれた。それがより一層、彼女の心に突き刺さる。恋人はいないのに彼の温もりだけが・・・。
 叶野は死体にすがって泣いた。泣いた後、奥崎に口付けをした。冷たいキスだった。死体の側には、前々から叶野が見たいと言っていたチェーホフ作「桜の園」の公演チケットが二枚あった。
「私も逝くからね」
 そう譫言で呟き、そして、ナイフを自分の手首を刺そうとする。しかし、躊躇い傷で終わってしまった。体重もげっそり減ってしまい、死神のようにやつれた顔になったという。
「Olive.Do you know die which doesn't have pain?(オリーヴ、楽に死ねる方法ない?)」
 と度々言うほどである。フラッシュ・バックが毎晩起こった。デートしている時、何気ない日常の一コマ、同棲しようと言ってくれた瞬間・・・。それらがまるでフィルムのように鮮明に頭の中をぐるぐると駆け巡る。それがより、彼女を苦しめた。
 そして監獄の中。毎晩のようにくるフラッシュ・バックや頭の中で響く奥崎の声・・・。
「博雅・・・」
 と呟く。冷たい監獄にその声が谺した。
「私に呼捨する資格なんてないね」
 泣きながら、しかし、顔では無理に笑っていた。
「ねえ・・・奥崎さん・・・。天国ってあるのかなあ」
 沈黙が続く。
「私には天国へ行く資格なんてないよね、この世で一番大切な人を殺しちゃったんだから」
 涙を流しながら写真の奥崎に向かって話す。写真の向こうで彼は微笑んでいた。
「天国で私なんかよりもっと相応しい人に出会える事を祈ってます」
 冷たい監獄の中で声が反響する。まるで彼女の頭の中で響いているかのように。
「そう・・・奥崎さんのことをもっと信用してくれる人に」
 と自嘲して、嗤った。
「それじゃ、ごめんなさい・・・・本当に・・・ごめんなさい・・・」
 激しい嗚咽が冷たい独房に共鳴する。
「今度こそ、本当に・・・」
 彼女の首吊り死体が発見されたのはそれから一時間後の事だった。看守が発見した時、死体の胸元からははらはらと一枚の写真が木の葉のように落ちた。仲良く微笑み合う男女の姿が映し出されていた。

 以上がこの事件の裏に隠された悲劇である。
「それで結局、奥崎さんは浮気してたの?」
 少女が私に訊いた。私は重々しく頭を振る。
「そう・・」
 沈痛な面持ちでその少女は言う。しばしの沈黙。
「ねえ。何で奥崎さんはダイイング・メッセージを感じで書こうとしたのかしら」
「ああ、それはきっと愛の証じゃないのかな」
「愛の・・・証?」
 ショート・ヘアの少女は意外そうに訊いた。
「そう、親父がこの事件に関わると思って日本人にしか解らないダイイング・メッセージを残したのさ。まあ、ぼくもこの事件はハード・ディスクにだけ保存して公表しないと思うよ」

 それが一九九九年五月、船の上でなされた会話である。二〇〇二年一月、オリーヴ・ウォレットは二十二口径のピストルで自殺した。遺書にはたった一言。
"It is the green-eyed monster which doch mock.The meat it foods on.(嫉妬は人の心を食い物にして、その上散々弄ぶ緑の目をした怪物です)"

 関係者は全員死んだのでこの哀しい事件の顛末を公表する次第である

                 二〇〇二年四月二七日名古屋の事務所にて執筆完了
ツイッターで感想を一言!

この作品はいかがでしたか?

一言でも構いませんので、感想をお聞かせください。