名探偵殺人疑惑事件

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FILE1、旧友

 昨日から雨が降り続いている。今日もこの黒い空の様子だと雨が降りそうだ。こんな日はテーブルワークが多くて体が鈍ってしまう。そんな事を考えながら私は仕事をしていると思った通り車軸を流すような大雨となった。
 電話のベルがザーという音と社内のざわめきに掻き消され気付かない程だった。ベルがなっていると気付いた頃には既に受話器を耳に当てていた。
「はい。もしもし。ジージョ株式会社です。」
と私は反射的に言うと、電話の主は矢田だった。
「おう。ジージョか。」
私はその声を聞くと懐かしさが込み上げてきた。
「何の用?個人的な事なら後で電話して。」
「おいおい。せっかくうまい取引があると言うのにその言い種はないと思うぞ。」
と電話の向こうで矢田は苦笑した。
「今度、俺が働いてる会社も情報化の波に乗ろうということでホームページを作る事になったんだよ。しかも会社員300人全員にメールアドレスを配布する。どうだ?おいしい話だろ?
 しかも、俺がお前の事話したら、俺に任せてくれるって。」
私は一瞬のうちに消費税込みで46500円だと出てしまった。
「で、いつ商談に行けばいいの?」
「うーん。そうだな・・・・。」
相手は電話を保留にした。どうやら上司に訊きに行ったらしい。そして数分後、
「おう。明後日なんかどうだ?」
と保留解除して言った。 「明後日か・・・・。」
と呟いた。
「無理か?」
相手は心配そうな口調で訊いたので矢田の好意を無にしてはいけないと思って、
「いやいや、無理じゃないよ。」
と言った。
「じゃあ、明後日な。何時にする?」
私は躊躇せず、午後1時30分に行くと即答した。私はもう一仕事すると、いつもの通りの毎日を過ごした。
 翌日も雨だった。この所、雨続きだ。いつも通り仕事を終えると、この大雨はいつまで続くのだろう?と思いながら、テレビをつけてみた。くだらないニュースをやっていた。会社の合併、セクハラ訴訟、コンビニ強盗・・・・・・・。それらが終わると、天気予報になった。名古屋は傘だ。しかも開いて雨まで降っている。おいおい、本当かよ。と思いながら天気予報を見ていると裏口から、
「ジージョいる?」
と萌ちゃんが入ってきた。びしょびしょだ。彼女を中に入れると、私の部屋の電気ストーブの前に座った。よほどの寒さらしく体が小刻みに震えている。
「とにかく、体拭かなきゃ。風邪ひくよ。」
と言って私がタオルを渡すと彼女は、
「サンキュ!」
と礼を言って、受け取った。彼女のセーラー服がずぶ濡れで下着が丸見えだったため私は目のやり場に困った。そこで着替えさせようと、
「傘貸してあげるから、着替えてきなよ。目と鼻の先だろ?」
と私は100円ショップで買ったビニール傘を彼女に渡した。彼女はその傘をさして家に向かった。
 私はラジオをつけた。ちょうど「おば・よしやったもんがち」を放送していた。それが終わると今度は天気予報だ。しかし何度聞いても明日の天気は変わるはずがない。
 私は仕方なく諦めて、気分転換にエラリィ・クイーンの『Zの悲劇』を本棚から出して読む事にした。5、6ページ読んだ時に萌ちゃんが再度来た。
 彼女は私の安物の傘を礼を言って返すと、
「ふー。助かったよ。」
と言うので彼女に事情を訊くと、
「今日朝雨降ってなかったよね。それで傘持って学校へ行かなかったの。そしたらこの大雨でしょ。参っちゃったよ。」
おいおい天気予報見ろよと思って苦笑した。
「ジージョ?天気予報見てから出ろなんて思ったでしょ?」
さすが幼なじみである。今何考えてるのかが解るらしい。私は再度、苦笑したら図星ねという顔をされた。
 「ならぼくからも。萌ちゃん、そこの化粧品店行ったでしょ」
と言った。
「えっ!うん。行ったよ。でも何で?」
「なに、実に簡単なことだよ。ぼくが傘を渡してから大体3、4分くらいかかった。着替えるのに大体1、2分で済む。と言うことはあとの1、2分どこで潰したのか。この近くに違いない。喫茶店?いや違う。・・・・と言うふうに考えると化粧品店しかないのさ。
 それに何よりズボンの膝の所に泥が付いているだろ?この高さから見て自転車じゃない。精々靴下までだ。じゃ、どこで泥はねされたのか?膝まで泥はねされるような乗り物といえば車しかないのさ。
 車で泥はねを受けそうな場所はどこか?歩道と車道の境目がはっきりしてない道・・・。といえばあそこの通りしかない。あそこの通りで1、2ので行ける場所で女の子の行きそうな場所はどこか。必然的に化粧品店となるのさ。」
彼女は納得した様である。
「でも、ジージョの彼女になる人かわいそうね。」
と浅香萌は笑いながら言った。私はその言葉、特に「彼女」という言葉にどきっとした。がためらいを見せず、
「えっ何で?」
と訊いたら
「だって、その推理力だと浮気してもすぐ見抜かれるじゃない。」
と笑いながら答えた。
「おいおい、萌ちゃん。ぼくはもし、そんな事があったらただ「別れよう」とだけ言って別れるし、第一そんな子とは付き合いたくないんだ。
 恋する人数と愛の量は反比例するからね。」
「どういうこと?」 と彼女が私が何を言いたいのかよく解らないといった表情で私を見つめた。
「例えば愛の量を100だとすると2またかけると50、50に、4つまたかけると25ずつの愛しか受け取れなくなるんだ。つまり、一人の人を思いっきり好きになる。それが恋愛というものだと言いたいのさ。」
「ふーん。」
と感心した様に言った。
 私たちはしばらく恋愛論について話した。しかし、終わりの方で私はピンチに立たされる事になった。
「ところでジージョ片思いの人とかいるの?」
と興味深げに訊いてきたのだ。まさか訊いた相手が片思いの人とは口が裂けても言えない。どう答えよう。と考えていた時、
「私?まさかね。」
と呟くのが聞こえた。私はまたしても告白のチャンスを逃してしまった。

FILE2、豊田へ

 当日も雨。しかも土砂降り。こんな状況でも行かなければいけないのかと思うとげっと嫌な気分になるが、腹を括って出発する事にした。
 私は少し早めに出て、向こうで昼食をとる事にした。そこで私は10時に出た。私は昨日萌ちゃんに貸した例の‘100円傘’をさして、地下鉄駅へ向かった。ここから地下鉄駅へはそう遠くはないが、雨が降っているとずいぶん遠く感じる。やっとのことで地下鉄構内に着いた私は何か温かい飲み物でもと思って120円を自販機に差し込んだ。私はいつもこんな事はしないのだが、今日は大きな取引があったので。
 飲み終えると缶を販売機の脇に備えつけてあるゴミ箱に入れた。そして、切符を買い、地下鉄に乗り込んだ。ぎりぎりセーフだった。
 地下鉄の中は意外と空いていた。私は読む本がないので人間観察をやる事にした。人間観察からは色々な事が解る。例えば年齢、職業はもちろんの事、普段どんな生活をしていてどんな経歴を持つ人なのかも一発で解ってしまう。
 私は目的地に着くまでの間、ずっと人間観察をしていた。  2、30分して私は豊田駅に着き、出るとすぐさま飲食店を探した。丁度、友人の言っていた会社からそう遠くない場所をを見つけたので、そこで食事をする事に決めた。窓の外の電線にはカラスが沢山群がっていた。漆黒の空にカラス、しかも大雨ときたから、不気味な空に感じられた。
 ウェイトレスが注文を訊きにきたので私はメニューを見せてもらった。
「ではご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンを押して下さい。」
そう言うと彼女は下がって行った。
 メニューを見て、注文を決めるとボタンを押した。ぴっという電子音が鳴った。十数秒後、さっきとは違うウェイトレスが来て、
「ご注文お決まりでしょうか?」
と訊いた。私はメニューを言うと、
「かしこまりました。」
と言ってまたもとに戻って行った。
 昼食を食べ終えるとあと2時間もあった。私は早く来すぎたかなと一人苦笑いを浮かべた。この辺に本屋はないし、かと言って推理小説を読む事以外に趣味のない私は、どうせ豊田に来たなら暇つぶしにと豊田市警察署へ向かった。扉付近に立っていた警官に呼び止められたが目呉警視の名を口に出すと快く中に入れてくれた。
 目呉警視は不機嫌そうに、
「何の用だ。」
と言った。私は事情を説明すると更に不機嫌になり、私に帰るよう言った。
「まあまあまあまあ、何か面白い事件はありませんか?解決してあげますよ。」
「ほう。大した自信の持ちようだな。面白い。」
と気に食わないが面白いといった複雑な微笑を浮かべた。少し警視は関心を持ったようだ。そして立ち上がると、机の引き出しから紙を取り出し、鉛筆立てから鉛筆を取り出すと、
「これは私が以前解決した事件だ。」
と言ってA、B、Cと書きはじめた。そしてAに×印を打つと、
「Aという独り暮らしの若い女が自宅で頭部強打で死んだ。」
と言いながら、四角を描いた。
「さて、これがAの自宅だ。ここにテーブル、ここに椅子・・・・」
という具合に次々と家具を書き入れていった。そして最後にAさんを書き加えた。
「床は濡れていた。さあ、これは事故?他殺?ここで示す唯一の手掛かりは指紋。Bの指紋があちらこちらについていて、密室。」
と言った。私は躊躇せず他殺で犯人はCと答えた。
「ほう。何でだ?」
「それは実に簡単な事です。まず事故説ですがこれは絶対ありえません。死んだのは独り暮らしの若い女性ということから水をこぼしたらすぐ拭くはず。それがそのままということは犯人が後から事故死に見せかけてやったという事です。  次にB犯人説ですが、密室にしてあちこちに指紋を残すなんて事は普通ありえません。
 犯人は残りのCという他ありえません。しかも揉み合いになって殺した無計画殺人ですね。」
私は部屋の時計を見た。1時。もう時間である。私は警視に別れを告げると警察署を後にした。最後まで警視は不機嫌そうだった。
 雨はもう上がっていたが、つかの間の晴れ空だと思い、矢田の会社に早足で向かった。商店、マンション、スーパーなどを通り越し、やっとの事で着いた時には、もう1時15分だった。
 会社の門の脇には大きな像が置いてあった。私はこれとそっくりな物を中学校の頃に美術の教科書で見た事は合ったが、さっぱり思い出せない。腕のない白い女の像だった。もちろんレプリカだろう。私はその白い物を軽くコンコンと叩いてみた。中は空洞のようである。その時誰かが、
「ははははは、面白いですか?これはミロのヴィーナスと言いましてね。古代ギリシャの女神アテネを彫刻したものです。私は絵や彫刻を集めるのが好きでしてね。もちろん皆レプリカですが。」
と言った。私はやっと思い出して、ああそう言えば、そうだったと一人納得した。彼は更に続けて、
「かねがね矢田君からはお話は伺っています。なんでも富岡ホテルの事件を解決されたそうで。」
私は照れ笑いを浮かべたらしく、
「何も照れる事はないですよ。またお話をじっくりお聞かせ下さい。では15分後、またお会いしましょう。」
と言って安煙草をゴミ箱に捨てると、そのまま会社内に入って行った。後から矢田が来て、この像に関して不思議な点を話してくれた。どうやら他の像は外に飾ってあるのに、この像だけは会社の外にあるらしい。私は大きさのせいではないかと指摘したが、矢田は首を振った。
「ところで社長、すごい美術品を集めるのが好きでさ。」
と声を潜めて旧友は言った。
「それ、もう知ってるよ。」
と私は答えた。すると旧友はつまらなそうに、
「何だ。知ってるのか」
と言った。

FILE3、殺人

 商談をするため靴を泥だらけにしながらはなれへ行った。さすが美術コレクターだけあって絵画がずらっと並んでいる。が美術音痴の私にはどれ一つとして解らなかった。本物だったらウン十億とかいう目の玉が飛び出るような金額だから、もちろんどれもレプリカだろう。私はしばらく絵を見て過ごした。その時誰かが部屋をノックして、女の人が入ってきた。そして彼女はコーヒーを出してくれ、また部屋を後にした。
 彼女はコーヒー豆の分量を間違えたらしく、ものすごく濃かったので私はミルクを入れた。そして、コーヒーをすすった。その途端、急に睡魔が襲ってきて私は眠ってしまった。
 それからどの位過ぎただろうか。私にもよく解らない。私はザーという雨の音と激しく扉を叩く音で目が覚めた。頭がガンガンする。見ると先程の社長が倒れているではないか。しかも私の手に目をやるとそこはナイフがあった。この状況では、どう見ても殺人犯以外何者でもない。
「坂東さん!坂東忠則さん!」
割と若い警官らしき人物の声が扉の向こうからした。やばいと私は思った。
 この状況だと私が否定してもほぼ間違いなく犯人扱い。かといって、窓はない。出口は今警官がいるあの扉ただ一つ。
「開けますよ!」
と警官が言った。
「おや?鍵がかかってるぞ。」
と呟く声が聞こえた。え?と私は思った。私は鍵は掛けていない。そうだとすると一体誰が掛けたのだろう?坂東氏だろうか。いや、それはない。常識から考えて眠っている私を起こすはず。犯人?でももし、そうだとしたら犯人はこの部屋にいなくては不自然。見回したがこの部屋には隠れられそうな場所もない。どんどんと扉をぶち破る音だけが聞こえてくる。
 その時、扉を破って警官が2人入ってきた。密室でナイフを持ち、死体を見つめてただただ呆然と立ち尽くす男の姿を一同は見たに違いない。私ではない私を。誰かが悲鳴をあげた。そして警官の声が部屋に共鳴した。
「署まで同行していただきたい。」
と私の腕を掴んだ。
「ち、違う。ぼくじゃない・・・。ぼくは・・・。」
これ以上何を言っても全く無駄だ。私はとりあえず、パトカーに乗り込んだ。両脇に2名の警官が座っている。
 「じゃあ、どうしてナイフを持っていた!?」
数分後私は取調室にいた。
「だから、さっきもお話したように・・・・」
これで何度目だ。少なくとも10回は同じ事を訊いてる。これだから犯人を逮捕できないんだ。
 自白に追い込むんではなく物証を集めろというんだ。少なくともその方が着実に犯人を追い詰めれる。彼らのやり方よりもずっと効率がいい。もう、空は血の色に染まっている。
「ふん、今日の所は釈放してやる。」
とりあえず証拠不十分で釈放してもらえた。出ると突然辺りが眩しくなった。カメラのフラッシュの様だった。
 見ると報道陣たちが待ち構えていて色々質問を浴びせかけてきた。が今の私には当然その答える気力はなかった。
 私は心身共に疲れ果てふらふらになっていたため、軽く着替えを済ますとすぐソファーに横になった。

FILE4、殺害容疑

 目を開けるとそこはまた殺害現場だった。
 私はナイフを持ってまた立っていた。そしてまた、警官に連行されて取調べを受けていた。ただ一つ違ったのは、そこで私は釈放されなかったことだ。
「警部補!その男と被害者が言い争っているのを聞いた人がいます。」
と訊いた。私は無言。
「じゃあ、別の観点から訊こう。足跡はお前の物とコーヒーを出しに行った女性、それに被害者の足跡しかなかったんだ。つまり、犯人の足跡がついてないんだよ。」
と婦人警官が入ってきた。それを聞いた警部補は冷淡に笑い、
「確定したな。」
の一言。
「ち、違う。本当に!違うんだ。」
と言っても聞いてもらえる訳がなく、そのままなぜか逮捕状無しで逮捕されてしまった。そしてここからが本当に摩訶不思議で、水槽に首までつけられそのまま放置されてしまった。眠ろうとすれば顔が沈んで目が絶対に覚める為眠るに眠れなかった。
 明治で共産主義の思想者にやられた拷問だ。本で見た事がある。
 ここで私はがばっと跳ね起きた。汗びっしょりで喋るのも億劫な位、口の中がからからに渇いていた。まず水をコップに注ぎ一気飲みすると、また、コップに水を注ぎ飲みほした。これを3回程繰り返した後、着ていたTシャツを脱ぎ捨て、別のTシャツとトレーナーに着替えた。
 時計を見た。もう10時だ。昨日の件で参ってるから今日は会社に出られそうにないことを告げ、会社を休む事にした。テレビをつけた。丁度、昨日の事件のニュースをやっていた。
「坂東忠則氏殺害容疑の最重要参考人である有沢翔治容疑者20才は・・・・」
私は腹が立ってテレビを消した。
 その時、電話がかかってきた。電話の主は昨日私を連行した警官で、今から来いというものだった。私はこのままではよけい立場を悪くするだけだと思い、仕方なく出向いた。
 数十分後、また取調べを受けていた。質問は昨日と全く一緒だった。
「だから、昨日もお話した通り・・・」
私は完全に気が参っている。
「じゃあ、別の観点から訊こう。足跡はお前の物とコーヒーを出しに行った女性、それに被害者の足跡しかなかったんだ。つまり、犯人の足跡がついてないんだよ。」
その時、婦人警官が取調室に入ってきた。
 私はひやっとした。
「警部補!その男と被害者が言い争っているのを聞いた人がいます。」
と婦人警官。それを聞いた警部補は冷淡に笑い、
「確定したな。」
の一言。私は昨日の夢の情景が鮮やすぎる程に蘇り、無我夢中で逃げ出した。何キロ走ったかは解らない。息が荒く、もう足は肉離れ寸前である。気が付くと、ここはどこ?という状態だ。かといって、道を尋ねるのはもうニュースで報道されているためうかつに尋ねると警察に通報されかねない。
 辺りに誰か友人はいないか。と見回してもいる訳がない。私は場所を知る為に地図を探した。とその時、後ろから誰かが肩を叩いた。私はびくっとした。
「脅かすつもりはなかったんだけど。ごめん。驚かせちゃった?」
見ると同級生だった坂本だ。
「で、でも坂本がどうしてここに?」
「相変わらず鋭い所を突いてくるわねぇ。さっき矢田君から電話があったのよ。あなたを助けてほしいって。フリーターのお前ならいつでも迎えるだろうからってね。」
といささか矢田を非難するように言った。それを取り繕うかのように後からこうつけ加えた。
「俺も出来る限り協力するからって。」
私は視線を感じて素早く後ろを振り向いた。見るとそこには愛知県警豊田管轄第一課目呉重留警視の姿があった。
「どうしたの?ジージョ?」
と言う彼女の質問に私は首を振って何でもないと答えた。真相どころかまだ手掛かりさえ掴めていなかったが、目呉警視と私との対決になったのは確かだ。
「そう。ならいいけど。」
と心配そうに顔を覗き込んだ。
「ところで、どこに行く?」
「うーん。とりあえず名古屋・・・・。」
 坂本は辺りを見回すと、
「ちょっと待って。矢田君に連絡するから。」
と電話ボックスに向かった。私も矢田に連絡する為、その後をついて行った。
 電話ボックスを見つけると彼女はテレホンカードを入れて、矢田の電話番号を押した。
「あっ矢田君?今、ジージョと会えたから・・・・・・うん。今一緒。それじゃ。」
私は、
「変わって」
と小声で彼女に言った。
「あっ変わるね。」
と言って緑色の受話器を渡してくれた。
「あっジージョか?何の用だ?」
と電話の相手が言った。
「お願いがあるんだけどさ。あっ、もう警察帰った?」
「いいや、まだだ。しかし、どういう風の吹き回しだろうな?見つけておいて連行しないなんて。」
と不思議そうに訊いた。
「ああ、多分これは、警察の作戦だ」
「作戦?」
矢田が電話の向こうで感嘆と疑問の入り交じった声で訊いた。
「ああ、多分ね。現に私服警官から監視されている。」
「しかし、それじゃあ、逃げにくいだろうに。」
と私の身を案じてくれて言った。
「ああ、でも、ぼくは本当に逃げないよ。一時的な逃げだけで。」
「どういうこっちゃ。」
矢田がいかにも不思議そうに訊いた。
「そのうち解るよ。それよりお願いの件だけど・・・・」
私がその頼みを話すと、矢田は快く引き受けてくれた。私は受話器を置いた。

FILE5、警察からの逃亡

 私は坂本に頼んでつけ髭を買ってきてもらうと、それをつけた。
「ジージョ。変ー!!」
と坂本が腹を抱えて笑った。
「仕方ないだろ。こうしないと、ぼくが見つかるんだからさ」
「でも、警察の監視下の下でいくら変装しても・・・・」
その質問に私はウインクだけした。 「ところでどこかトイレかなんかない?ぼくちょっと行きたくなっちゃって。」
と言うと坂本はあきれ顔で
「そこにあるわよ。」
と言った。私は走ってトイレにかけ込み、周りをうかがうとトイレに入った。私はトイレを済ます気なんて毛頭ない。私はつけ髭をトイレに流すと、便器を踏み台に窓から立ち去った。
 私は名古屋行きの列車に乗って、名古屋へと向かった。乗客の視線が何でここにいるんだろうと言わんばかりに注目されて痛い。私はあの状況をもう一回思い出す事にした。
 あの時、足跡は確かについていなかった。つまり、私以外の人があのはなれに足跡をつけずに行く事なんて、空でも飛ばない限り無理だ。それから、コーヒーを運んできてそれを飲んで、苦かったからミルクを足した。そしてまた飲んだら眠くなったんだよな。あれに睡眠薬が入っていた事は間違いなさそうだ。しかし、疲れていてとても推理どころではない。私はとりあえず会社で休養する事にした。
 名古屋には数分して着いた。もう色々な事がありすぎて、何日も経ったような気がする。私は自分の部屋の裏口から入るとすぐ坂本に連絡した。すぐにかん高いすっとんきょうな声が聞こえた。
「あっ!どこいってたの?・・・・・今名古屋?どうやって脱出したの?あの入り口の一つしかないトイレから。」
私は今までの経過を簡単に説明した。
「用はそれだけ。心配してると思って一応電話だけかけておいた。」
「あっ、浅香君の妹さんとはどう?名前何って言ったっけ?忘れちゃったけど。豊田から帰ってきたんでしょ?」
全く脈絡のない話に飛んだので、
「切るよ。」
と私は長話したくないと思って電話をこう言って切った。萌ちゃんの話だとついつい長話になってしまう。
 「さてと。」
と呟き、一息入れる為にインスタントコーヒーを入れて飲んだ。そして飲み終えるとソファーの上にごろんと横になった。そしてしばらく天井を見つめているうちにいつの間にか眠ってしまった。
 起きたのは夕方の5時だった。私は大きなあくびと伸びを一つすると、矢田に電話した。
「おう。なんだ?」
「何か、手掛かりになりそうな物は?」
「手掛かりになるかどうかは解らないが。」
と矢田は前置きをし、 「殴り書きしたメモが見つかった。佐藤朋子って。」
と言った。
「佐藤。」
私は反射的に繰り返し呟いた。
「それ誰だか解る?」
と私が訊くと矢田は躊躇って、
「佐藤のことかな?」
と呟いた。私は興味をそそられて、
「誰?その人?」
と訊いた。私は矢田からそ軽くの人の説明を受けると、
「明日、そっちに行くわ。」
と言った。矢田の説明によるとさっき私にコーヒーを出してくれた女性らしい。矢田は心配そうに、
「警察に捕まらないように、俺が車で送ってってやろうか?」
と訊いたので、私は喜んでその案を受け入れた。
 今でも警官の監視は続いている。私が見た限り5人は軽くいた。

FILE5、第二の殺人

 私はなぜか早起きした。この頃、昨日は10時に起きたのに今日は6時という具合に体内時計がすっかり狂っている。しばらく、ぼーっと過ごし、活動しはじめたのは6時30分だった。何をしたかは時間の都合上、省略するが約束の時間までには間に合わせる事ができた。
 朝9時頃に矢田は迎えにきたので、彼の車に乗った。
「んで、お前の推理は?」
矢田は車に乗って数秒も経たないうちに訊いた。
「まだ推理と言える段階じゃないんだけど・・・。とにかくその佐藤朋子っていう女性に会ってみる価値はありそうだな。」
と私の腹が鳴った。そう言えば‘ハイエナ’たちが煽り立てるものだから、外にも出れず昨夜から何も口にしていない。矢田は私の腹の音(ね)を聞くと私を車の中で待機させ、コンビニに向かって走って行った。
 数分後、矢田は白いビニール袋を下げて戻ってきた。パン、おにぎり、缶ジュース、お惣菜・・・・・・と色々な物を買ってきてくれた。私は彼に礼を言うと、矢田は再びアクセルを踏んだ。
「彼女の事をもっと話して。」
と私は食べながら佐藤朋子に関する情報をせがんだ。
「ん?あ、ああ。」
とためらいの表情を見せながらも次に進んだ。
「彼女は、俺と違う課だけどよく見かけるから時々付き合いもある。んで・・・。プライベートな面では一切関わりを持たないが、仕事の面では何でもこなす凄い人だった。」
こんな話が延々と続くのでは私の方としてはたまった物ではない。そこで話題を変える事にした。
「殺された坂東忠則さんの方は?」
「大した美術コレクターだったよ。」
と皮肉混じりに言った。これも大した情報は得られそうにない。じきに矢田、佐藤朋子が働く職場に着いた。
 すぐに矢田は佐藤朋子に会わせてくれた。が、彼女の方は軽く会釈をした物の私の事を冷たい目で見たり、頭のてっぺんから足の先までじろじろ観察するように見たりと何か嫌っていると言えば変だが少なくとも歓迎はされていないようである。無理もない。何せ「殺人犯」がここにいるのだから。私は本題に移った。
「坂東さんから何か伝言やメモのような物を預かっていませんか?実は殺された坂東さんの部屋からあなたの名前・・・・つまり、佐藤朋子という名前ですね・・・が書かれたメモ書きのようなものが見つかったんです。」
矢田がポケットからそのメモを取り出し、彼女に見せた。
「いえ、何も・・・。」
としばらく考え込み、やっと口に発した言葉は私を更に混乱させる物だった。
「あっ何か人から妙な事を訊かれたら田辺に訊けという伝言を・・・何でもご友人だそうです。」
矢田は連絡先を訊くと、ちょっと躊躇った顔をした。が教えてくれた。私はその住所をメモすると、佐藤に礼を言って私は矢田と別れた。
 荷物運びの業者が来ていた。話し声が聞こえる。
「しかし、昨日は驚いたよ。段ボールを開けるといきなり死体が出てくるんだもんな。」
「でもよー。お前本当に死体見たのか?」
業者の1人が半信半疑といった感じでもう1人・・・多分同僚だろう・・・に訊いた。すると彼は声を潜めたので聞こえなくなってしまった。
 私はとりあえずもう一回、佐藤朋子に会ってみる事にした。彼女は資材置き場にいた。そうかここは建築会社だったんだ。矢田の説明を生半可に聞いていたのでさっぱり解らなかった。彼女は私を見るとまたあなたという、しつこいと言いたげな表情を浮かべた。とその時、後ろの山積みにされた資材ががらがらと倒れて、彼女は圧死した。私が、
「危ない!」
と言おうとした時には遅すぎた。後ろに回り、ロープを確かめた。思った通り、切り口は真っ平ら。つまり何者かによって故意に落とされたということだ。
 案の定、今の音を聞いて駆けつけた人がやって来た。そして、私の顔と死体を交互に見比べ、耳をつんざくばかりの悲鳴をあげた。その悲鳴で駆けつけた人が警察に通報した。
 私はまた何者かの手によって殺人犯の汚名を着せられてしまった。とりあえず明日、田辺という人に会ってみる事にした。時刻はまだ10時少し過ぎ。矢田と落ち合う時刻は会社が終わる6時頃だったのでまだ時間は充分すぎる程にある。
「しかし」
と私は呟いた。その後に続く言葉はこれからどうしようかである。もちろん現場検証はしたいのは山々だが、警察に通報された以上ここから逃げなければいけない。
 私は捕まる覚悟で前者を選んだ。警察から逃げていたばっかりでは折角の手掛かりも碌につかめない。 これは警察との勝負なんだ。そう。私の大好きな推理勝負だ。目呉警視との勝負。確かに人数ではこっちの方が圧倒的に不利だ。しかしながら、私にはこのホームズにも負けるとも引きをとらない優秀な頭脳があるではないか。一見すると自画自賛とも思えるが、こう言い聞かせなくてはとてもではないが私としてもやっていく自信が全くと言っていい程ない。
 思った通りの結果。現場検証の結果は期待外れだった。何もめぼしい証拠はなく、私はがっかりしていた。まあ、用意周到な犯人の事だ。重要な手掛かりとなる物はあるわけないかと自分で自分を慰めてみても神経が疲れているせいか、やはりがっかりするものである。このところ完全に心身疲れきってしまっていて、もう気力で推理しているという状況だ。
「はあ・・・・」
と無意識にため息が出てしまう。やはり、コンビニ弁当だけではスタミナが充分にとれない。こんな時は母の手料理が恋しくなる。
 それはさておき、現場検証で見つかったものと言えば精々、被害者のポケットから出てきた「田辺」というメモくらいだ。しかしそれは残念ながら私が既に手に入れた情報であり、私にとっては何の価値も見いだせない屑に等しい情報。骨折り損のくたびれ儲けとは言う言葉が正にぴったり。私はどんなとるに足らない事も一応取らないより取った方がいいと思い、ポケットに丁寧に折りたたんだ。するとサイレンの音が聞こえたのでその場を立ち去った。
 あと矢田と落ち合うまで大体6時間・・・・。街に出るのは警察に通報されて危険すぎる。私は公園まで「殺人犯」の身なので帽子を深々と被りながら行った。公園に着きベンチに腰掛けると、
「坂東、佐藤、田辺・・・・・・。」
と私は口の中で殺された3人の名を幾度も繰り返した。が解るわけもなく時間だけがただ刻一刻と空しく過ぎていった。陽は緋色になり、薄暗くなったかと思うとあっという間に一寸先も見えないような暗さになった。約束の6時。こんな事をして半日も過ごしていたかと思うと驚くと同時に自分が恥ずかしくなる。
「さてと・・・。」
と呟き、ベンチから腰を上げると私は再び会社に向かってゆっくりと歩いていった。

FILE6、伝言遊戯(ゲーム)

 数分して会社に着いた。矢田が車を持ってきてくれると、
「ほとんどお前の自家用車だな。」
と苦笑しながら言って、私が乗ったのを確認すると車を発進させた。
「なあ、田辺さんという人について何か知ってる事があったら教えてよ。」
と私がせがむと矢田は
「すまん。」
と重々しく言った。その口調には私へ謝罪している様にもとれた。そして、
「俺も正直、田辺って人の存在は初めて聞いたんだ。」
「そうか・・・」
私は呟いた。  「あっ、でも手掛かりになりそうな物はあるぞ。」
数秒の沈黙の後、こう言った。私はご主人様から「待て」をされた犬の様に、よだれを口の中いっぱいにしながら待った。矢田はそれを嫌そうな顔をしながら言った。
「伝言ゲームだよ。」
私は大いに興味をそそられた。いや、興味をそそられたどころではなかった。
「伝言ゲームだって?」
私は驚きの声で言っていたのが自分でも解った。
「ああ、そうだ。伝言ゲームだ。その時はミステリー・グルメのお前を呼ぼうと思ったんだが。」
「で、ルールは?」
「ああルールは、至って簡単だ。」
私は前置きなんていいから早く言えと思いながら矢田の次の言葉を待った。
「職業も年齢も違う6人の人間に渡された伝言!」
とふざけながら言ったので私は、
「そう飾り立てなくていいから。」
と呆れて言った。
「いやー。悪い悪い。例えば今の例で挙げると佐藤、田辺を初めとする6人の共通点やらそんなような物を解くというようなゲームらしい。」
「ふーん。それで?」
と私は興味をそそられながらも矢田に嘲けられそうだったので、なるべく平坦な口調で言った。が矢田はさすが長年の付き合いで私の心を感じ取ったらしく、少し口を三日月型にした。私が嫌そうな顔をしていたらしく、三日月を納めると真剣な口調で更に続けた。
「ある言葉に行き着くからその中に暇を見つけて書いた小説があるんだとよ。今解ってるのはそれだけだ。どう思う?」
「完璧『金田一少年の殺人』のパクりだな。」
と私は今の状況も兼ねて冗談半分で言ったつもりだったが矢田は笑うどころか更に真剣で鋭い顔になった。そして次の瞬間、
「ふぅ・・・」
と二人同時に溜め息をついた。
「で、何かもらえるの?その謎を解いたら。」
私はさっきとは正反対に感情をそのまま出し、弾んだ口調で言った。
「ああ、確かもらえたと思う。」
と矢田は自信なげに、しかし明るく答えた。
「ふーん。」
と私は大げさに腕を組んで見せた。やがて無意識にその腕を解くと、その「伝言ゲーム」の動機を訊いた。
「ああ、会社の何周年かの記念パーティーだそうだ。そん時は休日だったからお前に手伝ってもらおうと思ったんだけど。お前こういう類のもの大好きだっただろ?暗号とか。」
私は矢田をジト目で見たところ矢田は苦笑し、更に続けた。
「でもって、その小説には真実を少しアレンジしたものらしい。」
「事実?アレンジだって?」
私は意表を突かれた様な気がした。なぜそのような気がしたのか私も解らない。そしてその私の発言には驚きと疑いの調子がどことなく含まれていた。
「ああ、事実をアレンジした小説だ。」
矢田は再度こう繰り返した。そして私はもう少しその小説について説明を頼んだが
「オレも正直言って、知ってる情報は全て話したつもりだ。」
と言われてしまった。
「そうか・・・。」
私は呟いた。この言葉はほとんど私の口癖と化してしまっている。まだ推理するには不十分すぎる程に証拠がないがこんな状況・・・つまり何者かに殺人犯の汚名を着せられる・・・にならなくとも旧友の話を聞いて好奇心が涌いたので矢田の依頼を受けたと思った。
「ところで」
と数分の重たい沈黙を矢田が退け払う様に言った。
「ところで?何?」
私が驚いて訊いた。
「オレ、社長殺しについて警察の話、盗み聴きしちゃったんだよ。」
私はその情報が何一つ手に入ってなかったので、喉から手が出る程欲しかった。何せあの時はいつもの冷静さを失い、無我夢中で逃げたので。
 矢田は私の心の中を察知したらしく、
「教えて。その情報について。」
と言う前に喋り出した。が大した情報は得られなかった。一応書いておくと、死因は心臓をナイフで一突きにされ刺殺。そのナイフからは多量の指紋がついていて特定は難しい。矢田が言った手掛かりこんなところだろうか。
「小説についての情報は?」
と矢田に訊くと、無言のまま首を横に振った。
「例えば・・・・・・。そうだな・・・・・・。」
「あっそうそう。」
と矢田が口を開いた。
「あの会社が立つ前は空き地じゃなかったらしい。」
「それどういう事?」
私は驚嘆と好奇心の入り混じった声で訊いた。
「いや・・・・。オレもよくは解らないが・・・。そう言う事らしい。」
 私はふと車外に目をやった。するとそこには黒猫の姿があった・・・。

FILE7、仮説を立てる

 私の会社まで矢田に送ってってもらうと礼を言い車から下りた。とにかく明日その田辺という人に会った方が良さそうだ。何か手掛かりが見つかるかも知れない。死んだ佐藤朋子に教えてもらった住所を辿って明日の午後あたりにでも三重県四日市市に行くとしよう。
 まだ時刻は7時半をちょっと回ったところだ。私は例の伝言ゲームや、殺人事件やらで頭がいっぱいで、電話が鳴っているのも気付かない程だった。やっと気付いて電話を取った。
「ジージョ!」
とかん高い萌ちゃんの声が聞こえた。私は話したい事が沢山あるにも関わらず、心配させたくないという気持ちで平然とした態度で、
「何?」
と言った。また、彼女のかん高い声。
「何?じゃないわよ!バカ!私の気も知らないで!ニュースとかで殺人犯と言ってたから心配だったんだから。本当はやってないわよね?」
泣きそうな声だった。正直彼女の口調を聞くと胸が痛んだ。辛かった。
「ああ、やってないよ。誰かがぼくに罪をかぶせようとしてるんだ。」
「本当?信じていいんだね?」
と明るい口調で言った。
「ああ、犯人をあばいてみせるよ。」
と私が言うと心配そうな口調で、
「本当にできるの?逃げながら推理することなんか。」
と訊いたので、
「できるよ。」
と短く答えた。すると電話の相手は呆れ返った様子で、
「まぁ、頑張って。」
と言った。おそらく私の自信満々の台詞に呆れたのだろう。その後に真面目な口調で、
「無理しないようにね。」
と付け足した。私は彼女の口からこんな言葉が出るとは思わなかったので驚きのあまり思わず、
「えっ?」
と訊き返してしまった。すると彼女は取り繕うかのように早口で
「ほ、ほら、ジージョって昔から一つの事に熱中すると寝る間も惜しんでその事をやるじゃない?特に謎解きは。だから・・・ね。」
と言った。
「サンキュ!」
と私は彼女にとりあえず礼を言ったが何で恥ずかしがっていたのだろうと思った。そして別れを告げ電話を切った。
 彼女の言う通り今日は早く寝るかと思いながら、いつも私が寝ている水色のソファーに横になった。・・・と言いたいところだがまた7時30分くらいで、目がパッチリ覚めていて眠たくも何ともない。仕方ないので私はもうしばらく事件について考える事にした。
「あっ、もしもし。ぼく。翔治だけど・・・。」
と私はある事を訊く為に矢田の携帯に電話をかけた。
「ちょっと訊きたいんだけど・・・」
と質問すると、
「ああ。確かにその通りだ。でも何でそんな事訊くんだ?」
と矢田はきょとんとした声で訊いた。私はその答えは言わず電話を切った。矢田は何だったんだと思っている事だろう。
 今の話から考えると、矢田は坂東氏以外の人間に私の訪問を教えていない事から計画殺人ではない。衝動殺人のとばっちりで「殺人犯」になったのだから全くいい迷惑である。しかし、そうだとするとやっぱり例のあの伝言ゲームの景品である小説が原因だろうか。それに矢田の言っていた、
「あの会社が立つ前は空き地じゃなかったらしい。」
も気にかかる・・・。空き地じゃないという事は廃ビルか何かをあの会社が買収や乗っ取りをしたということなのだろうか。待てよ?あの会社の建て方どこかで見た事ある。どこだったか思い出せないが・・・・。どこだったろう。思い出そうとすればする程ますます思い出せない。その内に思い出せると思い、その事は頭の片隅においといた。私の悪い癖だ。
 ふと昼間の従業員のやりとりが気になった。
「しかし、昨日は驚いたよ。段ボールを開けるといきなり死体が出てくるんだもんな。」
「でもよー。お前本当に死体見たのか?」
という会話だ。幸いにも青い作業服に会社名が書かれてあったのを思い出し、私はその荷物運びの業者をタウンページで調べた。できるだけ声を低くして、
「あっ、もしもし。私、警部補の羽柴壮一という者ですが、昼間、部下がお宅の会社の方が死体がどうとか言ってるのを聞いたと言っていましたので坂東氏および佐藤氏殺害事件と何か関わってるんではと思い、電話を差し上げたんですが。」
「あ・・・・。もう退社致しましたが・・・・。そちらに行くよう私から伝えておきましょうか?」
私は慌てて
「いえ、いいです。今から言う番号に電話してくれれば。」
と言って、携帯の番号を教えた。
「そうですか。では。」
と相手は言って電話を切った。私は危うく、
「では、そうして下さい。」
と言いそうになった。そう答えれば、警察の人間を装って訊き出した事がバレてしまう。電子音で「古畑任三郎」のテーマ曲が鳴った。私の携帯である。
「はい。もしもし。」
「あっ、オレ。矢田だけど社員リストが手に入りそうなんだ。いるか?」
私の目の前が急にぱっと明るく鳴ったような気がした。
「それは本当か?」
と明るく弾んだ声で訊く。
「ああ。本当さ。ファックスで送ってやろうか?今からでも。」
「できれば。ファックス番号知ってるよね?」
「ああ。知ってるさ。」
「052ちゃんと付けろよ」
「解ってる解ってるって」
と矢田はうるさそうな口調で言った。

FILE8、社員名簿

 数分後、矢田からファックスが送られてきた。
「どうだ。届いたか。」
「ああ。ばっちりとね。しかし、矢田。どうやって手に入れたんだ?」
「それは、人事課のパソコンにアクセスして手に入れたんだ。警備員には忘れ物したと言ってね。」
「矢田、それ犯罪。」
「同窓会の経費を出張費で支払うやつに言われたくないね。」
と相手は笑って言った。私は矢田に深く礼を言って電話を切った。
 私はファックス用紙の社員リストから佐藤朋子と坂東忠則の名前を探し出すと、横線を引いた。とはいえまだ、288名の社員が容疑者として残っている訳だ。気が遠くなるような作業だ。ごろんと私はソファーの上に横になると、うつぶせになりぼんやりとその紙を見ていた。また携帯がなった。
「おう。届いたか?ファックス。」
「ああ。どうもありがとう。」
私は一呼吸おくと更に続けて、
「ところで矢田、お願いが・・・・・」
「何だ、また事件の事か。」
と矢田は苦笑した。
「ピーンポーン。ご名答。」
と私がおどけて言うと、
「やっぱり・・・・。で、何だ。」
と思っていた通りだという声色になった。
「事件当時の社員のアリバイを調べてほしいんだ。」
「おいおい。それは無理だぜ。いくらなんでも。大体、オレだって、社員全員の名前を知ってる訳じゃないよ。」
「そうか・・・。」
と私は弱々しい声で悲しく言った。
「おいおい。そんな声なんかださんでくれ。オレはお前にできる限りの協力を・・・・・・」
そこで矢田の声は一旦途切れた。私が何度も呼びかけても返事はない。
「あっ!」
と突然大きな声で耳元で叫ばれたのだからこちらとしても驚いたという言葉の比ではない。
「どうしたんだ。急にでかい声なんて出して。」
「人事課の湯崎に頼めばいいんだ!」
「湯崎?誰それ?」
「オレの友達さ。といっても課が違うからあんまり顔を会わす機会がないが」
「なるほどね。人事課の人に訊けばスムーズに行くというわけか。」
と私は呟いた。
「そうだ。」
「さりげなく訊くように頼むから。」
「オッケー。じゃ頼んだよ。」
「任せとけ。」
と言って電話を切った。さてと・・・。また、夕食を食べずに寝るか。腹減った・・・。
 いつの間にか眠ってしまい朝を迎えた。腹が減りすぎて動く力すらない。しかし町を歩けば警察に通報されて私は濡れ衣を着せられたまま捕まってしまう。それは絶対あってはいけない。しかし昨日の朝から水以外は何も口にしていない。このままでは飢え死にしてしまう。やはり、水をご飯替りにするというのは無理がありすぎたらしい。
 とそこに萌ちゃんがひょっこり顔を出していて、入ろうか否か迷ってる様子だった。私が手招きすると中に入った。
「あれ?今日学校は?」
と私が尋ねると、何言ってるんだという少し嘲けるような口調で、
「何言ってんの?今日日曜日よ。」
とさもおかしそうに含み笑いを浮かべて言った。
「でも、立ち直りが早いね。昨日は泣きそうだったのに今は笑ってる。」
と言うと痛い所を突かれたらしく苦笑いだけした。携帯が鳴った。私のだ。しばし向こうの出方をみた。昨日電話した運送業者の人からだった。
「悪いですね。日曜なのにこんな面倒なことに付き合わせてしまって・・・」
と警部補の羽柴壮一という架空の人物を装い、できるだけ声を低くしようと努めた。萌ちゃんはさすがに私が何をしたいか解っているらしく声一つ出さなかった。
「で、あなたが死体を発見した時の様子を詳しく教えて頂けませんか?」
萌ちゃんは死体と言う言葉に驚き叫ぼうとしたので私は唇に指を当てた。彼女は一回こくりとうなづき、黙っていた。
「ええ、あそこの社長さんに美術品の搬出を頼まれまして・・・シャガールの『私と村』やミレーの『落穂拾い』でした・・・・段ボールの角から血が滴っていたのでした。私はもしかしたら今テレビでやってる有沢って人がやったんではと思い中を開けてみました。
 そうしたら胸にナイフを突き立てられてる死体が入っていたのです。」
私は冷や冷やしながら聞いていた。
「そんで、私は近くの電話ボックスまで走って行きました。戻ってきたら死体がまるで煙の様に死体が消えていたのです。」
「電話ボックスまでどのくらいかかりましたか?」
「多分、2分・・・か大体そこらへんだったと思います。」
「解りました。では。」
と電話を切った。
 と私の腹の虫が何か食べるように催促したが、今の私の状況ではどうすることもできない。とりあえず、水道水を飲んで空腹を満たす事にした。それを見ていた幼なじみの少女が心配したような声を出した。
「ねぇ、ジージョ。いつもこんな食事しか取ってないの?」
「ん?いつもはそこのコンビニの弁当だけど殺人犯になってからはそとに迂闊には出れんくなってさぁ。」
と私が言うと彼女は、
「私がお弁当作ってあげよっか?」
と真顔で言った。私は頬が紅潮していくのが自分でもよく解った。
「な~んちゃって。何で私がジージョにお弁当を作ってあげなきゃいけないわけ?赤くなっちゃってかわい~。」
と爆笑しながら言われたので、罰ゲームで恥ずかしい芸を強要され、その芸をやった直後の子供のように下を俯いた。
「ささ、何か買ってきてあげるから。」
と言って部屋を飛び出していった。私は残念だったがこれで良かったのかもしれないという気持ちが少しあった。その心境を語るには私の文章力では無理だが奇妙で不思議な感覚だ。
 しかし、彼女の口調には弁当の提案をした時点では作る気でいて、やっぱり恥ずかしくなりごまかしたという風にもとれた。ただの私の思い込みかもしれないが・・。事件の事そっちのけでそんなことばかり考えていたら、
「ただいま~~~」
と元気よく問題の娘が帰ってきた。
 床に座り込むとコンビニの袋を置き手を差し出している。
「何?その手は。」
と私が訊くと、
「ただなわけないでしょ~~~。」
と言ってきた。
「ちぇっ。最近の子はしっかりしてるなぁ」
と500円玉を渡したら、
「これだけ~~~」
と不服そうに言ったので、この女まだ取る気かと思い苦笑した。 「おいおい。萌ちゃん・・・・」
と私が言いかけると、
「最近不況なんだから・・・でしょ。」
と言いたいことをずばり彼女は当てた。
「まぁ、500円あればいいか。」
と彼女が呟くのが聞こえた。

FILE9、東野

 私は萌ちゃんが買ってきてくれたおにぎりを頬張った。彼女はコーラの缶を開けると、まるで子供の食事を見つめる母親のような表情で私を見ながら赤い缶を口元に持っていった。
 私は彼女の買ってきてくれた朝食をたいらげると腰をあげながら、
「さてと、そろそろ行くか。」
と呟いた。
「行くってどこに?」
と彼女は私の声を聞いていたらしく、不思議そうな顔つきで聞いた。私はこれまで得た情報を洗いざらい彼女に順を追って説明した。伝言ゲームの事、佐藤朋子の殺害の状況、運搬業者の従業員の話、矢田から得たその他の情報、そして田辺という人が関係している事・・・・。それらを全て聞き終えると、
「ふうん。じゃ、その人が次、その伝言ゲームの鍵を握っているんだ。」
「うん。そうだよ。だから会いたいんだ。」
 相方はどっかの迷警部よりずっと賢い。
「私も行っていい?邪魔しないから。ね、ね。」
と相方がせがんだ。私はしばし宙を見て、それから大げさにため息をつき
「ふぅ。解ったよ。でも、電車賃は萌ちゃんが出すんだよ。」
と言った。
「解ってるよ」
と萌ちゃんは口を尖らせて答えた。私は帽子を深くかぶると裏口から彼女と共に出た。外はまだ肌寒く幸いにも帽子にコートという姿も珍しくはない。
「ねぇ。大丈夫?」
と途中で萌ちゃんが訊いた。
「ん?何が?」
「仮にも重要参考人として警察に・・・・」
と彼女は心配そうである。
「大丈夫だって。こんなに人がいるんだから。」
彼女は私が何を言っているのかが飲み込めないといった不思議そうな口調で
「だって人がいっぱいいたら・・・」
と訊いた。私は人差し指を左右に振りながら舌鼓を2、3回打ち、そして
「違うんだな~~~。これが。こういう時は人込みに隠れるのに限るんだよ。人が多いと警察もぼくのことを探しにくくなるだろうからね。それに町の人たちだってそうさ。人がこれだけ沢山いると一人一人の事はどうでもよくなる。」
「どうでもいいけど。その仕草似合わないよ。」
と笑いながら言われたので少し恥ずかしい気になった。
 「ところで捜査の方は・・・・」
と相方が訊いたので、
「ああ、かなり進んだよ。トリックの方は脱出方法は大体想像ついた。でも、入る方は想像もつかない。」
と頭をボリボリ掻きながら言った。
「ねぇ、材木会社でしょ?なら板を架け橋にしたっていうのは?」
という相方の推理に私は重々しくかぶりを振った。資材置き場にあった板は架け橋にするにはどれもこれも短すぎるからだ。
 相方と話してる間に三重県に着いた。ここは火○サスペンス劇場ではないので三重県の紹介はしない。ただ私の遭遇した事件を書きつづるだけで、余分な事は書かない主義なのだ。そのため事件の記述と私の恋物語だけとなる。
 それはさておき、私は殺された佐藤さんから訊き出した住所を頼りに四日市にやってきた。しかし、どうやって会おう。仮にも私は二人の命を奪った殺人犯ということになっている。
「あっ、ここじゃない?住所もぴったり会うし。」
とメモを覗き込んでいた相方が言った。私が玄関先で躊躇っていると、なぜ入るのを躊躇しているのかを察知したらしい。相方は訊いてきてあげると言って呼び鈴を数回鳴らした。私は物陰からこっそりと彼女の様子をうかがう事にした。
 数秒も経たないうちにして、彼女が戻ってきた。彼女の手には東野と書いたメモをがある。
「鍵開いてたから中にお邪魔してこれを冷蔵庫に貼ってあったもってきちゃった。」
「それって住居侵入っていう違法行為だよ。」
と片思いの人ではなく「妹」として咎めるつもりで言ったのだが、
「例の連続殺人で勝手に人の家に入って冷蔵庫の血痕見つけて、犯人発いたジージョが言っても説得力ないよ。」
と言われた。なるほど、私もそんな気がする
「大丈夫よ。ちゃんとメモ貼りつけたし」
と心配を気遣ったらしいがそんな心配していない。
「メモ?」
と私が訊くと、
「そ。例の殺人事件の件でメモを頂きます。ってね」
「で、名前は?」
「有沢翔治って。」 とクスクス笑いながら相方が言った。
「まぁ、いいけど。」
とため息をつきながら諦めの気持ちで答えた。
「『ひがしの』さんが次のキーとなる人物か。」
「そうみたいね。住所裏にあるから。」
相方は好奇心で目が輝いているようにも見えた。それは東野さんの時も自分も連れてってほしいと訴えかけていた。
「ねぇ。ところでおなかすかない?」
 私は萌ちゃんに言われて初めて自分が空腹だと気付いた。
「うーん。まだすかない。」
と私は見栄を張って答えた。が身体は正直だ。くぅーと私の腹が鳴りそれを聞いた萌ちゃんは少し笑って、
「やっぱりおなかすいてるんじゃない。マックにでも入ろう。」
結局彼女の意向でファーストフード店で食事をとる事にした。

FILE10、ファーストフード店にて

 私の意向でマクドナルドではなくモスバーガーに入った。
 注文を取りにきた女性が私の顔を見て驚いた様子だったが他人の空似だと思ったらしい。何事もなかったかの様に奥へ入って行った。しばらく萌ちゃんと雑談をした後、番号が呼ばれたので注文を取りに行った。
 私はハンバーガーを頬張っていると浅香萌が、
「ねぇ、ジージョ。」
と呼んだので、
「何?」
と答えた。彼女はもじもじしながら聞こえるか聞こえないか瀬戸際の声で、
「私たち・・・・。周りからどう見られているんだろうね。」
私は質問の意図がよく理解できなかった。
「ん?殺人犯と一緒にいちゃおかしい?」
確かに客の視線が痛かったが彼女の言いたい事はそんなことじゃないらしい。
「そういうことじゃなくて・・・」
やはり彼女は赤くなってもじもじしている。
「じゃ、どういう事?」
私はいらいらを募らせながらも、できるだけそれを表面に出さないように工夫した。が少し不機嫌そうな私の声が聴き取れた。
「それは・・・。そのぅ・・・」
私は彼女の次の言葉を待っていた。彼女は赤い顔で深呼吸して言った。
「兄妹とか・・・こ、恋人同士とか・・・。」
私は質問の意味がようやく解った。と同時に今度は私の方が彼女より赤くなった。胸の鼓動も早くなる。
「そ、そりゃやっぱり・・・・」
私は独り言の様に言った。
「やっぱり?」
もじもじしながら私と同じく「独り言」を言う。「恋人同士」と言いたいのだが何かで堰き止められた様に7個の音が出ない。
 数分の沈黙。周りのざわめきがスピーカーを大音量にした様に聞こえる。がそれは私の耳を素通りしていった。それは浅香萌も同じだろう。
「は、早く言ってよ。私はどんな答えでも・・・・」
その後は客のざわめきに掻き消された。
 「どこ行くの?」
私が席を立ったので彼女はこう訊いた。
「トイレだよ。」
極度の緊張で私は尿意を催したらしい。が別に行きたくないような気がしないでもなかった。ただ一人になって気持ちを落ちつけたかっただけで・・・。
「が、我慢できないの?」
「そりゃ、できるけど・・・」
「まぁいいよ。早くトイレに行ってきて。」
 私はそそくさとその場から立ち去る様にトイレに行った。
 しかし不運(幸運?)にも誰かが入っていた。私はとぼとぼと席へ戻った。
「誰か入ってたみたい。」
と言った。私は再度、浅香萌の出方をうかがった。
「ところで・・・さっきの話しなんだけど・・・」
と下をうつむいて「独り言」を言った。
「やっぱり、何て言おうとしたの?」
顔はさっきにも増して赤くなっている。
「やっぱり、・・・・・」
私は感じ4文字の方を勇気を振り絞って蚊の泣くような声で言った。
「え?もう一回。よく聴き取れなかった。」
これ以上、大きな声で言わせる気かと私は思った。
「そ、それは・・・きょ、兄妹でしょ。」
いつの間にか知らず知らずのうちに私の答えは別な方向になっていた。この瞬間私は自分で自分の頭を叩き大声で
「バカ~~~~~~~!!!!」
と叫びたくなった。
 私の答えを訊くと浅香萌は笑って、
「そう。」
とそっけなく答えた。さっきの照れて真っ赤になった顔も除々に戻りつつある。だが、その笑顔は本当は哀しいのに無理に作ってる様だった。
「あっ、トイレ開いたよ。い、行かないの?」
なるほどトイレから人が出ていくのが見えた。だが、私の尿意は不思議に納まっていた。
「んんん。行きたくなくなった。」
と言うと、
「じゃあ、私が行ってくるわね。」
と言い、私がしたのと同じ様にそそくさとトイレに駆け込んだ。
 いくらかしてトイレから出てきた。顔に水滴がついている。がそこは指摘せずに昼食をさっさと済ませて店を後にした。

FILE11、私の推理

 私は昼食後、推理に集中するため静かな公園に行った。まだ昼の1時ちょっと前だ。今日は日曜日なので人がいっぱいいた。赤ちゃん連れの母親、小学生同士の男の子や女の子、幼児連れの母親・・・・・。だがそれは私の存在を隠す為に都合が良かった。「カップル」の一組位いても別に不自然ではない。
 私と相方はベンチに腰掛けた時、私の携帯が鳴った。
「はい。もしもし、有沢ですが。」 「あっ、もしもし。オレだ。矢田。」 電話の主は矢田だった。また新たな情報が入ったのだろうと期待しながら、
「おう。矢田かどうしたんだ。」
と答えた。
「事件発生時にアリバイがない奴が解った。今から言うけど、そこに何か書く物あるか?」
「ちょっと待って」
電話を口から離して、
「何か書く物。萌ちゃん。ある?」
と急かしながら言った。彼女は鞄の中をひっかき回しながら
「シャーペン(シャープペンシル)ならあるんだけど紙がなくって・・・」
と言った。また私は携帯を口に当てて、
「悪い。今書くモンないんだ。」
「そうか、ならまた後でな。」
「6時頃に電話して。その時は多分いると思う。」
「解った。また後でな。」
と矢田は同じ台詞を繰り返した。
「はいは~い。」
と言って相手が切るのを待ってから電話を切った。
 「誰から?」
と相方が訊いたので私はこの事を話した。
「ぼくジュース買いに行くけど何か買って来ようか?」
と私が提案すると、
「あっ、コーラとか炭酸系ね。」
と言った。私は無言でうなづくと自販機に向かってゆっくり歩いて行った。
 私は買いに行く途中、佐藤朋子、田辺雅義、東野の3人の事を考えていた。使ってる漢字も共通点はなさそう・・・。
 さとうともこ、たなべまさひこ、ひがしの・・・平仮名にしても共通点は見えてこない。
 片仮名では?サトウトモコ、タナベマサヒコ、ヒガシノ・・・。やはり結果は同じ。何もいい考えは浮かんでこない。
 私は自販機でコーラとミルクティーを買うと元来た道を急いだ。
 ちょっとイタズラをしてやろうと思って、彼女が座っているベンチの後ろ側に忍び寄りジュースの缶を頬につけた。彼女はふっと振り返った。
 「へへ。驚いた?」
と言いながら横に座る。
「全然」
とコーラの缶を開けながら萌ちゃんが平気な顔をして言った。
「だって古い手だし、お兄ちゃんに結構やられてたから慣れちゃってるんだもん。」
 こうしていると殺人犯はもちろんの事、兄妹には到底見えないだろう。私の推理一色の中にふと別な4文字の思い、考えが混じった瞬間。
 その思いは次第に薄れていきやがて元の頭の中が事件一色になった。
 子供が池で小石を投げて遊んでいる。が飽きたらしい。また元の遊びに戻った。そして池は何事もなかったかの様にまた元の落ち着きを取り戻した。

FILE12、2人の巡査

 私は数時間、考えをあれこれ巡らせたがあまりいい考えが思い浮かばなかった。ふと気が付くと空はもう赤くなっていたので、少々驚いた。昼間あんなにいた人たちも、もうまばらになっている。
「ねぇ、もうそろそろ帰らない?私たちとあと数人だけだよ。」
と萌ちゃんが心配そうな声で訊く。
「何?怖いの?」
と私は笑いながら言ったので、彼女は
「もぉ~~。そんなんじゃないよ。子供じゃないんだから。」
と怒ったがいつもの事で慣れている様子。
「高校生はまだ子供。」
と言ったのに彼女は少しむっとしたらしい。公園の木に蹴りを入れ、にこやかな表情と優しい声で
「ジージョ?もう一回、言って。良く聞こえなかったから。」
と言った。蹴られた木はミシミシ言っている。私は慌てて、 「い、いや何でも・・・」
と言った。
「怖え~女」
と私は吐き捨てる様に呟いた。彼女は今度は木に拳を当て、また例のにこやかな表情と妙に優しい声で、
「何か言った?」
と言った。木はミシミシ音を立てている。
「い、いや、何でも・・・」
とまた同じ台詞を繰り返した。今度は心の中で言った。まともにやりあったら私が確実に負ける。
「解ったよ。もう帰ろう。」 とお尻の砂を手でぱんぱん叩き払いながら言った。これ以上、彼女に逆らったら命がいくつあっても足りない。
「そう?何か脅しちゃったみたいでごめんね。」
私は心の中で「みたい」じゃなくてしてるんだよ・・・と思ったが殺されるので言わなかった。
 その時、2人の巡査・・・おそらくそうだろう制服を着ているし私と同じかまたは少し年上の感じがする。もう一方の巡査は私よりもちょっと年上の印象だった。・・・が見えた。おそらく萌ちゃんにも見えたに違いない。まだ夕暮れで陽はおちてなかったし。
「お前、指名手配中の有沢翔治だよな?」
太い声と横柄な態度で若い巡査が言った。
「まぁまぁ」
ともう一人の巡査がこちらを見たままたしなめる様に言う。私は汗が吹き出した。足もガタガタ震えている。顔面が蒼白になるのを感じ、頭の中が真っ白になる。
「い、いえ。違います。」
落ち着きを払って言ったつもりだった。 「嘘をつけ!嘘を」
また若い方が太い声で言った。萌ちゃんが何やら囁いたが、全然聞こえなかった。
「まぁまぁ、ちょっと交番でいいですので話を伺えませんかね?」
ともう一方の巡査が耐えきれなくなったと言う感じで口を開いた。しかし顔は私を見ていた。
「先輩は黙ってて頂けませんか?自分一人でやりたいのです。」
と新米巡査は迷惑そうな口調で言った。
「ああ、解った。」
ともう一方の巡査はタバコに火をつけながら言った。頭の中が、真っ白になって行く。と、萌ちゃんが思わぬ助け船を出してくれた。
「お巡りさん。人違いじゃないんですか?この人、私の兄なんです。」
「あ?なら住所は?」
とやはり横柄な態度で言ったが、その口調には焦りの色が見えていた。私は「妹」に助けられ、一瞬にして頭が元に戻った。
「それは本当ですか?」
ともう一方の巡査が訊いたが、新米の方に嫌な顔をされて黙ってしまった。
「それは本当なんだな!?」
と新米巡査が太い声で再度訊き返す。
「ええ。本当です。」
「妹」がはきはきした口調で言う。
「そうか・・・。なら、いいんだ。近くで殺人事件があった物だからな。しかも本人の署名のしてあるメモが冷蔵庫に・・・・」
と話してる最中にもう一人の巡査が口に人差し指を当てて黙れと合図した。
 萌ちゃんが私の耳元でそっと囁く。
「ねぇ、殺人事件があったみたいだけど田辺って人殺されたのかな。」
「ああ。たぶんな。」
私も小声で答える。
「ん?どうかしたのか。」
と新米巡査が訊いたので、私たちは何でもないと答えた。
「何か隠してるな?」
と訊いたその時、私のコートの内胸ポケットから、ひらひらと一枚の紙が落ちた。このコートは私のお気に入りのコートで、仕事とプライベート用、両方兼用なのだがそれが間違いの元だったらしい。その紙とは名刺だった。バットタイミング。何でこんな時に限って・・・と私は思った。
 そっとバレないように取ろうと思ったがやはりバレてしまった。新米巡査は
「見せてみろ!」
と言うな否や私の手から名刺を奪い取った。
 公園から出る時、萌ちゃんが私の袖を突き、
「何で名刺なんか入れとくのよ!」
と子供を叱る母親のような口調で言った。
「だって・・・」
「おい!ということはその妹と名乗る女も怪しいな・・・」
と新米巡査は冷笑した。
「本当はお前ら、兄妹じゃなくて恋人同士じゃないのか?」
 いつもなら赤くなっているが、しかし今は赤くなっている暇はない。この状況をどう乗り切るかで精一杯でそこまで考えがいかなかったからだ。
「とにかく、交番でいいですので・・・」
ともう一人の巡査が新米巡査とは対照的に穏やかに言った。私は力一杯否定した。
 いっそのこと、なぎ倒して・・。なぎ倒す・・・。いい考えが頭に浮かんだ。 「萌ちゃん。バッグをこっちに。」
と囁いた。一瞬、躊躇ったが私が促すと彼女のバッグが手に渡った。私は彼女のバッグを木の後ろでごそごそ探った。私の顔がほくそ笑んだ。そして新米巡査が、 「おい!何を企んでいる!?」
と一歩前へ出た瞬間、彼女のヘアスプレーを顔に吹きかけ、もう一人の方も
「おい。大丈夫か!?」
と駆け寄った時にバッグで思い切り叩きつけた。そして気を失った所に封筒に「見舞金」と書いて20000円程、穏やかな口調の巡査のポケットに入れた。
 それを見ていた萌ちゃんは、
「ジージョって本当に人がいいね・・・・」
とため息混じりに諦め口調で言った。
「でも、萌ちゃんがスプレー持ってて本当に助かったよ。」
 「あ~~~!!!」
と萌ちゃんが突然大きな声をあげたので私は驚いて、
「何?」
と言った。
「何秒かけた?」
「ああ、2、3分だよ。それがどうかした?」
「どうかしたじゃないよ!四分の一位あったのに・・・・・」
とスプレー缶を自分の耳元で振りながら言った。音はしない。
「か、空・・・・。」
これには私も自分に驚いた。
「もー。どーしてくれるのよ!これお気に入りだったんだからね。」
「んなもの。どうだって・・・・」
と言いかけたが蹴る構えを見せていることが解り、慌てて
「解った。解ったよ。ぼくが新しいやつを買ってやるよ!それでいいだろ?」
「2本ね。」
「解ったよ。2本でも3本でも買ってやる!」
私は半分ヤケになっていることが解った。それでも、彼女が喜んでるのを見ると少しは気が楽になる。

FILE12、殺人現場

 私たちはその足で殺人現場へと向かった。
「ジージョ。ごめんね?」
と行く途中、突然萌ちゃんに謝られたので少々混乱した。私が何で謝ったかを訊くと
「だって、さっきのお巡りさんが私のとジージョのを見間違ったのも原因の一つでしょ?疑われた。」
「ああ。そのこと?気にしてないよ。」
「でも・・・・」
私は彼女が本当に悩んでいると思い、妹に語りかけるような優しい口調、そして少し膝を曲げ彼女と同じ目の位置にした。そして、
「それに・・・、過ぎたことをいくら悩んでも仕方ない。だろ?」
と言った。「妹」は元気よくうなづいたが、
「本当にごめん」
と呟くのが聞こえた。しかし、これ以上干渉したってかえって傷付けると思い、聞き流した。
「ところで、殺人現場に行くんだけど一緒に来る?」
私は聞こえない振りをしてさりげなく話題を変えた。
「うん。もちろん。」
 訊くだけ無駄だった様である。答えはいつも決まって「イエス」なのだから。
 しばらく彼女と雑談をした後、例の殺人現場へと向かった。
 警官・・・特に鑑識・・・はもう帰っており、キレイになっていた。チョークの跡も消され、証拠品はほとんど残っていなかった。それでも私はトリュフ探しをしている豚の様に証拠を探した。薄暗い中、私はペンライトで証拠を探した。
「ん?」
私は何かを発見したが何か解らないので
「萌ちゃん。これなんだか解る?」
相方が即答する。
「ああこれ?つけ爪よ。」
「つけ爪か・・・すると犯人は女だな。」
「何で?犯人がミスリードするために・・・」
「いや、それはない。」
私はきっぱりと断言した。
「何で?」
と相方が訝しげな表情で訊く。
「考えてもみなよ。普通ミスリードする証拠は目立つ所に置くだろ?でも鑑識が発見してないと言う事は目立たない場所にあったということになる。現にぼくはこんな所で見つけてるしね。」
と微笑を浮かべながら壁と家具の間を指差した。
「でも、家の人のっていうのは?」
「いや、それもない。この家は見ても解る様に割と古風な一戸建てだ。しかも、さっき部屋を見させてもらったんだけどつけ爪をするような人は住んでいそうもない。
 現に調理器具はここ1、2年使ってないみたいだし、冷蔵庫にあるのは皆ビール。
 こんな家に女の人、住んでいると思う?」
「とても住んでいる気配はないね」
と相方は微笑しながら首を振った。
「ああ、せいぜい住んでいるのはタバコは吸わないがタバコを吸う客が結構出入りしている中年のアル中。しかも1、2年前に別れて、親権裁判で敗訴した男だけだよ。原因は多分浮気・・・・。」
「ちょ、ちょっと何で原因まで解るの?」
「茶だんすから、こんなマッチが見つかったよ。」
とにっと笑って、私は相方にさっき見つけてきたマッチを取り出した。ピンクのマッチだ。*
「ちょっと・・・・、こんなマッチ女の子に見せるなんて・・・」
とちょっと頬を紅潮させて言った。
「えっ?女だったの?」
と笑いながら言うと、私の腕を方に掛け例の優しい声とにこやかな表情で調子で、
「え?よく聞こえなかったわ。もう一遍言ってくれる?誰が女じゃないって?」
と言った。
「ごめんなさい!嘘です!」
と即座に謝った。
 その時、急に後ろからライトで照されたのでさっと後ろを振り返った。一人の若い男が入ってきた。後ろに中年の男もいる。
「待っていましたよ。君ならここへ来ると確信を踏んでいましたからね。」
どこかで聞き覚えのある声だ。目呉警視!!すると後ろの中年男は・・・。
「羽柴壮一という巡査を名乗って運送業者に電話した瞬間から解りましたよ。推理小説好きな君のことだ。きっと小説内のある名前を使うに違いないとね。」 警視はつかつかと私の方に歩み寄った。後ろの中年男もつられて歩み寄る。
「西口君、すぐに三重県警に連絡して下さい。犯人の有沢翔治を追い詰めた、もう逃げられないとね。」
やっぱり・・・、と私は思った。西口警部はうなづきもせず無言で警視の指示に従った。
「さあて、三重県警が来るまで何しましょうか?」
警視が微笑を浮かべながら私に問い掛ける。
「とりあえず、これまでの事を洗いざらい言ってもらいましょうか。」
落ち着きを払って警視が言う。私の答えは「ノー」だった。こんな話、警視が信じてくれる訳ない。  その時、サイレンが響いた。警察が来たらしい。
「おっ?さすがに三重県警、暇なのか出動が早いのか。」
と訳の解らない独り言を呟いている。パトカーから下りた人々がどやどやと中に入って来て私の両腕を掴んでパトカーに乗り込まされた。
「大丈夫すぐ戻るよ。」
と萌ちゃんに言った。
「そう・・・。すぐに・・・」
と再度呟いた。

FILE12、戸嶋警視

 私は取調室で捜査資料を見せてくれと頼んでも、目呉警視に断られた。
「質問があるんですけど。」
と警視に言ったら、彼は片目で私をちらっと見て、
「何だ」
と不機嫌そうに言った。 「これは任意同行なんですか?」
と質問に移った。警視の答えは「ノー」だったので私は参ったと思った。
「君は立場を勘違いしてる様なので一応言っておきますが。」
と警視は更に続けて
「君は重要参考人で身柄を拘束されているんですよ?」
 取調室の扉が開き、もう1人警官が入ってきた。初老の感じである。どうやらこの人に取調べを受けるらしい。入った刑事は椅子に腰掛けて、口を開いた。
「君が有沢君か。」
 刑事はにこやかな表情で言った。
「ええ。警視。」
 私は微笑して答えた。落ち着いた様子だったが少し私の‘手品’に驚いた様子だった。しかし、私の言葉を無視して、
「私は三重県警の戸嶋という者でね。君の言う通り警視だよ。」
とデスク越しに手を差し伸べたので私は握手した。
「よ~し、よしよしよし。じゃあ質問に移るよ」
相変わらずにこやかな表情だ。
「君はさっき私の事を警視だと言ったね。」 と相手は微笑んだ。理由を訊かれるのだなと感じていた私は次の言葉に少々驚いた。
「他に何か解る事はないかね。」
「えっ?わかること?ですか?」
これなら私の得意分野だ。
「例えば・・・。そうだな、経歴・習慣など何でもいい。」
と戸嶋警視が言う。
「戸嶋警視!」
と目呉警視が口を挟んだ。戸嶋警視はしーっと言わんばかりに人差し指を口に当てた。が、すぐに向き直り、
「すみませんね~。邪魔が入って」
と微笑んで言った。
「いえ。いいんです。そうですね・・・。あなたは車を持っていますね。しかも右ハンドルの。」
と微笑した。が、私の頭は実はパニック状態だった。何を考えてるのか全く解らない。
「当たり。」
と嫌な笑いを浮かべた。
「さて、本題に移ろう」
私の頭は正常に戻った。
「君は殺人の容疑を全面否認しているね。」
やっとか、と思いつつ、
「ええ」
と短く答えた。
「しかしだね。あの足跡と現場は完全な密室だったことから君が犯人であることは誰がどうみても明らかだよ」
「誰がとおっしゃいましたね。それは日本中誰が見ても同じ答えをするという意味ですか?」
「ああそうだよ。」
戸嶋警視は語りかけるような優しい口調で喋った。
「少なくともこの日本に3人は違う考え方をしている人がいます。」
「誰かね?その3人とは」
戸嶋警視はにこやかな表情だったがちょっと陰りを見せた。私が例の3人の名前・・・矢田、坂本、萌ちゃん・・・の名前を言うと、
「ふうむ。でもね、知り合いだろう?」
「ええ。」
と躊躇してうなづいた。
「こうゆうのはね。第三者・・・つまり他人・・・の意見じゃないとダメなんだよ。解るかね」
「ええ、解ります。」
「そうかそうか。では話を元に戻すけどいいかね」
「ええ。結構です」
と私は少し萎えて答えた。
「次に佐藤朋子殺しだが・・・」
目呉警視が戸嶋警視に耳打ちした。
「失礼。佐藤じゃなくて鈴木だったね」
「ところで、警視、ぼくのワガママ聞いてもらえますか?」
「ん?何だね。」
「捜査状況を教えて下さい」
戸嶋警視は飛び上がらんばかりの驚き様だった。
「そんなもの、聞いてどうするんだね?」
と優しい口調には変わりなかったが少しトゲがあった。私は気にせず、自分で推理して犯人を捕まえるためと言った。戸嶋警視は
「ふーむ。君が数々の難事件を解決している「20世紀のホームズ」だということはそこの西口君から聞いているよ。」
と彼は警部の方を親指で指し示した。警視は更に続けて、
「しかしだね。君は重要参考人なんだよ。」
にこやかな表情が険しくなった。目呉警視はじれったそうに足をぱたぱたやっている。西口警部は相変わらず無表情だ。
「ところで君の生れ故郷はどこかね。」
また別の方向に話がとんだ。
「生れ故郷・・・ですか?えっと・・・東京です。」
「ここへはいつ来たのかね?」
「15年前です。」
警視は軽く幾度もうなづき、
「ずっと東京にいたのかね。」
「いえ、ほんの数年ですがアメリカ・ニューヨークにいた事があります。」
「ほぅ、それはすごいな。。でも、アメリカは幼児虐待として有名だ。君は受けなかったのかね。」
私はにやりと笑い、
「つまり、ぼくは多重人格者かと訊いてる訳ですね。」
警視は少し慌てて、
「そういう事になるかな。」
と微笑んだ。
「残念ながら、ぼくは両親の愛に恵まれました。第一、こんなストレスの受ける状況だったら人格交代していますよ。」
警視は黙りこくってしまった。しばらくして、
「解った。君が犯人だという物的証拠は一切ない。」
「あのナイフは?ぼくの指紋が検出されたんでしょう?」
思わず言った後で私はしまったと後悔した。警視は微笑し、
「そうだった。でも、あれは色々な人の指紋がついてるから決定的とは言えない。」
警視はこれ以上取調べてもムダだと判断したのか、釈放してくれた。帰りがけに
「君が自首してくれさえすれば助かるんだけどねぇ」
と戸嶋警視がため息混じりに言ったので私は微笑し、
「確かに片付きます。表面上だけですがね」
と言って階段を下りた。

FILE13、妙な事

 私が外に出るとひんやり冷たい空気が頬をなでた。外に出るとあの3人が待ち構えていた。
「どこへ行く?どこへでも車をとばしてってやるぜ。」
と矢田は自分の愛車の方を肩の上から親指で差した。
「まぁ、訊かなくともお前の事だから解るけどな。で?何人目だ?」
私は笑顔で彼の顔の真ん前に人差し指をつき出した。後の2人も解っているらしい。
「よ~し。じゃ任せとけ。」
車のライトが前を照らす。
「んで?電話で言ってた容疑者っていうのは誰なんだ?」
「紙あるか?」
「大丈夫。取調室からかっさらってきたから。」
と私がさっき暇だった失敬した、5、6枚の紙を見せた。
「そうか。じゃ、いくぞ。あっ、死亡したやつらの情報もいるか?」
と訊いたので私が聞きたいと言うと、
「そうか、そうか。じゃいくぞ」
「まず・・・・・」
 坂東忠則氏。要点をかい摘むと、これは美術コレクターで会社社長。ゴッホ、モネ、ゴーギャンなどの有名作品のレプリカを買っている。それら美術品を買い始めたのはつい最近。
「あとな・・・・。おもしろいことに美術品を買い始めた時期と例の小説を書き始めた時期が一致するんだ。あと、ノックせずに喜んで社員を入れていたのが美術品の第1個目が届くまではノックしても入れてくれなかったそうだ。」
「ポオって知ってるか?」
と私が静かに言った。唐突な質問に矢田は大いに驚いたらしい。
「ポオ!?お前、今はそんな話どうだっていいだろ?」
と一蹴された。長年の付き合いでも解らない物は解らないらしい。
「そうだよな・・・。」
と私は呟いた。
「で、さっきの話の続き。」
と私が先を促した。
「2番目の被害者、誰だと思う?」
と矢田が訊いたので私は佐藤朋子の名をあげた。
「実は違うんだな。いいか?2番目に殺されたのは、樋口かずは。漢数字の一に葉っぱの葉だ。例の運送業者が社長が間違って2つ注文した絵を引き取りに来た。これが実に妙な話なんだ。」
「妙?」
私と萌ちゃん、そして助手席の坂本の声が見事に重なった。
「ああ。社長は注文していないと言い張ってるのに美術商は注文したと言い張ってるんだ。」
「で、問題の絵の名前はなんですか?」
と萌ちゃん。
「確かピカソのゲルニカだったような」
「抽象画ね。前から抽象画って買ってたの?」
と坂本。
「いいや。抽象画の類は今回が初めてだ。ブラックとかセザンヌには興味がなかった様だし。」
「なあ。一つ訊いていいか?」
と私が訊くと3人が私の顔を見た。
「あっ、やっぱりいいや。」
と私が言うと皆が最後まで言えと言う。
「あっ、そう・・・。なら訊くけど・・・」
「うんうん。」
「ピカソって何だ?あと、ブラック、セザンヌも教えてほしい。」
皆が大爆笑した。
「本当に知らないの?」
と爆笑しながら萌ちゃんが言う。
「久々にこんなに笑ったわ。」
と坂本。私はピカソについての説明を萌ちゃんにしてもらった。
「後で私の家に来たら?美術の教科書をみせてあげるから」
と萌ちゃんが言ったので私がお言葉に甘えた。坂本が、 「私も言っていい?ジージョがどんな珍発言をするか気になるし。」
とくすくす笑いながら言った。
「あっ、俺も聞きたい。」
と矢田。
「で、さっきの話の続き。」
と私が言うと矢田は、
「どこまで話したっけ・・・・。そうだそうだ。んでだな、お前が羽柴正一っていう巡査を名乗って聞き出しただろ?」
「壮一だよ」
と注意したが知ってか知らずしてか無視して話を先に進めた。
 どうやら矢田の話だと樋口は例の運送業者が発見した段ボール箱に詰められて殺された。その女性らしい。
「で、次だけど、佐藤朋子。説明いるか?」
と訊いたがその言葉の裏にはしなくてもいいだろうという風にも聴き取れた。こういうのを昔、中学校時代国語で習った反語と言うのだろう。どうでもいい事なので先に話を進める。
 私は、
「うん。一応。」
と嘲笑されそうだったので恐る恐る言うと、
「そうか。」
と嘲笑せず思ったよりさっぱり言った。どうやら反語は気のせいだった様だ。
 彼女は秘書。死因は圧死。これは私が直接目撃したので間違いない。
「次は、田辺雅彦だ」
 彼は会社の重役。生活、個人的な面は私の推理通りだったが重役と聞いて少し驚いた。
「んでだな次容疑者いくぞ。」
「OK!!」

FILE14、7人の容疑者

 矢田の話だと容疑者(正確に言うと坂東氏、佐藤殺害時刻のアリバイがない人)は次の7人だった。
 まず、新宮真。彼は営業担当で人員整理の対象になっていたらしい。経歴を大まかに説明すると東京の某一流大学をストレートで卒業。いわゆるエリートだ。それでも昇進できなく、あげくの果てにはリストラされそうなのを知り相当恨んでたらしい。私はこの話を聞いた時にはこれだからエリートはと心密かに嘲笑した。
 次は副社長の森晴久。彼は実は副社長とは名ばかりで坂東氏にこき使われていたらしい。それに彼が死ねば自動的に社長の椅子が自分に転がり込んで来ると言う事らしい。
 2番目は小松陽太郎。彼は一年前、会社に強盗が押し入った時の重要参考人として警察にマークされている。そういえば、この間のテレビの未解決事件特集でその事件についてやっていたのを覚えている。もしも、その事を坂東氏が小説に書いたら、彼の人生はメチャクチャになる。
 3番目の繭永輝行。彼は矢田の友人の調べた限りでは特に殺す動機は見つからなかった。しかし、私の飲んだミルクの前で挙動不審な行動を取っていたらしい。  4番目の巳戸健一、5番目の都出孝治、6番目の紋林邦雪、最後の有菱洋一はいずれも殺す動機なし。しかも、今日は九時まで残業を命じられ、長くてもコンビニの弁当買った5分。あの会社から田辺宅まで車を飛ばしても最低30分は掛るので田辺殺害は無理である。
「なあ、矢田。巳戸さん、都出さん、紋林さん、有菱さんの残業は実際にお前が確認してるのか?」
と私が訊くと矢田は首を縦に振った。
「ああ、4人とも夕食をコンビニまで買いに行ったり、会社の電話で遅くなる事を伝えてた見たいだけど、1時間以上席を離れた人はいなかったぞ。」

FILE15、意外な発見

「ふーん。ならその4人は容疑者から外れるわけか。さっき、現場検証した時、時限殺害装置らしきものは見つからなかったし。第一、あの人はいつ家にいるかどうかも解らない人だ。そんな家に時限殺害装置なんて仕掛けられる訳ないよ。」
と私が言うと、納得したと言った表情で何も言わずにうなずいた。
「おっ、着いたぞ」
 第一の殺害現場に着いた。中に入るとむあっとした湿気の多い空気が私たちを包み込む。
 知らず知らずのうちに私はまるで大好きなアニメか何かのスペシャルが始まる前の子供のような気分になっていた。要するワクワクしている。顔が綻ぶのを私自身でも感じられた。
「何か嬉しそうだな。」
と矢田。
 私は中に足を踏み入れた。
 壁には昼間見た時と同じように何枚もの絵が掛っている。
「なあ。矢田。最初に買った絵ってどれだ?」
と私が訊くと、矢田は一枚の絵を指差した。
「ふーん。」
「ぼくの推理が正しければここに・・・」
と私はその絵の裏をめくろうとしたが四隅が止められているため、思うようにいかない。
「私やってみる。」
と言ったのは萌ちゃん。
 彼女が額と壁の間に手を入れると、力一杯引っぱった。額を止めてあった下左右の棒は外れ、見えるようになった。
「何もないじゃないか。」
と期待外れと言う感じで矢田は言った。
「いやいや。壁のペンキが明らかに塗り替えられた跡がある。アメリカじゃ塗り替えられる前、どんなふうになっていたかを見る機械があるらしいけど・・・」
「そういう知識、どこで手に入れるの。」
と驚きと嘲笑のこもった声で言った。その後につけ加えるようにして
「『ピカソって何?』の人が。」 と言った。
 矢田は思い出したように二階も見るかと訊いたので私は迷わず見ると言った。
 二階は埃っぽかった。真っ暗だったので私はペンライトを当てるとぼうっと輪郭だけがようやく浮かび上がるまでになった。
「ここって電灯ないのか?」
私はあまりの暗さに耐えかねて矢田に尋ねた。彼は窓を指差して、
「昼間は直射日光が入ってきて眩しいぐらいだぜ。だからいらないのさ。」
「ふうん。でも最近はあまり使われてないみたいだけど?ここ。」
 しかし、不思議な事にごく最近積まれたと思われる段ボールが積まれている。
「ああそうだ。昔は物置として使われてたみたいだけど今は使われなくなったらしい。」
 私は積まれてある段ボールを指差して
「これ、どう思う。」
とちょっとホームズ口調で訊いた。
「さあ・・・・。俺は置いてないぜ。」
「だとすると誰が置いたのかしら?」
と坂本。その答えはそんな物、俺に訊くなとでも言うような仕草をしただけだった。
「お前が置いたんじゃないのか?」
と私が尋ねると、
「俺が置くか。」
と一蹴され、その表情には明らかに含み笑いが込められていた。
 トリックは大分読めてきた。後はあの伝言ゲームだけ。しかし、これは一向に解らない。
「行き詰まってるようだな。」
と矢田。私は少し驚いたが表情には出さなかった。
「何で?」
と私は尋ねると
「だって、その微笑み方。お前を古くから知ってる俺たちなら誰でも解るさ。」
と多少嘲笑的に行った。私は自分の顔が見えないので 「どんな微笑み方?」
と尋ねると不敵な笑みだと答えた。どうやら私には2回程、何もかも見透かしたようなそんな不敵な笑みを浮かべる事があるらしい。1つは考えが行き詰まった時。そして2つ目は事件の謎が解けた時。
 「あっそうそう、俺が東野さんに訊いといたんだ。次の伝言ゲームを。」 私は心から矢田に感謝した。
「で?なんだって?」
と私は目を輝かさせながら訊いた。
「田中に訊けだって」
「じゃあ、田中さんって人に訊いといてくれない?」
と言うと不平不満をいいながら渋々承諾した。これは矢田が本当に快く受け入れた事を意味する。私は矢田に礼を言うと、矢田の車で自宅まで送ってもらった。
 萌ちゃんの家へ行くのはもう遅い事と私がトリックの種を見つけた事によって止める事になった。私は落胆と安堵という正反対の気持ちで複雑になった。

FILE16、ラジオの報道

 私は服を脱いでトレーナーに着替えるとインスタントコーヒーを入れた。そして矢田の車の中で聞いたある報道について考えていた。
 矢田の車で私以外の3人は楽しく雑談をしていたらしい。「らしい」というのは私という男は一旦確実に答えがある・・・つまり哲学や宗教ではない・・・一つの事について考え始めたり、推理小説を読み始めると誰かに呼ばれるまで気付かないのだ。
 そのため、この時は伝言ゲームについて考えていた為、他事は全く耳にも入らなかったのだ。萌ちゃんはこれを私の「悪い癖」だと言っている。
 「しっ」
突然、坂本が指を口に当てた。この事で私ははっと我に返ったのだ。
「どうしたんだ?」
運転席から矢田が訊いた。 「ラジオのボリュームを上げて。」
声を潜めるようにして坂本。矢田が言われた通りにボリュームを上げると、ラジオのニュースがやっていた。
「え~。今日の4時30分頃、名古屋市立昭和小学校で飼っている鶏の首が何者かにより鎌のような物で切られているのが飼育係の生徒によって発見されました。警察によりますと犯行が行われたのは、2、3日前だということです。」
「これがどうかしたのか?」
と無神経にも矢田が訊くと彼女は興奮して、何やらわめいた。
「まぁ、落ち着けって。」
私がなだめると、微笑んで大人気なかったと謝った。
 私はコーヒーを口に含んだ。そしてまた宙を見て思い出しそうとした。
 矢田は急ブレーキを踏んだ。キキッという嫌な音がなり、私は前につんのめそうになった。
「どうしたの?」
と坂本。運転手はガタガタ震えている。矢田は前を向かないようにして、恐る恐るフロントガラスの向こうを指差している。
 人が倒れている。
「矢田君まさか・・・」
坂本が信じられないといった顔つきで尋ねる。私は窓をバンッと勢いよく開けて外に出た。男だ。
「安心して。矢田。お前は轢いていないよ。」
ニッと微笑んで言った。私は死体を一目見て解った。
「どうも。」
と短く答えたが私を信じていないようだ。
「多分殺されたんだ。しかも、ぼくたちが追いかけている犯人によって。死因は絞殺。あの死後ビルの屋上から落とされて、偶然・・・かどうかは知らないけど・・・ぼくたちの車が通ったんだ。足から落下・・・。」
「どうしてそんな事が言える!?」
と多少怒鳴って答えた。
「ほら。死体の首の所。擦痕があるだろ。事故じゃこんな跡はつかない。あと、死後ビルの屋上から足から落ちたというのは足が折れてるだろ?骨折する程強い衝撃を受けるということは、高い場所から落とされたに違いない。実に簡単な推理さ。ちなみに落下速度の式はy=4.9x2だよ。  ああ、そうそう。次の犯人の獲物は田中さん。」
私は東野さんのジャケットから手帳を取り出し、矢田に渡した。
「多分この中にその人の電話番号が書いてあると思う。」
「っておいおい。こんな大切な証拠品・・・。」
「いいんだよ。どうせ警察に届けてもぼくが疑われるだけだろうし。そんな事くらいならぼくたちで犯人を発いてやろうよ。」
「おいおい。その言い種はまるで俺が協力するみたいじゃないか。」
「当たり前でしょ」
 私は漫才コンビのような2人を尻目に、
「犯人について今の事件で解った事が2、3あるんだ。まず、知ってるようで知らない人物。これは、ぼくが車を運転しないことを知らない、でも、ぼくたちがここの道が人通りが多くて安全だという事を解っている人物。  次にぼくの判断だと死後硬直から死亡推定時刻は少なくとも12時間前と考えられる・・・。死班は動かすと消えちゃうから残ってないけど。」
 萌ちゃんは突然後ろを振り向いた。
「どうかした?」
と私は尋ねると
「気のせいみたい。誰かがこっちを見てたみたいだけど・・・」
と少し笑って答えた。
「ところで誰かカメラ持ってないか?」
 こんな時にカメラ持ってる人なんて多分いないだろうと私は思ったのだが、意外にも萌ちゃんが持っていた。私はそのカメラを貸してもらい辛うじてあった5枚のフィルムで全部死体を撮った。私は彼女に礼を言うと矢田に自宅まで送ってもらうように頼んだ。
 私は2口目を飲むとまた考えに耽った・・・。田中という手持ちの駒が増えた事で私はより一層混乱していた。
 キー配列?いやいや。すずき、たなべの「゛」はキーだと@になってしまう・・・。
 ローマ字?Suzuki、Tanabe、Higashino、Tanaka....。STHT.....?終わりの文字をつなげたら?IEOA。いえおあ?全然意味不明である。
 電話のベルが鳴ってるのに気付いたのはそれからしばらくしてからの事だった。電話の相手は萌ちゃんだった。
「十回以上鳴ってたでしょ?どうして出ないのよ。」
「そうなんだ?ごめん。全然気付かんかった。で、何か用?」
「写真の現像のことなんだけど・・・仕上がりは明日になるって。」
「解った。それだけ?」
「うん。それだけ。おやすみ~~。」
「Good-night!!おやすみ。」
と言って受話器を置いた。
「明日、か・・・」
と私は呟いた。
 そしてまた伝言ゲームの事を考えた。

FILE17、西の名探偵からの電話

 次の日の夕刻。空はもう赤みを帯びてきている。
 矢田からの報告だと次は鵜野和真という人だという事が解った。彼は一日中スケジュールが詰まっている為ブランクを置き、それから鵜野に電話するという。
 しかし私は一刻も争って手掛かりが欲しい為、矢田には内緒で当たってみようと思う。電話するのは明日の昼間。電話番号・職業など個人の情報は推理の役に立つかもしれないのでメモしている。
 私は足をでんと机の上に乗せ、シェリーを一杯あおった後コーヒーを入れてすすっていた。BGMとしてクラシック音楽を流している。そうやって、くつろいでいるところへ丁度萌ちゃんが来た。
「ほら。例の写真」
と彼女はそう言ってバラで昨日の現場の写真を持ってきた。私は足だけきちんと戻して、
「ありがと」
と軽く礼を言った。BGMは未だかかったままである。
 と言っても、あれだけ現場を調べたんだから何も写ってないと私は思った。私は一応見る為、隅っこに置いてあるパソコンの所まで歩いて行った。そしてグレイで固めのキャスナー付きの肘掛け椅子に腰をおろすと、私用で使っているパソコンの電源に手を延ばし、スキャナーで読み取らせた。
「ジージョ。電話よ。で・ん・わ」
と萌ちゃんが言ったので、
「変わりに出て。あっ、仕事依頼だったら営業部に掛けるように言って。」
萌ちゃんはぶつくさ言いながら小走りで電話の方に向かった。
「はい。もしもし。浅香・・・いや有沢ですけど。えっ、律希君!?」
私は作業をいったん中断し、電話に向かって歩いていくと彼女に代わるように頼んだ。すぐに私は大阪弁の少年と話すことができた。
「おお、代わりよった。代わりよった。」
とすぐに浅野らしい明るい声がした。私と浅野はあの事件依頼ずっとチャット、メール、互いに電話で連絡を取りあっていて親密になっている。
「有沢ハン。遂にやってしまいおったんや?」
「えっ、何が?」
「もう、惚けはらんくてもええんやで。籍入れはったんやろ。あの娘と、しかも同棲、入れて間もなく・・・。違いまっか?」
「違~~~~~~~~~~~う!!!!!!」
と私は真っ赤になって抗議した。
「何大きな声出してんの。」
と萌ちゃんは私の声の大きさに驚きと嘲笑を込めた口調で言った。
「な~んや。つまらへんなぁ。」
「当たり前!!!で何か用?」
「なんや。つれへんやっちゃなぁ。せっかく応援にかけつけたろかと思うてたんやけど・・・・」
「応援だって?」
私はおうむ返しに訊いた。
「そうや。応援や。いやぁ、ニュースで知らせ聞いてあんハンなら完全犯罪にするやろうと思うて。」
私は思わず苦笑してしまった。
「ほんでや。」
相手は急にまじめくさった口調で言った。私にとってはそのギャップがおかしく、思わずプッと吹き出しそうになってしまった。
「犯人の目星はついてるんでっか?」
私は何だそんな事かと思いながら、
「ああ」
と短く答えた。
「そうでっか。ならいいんや。ある情報を手に入れたんやけど。」
「情報?」
「そや。あそこん会社なぁ、な~んや裏がありそうやと思うて調べたんやけど。」
「病院。だろ?」
見事に私と浅野の声が重なった。相手はさもつまらなそうな口調で、
「な~んや。知っとったんか。」
と言った。
「ああ。そして人体実験が行われたと言う事もね。」
「な~んや。用はそれだけや。ほな。」
私は別れを告げて電話を切った。

FILE19、写真

 私は再び写真を取り込むという作業にとりかかった。
「えっと、どこまでやったんだったっけ」
と呟きながらグレーのボロい椅子に腰を下ろす。すかさず、女の子が駆け寄ってくる。
「何か解りそう?」
と興味津々な目付きで画面を見ているその女の子が訊く。
「さあ・・・。期待できないんじゃないかな?あの時、ぼくは現場をくまなく捜したから。」
とマウスをいじり、画面を見ながら答える。私は写真を全てスキャナで取り込み終わったので萌ちゃんに写真を礼を言い渡した。
「用はそれだけ。じゃ。私帰るね。何か解ったら電話して。」
「はい、バイバ~イ。」
と私は無作法にも画面を見ながら答えた。プリントするとその「写真」を手にソファーに戻った。クラシックは依然流れたままであるが、無論私の耳には入ってこない。仕事机の引き出しからルーペを取り出すと熱心に目を向けた。私の視線がそこで止まった。
 それはビルを写した写真だった。黒い物が写っている。どうやらそれは人影らしい。私はグレーの椅子に座るとその部分を拡大する。ビューンという機械音と共に黒い物8倍に拡大した「写真」が出てくる。接客用のガラス机から先程置いたルーペを取ってくる。そして私は仕事専用の固めの椅子に座る。とほぼ同時にルーペで丹念にその黒い物を観察。
 観察に観察。そして「写真」をクシャクシャに丸めてゴミ箱目がけて投げた。入ったかどうかは読者諸君のご想像にお任せするとして、要は私はもう黒い影を追う事を断念したのだ。私は大きく伸びをして、
「こんな不鮮明な画像じゃこの黒い物が本当に人影なのかも解るわけない・・・か。」
と大きな声で独り言を言った。
 そうして、またグレーの椅子に座るとパソコンとのにらみ合いを続けた。

FILE20、行き付けの喫茶店「フィガロ」にて

 昨日あれからは結局、何も解らなかった。
 私は軽く身じたくを整えると例の変装をして電車に乗ろうとした。しかし、そう慌ててもまだ相手は起きていないだろうと思って、我が愛用の喫茶店「フィガロ」に立ち寄る事にした。
 「フィガロ」は木の造りで私のお気に入りの喫茶店だ。私の部屋とは対照的にクラシック風な作りだ。気の椅子、気の机、おまけに店内に飾られた数個の風景画。店内の照明はそう大して明るくもなくいつもクラシックを流している。しかし、店内はむしろ窓があるため明るい。コーヒーは豆から挽いて出している。コーヒー好きだがお金があまりない私にとってはありがたい店である。
 木のドアを開けるとカランカランと少し高い音がした。口髭を生やしたマスターが私が入ってくるなり、ニヤニヤ笑いながら、
「おうおう、ついに殺人犯になっちまったか。名探偵。」
と言った。
 腰を下ろしながら私は
「つっこむ元気もありませんよ。」
と追いつめられた犯人がよくするひきつつった笑いをして見せた。
 私はいつものカウンターに腰を下ろし、私はいつもの通り軽い食事を注文した。
「じゃ、いつものように事件解決したら探偵談議を聴かせてくれや。」
とコーヒーを注ぎながらマスターが言う。彼はいつもの様に事件の進行状況を尋ねた
 カランカランと音がした。私は視線をドアの方に向けた。客はつばの広い帽子をかぶっている。女。背は低いとも高いとも言えなく、かなり太っていて、誰が見ても肥満体型である。
 マスターは客にたっぷりの愛想笑いをして挨拶した。そして注文を取り、私のコーヒーと一緒に出した。客は窓際の席に座った。この場にいるのは客、マスターそして私の3人だけ。
「さっきの話の続きだけどよ」
とマスターが言った。
「ん?ああ、あの話ね。」
と口をもぐもぐさせながら言った。
「マスター、紙あります?」
「かみ?あるぞ」
といって自分の頭を指差した。
「あの~、コントやってるんじゃないんですが・・・」
私は苦笑いを浮かべて言った。
「悪い悪い。」
とマスターは厨房脇のメモ用紙と鉛筆を取り出し。私に渡した。
「ありがとう。」
と私はコーヒーを口に含んで言った。そして。殺された人の名前・・・つまり、坂東、樋口、佐藤、田辺、東野の五人・・・の名前を書いた。そして、佐藤、田辺、東野を丸でくくった。そして、簡単な殺された人々の経歴や容疑者について話した。
 全て話すとマスターは、
「ふーむ。英語じゃないのか?」
「英語についてももちろん考えてみました田辺の「田」はrice fieldかfield。「東」はeast。しかし佐藤の「佐」は英語にないんです。」
「レフトがあるんじゃないのか?」 私は紙に「左」という字を書くと丸で囲んだ。
「それはこの字でしょう?」
「人偏がなければ一緒だ。」
と苦笑しながら言った。私は田中という文字を書くとマスターに 「今日この人に会ってくるんです」
「ほう。何で行くんだ?」
とマスターは大して興味がなさそうに訊いた。
「もちろん、手掛かりをつかむためですよ。」
マスターはコーヒーを入れながら、
「違う違う。交通手段を訊いたんだ。」
と言った。私は何だそう言う事かと思いながら。
「交通手段?電車ですよ。」
と言った。
「電車?危なくないか?」
「何でです?」
「だって、仮にも指名手配犯だろ?」
と心配そうに言った。私はこの前、萌ちゃんにしたのと同じく解答をした。
「あっ、コーヒー入れてくれてるんですか。ありがとうございます。」
私はマスターがコーヒーを注ぎ終わるのを見てこう言った。
「何言ってるんだ。これは俺の分。」
「あっ。でももうすぐぼく行きますよ」
マスターがコーヒーを入れると長話になる兆候なので私は慌てて口早に言った。
 最後のサンドイッチを口の中に放り込んだ。そしてコーヒーで押し流すと、私は外に出て駅の方に歩きはじめた。あの女性客に聴かれてたかも知れない。が私が指名手配犯だと言う事は思わないだろう。

FILE21、列車の中

 列車のホームは意外と人は少なかった。私は満員電車はどうしても嫌なのであえて、ラッシュアワーを外したのだ。
 ゆっくり不自然にならないよう歩調を整えながら改札に向かった。そこには案の定、刑事たちが張り込んでいたが、私は簡単ながらも変装をしているため、難なく通り越せた。しかし、その後刑事たちの間でざわめきが起こったので、職務質問されまいと私は歩調を速めた。
 プラットホームまでは歩調を緩めず歩いた。列車が来たので、私はぎりぎりまで待ってからドアが閉まりかけている時に乗った。
 列車の中はラッシュアワーとは行かないまでも混雑していた。私は大きなため息をつくと、刑事たちがいないか視線をあちこちに動かした。男、女。老人、子供・・・。私ははっと驚いて、胸ポケットから矢田から預かった写真を取り出すと、その男と見比べた。
 間違いない!あの男だ。
 彼は椅子に座って窓枠に頬杖をつき景色を眺めている。私は彼に近寄った。彼の前に立ち呼んでみる。が返事はない。繰り返し繰り返し呼んでみた。が返事は依然としてない。
 彼から赤い液体がポタポタ流れている。赤い服を着ているため、最初はあまり気付かなかったが、彼が死んでいるのが脈を取ってみて解った。なるほどこれは返事できないと思った。
 心臓にナイフが刺さっている。職業柄、死体を見ても私は冷静さを失わずに落ち着いて、「彼」の手に触れてみた。死後1時間未満と言ったところだろう。 「まぁ、こんなところでオーソドックスな殺人をやらない方が珍しいな。」
と私は独り言を言いながら死体の状況を手早く調べた。
 頸を見た。針で刺したような穴が動脈付近にあった。 「ということは、ナイフがダミーで針が本当の死因に違いないな・・・。」
と独り言。
 毒針で首を刺すのと、心臓にナイフを突き立てるのではどちらがリスクが少ないかということを考えたら簡単に推理できる、おそらくナイフは私を陥れるためのダミー工作と考えた方が自然だ。この時、犯人は私を徹底的に犯人に仕立て上げたいみたいだなと思い、一人私は苦笑した。
 私は次の伝言ゲームは誰かということを調べるのを忘れたことに気付き、
「いけない、いけない。肝心な物を忘れちゃうところだったよ。」
とブツブツ呟いた。  私は彼のポケットから手帳を探りだすと自分の服のポケットに押し込んだ。それを見ていた乗客が悲鳴を上げた。それを聞きつけて部下に指示する目呉警視の声。
「おい。今の悲鳴。」
と口々に言う乗客たち。パニックに陥る乗客たちとそれを鎮める車掌や刑事。指示を聞いて、どやどやと刑事がこっちの方に来る足音。
 この危機をどう乗り切るか。私は頭をフル回転させた。下を眺めた。幸運にも川が広がっている。しめた!だがもし失敗すれば命はない。迷っている暇はない!手すりに足を掛けた。私は窓を目一杯開けて身を放り出した・・・。

FILE20、アパート

 痛い。とにかく痛い。まるで・・・しかし言葉に表そうとすると消えてしまう。
 ところで、どれくらい程経っただろう。川に落ちて、土手まで泳いでいったのは覚えてる。しかし、そこからの記憶が全くない。
 とにかく身体中が痛い。一応、ガーゼを貼る等して手当てはしてある。が青痣や、擦り傷が身体中にできている。しかし、生きているのだから私はしぶといと思った。
 うっすらと目を開けた。私はどこかの部屋にいる。意外に狭い。6畳といった所だろう。人が私の顔を覗き込んでいる。女の顔だ。
「気付いた?よかった。」
とその女性が私に声をかける。坂本だ。私は辺りを見回した。
 ステンレスのキッチンにアルミの安物鍋が1つしかないガス台の上にちょこんとおいてある。またアルミサッシの窓は電車の窓よりも小さく、左右に開閉するようになっている。
 私は監禁するのに持って来いの場所だと不謹慎なことを考えていた。
「ここは?」
と頭痛のため頭に手を抑えながらゆっくりと尋ねると、彼女は平然とした口調で
「私のアパート。」
と言った。私は意識がまだもうろうとしているため、
「ああ、そう。」
と聞き流すように言った。しかし次の瞬間、私はあることに気付いた。6畳という狭い部屋に20才(はたち)の男女が一緒にいるのだ。
 私は一人苦笑した。なぜなら、萌ちゃんのことと言い、今回のことと言い私はどうも男として見られてないんじゃないかと思ったのだ。私の苦笑を見て坂本は、
「心配しないで。浅香君の妹さんには内緒にしててあげるから。」
とつけ加えたので私はまた苦笑した。
 「でも、何であんな所に倒れてたの?」
と訊いたので、私はゆっくり身を起こしながらことを端的に説明した。話を聞き終わると、
「タフねぇ~~~」
と彼女は感心と嘲笑が混ざった口調で言った。
「あっ、そうそう。これが手帳だよ」
と私は無視してポケットを手で探りながら言った。手帳は少し濡れていたが、幸いにも読めないことはない。私は手帳を破らないように慎重に注意しながら、ページを繰った。
 しかし、残念ながらそれらしい名前は見つからなかった。
 「坂本、携帯なってるよ」
と私は着信音に気付いて言った。
「どうせ矢田君からでしょ。」
と決めつけたような口調で言い、面倒そうに応対した。電話の相手は彼女の思った通りだったらしい。
 話し終えると私は
「何だって?」
と尋ねた。
「『今から連れ戻す。男と女が一緒に狭い部屋に居たら、いくらジージョでもヤバいからな』だってさ。」
 私はふーんと聞きながしたが、内心ほっとした。浅香萌に誤解されてはたまらない。
 そして、更に彼女は続けた。どうやら私にだけの話があるらしい。表面上は無関心を装ったが、心の中ではその話とは何だろうかと期待しながら矢田が来るのを待った。

FILE21、招かざる客

 しばらくして、どんどんと数人の人が扉を叩いた。扉と言っても白いベニヤ板にドアノブをくっつけただけのごくシンプルな物である。
「はーい」
と出ようとする坂本を私は手で制止した。
「何?」
と声を潜めて彼女。
「多分刑事だ。」
私も声を潜める。
「でも何でここを知ったのかしら?」
私はまだ少し痛む頭を使って、
「うーん。」
と唸るように言った。
「あっ、もしかして。」
私はあることを思い、携帯を取り出すと、ドライバーあるかと坂本に訊いた。
「ドライバー・・・・。ないわ。ごめん。でもそれがどうかしたの?」
「ないか・・・いや、いいんだ。家に帰って発信機と盗聴器を中からとるだけだから。」
彼女は、
「発信機!?盗聴器!?」
と叫んだので、私は慌てて唇に指を当てた。すると彼女は口を両手で抑えて
「あっ、ごめん。」
と謝った。
「でもいつ?どこで?」
「多分、戸嶋警視だ。というと正確じゃないが。」
「どういうこと?正確じゃないって。って話してる時間はないわね。とにかくどこか隠れる所。」
「むださ。」
と私はゆっくりと落ち着き払った口調で言った。
「あんな大勢来ているんだ。多分、令状(捜査令状のこと)も取ってあるんだろう。」
「そ、そんな・・・・。」
愕然と哀れみを込めた口調だ。
「ふぅ・・・。ちょっと窓の下を見てくれないか?」
「窓の下?」
と言いながら小走りに坂本は窓の下を見に行った。様子を訊くとパトカーや警察が貼り込んでいると言う。
「どこか隠れられそうな場所は・・・・」
 ノックが一段と強くなる。袋のねずみ。捜査の指揮をとっているであろう警視はこことぞとばかりにほくそ笑んでいるに違いないと私は思った。
「くそっ、どうすればいいんだよ!」
私はアパートの床をゲンコツでどんどん叩いた。
 ちょうどその時だ!ブーッとクラクションがなったのは。窓から見ると白い矢田の車が止まっている。彼は手を上げて空中で前後に振り、「飛び降りろ」と私に合図を送った。
 このまま何もしないで捕まるより、飛び降りた方がマシだ。それに真実を追い求める私の性分としてはこのまま誤認逮捕されてはかなわない。
 私は高いアルミサッシの窓に登った。そして、目を瞑り(つぶり)、矢田に命を託した・・・。ふんわりと空を舞う心地になった。
 ドシンという音はしなかった。痛みもない。ナイスキャッチ。
 矢田は私を車の後部座席にまるで物のように乱雑に放り込むと車を走らせた。私は彼の急発進によりシートから落ちて頭を打ってしまった。
「何だよ。痛てーな。」
と私はぼやくと、
「仕方ね~だろ。すぐに追いつかれちまうんだから。こうでもしねーと。それよりジージョ。」
「何?」
と私はじんじんする頭を抑えながら返事した。アクセルを踏みながら、矢田は一言。
「舌噛むなよ」
この言葉を言う前に車のスピードを上げたものだから、乗ってるこちらとしてはたまったものではない。
 私の体は宙に浮いたかと思うと、私はボールの様に後部座席を転がされた。メーターを見ると60キロは軽く越している。私は川の件と同じ位・・・いや下手するともっと・・・多くの場所を打った。
「さすがに警察も追いついてこれねーみてーだな」
と角を曲がった矢田が息を荒くして言った。

FILE22、「私で終わりだよ。」

 「んで?何だよ。大事な話って。」
と私が尋ねると、真顔で
「ああ、例の伝言ゲームの件だけど・・・」
「ちょっと待って」
私が制止すると彼は
「ああ紙か。」
と言ったので、
「違う違う。盗聴されてるみたいだからさ。」
と手を前で振った。矢田は当然驚き一色の顔になり
「と、盗聴?」
と訊き返した。
「ああ。」
私は携帯を取り出し、
「この中にね。」
と鋭い口調で言った。私は、
「おーい。戸嶋警視。必ずぼくが真犯人をつきとめますよ。」
と挑戦的な口調で言ってやった。そして、携帯をトランクにあったブリキの箱に入れると、
「んで。何だ?」
と尋ねた。彼は自分の顎をさすりながら、
「例の伝言ゲームのことなんだけど・・・」
と眉間にシワを寄せて言った。
「ふんふん」
私の興味津々と言った口調が自分の耳に聞こえる。
「実に奇妙なことになって来たぞ。」
「奇妙なこと?」
と私は訊き返しながら早く言えと私は思った。
「江藤に訊いたんだ。例の伝言ゲームについてのこと。『何か知らないか』って」
「ふんふん」
「そしたら、あいつは『ああ、もちろん知ってるよ。社長に『何か妙なこと訊かれたら私で終わりだよ』と言えって』」
「終わり?だって。」
「そうなんだ。実に妙な話だろ?」
と矢田は私に同意を求める様な口調で言った。
「うーん。問題は誰が誰につながってるかじゃなくて順番だと思うんだ。」
「順番?」
相手は解ったような解らないような表情をした。
「うん。つまり『終わりだよ』って江藤さんが言ったということは順番が最後だというふうには考えられないかな?」
と説明すると、
「うーん。」
と唸り声を上げた。
 「ところで」
と矢田はハンドルを握ったまま話題を変えた。これ以上考えたくないと言う口調。
「樋口が・・・」
私はその名前を聞いた途端、目の色が変わった。
「どうかしたの!!?彼女が!!?」
と運転席のシートと助手席のシートの間から身を乗り出して言った。
「あ、ああ、ああ。樋口がお前のこと気にしとったぞ。といっても優太の妹とはまた別の気に仕方だったけどな」
と彼は私の勢いに圧倒されたのか、たじろく様に答えた。
「その話、詳しく聞かせてくれ。」
「何だって?まぁ、いいか。」
矢田は私の言ってることが解らないと言った口調で言った。
「お前にはお前の考え・・・いやこの場合推理と言った方が正しいかもしれないな・・・そういうものがあるんだろう。」

FILE23、樋口の尋問

 私は自分の事務所に戻るとコーヒーで一服しながら、矢田からの非常に興味深い話を思い起こした。

「あれはお前の来る3日位前の話だ。
 俺はあいつとたまたま社内で会って、あいつはお前のことを訊いた。しつこいと思う程にな。
 あいつは・・・まぁ、お前程ではないが・・・社内でも有名な探偵好きだったもんだから仕方ないと思って答えた。もちろん面倒だったぜ。面倒だったけど断ったら気の毒って言うかそんな感じがして。
『ねぇ、その人・・・お前のことな・・・の行くお店とか知ってたら教えて』
と訊いたから俺はお前のご愛用の喫茶店『フィガロ』を教えた。
『でも、何すんだ。そんなあいつのこと調べて』
と俺は逆に訊いた。その回答には思わず吹き出しちまったよ。
『今度やる推理大会・・・伝言ゲームのことな。例の・・・あるじゃない?」 『うん。やるよな。』
俺は相槌を打った。
『その大会でその人と戦うの。』
俺は笑いに笑った。勝てるはずがないだろう?ベテラン警部からも一目も二目も置かれてるお前に。
『そんなに笑うことないんじゃない!?』
とあいつはマジに怒ったからとりあえず謝った。そして、
『いやぁ、悪い。でもあいつに勝てるはずないよ。』
『どうして?』
『だって、いくつもの難事件を解決してるんだぜ?プラス、あいつは解らなければ解らない程面白くなるというやつなんだぜ?』
『あら?あなたにもそういう経験ない?』
とあいつは言うもんだから
『う~~~ん。あるようなないような・・・』
と曖昧に返事した。ほとんど尋問だったぜ。
 でも、あいつが死んじまうなんて夢にも思わなかったぜ。優太の時もそうだったけどよ。」
 この時、私はニヤリと意味深長に笑った。
 読者諸君は何で私がこの時、意味深長に笑ったか気になるだろうと思う。しかし、解決編を読むと私がなぜこんな笑いをしたか解ると思う。

 そして私はまたコーヒーをすすった。

FILE24、誤解

 机の引き出しからドライバーを取り出すと、戸嶋警視の部下が仕掛けた盗聴器、発信機を取り出すことにした。
 まったく、あの警視は柔和な顔で考える事は悪魔並だと思いながら作業を進めると不意にチャイムがなった。座りながら(もちろん作業をしながら)、
「はーい」
と返事をすると、
「私。萌よ。」
と言う声と同時に裏口のドアが開いた。
「何してんの?」
と萌ちゃんが私の肩の後ろから見つめる。私は作業をしたまま簡単に経緯を答えた。その説明を聞いた彼女は思った通り、
「盗聴器!?」
と2人と同じ反応を示した。
「ああ。そうだよ。だから分解して取ってるんじゃないか」
「よくそんな、冷静でいられるね・・・」
「だって、過ぎた事をぐだぐだ言っても仕方ないだろ?」
「それはそうだけど・・・」
私は盗聴器と発信機を発見すると親指と人差し指で潰した。グシャリと音がしてバラバラと白い粉よりも少し大きい粒がガラスの机に落ちた。私はこの瞬間少し快感を覚えた。
「んで、何か用?」
とまさか坂本の部屋に居た事ではないだろうと思いながら恐る恐る私は訊くと、
「一緒の部屋にいたんだってね。坂本さんと。で、どこまで行った?」
と笑顔で訊いた。しかしその笑顔にはどこか悲しげな表情があった。
 何で知っているんだ。どこから聞きつけたんだ。まあ、別にやましい事はないし(二十歳の男女が一緒の部屋にいる事自体、充分やましいが)と思いながら、私は全ての経緯を事細かに説明した。
「そう。何もなかったんだ・・・。」
と浅香萌と疑ってるような声で言った。きつくて重たい沈黙の空気が漂った。
「何もない訳ないじゃない!!」
狂った様に彼女は叫んだ。その後に
「何もない訳ないじゃない・・・・。」
と呟いた。
「本当だって!!」
「じゃあ証拠を見せてよ」
落ち着いて淡々としている。
「証拠ったって。」
私は口ごもりながら言う。
「まあ、ジージョが誰と付き合おうと関係ないし・・・。」
顔は笑顔だが口調は今にも泣きそうである。どうするか?
 その時、私の部屋の電話が音を立てた。私は複雑な心境だった。
「ごめん。ちょっと」
と小走りに電話の方に駆け寄って応対した。
「おう。俺だ。」
「何?今取り込み中なんだ。」
「そうだろうと思った。」
「え?」
「いやあ、悪い。実はあの娘に喋ったの俺なんだ。」
私は矢田を呪った。こんなややこしい事態にしやがって!私は恨みたっぷりの声で
「や~~~だ~~~。」
と言った。
「そんな怖い声出さんといてくれ。まるで俺が悪いことしたみたいだろ。」
「現にしてるだろ!!」
私は怒りを通り越してもはや呆れている。
「おう。でさ。あの娘に代わってくれよ。」
「まぁ、別にいいけど」
と言って手招きした。彼女は不機嫌な声で
「何?」
と言った。私は用件を手短に言い、受話器を渡した。
「はい。もしもし」
とやはり不機嫌な声。
「はい・・・・・。そんな訳ないじゃありませんか?だって一応男ですよ?」 私は「一応」に心の中で苦笑した。
「そんなこと言われても信じろと言う方が無理ですよ。・・・それはそうですけど・・・。」
彼女は顔を赤らめて小声になった。まさか矢田の奴、変なこと吹き込んでるんじゃと心配になった。
「それ・・・本当?・・・・・・・・うん、うん。」
と私は浅香萌に明るい声で呼ばれた。私が駆け寄ると機嫌よく受話器を渡した。
「はい。ジージョ♪まだ話したいことがあるって。」
「どうだった?見事に機嫌直っただろ。」
「それはそうだけど・・・。まさか変なこと吹き込んだんじゃないんだろうな?」
私は囁くように言った。
「心配すんな♪」
と言って別れを告げ、電話を切ってしまった。それにしても、あいつは何を言ったんだろうと不思議に思いながらソファーとガラスの机の方に向かって歩いて行った。
 「ねえ。ジージョ。私考えたんだけど・・・」
「何?」
何を言い出すのかと思って恐る恐る答えた。
「東野さんって『ひがしの』じゃなくて『あずまの』って読むんじゃないかな?」
「あずまの?」 相方は推理小説のぎっしり並んでいる本棚から漢和辞典を引っ張り出すと、「東」の項を開いて私に見せてくれた。
 私の頭の中の点が一本につながった。
「ふっ。なるほどね。」


FILE25、浅香萌との会話

 「本当に!?」
と萌ちゃんが私の一言に驚いて叫んだ。
「ねぇ、犯人は?誰!?」
と訊いたので、私はちょっとイジワルしてやろうと思った。そこで、いたずらっぽい笑みを浮かべて、
「まぁまぁ、明日やるから。」
と言った。すると予想通り、彼女は風船の様に頬をぶーっと膨らまして、
「明日って私学校じゃない。」
と不服そうに言った。
「まぁまぁ、今度来た時に全部話してあげるからさぁ。そんなに腐るなって。」
と私は心の中で少しやりすぎたかなと苦笑し、なだめるように言った。
「それなら別にいいけど。」
と彼女は渋々納得した様子で言った。
 「ところで」
私はさっきの矢田の会話のことを訊いた。
「ああ。あれね~~~」
と目に含み笑いを浮かべて言った。さっさの報復を受けたような気分だ。何か企んでいる。彼女は。
「どうしよ~かな~~」
私はこの彼女の態度のじれったさに苦笑した。私が早く言うよう急かすと、
「じゃあ・・・。」
早く言えと思った。
「やっぱりや~めた♪」
さんざんもったいつけておいて、それはないだろう。
「教えてほしい?」
と彼女は目にまた含み笑いを浮かべて言った。私は何度もうなづいた。
「じゃあ、教えちゃう♪」
と微かに頬を赤らめて言った。
「あのね。私がお兄ちゃん殺されて首吊り自殺未遂事件を起こした時に必死で木から下ろしてくれて・・・」
私は安心したような余計な事をしてくれたような複雑な気持ちになった。私が彼女の事を「妹」でも単なる友達としても見ていない事を知らせた訳ではない様だ。それはありがたかったが・・・・・。
「何だ。そのことか・・・」
私はほっと安堵のため息をついた。
「何だと思ってた?」
「いや・・・その・・・、」
私は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして言った。まさか自分が彼女の事を恋愛対象として見ている事だなんてとても言えない。
「何赤くなってんの?」
不思議そうに私の顔を見つめている彼女。人の気も知らないで。(解ったら余計に赤くなるって!)
 彼女は意味深長な笑いを浮かべた後、
「じゃあ、もう私帰るね♪」
と言って帰って行った。
 どっと疲れた。私はソファーの上にごろんと横になって、いつの間にか眠ってしまった。

FILE26、秘策

 私はその日の8時位に目覚めた。目覚めが悪い。ソファーから寝返りを打った時に落ちたのだ。実に格好悪い。寝ぼけ眼でガラスの机にある携帯を私は落ちている状態から手探りで取った。そして矢田に電話した。
「はい。もしもし。」
「ああ。矢田か。謎が解けたよ。そして例の伝言ゲームの行き着く先もね。」
「何?それは本当か?」
矢田が驚いた様子で叫んだ。
「ああ。何もかもね。それより矢田。ぼくの頼みごと聞いてくれる?」
「何だ?」
「明日9時に迎えに来て。」
「いいけど。」
「あっ、じゃ頼んだ。」
「行き先は俺の会社だよな。」
「ピ~ンポ~ン♪じゃ、頼んだ。あっ、それともう1つ・・・」
「えっ!そんな事するのか?」
私はにやりと笑って、
「うん♪お願い♪」
と言った。
「でも、そんなことしたら危険じゃ・・・」
不安そうに矢田が聞く。
「いいから、いいから♪」
「いいからってお前なぁ。解った。お前を信じよう。明日9時な。じゃ。」
そう言って互いに別れを告げると電話を切った。疲れていたので、また眠った・・・・・。

FILE27、危険な賭

 寝返りを打った時にソファーから落ちると言う無様な起き方をした翌日、矢田は頼んだ通り9時に迎えに来てくれた。
「んで、大丈夫なんだろうな。」
車の中で矢田が訊いた。私は無言のままにっと笑って親指を上に突き立てた。
「そうか?でも危険すぎるぞ。工事現場に呼び出すなんて・・・」
「『マザリンの宝石』みたいにロウ人形があれば最適なんだけどね。」
私は微笑して言った。
「さぁ、着いたぞ」
 車外から降りた私たち2人はまず工事現場に向かって影に隠れた。そして彼が来るのを待った。
 彼が待っている工事現場の近くには1台のトラックが止まっている。トラックには山のように赤茶けた鉄材が積まれている。彼を殺すには鉄材の紐を切ればいい。そしたら彼は圧死。証拠も残らず、事故として片付けられるだろう。もっともこの状況だと私たちが一番怪しいが。
 私は息を殺し犯人が来るのを待った。奴はこのチャンスを逃すはずがあるだろうか。そのため、私は少し危険な賭過ぎたかもしれないと一瞬後悔した。私と矢田のいるこの場所はトラックも彼も見渡せる絶好の張り込み場所だ。
 じっと獅子(ライオン)が獲物を見つめるような目付きで彼を見つめていた。矢田が、
「こねーんじゃねーの?」
と冷ややかに言ったので、
「しっ!」
と子供を叱り付けるように言った。矢田は私のあまりの真剣さに驚いたらしく、びくっとした。
 10分・・・20分が経った。
 私はそれを見逃さなかった!トラックに近寄る怪しい人影を。私たちはダッシュでトラックの方に行った。
「はぁはぁはぁはぁ。」
と私は途中でのびてしまった、矢田が犯人を取り押さえてくれた。
 取り押さえた犯人を見て、その場にいた私以外の皆が驚きを隠せなかった様だ。
「こ、こいつは・・・・・」
と矢田。
「ああ、そうだよ。」
と息を切らせながら私。
「まさか、死んだ人間が人を殺すなんて絶対に考えられないからね。」
私はその辺を歩き呼吸(いき)を整えると微笑した。
「矢田。もういいよ。」
と私は微笑しながら手を離すように言った。矢田は手を離すと彼女は手でぱんぱんと土を払った。
「で、でも。死んだのを確認してるんだぜ。運送業者が。」
矢田はまだ信じられないという口調だ。
「まさか、運送業者が嘘を言っていた訳じゃあるまいし・・・。」
「そう、嘘はついていない。」
私は微笑を絶やさず言った。江藤は状況すら飲み込めずただ呆然と立ち尽くしているので、
「すみませんねぇ。あなたを囮に使わしてもらったんですよ。」
「囮だって?」
少し眉が動いた。
「そう。まずこの殺人に持って来いの場所にこいつに呼び出させる。そして犯人が来るのをじっと待つ。」
彼は今にも掴みかかりそうな勢いで、
「矢田!それはどういう意味だ!」
と言った。私は、 「まあまあ。」
となだめた。そして彼女の方に向き直り、
「さあ、始めましょうか?あなたのやったマジックの種明かしをね!」 と微笑を絶やさず鋭い声で言った。

FILE28、種明かし

 「まず、あなたは古美術商に・・・たぶん坂東さんの注文とでも言ってね・・・ピカソのゲルニカという絵を注文した。そして例の二階の空き部屋に縦に立てかけておいてくれとでも言ったんだろう。
 これでマジックの種は完成だ。次にコーヒーの量を2.3杯多くしてにクリームに睡眠薬を入れる。あとはぼくが睡眠薬入りクリームを飲んで、眠ってる間に坂東さんを殺せばいいって訳だ。もちろん隠れるのは雨が降る前だよ。」
「で、でも、帰りはどうすんだよ?雨が降ってて足跡が・・・。それにコーヒーは佐藤が運んできたんだぜ?」
「矢田。運送業者を覚えてるか?あれも実は種だったんだ。コーヒーについてはキッチンでコーヒーを入れて、彼女が持ち場を離れた隙にさっき言った事を済ませればいいことだよ。
 話し本に戻すけど確かに今、矢田の言った通り、そのまま出れば足跡がつく。ところで矢田。一人の男が包丁を持って立ちすくんでいる。この場合、最も疑いがかかるのは?」
「その男」
と矢田が躊躇なしに答えた。
「はい。江藤さんは?」
「その男だろ?」
彼も即答した。
「はい。では、ぼくを張り込みしているそこの刑事さん。あなたは?」
私は微笑しながら言った。2人の刑事が出てきて、
「その男。」
と仏頂面で言った。
「はい。隣の刑事さんは?」
と尋ねたところ、やはり同じ答えが返ってきた。
「はい。これで解りましたね。つまり、ぼくをスケープゴート(罪の着せられ役)にすることによって2階には手が及ばない様にしたんです。うまいこと考えたもんですね。」
となおも微笑を絶やさなかった。
「ところで、脱出トリックを話す前にS小学校で惨殺事件があったのご存じですよね。実はその惨殺事件が脱出トリックと深い関わりを持っているんです。
 それでは、脱出トリックを話す事にします。
 まず、段ボールの中に隠れていたあなたは刑事がひきあげた後に運送業者に・・・これも社長の命令だとでも言って・・・自分の入っている段ボールを運ばせたんでしょう。
 あとは小学校で惨殺した死骸で底に血を付けていれば大丈夫ですね。運送業者が驚いて、警察に電話を掛けている隙に段ボールから逃げ出せばいい訳です。」
「し、しかし、ぐっさり貫通しているという話しだったんだ。君の話だと運送業者は嘘をついていないという話じゃないか?」
と刑事が口を挟む。
「ええ。全く。運送業者は嘘なんてついてませんよ。」
「じゃあ、生きてる訳ないじゃないか?」
「いや、現にこうして生きているじゃありませんか。正確には貫通してる様に見えたと言った方がいいでしょうね。」
「見えた?」
矢田が狐につままれたような顔つきで訊く。
「つまり、こういうことだよ。」
と私は一本の剣を取り出し(もちろんある細工がしてあるのだが)、私の腹に突き立てた。
 一同は息を飲んだ。私はもちろん何ともない。
「これは手品や舞台などで使われるものです。触ってみて下さい。」
と微笑したまま、剣を抜き刑事に渡した。
「なんだ?こりゃ。折れ曲がるぞ。」
「そう、そしてぼくの服の中には、細いチューブみたいなものが仕掛けてあります。」
「こうして、犯人は殺害された様にみせかけたのです。これでも言いたい事あるかい?なあ。樋口一葉!」

FILE29、伝言ゲームの行き着く先

 「でも、例の伝言ゲームはどうなるんだよ?」
矢田が不意に口を挟んだ。
「ああ。あれね。まず鈴木、田辺、東野(あずまの)、田中、鵜野、そして今ここにいる江藤をローマ字にしてくれ。」
「ほい、したぞ。」 「Suzuki.Tanabe.Azumano.Tanaka.Uno.Eto(u)になったよな。」
ここで私はにやっと笑って、
「その5人の頭文字をつなげると?」
と言った。
「頭文字・・・
Suzuki
Tanabe
Azumano
Tanaka
Uno
Eto
あっSTATUE(像)!」
「そう・・・。そしてこの会社にある唯一の像は?」
「玄関のミロのヴィーナス!」
と矢田、江藤は互いに顔を見合わせて叫んだ。
「そう・・・・。さあ行きましょうか。そこへ!」
と私は言った。  矢田と江藤は掛け出した。人の話なんて聞いていない。私も後から追いかける。刑事は樋口を取り押さえている。
 数分後息を切らせ、私たち3人は像の前に立っていた。
「こいつか・・・・」
とわくわくしたような口調で矢田が言った。そして、ハンマーで壊すと予想通りフロッピーが出てきた。
 ふと後ろから聞き覚えのある声がした。
 「その内容はワイが説明するで。」
 ポケットに手を突っ込んで、キャップを深くかぶった浅野律希が立っていた。更に言うな彼は壁に寄りかかっている。
 彼は私にこうキャップを取って挨拶した。
「久しぶりやな。有沢ハン。感謝してもらうで。」
「あ、ああ。でも今日休み?」
と私が訊くとどうでもいいと言うような口調で
「ちゃいまんがな。サボってきたんや。こっちの方が楽しそうやしな。こういう勉強も大切やろ?」
と言った。私は苦笑した。
 矢田が肘で突いて、
「誰だ?」
と囁くように尋ねたので私は説明してやった。間もなく勝手に喋り始めた。おいおいと咎めようと思ったがこいつに何を言っても馬の耳に念仏なので諦めた。

FILE30、西の名探偵の語る真実

 「ここん建物は元々病院だったんや・・・・・。」
と顎で建物をしゃくり上げるように律希は言った。
「病院?」
私以外の皆が驚きの表情になった。
「ああ。ところで皆ハン、黒猫っちゅうポオの小説を知ってはりまっか?」
 私は、やはりこう来るだろうと思っていた。あの事実を示すにはポオの『黒猫』を例示するのが最も手っ取り早い。私が律希の立場でもやはりこうしただろう・・・・・・。そんなことを考えながら彼の説明を聞いていた。
 皆は無言のまま律希の説明に聞きいっていた。
「『黒猫』っちゅう小説はポオが1843年に発表した小説や。地震で壁から骨が出てくる話やで。小説の世界やからまだ笑っていられるんやけど、実際の世界に起きたらどないします?」
「実際の世界に?」
江藤がそんな事ある訳ないだろうと決めつけたような口調で言う。だが律希はそんな口調をさらっと流して、
「ああ、そうや。皆ハン、ちょっと着いてきてくれまっか?」
と言って歩き出した。
 私もつられて歩き出す。私は彼がどこに行こうとしているのかすぐに解った。歩いている時、脇から矢田が肘で突いた。
「ん?」
「知ってるんだろ?」
「何を。」
「奴が今言いたい事を。」
「ああそのこと。」
私はいたずらっぽく微笑んで、
「その内解るよ」
と言った。律希がはたと足を止めた。着いたのだ。
「ここやで。色々な絵がありまんなぁ。」
と半ば独り言のように言うと、私の方へ近付いて
「どれや?」
と訊いた。私は一番最初に買った絵を指差した。彼はまた元の位置に戻って、
「これやな?何や、えろうすんなりいきはりはったなぁ。他ん絵はびくともせぇへんのに。」
と横の絵をちょっと引いた後、疑わしそうな目付きで私の指した絵を見た。私は矢田と顔を見合わせて苦笑し合った。
「まぁ、ええわ。ペンキぃ塗った後があるやろ。これは他の何かが隠れてるっちゅう証拠や。」
 そしておもむろにジャックナイフを取り出すと壁に突き立てた。ノコの様にナイフを上下させている。カビくさい臭いが鼻を突いた。白いカスがぽろぽろと床に落ちている。中程まで来ると白骨化した死体が出てきた。
「よく見てや!」
と頭蓋骨の目の窪みを持って引っ張った。たちまちしーんという静けさに包まれた。全身白骨化した遺体がずるずると引きずり出されたのだ。そして、律希が沈んだ声で喋り始めた。
「この部屋は昔、新薬開発の実験室だったんや。病院の中に薬の開発場があったんや。戦後間もなくここは禁断の実験を行ってしもうたんや。」
「禁断の実験?」
と矢田が恐る恐る訊いた。私は、
「人体実験さ・・。」
と呟いた。
「人体実験?」
「ああ、そうや。禁断の実験の内容と言うのはこうや。1946年6月15日、5人の学生が日給2万という当時にしちゃ、大振りすぎるバイト料で新聞広告を出したんや。そのバイトといいまんのは、ここで行われはった新薬の人体実験だったんや。しかし、その5人の学生は皆死亡。あせった役員たちは壁に死体を埋める事にしたんや。
 でもマウス実験では何ともなかったらしいで。でもマウスと人はちゃいまんからなぁ・・・」
語尾を瞑想の中にいるような口調で独り言の様に言った。
「うーん。ここでそんなイワクがあったなんて・・・」
ここで働いていた2人にとっては信じ難い事実だったかも知れない。
「で?持ってるんだろ?資料を。」
私は律希にこの人体実験に関わる資料を見せるようにせがんだ。彼は私の要望に答えて見せてくれた・・。
 律希の渡した明らかにプリントアウトしたと解るA4の紙には次のような事が書かれていた。


 1946年6月15日、S製薬はこんな記事を新聞に出した。
「体の丈夫な人、求む!!日給2万円。S製薬(7/1~7/6)」
 ここでS製薬について簡単に説明しておこう。S製薬はかの大病院、Sの敷地内にあり、製薬会社と言うより薬品研究所に近い。S製薬はS病院が直営していて裏では試作品(勿論、動物実験の段階で何の異常も見られなかった薬)をもう助かる見込みのない患者に投与していた。言うまでもなく、遺族には病死と告げられてきたので表向きは大病院直属の製薬会社だった。
 では、何でS製薬はこんな記事を出したのだろうか?理由は言うまでもない。健康な体(マウス)が欲しかったからだ。この実験で開発されたのは麻酔だ。手術用の麻酔を開発してほしいというものだった。
 この破格のバイト代に目が眩み、飛びついてきたのは5人の大学生だった。
 ところが、一週間後5人とも死ぬ事になる。
 S製薬は焦った。5人とも5日目の朝に目を開けなくなってしまったのだ。4日目の晩までは和気藹々と喋っていたのに・・・・。
 この話の更に猟奇的な所はある一人の外科の医師が5人の遺体を首、手、足、胴体に切り離し他の人と接合したという点である。役員たちはすぐ、その解剖を取り止めさせたため、一人だけ切り離されずに済んだ人がいる。役員はその死体を壁に埋めた。
 43年たった今では建設会社となっている。埋められた人はまだ発見されていない。
 睡眠薬を飲んだ妊婦が手足に障害を持つ子が生まれてきた「サマドマイド事件」、そして最も有名なのが緑十字の非加熱製剤でHIV(エイズ)にかかってしまった事件など数多くあれど最も興味深いのがこのS製薬の実験だと思う。

 私は声に出して読んだ。と犯人が息切れさせて、
「そうよ!私の母の秘密を保持するためにねっ!」
と駆け込んできた。母の秘密?と思った。

FILE31、犯人の語る真実

 「母の秘密?」
私は問いただす様に言った。呼吸を落ちつけながら、彼女は語った。
「ええ。母はこの実験に参加した大学生の一人だったわ。」
「ちょっと待ってくれ。それじゃ君はまさか・・・」
と私が悪いと思いながらも制止した。
「ええ。婚姻できる最低年齢で結婚したの。で、私の養育費を稼ぐためにこのバイトに参加したの。この時代両親は非常に貧しくてね。。」
「はい。続けて。制止して悪かったね。」
「で、母親を失った私は祖父母の家に預けられたの。祖父母は私の事を可愛がってくれたわ。でも母親の事になると鬼のような形相になって、
『お前には母親なんていないんだよっ!』
って言うの。
 何年か経ったある日、私は母親のことを知ることになるわ。
 珍しく祖父母のいない日、私は家で退屈だなと思いながら過ごしてたの。そしたらチャイムがなったの。急いで出てみると、郵便だったの。退屈だった私はそれを開けたの。難しい式や、計算が書いた紙が入っていて何の事だかさっぱり解らなかったけどファイルの上に書かれてたの。『木村百合死亡に関する資料』って。ふふふふふ。子供ながらに感じちゃったわ。この人が私のお母さんなんだって。祖父母は密かに私のお母さんの死亡原因を調べてたの。
 そして、どういうわけか医学から建設に興味を持った私はここの会社を志望したの。でも、祖父に猛反対されてね。何でそんなに反対するんだろうと思って問いただしたら、全て洗いざらい話してくれたの。S製薬の行った人体実験の事、外科の話・・・・・・・。私は猛反対を押しきってこの会社を志望したのよ。
 今年に入って例の伝言ゲームを聞くまで私はさほど苦でもなかったわ。立ち聞きしちゃったのよ。あの話の裏側をねっ!
 あの人体実験は動物実験の段階で既に失敗が確定していたらしいの。でも院長の名誉を保つため、あえて。人体実験に踏み切ったらしいわ。
『それを小説に?』
社長が答えた。
『うむ。どうかね協力してくれるか』
『ええ。もちろんですとも』
専務は明るく弾んだ声で言ったわ。
 許せなかったの。母の死を売り物にしているようでね。」 言い終えた後で深い深呼吸をして、両手を刑事の前に差し出した。
「1つだけ解らない事があるんですけど。訊いていいですか?」
私がそう言うと彼女は優しく微笑んで、
「何?」
と答えた。
「何でぼくを犯人にしようと思ったんですか?」
「ああそれね。あなたには悪かったと思ってるわ。挑戦・・・かな?他には?ない?訊きたい事。」
私は無言でかぶりを振ると彼女は刑事に何やら告げ連行されて行った。

FILE32、後日談

 数日後、私と萌ちゃん、矢田、坂本が私の事務所に集まった。
「しかし、何ともやりきれない事件だったよなぁ。」
矢田が感慨にふける様に言った。
「ああ・・・・」
私も樋口の告白を思い出しながら言う。萌ちゃんが私の台所でコーヒー(もちろんインスタントだが)を入れている。
「コーヒー入ったわよ。」
彼女の声で不意に思考が途切れた。
「ん?あ、ああ。どうも。」
と生返事をして彼女からコーヒーカップを受け取った。
「またどうせ事件の事考えてたんでしょ?」
とつまらなそうに彼女は言ったので私はにかっと笑った。
「ああ、そうそう」
と思い出した様に萌ちゃんが言ったので、
「何?」
と私は答えた。
「まだ事件の犯人とか聞いてないんだけど?」
矢田は困惑した表情だったが私は躊躇なく童話を読むような口調で犯人、トリック、動機などを事細かに話した。
「・・・・という事件だったよ。」
と私が説明をし終わると、
「何だか、樋口さんかわいそう・・・」
としんみりした調子で言った。私は彼女から受け取ったカップに口をつけた。
「おいしい?」
と萌ちゃんが心配そうな口調で訊いたので私は首を縦に振った。
「よかった~~~~」
安堵の笑みが彼女の顔からこぼれる。私は、
「これは、インスタントだからコーヒーの分量さえ間違わなかったら誰でも同じ味になるの!」
とちょっぴり意地悪をしてみた。
「ん?もう一辺言って?」
と妙に優しい声で言ったので私は慌てて今言った事を否定した。それを見ていた矢田と坂本が、
「こりゃ、尻に敷かれるな。」
「そうね。」
とひそひそと話すのが聞こえた。
 2人の帰った後、当然のごとく私と萌ちゃんは2人きりになった。
「でジージョ。この前の話の続きなんだけど・・・。」
「ん?どんな話してたっけ?」
「初恋の話よ。まだ聞いてなかったから。」
私は顔を赤くした。
「止めない?その話。」
「ダ~メ!」
「じゃあ、イニシャルだけでいい?」
というと彼女はしばらく考えて、肯定した。
「M.Sさんかな。」
M.Sというイニシャルは五万といるので彼女に感づかれる心配はない。
「私と同じ・・・。私の知ってる人?」
と浅香萌が尋ねてきた。同じイニシャルなのは当たり前だと私は思った。
「う~~ん。一番知ってるともいえるし、一番知らない人ともいえないことはないよ。」
 とにかく、自分については一番知ってるともいえるし一番無知であるともいえるのでこの回答は間違ってはいない。
「なにそれ?」
「ノーコメント。」
「教えて!」
「嫌。」
「まあ、いいよ。」
と諦め気味に言った。
 「ところで、」
と私はこの話を続けていくとボロが出そうで怖いと思ったので話を切り替えた。
「何?」
「この話のタイトル何がいいと思う?」
「タイトル?そうね・・・・・・。」
数分間考えた後、出てきた答えが
「『名探偵殺人疑惑事件』なんてどう?」
「ありがと。考えとくよ。」
 ちょっと恥ずかしくて高慢なタイトルだがこの作品のタイトルはそう言ういきさつで決定した。

FILE33、後日談(更に数日後、フィガロにて)

 「ふーん。なら俺の店にきたそいつが下手人だったわけだな」
「下、下手人ってマスター。せめて犯人とか・・・別の言い方ないんですか?」
マスターは豪快に笑うとコーヒーを入れ始めた。
「でも、下手人・・・いや、犯人は」
とわざとらしく言い直したので私は苦笑いを浮かべた。
「痩せてたじゃないか、あいつは太ってたんだぞ、でしょ?」
私はマスターの代わりに言うと
「その通り」
とわざとらしく人差し指をゆっくりとり振り下ろし、私の鼻先でぴたっと止めた。 「あんな演出誰にでもできますよ。腹に何か入れれば済む事ですから。」
とその時チリンチリンと音がして若い男と中年男が入ってきた。目呉警視と西口警部。
「その後の取調べはどうです?」
「ああそれか。。それは・・・・」
と目呉警視が自分から話すと言って警部の話を遮った。
「今の所は樋口の供述に矛盾は見られません。
 しかし、面白い事が解りましたよ。
 前、私が君にクイズを出しましたよね?あれこそが事件の発端でした。樋口には姉があって彼女は口論の末、ある人を押し倒して殺してしまったんです。これだけなら面白くも何ともないですが、その相手と言うのは人体実験を行った製薬会社の責任者だったんです。
 彼女の姉は結局、過失致死として送検されましたが、両親の裁判の事で口論になったそうです。私も深くは追求しませんでしたが、追求すればこの事件を防げたかと思うと悔しいですよ。」
警視の目は哀しげな表情だった
「でも、これで起訴に持ち込めそうだよ。」
と警部がやれやれ、やっと終わったかと言いたげな口調で言った。
「でも、これで」
と警視は言った。
「君を認めた訳ではないですよ。」
と言って二人は喫茶店を出て行った。
 私はマスターに今度の事件を詳しく訊かせた。
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