FILE1.同窓会の誘い

 有沢翔治は「社長室」と書かれた一室で電話をしていた。友人から貰ったニュージーランド産のセーターと高校時代のジャージ、ハイソックスにファーのついたスリッパ、薄汚れた白いジャンパーを着ている。暖房はついていない。
 十一月ももう終わりに近付いていて、貧乏な彼は電気代を節約するためにそのような格好をしているのだ。とは言っても、彼は一応は会社の社長であり三人しかいない社員の纏め役だ。しかし、今掛けている電話は、取引等ではなく、
「えっ、同窓会?」
 と言ったごく私的なものだった。
「おう、俺も行くからジージョも来い。まあ、同窓会と言っても内輪だけのものなんだけどな」
 〈ジージョ〉とは彼の小中高と十二年間も呼び続けられた歴史ある渾名で彼自身、この渾名が気に入っているらしい。
「命令かよ」
 と有沢は笑いながら言った。明るく、溌剌としたよく通る声だ。
「で、いつ?」
「十一月の九、十だ」
「二日間も?泊まりがけで?」
 驚いて、彼は聞いた。友人は肯定する。ちょっとの間待つよう言って、カレンダーを確認した。土日だということもあり、商談等は入っていなかった。有沢は機嫌の好い声で、
「開いているよ、土日だしね。何時から?」
 午前十一時から、だと告げた。有沢はカレンダーに「同窓会AM11:00~」と書き込むと、
「で、どこ集合?」
「富川ホテルだ」
 と言って有沢は友人にそのホテルの場所を教えてもらった。
「ホテル?高くない?」
 シャープな輪郭の顔にあるV字の眉を潜めた。高級ホテルなら彼に取って相当の出費だ。
「いやいや、実はな」
 電話の相手、矢田は声のトーンを下げた。
「今にも潰れそうな寂れたホテルなんだ」
「ふーん、解った。で会費はいくらくらい?」
 矢田はふふふ、と含み笑いをした。焦れったそうに有沢は、
「早く言ってよ」
「驚くことなかれ。何と三千円だ。まあ、俺とお前、安藤と大岸と久保坂は相部屋だけどな」
「ということは二人で六千円か。かなり安いね」
「俺の交渉の結果だ」
 と自慢して言った。
「はいはい」
 笑いながら有沢は受け流した。

FILE2.思い出話

 有沢が電車を乗り継いでやってきたのは、都会とは言うには程遠い寂れた山村だった。そうかと言って禿山ばかりなので自然を売りにした観光収入は期待出来ないだろう。
「本当に大丈夫なのかしら」
 ひそひそ声で腰までのロング・ヘアを三編にした久保坂純菜が言った。彼女は色黒で背の低く、満月のような真丸な顔をしている大学生だ。花柄のワンピースを着ている。可愛いとは言えないが、醜女(ルビ:ブス)とは言えない。
「リゾート開発の煽りね」
 哀れっぽく言うのは、現在フリー・アルバイターの安藤暢子だった。脱色してブロンドに輝くショート・ヘアは後ろから見ると欧米人の男性ようだ。背は高く、色白、よく通るソプラノはどこかの女優のようだ。顔はというと、黄色いフレームの分厚い眼鏡と鱈子唇がかなり印象を下げている。
「僕の会社とどっちが潰れるの早いかな?」
 というブラック・ジョークを利かせているのは有沢翔治である。ファッションに気を使わないために、金田一耕介のようにぼさぼさ頭は、見ようによっては浮浪者だ。おまけに服装も薄汚れた白いジャンバーや、もうくたびれているズボンを履いているため、より、その印象が強い。高い背と理知的な眼鏡とV字の顎で浮浪者という印象は和らいでいる。
「とんとんね」
 肩を竦めて大岸優が笑いながら言った。栗毛色の髪は彼女にしてみたら流行を行っているという意識なのろう。しかし傍から見ると下脹れにおちょぼ口、という京美人に近い顔付きには外国人のような栗毛は不釣合いだ。
「自分で言うには好いけど、人様に言われるのは腹立つな」
 むっとして有沢は言った 「さ、さあ早く中に」
 と言って逞しい身体つきの矢田は支配人に気を揉んでか、この三人の礼を欠いた会話を止めさせたのだった。
 ロビーでチェック・インを済ませた四名はそれぞれの部屋に着いた。有沢はジャンパーを脱ぎ、ハンガーに丁寧に掛けた。下に着ている黒いトレーナーが現れる。
「好い宿だろう?」
 背は低いが小柄で筋肉質の男は自慢げに言った。部屋は純和風で、中央には炬燵(ルビ:こたつ)が置いてあった。その炬燵を挟むように、脚のないタイプの椅子がおいてあった。また、サーヴィスとして炬燵の上には緑茶のティー・バッグ、二人分の湯飲、ポットが置いてある。
「そうだね、そう言えばどうして離れ小島はあるの?」
 と言って窓から見える海から百メートルと離れていない、そして島と呼ぶには余りにも小さい島を指差した。その島と言うのは直径二メートルとない小さい島で、あるのは砂だけだ。
「どうしてって・・・どう言う事だ?」
 矢田か彼の言う事がよく解らない、と言った表情だ。
「珍しい地形じゃん、だからどうやって出来たのかな?と思って」
「お前、昔から本当、どうでもいい事に興味持つよな」
 矢田は苦笑して言った。彼は昔から「これはこう言うものだ」と言う事が納得いかずに教師に質問してよく困らせた。確かに「一足す一は二」という事は割り切っていたのだが、「どうして円の面積は直径を二回掛けた数に円周率で出るのか」とか、「どうして頼朝は鎌倉に幕府を開いたのか」とか、皆が常識として認知している事を質問してくる。まるでエジソンのような性格だった。
 従って彼の珍しいものを見ると、それがいかにして出来たのかを知りたい性格からするとごく当然の事と言えた。
「詰らないって!?面白いじゃん」
 彼は叫んだ。
「僕思うに・・・いや・・・、それじゃ、あんなふうにはならないな」
 有沢は誰に話し掛けるでもなく、呟いた。ロダンの「考える人」のような格好で考えている。矢田はくっくと鳩のような忍び笑いを漏らした。
「その答えは、安藤に訊けば解ると思うぜ」
「安藤さんに?」
 有沢は訊いた。
「それ、どういう事?」
 矢田の話だと元々、彼女がこの同窓会を企画したらしい。ここを選んだのも彼女だそうである。
「ただ日にち、時刻は俺と相談して決めたけどな」
 有沢は一泊しようと言い出したのは誰かと訊いた。久保坂純菜、と矢田は言った。
「ふーん」
 と有沢は納得したように言った。
「じゃあ、夕飯の時でも訊きに行くよ」
「今、訊きに行かないのか?」
 有沢翔治は一瞬躊躇ったのだが、はにかんだように笑って
「女の子と接するのは苦手で・・・」
「そう言えば、お前って昔から女子と必要最低限の事しか喋らなかったよな」
 有沢は黙ってうなづいた。そのうち、ホームズや神津恭助のように女嫌いになるかな、と自嘲気味に少し笑った。だがあの子がいる限りはならないだろう、と思った。
「そう言えば、まだあの子の事想い続けているのか?」
 心の中を見透かされたように矢田が話を振った。有沢は顔を赤面させ、肯定した。
「今、どこにいるんだったっけか?」
 鳥取、と短く答える。有沢の初恋の人は実に四年以上も連絡を取りあっていない。と言うのも、精神的に不安定になってしまい、落ち着くまで父方の実家にて療養中である。いつ帰ってくるか解らないのだが、それでも待ち続けると心の中で誓ったのである。
「待ち続けているのか?」
 有沢はいつもの明瞭でよく通る声ではなしに、吃りながら肯定した。それから彼女の事等で盛り上がったのだった。

FILE3.晩餐会

 七時になり、夕食が矢田の部屋に運ばれてきた。安藤も浴衣姿で彼の部屋まで来ている。また、風呂に入ったために髪が濡れている。久保坂は紺のトレーナーに某有名スポーツ・メイカーの白いラインが三本入ったジャージを履いている。大岸だけは髪が濡れていない。
「あっ、そうそう」
 有沢翔治は居住まいを正して、大岸に言った。そして、矢田に言った質問をぶつける。
「ああ、あれね」
 と何でもないような口調で彼女は言った。理由は解らないけど、と前置きをして、
「朝の六時位になったら、あそこが道みたいになるの」
「道みたいにって?」
 安藤が鱚の天ぷらに箸を付けながら尋ねる。
「ああ、それはね。丁度、蟻の目から見たモーゼのエジプト脱出と言ったところかしら」
 宗教学部キリスト教学科の学生らしく、旧約聖書で喩えを出した。
「ああ」
 と納得したのは有沢翔治のみで安藤、矢田ともに頭にクエスチョン・マークが二つほど浮かんでいるようだ。久保坂に至ってはまるで興味がなさそうに、煮物を食べている。
「つまりね、干潮のために水位がどんどん下がって、あそこの・・・百メーターくらいかな・・・が海だったのが砂になるって事だろう?」
 有沢が説明すると、矢田と安藤は納得したように言った。
「ふーん」
「優、ジージョみたいに解りやすく説明してよね」
 ぷりぷりして、大岸が言った。大岸優は頭を掻いて
「ごめん」
 ははは、と矢田は日本酒をぐいっと飲んでから言った。安藤は、
「解りにくい説明と言えば、あのデブ解りにくかったよね」
「そうそう、僕なんて英語のノートチェックがあるからって、一生懸命書いたのに最後までノートチェックしなかったしね」
 有沢翔治も同意した。
「俺なんて英文読解もあいつだったし」
「そりゃ、ご愁傷様」
 道化けて、大岸が言った。
「僕、ノートチェックがなければ推理小説を読んでたのに」
「この推理オタク」
 矢田は笑いながら言った。
「でもジージョはいいわよね、英語は八十点以下になった事ないでしょ?」
 久保坂のその台詞に有沢翔治はうん、と照れ笑いを浮かべた。
「いつかイギリスのベイカー・ストリートに行きたいからね」
 何でかと安藤は尋ねた。有沢はシャーロック・ホームズの事務所があったとされる場所だから、と答えた。
「結局はそっちに行くのか」
 呆れながら矢田は言った。有沢はむっとして、
「でもね、ホームズの言葉にはものを考える時に重要な言葉が沢山あるんだよ。例えば『あらゆる可能性を考えて、完全にありえないものを消去していけばいかに信じ難くてもそれは真実だ』、『事実があやふやなまま推理を組み立てるな』とかね」
「はいはい」
 矢田は手で遮った。
「例えばね、矢田。お前が建設会社に就職したってことは一目見ただけで解ったよ」
 矢田は驚いて、咳き込んだ。
「お前には言っていないはずなんだが」
「僕だって会うまでは解らなかったさ。だけど、半袖シャツから覗いている腕は型は白いけど腕は黒い。高校まではそんなに黒くなかったが、今日会った時は一段と日焼けしていた事から、卒業してから黒くなった事が解る。次にその頭だ。髪の毛で隠れて見えづらいが、白く日焼けせずに残っている部分がある。これらの事を考慮に入れると、昼間、外でヘルメットを被って働いている、と言う事が解る。そのような仕事なのは建設現場で働く人だろう?」
「確かに・・・」
 矢田は有沢に言った。
「鋭いわね」
 久保坂が感嘆の意を表した。当の本人は、いやあと照れ笑いを浮かべている。
「相変わらず頭好いよね。本当羨ましいわ」
 久保坂がさも羨ましそうに言った。
「考えるのは好きなんだけど、暗記物がどうも苦手で」
 苦笑を浮かべて否定する。
「でも日本史、世界史も好くなかった?」
 安藤が言った。それとも自分の記憶違いかしら、と安藤は思った。矢田も、そうだと言った。 「お前、文系、理系どっちだろう?」
 多分理系だと矢田は思いながらその事を言った。有沢は解らない、と言いたそうに肩を竦めた。
「でも宗教と家庭科、古文は散々だったよ」
 有沢は苦笑しながら言った。苦笑しながら大岸は、
「私は全部が散々だった」
「でも、お前は二十点後半から三十点前半だろう?」
「うん」
 高校時代の成績を知られた大岸優は恥かしそうに言った。もしもこれが高校時代ならば、不快に思っていたに違いないが、卒業から三、四年は経ってるので懐かしい思い出となっている。
「でもこいつの場合は苦手科目は一点、二点の世界だったぜ」
 と矢田は言うと有沢は恥かしそうに笑った。大岸は風呂に入ってくると言って自分の部屋に戻っていった。
「おう、ごゆっくり」
 矢田が道家けて言った。
「それでな、こいつときたら・・・」
 一同は爆笑した。そしてその後も話題は尽きる事がなかった。

FILE3.失踪

 翌日、有沢は異様な吐き気と頭痛で目が覚めた。辺りを見ると、他の友人たちは寝ており、酒瓶が転がっている。矢田に至っては地響きのような豪快な鼾をかいて寝ている。今何時だろうかと思い、有沢は眠い目で時計を見あげる。
「八時半」
 そのがんがんする頭で昨日の記憶を辿ろうとする。
「宴会をして・・・その後、僕どうしたんだったっけ」
 宴会以後の記憶が全くないのだ。突然、彼の携帯が鳴り出した。電話などではなく、電子メールが入ったのだ。その電子音の方に有沢は頭を抑えながら、のろのろと歩み寄る。伸欠をしながら、彼の携帯電話に目をやった。社員からのある企画についてのメールだった。
「こんな所にまで仕事は持ち込みたくない」
 仏頂面で呟いて、後で読む事にした。今の着信に触発され、有沢以外の者も目を覚ます。
「頭痛が・・・」
 と矢田。二日酔いの吐き気から慌ててトイレに駆け込むのは久保坂だ。大岸は記憶をはっきりさせるために、頭に手を当てがい、しばらく考え込んだ。やがて思い出したように、はっと顔を上げた。
「全く、バイブにしておけよな」
 矢田が有沢を睨み付ける。それに対して、有沢は片手拝みでごめんごめん、と謝った。大岸はぼんやりした頭で部屋をぐるりと見回した。
「あれ?暢子は?」
 眠たそうな声で大岸が言った。
「ジュースだろ」
 矢田は安藤の行方に関心がないらしく、伸欠混じりで言う。
「それはないと思うけど・・・」
 有沢は眠たさから来る伸欠を噛殺して意見を述べた。
「どうしてだ?」
 答える代わりに、桃色の可愛らしい財布を撮み上げた。
「これ、彼女のだろ?」
「そうね」
 久保坂は短く答える。
「彼女、僕みたいにバラでジャンパーのポケットに押し込むタイプじゃないだろう?」
 矢田はそうだな、と笑いながら矢田が言った。
「お前みたいにだらしなくないからな」
「機能性を重視している、と言って欲しいね」
 むっとして有沢は言う。
「まあまあ」
 喧嘩している兄弟を宥め透かす母親のように大岸は言った。久保坂は何の気なしに窓の外に目をやった。彼女は心底驚いた様子で叫ぶ。
「ちょっと」
「何だよ。五月蝿いな・・・頭に響くだろ?」
 悪態を吐き吐き、矢田は窓の外を見た。空はどんよりと鼠色をしており、昨日まできらきらと光っていた海も、その日は暗く淀んでいる。まるで海蛇(ルビ:シー・サーペント)が暴れ回っているかのように。不吉な黒い烏が空に輪を描いて、飛び回っている。
「嫌な天気だな」
 矢田は思わず呟いた。
「私が言ってる事はそう言う事じゃなくて」
 久保坂の上げたきいきい声は、二日酔いの矢田の頭に容赦なく響く。
「解ったからそんなに高い声出すな。頭に響く」
 矢田が弱々しそうに言った。矢田はある「もの」に気付いた。離れ小島で安藤が寝ているのだ。
「安藤って、夢遊病の気あったっけか?」
 大岸は首を振って、
「私は知らないわ。純ちゃんは?」
 久保坂純菜も同意見だった。有沢は、
「とにかく、彼女の元に行こう。あんな所であんな姿で寝てたら風邪引いちゃう」
 有沢は苦笑しながら言った。その有沢の台詞で、ここであれこれ議論していても仕方がない、と思い四人は下へと下りていった。

FILE4.殺人

 有沢は苦笑しながら歩いていた。というのも、蛍光灯が切れ掛かっており、壁の至る所には染みで汚れている。好くこのような状態で客が来るものである。
「なあ、俺らの他に客っているのかな?」
 矢田もどうやら有沢と同じ事を考えていたらしい。
「さあ?いないんじゃない?」
 久保坂が苦笑しながら矢田に言った。
「ジージョ、お前はどう思う?」
「うーん」
 と真剣な顔付きで唸った。矢田は、また論理的に考える癖が働いてしまっているのだろうと考えた。しばらくして、
「誰かと待ち合わせしてたんじゃないかな?」
 と薄汚れた白いジャンパーの男は両手を突込んで答えた。
「しかも、六時位だよ」
 一同、唖然。彼が奇想天外な事を思い付くと、元クラスメイト達は知っていたのだが、何の話題かさっぱり解らない。
「ああ、安藤の事か?」
 矢田が答えた事を知ってか知らずしてか、
「しかも、呼び出した人はこのメンバーの中にいるはずだ」
「まあ、そりゃそうだろうな」
 矢田は苦笑した。
「でも俺は呼び出していないぜ。お前らは?」
 女子二人に聞いたものの、久保坂、大岸ともに首を縦には振らなかった。矢田が冗談めかして、
「だとすると幽霊の仕業だぜ」
 その時、矢田はでっぷりと肥った男にぶつかり、慌てて謝った。
「こちらこそ、すまない」
 と言って男はいかめしい顔付きで向こうへと立ち去った。矢田は彼の多少、威圧的な態度に不快感を覚えたが、すぐにまた会話に加わった。
「他の客もいるんだな」
 心底、意外そうに矢田は言った。
「そうね」
 久保坂は肩を竦めた。その後の話題は安藤がなぜあそこに寝ているのか、という話で持ち切りだった。大岸は、
「まあ。暢子に訊けば解るんだし」
 と言って一階へと続く螺旋階段の最後の一段を降りた。手摺は緑色だが、錆の正で赤茶けて見える。真夜中に来たら肝試しの絶好のスポットとなりそうだ。
 有沢は一階に着くとフロントに駆け寄った。矢田は大怪我をして動けない可能性も考慮に入れて、救急車の手配でもしているのだろうと考えた。
 そして有沢はパシャパシャと海の中へと入って行く。海は曇天のために暗く、淀んでいる。三人も後に続いた。磯の強い臭いが鼻を突く。
「安藤さん。どうしたの?」
 と有沢は身体を揺すった。俯せに倒れていた彼女は揺すられた事により仰向けになる。その瞬間、有沢は衝撃を覚えた。安藤は目をかっと見開いたまま死んでいたのだ。
 有沢は後ろから追ってくる三人に重々しく首を振った。
「無駄だ。死んでる」
 その言葉を聞き、矢田は呆然とした。大岸は崩れ落ち、泣きじゃくったし、久保坂は
「何で・・・何で・・・」
 と呪文のように言い続けた。冷静に言い放ったが、有沢は唇を血が出んばかりに噛んでいた。ただ彼は滅多に顔に表情を出さない性格のために、怒りと憎しみを顔から感じ取る事は不可能だろう。仲間三人はただ無為に死体と探偵を見下ろすしかなかったのである。
 彼は彼なりに安藤の死を悼んでいる。そして、無言で瞳孔の濁り具合、死班、指先等を曲げた。有沢翔治と言う男は法医学にも造詣が深く、検死が出来るのである。
 無神論者の彼は、ただ目を閉じただけで追悼の意を示した。しかし、彼女のためにも自分が犯人を見つけてやる、という意志が満ちていた。
「死後二時間から三時間・・・という事は」
 言葉を区切って、携帯電話のディスプレイを確認した。九時。
「五時から六時の間に死んだということになるな」
「ちょっと、警察呼んだ方が・・・」
 そこへ一人の男がゆっくりと出てきた。矢田がさっきぶつかった男である。支配人がトランクを持っている、という事はチェック・アウトした所なのだろう。男は訝しそうに有沢たちを見つめたが、大学生の団体が遊んでいるのだろうと考え、さして気に止めなかった。
 矢田が男のもとへ駆け寄る。
「おおい、ちょっと」
 男は苦笑しながら、
「さっきの詫びならもういい」
 と苦笑しながら言った。
「い、いや。そうじゃなくて、ぼ、僕のゆ、友人が・・・」
「君の友人がどうかしたというのかね?」
 欝陶しそうに男は訊いた。
「し、死んでいるのです」
「何ですって?」
 男は眉を吊り上げた。
「現場はどこなのです?」
 荷物を支配人に預けると、矢田の先導で急いで現場に向かった。

FILE5.捜査

 矢田が男を連れてきた頃には、有沢の検死は大体済んでいた。久保坂はヒステリーを起こし、冷静な有沢を罵ったが、有沢は、
「事実、安藤さんは死んでるんだ」
 その後に、何か言いたそうに唇が動いた。が、言おうかどうか迷っているようだ。
「何なの?」
 優しく大岸が促す。躊躇らって結局は何でもない、と言った。有沢は連れてきた男に対して放った第一声。それは、
「ちょうど好かった。刑事さんでしょう?」
「ええ、そうです。全く折角の非番が台無しですよ」
 と苦笑しながら言ったが有沢を目を丸くして見つめた。
「あれ?私、刑事だって言いましたっけか」
「何、簡単な事ですよ。靴がかなり磨り減っていますよね?これから普段歩き回る仕事という事が考えられます。次に貴方のその歩き方です。少し言葉は悪いかも知れませんが、肩で風を切るような威圧的な歩き方。これらの事から推理すると、役人でかつ普段歩き回るような仕事。これらの事から刑事、という推理が瞬時に導き出さなければ僕の目はよほどの間抜けと言う事になりますよ。ところで」
 と一旦言葉を切って、
「この女性は安藤暢子さん。漢字は安藤広重の『安藤』、流暢の『暢』に子供の『子』です。死亡推定時刻は六時から五時の間、しかし、六時と見て間違いないでしょう」 
 と極めて冷静な調子で言った。刑事はこの男には心があるのだろうかと苦笑した。
「何でそんな事が言えるのかね?ええと・・・君は?」
 有沢翔治、と自己紹介を済ませ
「水ですよ」
「水?」
 矢田が鸚鵡返しに訊く。
「うん、安藤さんの靴は濡れていない。ということは干潮の六時頃になるという訳さ」
 そして刑事の方に向き直り、
「死因は絞殺」
 と言って、安藤の死体の顎を引いて見せた。紫色の筋が付いている。刑事は腰を屈めて好く見た。
「どれどれ・・・これは索状痕だな」
 と刑事は呟いた。
「と言う事は君は医者かね?」
 男は訝しそうに有沢を見つめた。とてもそんな格好には見えない。薄汚れた白いジャンパーを羽織り、下は中学で着る体操服のジャージ。辛うじてそれらしく見えるのは、V字の眉とシャープな顔付き、色白、理知的な眼鏡と長身、痩せぎすと言う点であろうか。有沢はにこりともせずに、
「まあ、そんな所です」
 と呟いた。
「とにかくあなたがたには詳しく事情を説明して頂く必要があるでしょうな」
「ちょ、ちょっと待ってよ。私たちを疑ってるの?」
 狂ったように叫ぶ久保坂。
「そうよ。私たちの中に殺人犯なんている訳ないじゃない」
 大岸も彼女の意見に同調した。
「じゃあ、訊くけど・・・」
 有沢は戸惑ったように、一瞬言葉を区切った。やがて、決心したようにごくりと唾を飲んだ。
「一体、誰が殺ったんだ?」
 一同ははっとして、静まり返った。先程までは聞こえなかった波の音や鴎の啼声が聞こえる。
「自殺したのよ」
 やがて大岸が自分自身に言い聞かせるように言った。
「だとすると、遺書は」
 矢田は言った。彼とて他殺説を信じたくはないが、この状況だと他殺でほぼ間違いないだろう。遺書がない、と言うのがその主な理由だった。
「自殺するのに遺書なんているの?」
 少し嘲りの気持ちを込めて言った。そう言われてみれば、いらないかもしれない、と矢田は考えた。
「いや・・・彼女は誰かに殺されたんだよ」
 有沢の口調は悲しみを押し殺そうとするようだった。
「どうして?」
「ないんだよ、紐がね」
 一同は電流が走ったように身体を震わせた。刑事はようやく収まったか、と溜息を吐いた。
「では中に入って、私の部屋で事情聴取を」
 恰幅の好い刑事は極めて事務的な調子で言った。漣(ルビ:さざなみ)が曇天の下、さーっと流れた。

FILE5.事情聴取

 「それで、あなたがたは大学のサークルですか?」
掘炬燵を囲んで、まるで麻雀でも始めるかのように座っている。窓の外からは鴎が旋回しているのが見える。
 矢田は安藤の死を厳粛に受け止め、葬儀には参列しようと考えていた。久保坂、大岸はまだ彼女の死が受け止められないらしい。魂が抜けたように呆然と虚空を虚ろな目で見ていた。
「いえ、小中学校の仲が好かった友人同士での内輪の同窓会です」
 炬燵に置いてあるメモ帳とペンを取ると、何やら書きつけた。
「それで、今朝六時頃の行動を教えて頂けますか?」
 刑事は大して成果は期待出来ないだろうと思いつつも一応、訊いた。
「皆、寝ていましたよ」
 有沢が溌剌と言った。
「ちなみに、皆が起きたのはジージョ・・・いえ、有沢君の携帯電話に電子メールが入って、その音で目が覚めましたから」
 矢田が補足した。
「ふむ」
 刑事は読めない程、達筆な文字でまた書きつけた。
「出来ればそのメールを拝見出来ますか?」
 有沢は手慣れた手付きで「受信メールボックス」と書かれた画面にし、朝受信したメールを開いた。そして、彼は炬燵の上に置いた。刑事は
「どれどれ」
 と差し出された機械を手に取った。
「企画書出来上がりました。チェックお願いします・・・どうやら仕事関係のようですな」
 刑事は事件と関係があると期待していたのだろうが、それは物の見事に裏切られた。
「ありがとうございます」
 と言って携帯電話を有沢に返した。有沢は携帯電話を折り畳み、薄汚れたジャンパーのポケットへ押し込んだ。
「誰か起きた気配を感じた方はいませんか?」
 中年の刑事が尋ねた。
「僕はありませんけど・・・」
 有沢は例の好く通る声で言った。
「矢田は?」
 と矢田に意見を求めた。矢田はしばらく唸り声を上げて考えたが、
「俺もないぜ」
「久保坂さんと大岸さんは?」
 と今度は女子に意見を求めた。
「私もないわ、純ちゃん。どう?」
 久保坂純菜は被りを振る。
「お聞きの通りです。僕たちは全員彼女が扉から出る所を見ていません」
 一番、平静を保っている有沢が要領よく纏めた。久保坂は些かその平静さが理解出来ないようだったが、今は友人が死んだ死の悲しみのが勝っているらしい。
「それに僕たち全員、泥酔してましたから・・・」
 矢田が補足する。
「全員、気付かれずに殺すチャンスはあった、と言う事ですね」
 大岸優は信じられないように叫ぶ。
「ちょっと待って下さい、刑事さん」
 でっぷりと肥った刑事はぎろりと威圧感溢れる目を彼女に向けた。その目に臆したのか、言おうか言うまいか迷ったように口を噤む。しかし途切れ途切れにではあるが、はっきりした調子で、
「あのう・・・、刑事さんはつまり・・・私たちの中の誰かが・・・暢子を、つまり安藤さんを・・・殺害したと・・・お考えで?」
 彼女はどうも自殺説に持っていきたいらしい。だが、
「ええ、そうです」
 刑事はサラリと言った。
「それは見当違いも好い所です。どうして友達を殺さなければならないのですか!?」
「でも、大岸さん。実際に事故でもなければ自殺でもないんだよ」
 有沢が言った。
「どうして・・・」
 大岸の目から涙が零れた。
「それは、私の仕事ですよ。大岸さん」
 中年の刑事が宥め透かすように優しく言った。
「私たちに協力して犯人を上げる事が一番の供養になりますよ」
 刑事は言い慣れた台詞を感情を込めて言った。
「他に訊きたい事はありませんか?」
 大岸はこの愚鈍そうな刑事の言う通りだと思い、言った。
「彼女はどう言う性格だったでしょうか?中学時代とか高校時代とか」
「久保坂、お前、確か同じ高校だったよな?」
 矢田が思い出したように言った。
「俺は中学時代までしか知らないけど、お前なら高校時代の安藤を知ってるから性格とか好く解るんじゃないのか?」
「そうねえ」
 と紅いマニキュアの塗った手で首の後ろを掻いた。そして、
「勉強は余り好く出来なかったようだけど、ポジティブな性格で皆からも好かれていました」
 刑事は彼女の男関係について尋ねた。久保坂はそんなに親しくないから解らないが、と前置きを挟み、
「さばさばしてたようです。つまり、別れたらまた次の恋愛を待つというタイプで」
「ストーカー被害は?」
 久保坂は重々しく被りを振った。
「私は知らないけど皆、暢子から相談受けた事ある?」
 一同、一致。
「いや、ないよ」
「と言う事です」
 久保坂が刑事に言った。しかし、その口調にはどことなくよそよそしさが含まれていたように刑事は感じた。彼はメモ帳に何事か書き付けると、
「動機から探るのは難しそうだな」
 と呟いた。そこへノック音が聞こえた。女の声だ。
「西口様、西口令士。何かご用でしょうか?」

FILE5.身体検査

 西口と呼ばれた刑事はドアの方に歩み寄った。そしてドアノブを捻ると、何事か囁いた。驚いた様子で西口に、
「あの・・・それ本当ですか?」
「本当です。ですからあなたには女性の身体検査をお願いしたいのですが。いくらなんでも私がやる訳にはいきませんからね」
 とバスで言った。
「解りました」
 とホテルの従業員はうなづいた。西口は部屋中に響く声で
「皆さん、男性はここに。女性は隣の部屋に移動して下さい。これから身体検査を始めます」
 久保坂と大岸は沈痛な面持ちで隣の部屋へ向かったのである。流石にプロということもあってか、男性陣は早く終わった。有沢から出てきた物は、携帯電話とハンカチ、ちり紙、そしてバラの小銭と千円札が四、五枚程度。
「鞄には何が入っていますか?」
「服が一日分と文庫本二冊です。」
 矢田は本当に必要最低限の物しか持ち歩かないのだな、と思った。その矢田の荷物は、ハンカチ、ちり紙、煙草、ライター、財布、携帯電話だった。矢田の鞄の中は服一日分、トランプ、インスタント・カメラ、コウモリ傘、煙草の代え一箱だと告げた。
「僕たちからは何も発見されませんでしたでしょう?」
 と炬燵の上の煙草に手を伸ばして、言った。ライターで点火しようとすると、
「煙草はトイレかどこかで吸ってよ」
 と非難がましく有沢は言った。
「悪い悪い、煙草くわえてないと落ち着かなくてよ。火、点けないから好いだろ?」
「まあ、そう言う事なら・・・」
 と渋々有沢は許可した。火の点いていない煙草をくわえて、矢田は歩き回った。そこへまた、従業員がノックした。

 ここで視点を女子の部屋に変えよう。女性従業員がポシェットの中、パーカーのポケットの中を調べている。しかし、出るわ出るわ。女性従業員はここは四次元空間にでも繋がっているのかと思う程だった。
「えーと、久保坂様のお持ち物は、財布、携帯電話、ハンカチ、ティッシュ、鏡、化粧用具、マニキュア、小型の鋏、糊ですね」
「はい。そうです」
 久保坂が答える。小型の鋏と糊はプリクラを切ったり貼ったりするのに使うそうだ
「では念の為、お鞄の方の荷物を仰って頂けますか?」
 久保坂は自分の鞄の荷物を思い出せる順に述べた
「下着、パジャマ、服、手帳、ペン、携帯電話の充電器、ドライヤー、ヘアピン、ピアスです」
 次に大岸優に向き直り、ポケットから物を出してもらった。彼女は億劫そうにポケットの中、ポシェットの中の物を一つ一つ炬燵の上へ置き始めた。コンビニで買ったペットボトルの紅茶、携帯電話、ちり紙、ハンカチ、化粧品セット・・・そこで何か縄のようなものに触れる。
「こんな物、入れたかしら」
 と呟いて取り出すと、何とそれは三〇センチ程の麻縄だった。それを見ると久保坂は、
「優・・・まさか・・・」
 と信じられないように呟いた。
「ち、違う。私じゃない」
 しかし聞く耳持たず久保坂は、大岸に詰め寄った。肩はわなわなと震え、心のそこから憤りがマグマのように吹き上がる。
「この人殺し!」
「知らないわよ」
「じゃあ、この縄はどう説明するの?」
 泣きながら叫ぶ久保坂。
「知らないわよ!犯人が私に罪を着せるために入れたんでしょ!」
 必死に弁護する大岸。しかし、久保坂は彼女を犯人だと決め付けているようだ。
「犯人って誰!?矢田君もジージョも一回も私たちの部屋に入らなかったわよね。私は犯人じゃないから優、あなたしかいないじゃない」
「だけど・・」
 身に覚えのない大岸は必死に弁護するが、当然のごとく彼女は別の部屋で待機、という形になった。

FILE6.切られた髪の毛

 有沢の部屋にいる久保坂は、まだ信じられないといった様子で、
「あの優がね」
 とぽつりと呟いた。ヴェランダで煙草を更かしていた矢田は、
「本当、信じられないよな」
 有沢は掘炬燵でロダンの「考える人」の格好で考え事をしていた。
「何考えてるの?ジージョ」
「無駄だと思うぜ。こいつ、一旦考え出すと他の事が聞こえないから」
 有沢はこう考えていた。本当に大岸が犯人なのだろうか?
「もし僕が彼女なら」
 と呟く。凶器を長時間持っているだろうか。いくらでも捨てる機会はあったはずだ。海の中に投げ捨てれば済む話だ。これではまるで、彼女に罪を着せたいみたいである。
 しかし、彼女が持っていた麻縄以外に凶器らしい凶器は見つからないとの事だ。コードで頸を締められた、というような細い索状痕ではなかった。明らかに太かった。
「見えざる凶器・・・」
 と呟いて苦笑した。
「いや。凶器になると思えない物が凶器か、身に付けていて当然の物が凶器なのかどちらかだな」
 空は晴れ渡り、鴎が優雅に空中を舞っている。
「優、今頃どうしているのかな?」
 ぽつりと久保坂が呟いた。先程は言い過ぎたと久保坂は少し反省した。
「トイレに行ってくるわ・・・」
 トイレで泣くつもりなのだろう。泣きたい気分になるのも無理はない事だ。友人が死んで、その犯人として友人が逮捕されたのだから。すっかり打ちひしがれている久保坂を見て、どうやって心理カウンセラーに行かせるかとぼんやり考えた。
 相変わらず、有沢翔治は物思いに耽っていた。
「何か、太い紐で身に付けていてもばれないもの」
 と呪文のように呟いた。もしかすると、もう本当の凶器は太平洋に捨てたのかもしれない。
「そうするともう絶望的だな」
 有沢は苦笑しながら、言った。矢田が二本目の煙草を口にくわえ、ライターで火を点けようと手庇を作った。その時、トイレから久保坂の絶叫が聞こえてきた。有沢は鷹のような目付きになり、矢田と顔を見合わせる。
「何があったんだ?」
 と矢田。
「とにかく言ってみよう」
 と斬り込むような口調で有沢は言った。
「そうだな」
 二人はトイレに向かって駆け出した。そして、ばたんっと勢いよく扉を開けると久保坂が倒れていた。おまけに髪がばっさりと切られていたのだった。
「お、おい。まさか」
「心配ない彼女は生きてる」
 矢田はほっと安堵の息を吐いた。有沢が揺すると彼女は目を開けた。
「久保坂さん、髪の毛は?」
「髪の毛?」
 虚ろに言うとロング・ヘアの髪の毛を掴もうとした。しかし、空気を握るばかりである。
「ない!」
 久保坂ははっとして叫んだ。有沢は考え込みながら、
「何で犯人は久保坂さんの髪の毛を・・・、どこに捨てたのだろう?」
 と呟いた。久保坂はトイレにでも捨てたのだろう、と言った。
「今、何て言った?」
 有沢は敏感に反応した。
「トイレにでも捨てたんでしょ?だけど・・・それがどうかした?」
 有沢は悲しげに呟いた。
「成程ね。解ったよ・・・、全ての謎が」

幕間~読者への挑戦状~

 「ローマ帽子の謎」、「フランス白粉の謎」を書いたエラリイ・クイーン氏は読者に全ての手掛かりを提示した。さて、この作品も山勘などでなく論理的に犯人を推理出来るようになっている。さあ、賢明なる読者諸君よ。この犯人が解るだろうか?

FILE7.真相

 有沢は矢田に悲しげな声で、久保坂と二人きりで話がしたいと言った。彼は全てを悟ったように、静かに出て行った。有沢はふと、窓の外を見た。白い鴎が飛び回っているのが見えた。
「何?二人きりで話って、まさか私に告白?」
 道化けるて言う彼女を余所に、
「いや、告白するのは僕の方じゃなくて・・・」
 彼は一瞬言葉を区切った。が決心を決めたかのように、言葉を続けた。口調は極めて落ち着き払った物だった。
「告白するのは久保坂さんの方だよ」
 一瞬、少し驚いたように目を見張った。そして大声で笑った。
「私がジージョに告白?」
「うん、ただし罪の告白だよ」
 悲しみを外面に表さないように、さり気なく窓の外を見た。確かに彼にとっては「消えた凶器」という推理小説マニアには涎が出るようなものだ。しかし犯人が旧友だという事を考えると、彼の胸は張り裂けんばかりだ。 「罪?確かに優には言い過ぎたと思っているわ。でも・・・」
「いや、僕が言いたいのは、彼女は犯人ではありえないということなんだ」
 久保坂純菜は微笑した。
「馬鹿ね、彼女のポケットから麻縄が検出されたじゃない」
「考えてみてよ。久保坂さん。犯人が凶器をいつまでも所持してると思う?殺人があればすぐに身体検査を行うって解ってるのに」
 久保坂はしばらく考えたが、やがて
「でも、凶器が見つかったらって言う不安からいつまでも持っているケースもないかしら?」
「確かにね、でもこの場合は別だよ」
 久保坂は辛抱強く、何が別なのかと尋ねた。
「海があるからだよ。海に捨ててしまえばゴミが漂ってるとしか思わないだろう?」
「以上の事を考慮すると」
 また、有沢は窓の外を見た。鴎がけたたましい程に啼いている。
「大岸は除外される。あらゆる可能性を考えて、完全にありえないものを取り除いていけば最後に残った物こそが真実なんだよ。例えそれがどんなに信じられない事でも・・・ね」
 極めて落ち着き、顔も表情一つ変えない。
「消去法でいくと確かに私が犯人かもしれないわ」
 久保坂は一旦、認めた。
「でも凶器の問題はどうなるの?」
「僕もそれが苦労したよ、でも身につけていて当然のものが凶器なら見落としていても無理はない」  嘲笑するように、そんな都合のいい物あるはずがないと言った。
「あるじゃないか・・・」
「何?」
 言ってごらんなさい、と言うような調子だ。
「髪の毛だよ」
 冷静に言い放った。一瞬の沈黙。漣のさーっという音と、海鳥の啼声のみが聞こえる。
「髪の毛・・・」
 久保坂は呟いた。今までの余裕はどこへやら。肩をわなわなと震わせ、顔からは脂汗が滲む。有沢はジャンパーのポケットに両手を突込んで言った。
「そう、あのロングヘアの髪の毛で安藤さんを絞め殺したんだ」
「確かに好く出来た推理ね」
 久保坂はやっとの思いで言った。顔面蒼白となり、今にも倒れそうである。足ががくがく震える。
「でも証拠は?」
「じゃあ、どうして髪の毛をトイレに流したって解ったんだ?真先にトイレにでも流したのだろうと言ったよね」
「私が髪を切った本人だから、でしょ」
 諦めて、溜息を吐いた。再びざーっという波の音が聞こえる。顔もほっと安心したように紅みが差し、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。有沢はその様子を見てほっと安堵した。
「麻縄を入れたチャンスは、恐らく昨日大岸さんがお風呂に入った時でしょ?」
「何もかも見透かされていたんだ・・・」
「いや、何もかもという訳にはいかないよ」
 道家けるように目を見張る。
「へー、ジージョでも解らない事あるんだ?」
 久保坂の口調を余所にして、至って真面目に、どうして安藤暢子を殺したのか、と尋ねた。
  「ねえ、私地獄行きかもね」
 久保坂は悲しげにぽつりと呟いた。目からは涙が零れている。
「人を殺しちゃったし・・・、優にも罪をなすり付けちゃったしね」
「地獄も天国もないよ」
 無神論者の彼は冷静にそう言う。
「もし、仮にこの世に神がいたとしたら、キリスト教はイエス・キリストを唯一無二の神だと崇めているよね。でも一方でムスリムの人はアッラーの神を唯一無二の神だと崇めている。唯一無二が二つも存在する訳がないから、この考えはどこかで矛盾する。ゆえに神の存在は否定される」
「そうかもね」
 相変わらず、矛盾する事は信じないのだと思いながら、久保坂純菜は笑った。
「私が彼女を殺した理由は・・・」
 と昔の懐かしい思い出でも語り出すかのように言った。

FILE8.過去

 一九九七年のクリスマス・イヴ。トヨタの白いカローラが夜の道を駆け抜ていた。運転席には金髪の若い男が座り、助手席には腰までのロングヘアの若い女性が座っている。彼女は窓を全開にしているため、風で三つ編が靡いている。男はドリンク・ホルダーに置かれたコーラを一口飲んで、
「純、タイタニック面白かったな」
 と言った。久々に感動する映画を見た久保坂は熱弁を奮う。
「本当!私、超感動した」
 しばらく、恋人たちは映画の話で盛り上がった。誰かに付け狙われている気配を気にしながらも、自然体を装う。
「特にオーケストラの人たち!職業意識に満ちているっていうか」
 しばらく映画の感想を熱っぽく語っていた。しかしコンビニエンス・ストアを見かけた、久保坂は止めてくれるように頼む
「あいよ」
 そう言うと恋人はハンドルを切り、駐車場に止める。
「俺も行こうか?」
 彼女が言う“妙な気配”の相談を受けていた彼は心配そうに声を掛ける。警察に相談した方が好いのではと勧めたのだが、彼女はいつも首を振って大丈夫というのだった。
「大丈夫よ。多分、この所バイトとかで疲れてるだけだと思うから」
 そして礼を言い、開けた窓から頬に軽くキスをした。その時、男のものと同じ車種である白いカローラが横にそっと止まる。これこそがストーカーの車であり、後に取り返しのつかない悲劇を招いてしまうのだ。
 見ていたストーカーは忌々しげに舌打する。鋭い視線を感じた久保坂はさっと辺りを見回す。
「本当、大丈夫か?警察に相談した方が・・・」
 久保坂は笑って勘違いだったら恥かしいからしない、と言った。
「それに、いざとなったら警察より頼りになる人がいるんだから」
「男?女?」
 さり気なく訊いたが、微かな独占欲の混じった気持で言った。
「男よ」
「ふうん」
 彼は嫉妬の気持を抑えながら訊いたのだが、やはり愛する者の心はそれとなく解ってしまうのだろうか。彼の嫉妬心を和らげるかのように甘ったるい声で、
「馬鹿ね」
 彼女のその口調には精一杯の愛情が込められていた。そして腕を首に回して口付けをする。それはストーカーをより一層、刺激した。
「彼はただの友達よ」
「そうだな」
 機嫌を直したように男は言う。そして、蛍光灯のおかげで真昼間のように明るいコンビニエンス・ストアの店内へ吸い込まれるように入って行くのを男は不安げな眼差しで見送ったのだった。
 やはり誰かに尾行られている。刺すような鋭い視線を感じつつも、さり気なく黄色い紙パック入りの紅茶を手に取った。その時、やはり誰かの視線を感じた。
「ストーカーはこの店内のどこかで私を監視している」
 そう思うと暖房の効いた店内でも背筋に氷を当てられたような寒気を覚えた。
「誰なの!」
 と思わず叫んでしまいそうになる。
「馬鹿ね。私たら」
 気のせいだと思い直し、ポテトチップの袋を取り出そうとしたその時、久保坂の携帯電話が揺れ出す。電話着信ではなかった。
「あっ、そうだ。映画館でバイブにしたままだったんだ」
 ストーカーからだろうかと思い、恐る恐るメールを見た。いや、違った。
「暢子からだ」
 呟きながら、メールを受信する。
「探偵さんの報告。ストーカーの名前は荻屋智明、二十一才。定職にも就かず、ぷらぷらと遊んでいるそうです。愛車はカローラ。趣味はゲームと写真撮影」
 もしストーカーがいるとしたら、十八才くらいだと思っといた彼女にとって意外だった。
 その他、学歴、行き着けの店に至るまで事細かに記されていた。恐らく、あのストーカーも彼女の事はここまで知らないだろう。言いようのない笑いが込みあげる。彼から恐怖を取ったら何が残ると言うのだろう?手足の取れた蟹・・・。翼のもげた鳥・・・。いや、喩える言葉が見つからない。
 すぐさま、有沢の所へ電話をした。
「ありがとう」
「えっ?何が?」
 明瞭で溌剌とした声が聞こえる。
「ストーカーの件だよ」
「どうってない事だよ」
 意外とさらりと返す。どうして解ったのかと訊いた。
「何、簡単な事だよ。もし、久保坂さんの周りに変質者がうろついてるんだとしたら久保坂さんを追えば好いからね」
「でも・・・。ジージョに会わなかったわよ」
 彼は苦笑したように笑い、
「気付かれるような尾行は尾行じゃないって」
「でも、好く、本名と住所解ったわね」
「何、それは簡単だよ。警官の振りをして職務質問すれば好いからね」
「じゃあ、出身小学校、中学校は?」
「ああ。それは少し苦労したよ。何せ名古屋市中の全ての小学校に片端から電話しまくったからね」
「ご苦労さん、でも、何でこんなにしてまで私の事を助けてくれるの?」
 有沢は何を言っているのかと少々、呆れた様子で、
「男として女を守るのは当然じゃないか」
 少し期待外れの答えが返ってきたので少し、がっかりした。友達だから、という台詞 を期待していたのだが。
「じゃあ、僕に用ってそれだけ?」
 相変わらず異性とは接するのが得意ではないらしい。別れの言葉を告げると、さっさと切ってしまった。
「あっ、メールだ」
 安藤からだった。その主旨は今から、少し荻屋を懲らしめる、というものだった。

 男は頭の後ろに手を組んで、ぼんやりと次はどこに誘おう、ストーカーは本当に勘違いなら好いのに等、取留もない事を考えていた。バイクが横付けするエンジン音で反射的に顔を上げる。
「へえ、格好好いな」
 割と今、流行の型のバイクだったのでバイクには少し五月蝿い男だろうと考えた。しかし、ヘルメットを取ると、女だったので少し意外に思った。髪はブロンズで鼻は高かったので外国人だろうか、と男は考えた。
 女はさっと降りった。そして、持っている紙を見ながらナンバープレートを隣に駐車している彼と同車種の車と見比べている。カローラでも盗まれたのだろうか、と男は思ったが、
「ま、俺には関係のない事だ」
 しかし、彼女がやってきて、男の車をノックした。電動式の窓をウィーンと下げて、顔を覗かせる。
「はい」
 と男は返事をして警官に化けた安藤に応ずる。
「この辺でカローラが盗まれました」
 やはりと彼は思った。
「それでお手数ですが、運転免許の提示をお願い致します」
 安藤は警察手帳・・・無論これは精巧に出来た模造品なのだが・・・を見せながら、言った。安藤は長い髪を掻き上げる振りをして、彼の車に小型スピーカーを投げ込む。これは名古屋でも有数の電気街、大須で見つけた代物だ。
「あれ?でもバックナンバーで確認したら・・・」
 返答に困ったが、
「それが車の持主が七十才のお爺ちゃんで自分のナンバー覚えてないらしいのです」
 と咄嗟のアドリブでカヴァーした。ふうん、と納得した様子で男は免許証を差し出した。それと男の顔を見比べて、
「はい、結構です」
 と免許証を返した。そしてまたバイクに跨がり、コンビニエンス・ストアを後にした。
「お勤め、ご苦労様」
 そう呟いて、見送った。その一、二分後に恋人が出てきたので、男は手を振った。
「お帰り」
 と言って助手席を開けてやる。
「ただいま」
 と頬に軽くキスをして言った。荻屋はそれを忌々しそうに見つめていた。
「家まで送っていくぜ。ストーカーがうろついているんだろう?」
「ああ、あれね」
 久保坂純菜は一瞬言うべきかどうか迷ったが、これ以上は心配掛けたくないと思い、
「あれは私の勘違いだったみたい、ごめんね」
 男は、突然何か変な音が聞こえないか、と言った。
「やだ、変な事言わないでよ」
 と久保坂。それをしっと口に指を当て、静かにするように頼む。確かに、
「久保坂純菜に付き纏うな」
 という声が聞こえる。しかも、それは幽霊のようにさも怨みが籠もった声だ。
「お、おい・・・、これってまさか」
 みるみるうちに顔は蒼冷め、足はがたがたと震える。彼は心霊現象の類が大の苦手なのだ。
「やだ、暢子。車間違ってる」
 どんな悪戯を仕掛けたのかは解らなかったが、彼女が原因を作ったのは間違いなさそうだ。安藤に急いで電話する。しかし、揺れる車内の中では携帯電話を上手く捜査する等、到底無理だ。
「こちらはエー・ユーお留守番電話サーヴィスです」
 という虚しい機械的な女性の声が谺する。

「最後に見たのは、大型トラックのヘッド・ライトの白い光だったわ」
 久保坂か悲しそうな顔付きで、言う。有沢は黙ってそれを訊いていた。
「あの時、暢子が車を確認していたら・・・。でも私だって今日の今日まで暢子は恨んでなんていなかったわ」
「殺意が芽生えたのは六時頃、だね」
 ふふ、と何もかもお見通しなのね、と言いたそうに笑った。
「そう、あの時よ」
 これ以上、訊くまいと有沢は思った。
「そう・・・、あの時、『元彼の事は忘れて、新しい人を探せ』って言ったのよ、自分で殺したのに」
「それは誤解だよ。僕と矢田で間違えて彼女が事故死に導いた事は内密にして、『彼氏と喧嘩して別れた』って言ったんだ。そうしないと、自分を責めるからね」
 有沢は、自分の選択は果たして正しかったのだろうかと思った。そして飛び回る晴れ渡った空でけたたましく啼声を上げる一羽の鴎を見てこう呟いたのだった。 「『白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まず漂よふ』か・・・」
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