五芒星の秘密

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読者への公開状

 ここに書き記す物語は論理的思考のもとに、全ての謎を読者諸君が解けるようになっている。従って、注意深く読み進めていくことをお勧めする。

 私は自分のオフィスでその写真を見た時、興奮せずにはいられなかった。それほど強烈な強烈な写真だったのである。
 私は富川ホテルで起きた殺人事件に偶然居合わせ、それを解決した事から、西口警部に全幅の信頼を寄せられている。今度もまた、事件を解決する糸口を見つけようと、私の所へやってきたのである。
 さて写真へ話を戻そう。薄暗い部屋の真中には死体の周りには五芒星の描かれた紙がちらばっている。まるで黒魔術の儀式か何かのような光景だ。五芒星のイメージが湧かない読者に絵を挿入する。近く写っている乳鉢と擂粉木を見たとき、蛇の屍骸だとかイモリの黒焼きだとかを放り込み、妖しげな薬を作っている姿を想像してしまった。

 被害者の表情は仰向けに倒れていたために、表情がよく解った。黒いスカートに魔女が着ていそうなだぶだぶの服、目に掛かるほどの髪は肩の辺りでばっさりと切り揃えていた。一言でいうならタロット・カードで一日の行動を決めていそうな女性だ。
「被害者は自称霊媒師、三十三歳。年老いた母親と家政婦の三人暮らしだそうだ」
私の知合い西口警部が事件の説明をした。
「全く、不気味な事件だ。魔女狩りの時代ならともかく、今時黒魔術だなんて」
「特異性は推理の手助けになることはあっても、足を引っ張ることはありませんよ」
 私は高ぶった気を抑えるため、コーヒーを一口飲んだ。面白そうな事件だ。なぜ犯人はこのような事をしたのだろうか?彼は一瞬渋い顔を見せたが、また事件の説明に入った。
「そこにもあるように、死因は刺殺」
 私は次のビニール袋に入った遺留品が写されているページに目を移した。凶器は柄に蛇の装飾が施されたもので、どす黒い血がべったりとついていた。まるで古代アステカ人の生贄の儀式が行われたかのようだ。ナイフに指紋はなかった、と警部は言った。被害者の手元には口紅で五芒星が書かれた紙があった。他の五芒星も口紅で書かれたものだと鑑識の報告が出ていた。
「この蝋燭とマッチは?」
 私はそのナイフの隣に載っている写真を見ながら、訊いた。
「被害者の机の引出にあったものだ。そこに机の写真があるだろ?」
 警部に言われるまま、私はそれを見た。五芒星の中央に山羊の頭が描かれた黒いハード・カヴァーの本が数冊積まれていた。他にもブードゥー教の死者を甦らせる方法などに関する妖しげな書籍がある。机の上には紙が散乱しており、一つの紙には一筆書きの星が鉛筆で何回も描かれていた。どうやらスランプ状態に陥った際、無意識にやってしまう癖らしい。本当に癖というものは千差万別だと私は思った。
「被害者の所持品に鏡がないんですね」
 私は少し意外に思って尋ねた。
「ああ、でも女だからって化粧するとは限らんだろう?」
 私は机の周辺を写した写真に目をやった。「猫まっしぐら」というテレビCMでおなじみの某有名メイカーのキャットフードが、机にもたれかかるようにしておいてある。三毛猫、トラ猫と様々な猫の種類があるが黒猫を想像してしまうのは私だけだろうか?
「この割れた机に付着した血液は誰のものなのですか?」
「ああ、それか。血液は家政婦のものだったよ。荻原は一週間くらい前から禁煙し、そのガラスの灰皿をゴミ箱に捨てたらしい。その灰皿の破片で指を切ってしまったそうだ」
 そうですか、と私は微笑して言うと
「全く無駄足だったよ」

「それで、容疑者の絞込みはどこまで進んでいますか?」
 私はソファにもたれ、手を組み合わせた。これは私が人の話を聞くときに、ついついやってしまう姿勢なのである。
「容疑者は星野陽一、三角(みすみ)あや、円鐸(えんたく)和尚」
 と言いながら警部は黒い手提げ鞄からガサゴソとビデオテープを取り出した。ラヴェルから察するに被害者宅の玄関前に設置してあるビデオカメラの映像らしい。
「見るか?」
 警部は私の返事も待たず、ビデオデッキにテープをセットした。ウィーンとモーターが唸ってテープが吸い込まれていく。私は電源を入れるとビデオを再生した。だがカメラが安物で画質が悪い上にモノクロで音もない。チャップリンのトーキー映画を観ているような感じだった。
 夜の九時七分、ポーチが灯り、玄関が開いた。灯ったポーチのお陰で、白い顎鬚、坊主頭、袈裟などが見える。彼の話だとこれが円鐸和尚だということだ。
闇黒寺の和尚だ。また同時に天体観測が趣味で、アマチュア天文家の間では結構有名らしい」
「彼は何をしに?」
 私はテレビの画面を見ながら、言った。
「ああ、母親の頼みで引篭りがちの荻原に少しでも外の土を踏ませようと努力してたらしい」
 何回も見ているのだろうか?テレビ画面には見向きもせずにコーヒーを啜っている。
「彼の事情聴取時の持ち物は?」
 と言いつつも、なおも私の目はテレビ画面を凝視している。
「浄土宗の経典、煙草、ライター、ポケットティッシュ、車の鍵、財布、ハンカチだ」
「ふうん」
 生返事をした。相変わらず、外では変わった様子がない。もっとも、こんな画質では気付かないだろう。
「それがな、彼の証言によると、荻原に会えなかったそうだ」
「どういうことですか?」
「門前払いを食ってしまったそうだ」
「それにしては長い時間いますね」
 もし円鐸和尚の証言どおりだとすれば三分以内で出てくるはずだ。しかし十分も掛かっている。
「ああ、家政婦に『どうせでしたらコーヒーでも』と言われたらしい」
「それでコーヒーを飲みながら十一分間もお喋りを・・・」
 ビデオの時刻が九時十八分になったのを見て言った。
「ああ、一応天体、ということから星に結びつかないこともない」
 二十分になって、またポーチが点灯した。灯りから映し出される顔は二十代前半の女だった。
「こいつは三角だ」
 警部が言った。
「彼女はオカルトを題材にした作家で荻原とも普段から親交があったらしい」
「何か荻原さんを恨む動機でも?」
「いや、しかし作家としての出版費用は全て荻原持ちだったらしい。負い目を感じてる三角に何やかんやと命令してたらしい。簡単に言えば日本とアメリカだ」
 私は諷刺の利いた警部の台詞に苦笑してしまった。
「まあ、星とは一番無縁な人物だな」
「ちなみに彼女の持ち物は?」
 犯人であるはずがないと決め付けているらしい。何故、そのようなことを訊くのかと不思議そうに、
「彼女か?」
 と言って、資料を読み上げた。
「煙草三箱、化粧用具一式…ファンデーション、手鏡、マニキュア…、手帳、財布、ハンカチ、英会話学校のポケットティッシュだ。俺より酷いヘヴィ・スモーカーだ」
 どっちもどっちだと思いながら私は苦笑した。三角が出て行くのが映っていたので、
「彼女はどこへ?」
「近くのコンビニだ。缶ビールを買いに入ったそうだ。レシートもあるし、そのコンビニのバイトに確認を取ったから間違いない」
「また誰か入ってきましたよ。星野陽一ですね」
 十時一分とビデオに映っている時計を見ながら、言った。警部の話だと「霊能力など手品で解明できる」と主張しているアマチュア手品師らしい。
「ああ、テレビで言い過ぎたと謝りに来たそうだ。ちなみに彼は生きている被害者を最後まで見た人物だ」
 荻原はすぐに許してくれたかと尋ねた。もしそうでなかったとしたら、動機は充分である。
「星野の話だとな」
 憮然として警部は言った。
「確かに、二人きりの会話だと誰も証人がいないですからね」
「ああ。おまけにコンビニから帰ったら、死んでいたそうだ」
 その台詞を言ったときビデオでは、コンビニの袋を持っている三角と玄関から出る星野の姿が映し出されていた。二人はすれ違いざまに互いに会釈するのが見えた。それから煙草に火を点けたらしく、彼の口許が人魂のようにぼおっと光に包まれた。
「ま、星野が最も怪しいな」
 私は微笑して、
「そうでしょうか?」

 気がつくと雨が降り始めていた。空が灰色に覆われて、部屋の中が薄暗くなる。湿気で部屋の中がジメジメし始めた。まるで古い教会のように陰気だ。私はテレビの電源を切るとテープを警部に渡した。鴉が甲高い声を上げ、飛び回っているのが目に映った。
「それで、警部自身はなぜ五芒星の描かれた紙がばらまかれたと考えますか?」
 警部は決め付け、渋い顔で言った。私は微笑を浮かべ、
「では警部は黒魔術の儀式をするために、五芒星をばら撒いたとでも?」
「そうだ。そうとしか考えられん」
 むっつりとして警部は言った。私は微笑して
「そうですか」
「ああ、馬鹿げた連中が犯罪に関わるとかなわん」
「『考えられない』という単語と『考えていない』という単語を混同してませんか?」
 私はくすくす笑って言った。警部は眉をひそめ、どう言う意味かと尋ねた。
「犯人は何かをカムフラージュしたかっただとか」
「木の葉を隠すなら森の中に隠せ、か」
 私はまた、くすくすと笑って、
「そして頭のいい人は森がなければ、森を作るでしょうね」
「しかし、それは無理だな。あの紙を一枚一枚調べたが、どれもこれもスーパーの折込チラシで、犯人に結びつく手掛りは発見されなかった」
 私は微笑して
「それは無駄骨でしたね」
 と言った。警部は不機嫌に
「全くだ。借用書でも見つかったら、俺としても捜査がやりやすいんだが」
 私は微笑しながら、
「でも、書類説は一枚一枚調べなくても解りましたよ。持ち去ればいいだけの話ですからね」
「死体の下にあって持ち去れなかったらどうだ?」
 少し剥きになって答えた。私は微笑して
「いやいや」
 と手を振った。窓の外で鴉が啼いた。
「それだとしたら、なぜどの紙にも五芒星を書く必要があったのでしょう?」
 私はコーヒーを啜った。雨音が酷くなっているのに気付いた。それがより陰鬱な感じを醸し出し、この妖しげな事件の雰囲気を強調している。
「一瞬、刑事たちの注目を集めたかった、と言うのは?」
 私は言った。しかし、警部の話によると容疑者たちは下に待たせておいたらしい。従って、その可能性は否定された。
「ちなみに第一発見者は一人きりだったぞ。死亡推定時刻は深夜だったしな」
 私はガラスのコーヒー・テーブル越に床の染みを見つめて、聞いていた。
「ポイントは二つだな。一つはなぜ星だったのか。二つ目はなぜ沢山ばら撒いたのか」
 警部は上手に事件の要点を纏めた。
「正確には『星』ではなしに『五芒星』ですよ」
 警部はどっちでも一緒だろうと言ったが、私はそうは思わない。
「そうですかね」
 警部は私が愛用している、茶色いマグを見つめ、
「そうだろう」
「いや、違いますね。僕にはもうこの事件の真相が解っています」
 私は微笑しながら言った。

読者への挑戦状

 さて、私はあえてここで一旦話を中断して、読者諸君へ挑戦状を送ろう。読者諸君はあてずっぽうではなく、きちんとした論理的思考のもとで犯人が特定できるのである!そして今、諸君はその結論に至る全ての手がかりを手にした。
 さあ、賢明なる諸君よ。犯人は誰であろうか。

 しとしとと降っていた雨は激しさを増し、部屋の中が蒸し暑くなる。外でひっそりと咲いている紫陽花が雨にどっぷりと濡れ、カタツムリは気持ちよさそうに自然のシャワーを浴びている。
「なぜ犯人は五芒星の描かれた紙をばらまいたのでしょうか?」
「それが難題なんだよな」
 警部は呟いた。
「実はダイイング・メッセージだったのです」
「どういう事だ?あれはどっからどう見ても死後にばら撒かれたものだろう?」
 警部は私のいっていることがよく解らないらしく、眉に皺を寄せて言った。
「つまりあれは本来のものをカムフラージュするためにばら撒かれたのです」
「何だ?それは」
 警部の熊のような身体がすぐそこまで迫った。暑苦しい。
「正三角形ですよ。三角さんの『三角』を描きたいために正三角形を書いたのです。しかしそれに気が付いた三角さんは自分の嫌疑を逸らすために三角形を書いて五芒星にしたのだと思います」
 成程、と警部はうなづき、
「星野を書き記すために五芒星を描いたかもしれないぞ」
「それはないと思います」
 私は微笑しながら言った。なぜかと彼は尋ねたので私は机の上に散乱している紙を指し示した。
「これを見て下さい。荻原さんは反射的に星を描く時、一筆書の星を描く癖があったのです」
「死際の人間がわざわざ、描き慣れていない方の星を描くわけがない、と言うわけか」
「そういうことです」
 と私は熱っぽく言う警部を無視してさらりと言った。
「物証は?」
「ありますよ。口紅です」
「口紅?」
 彼は一瞬戸惑った。
「どういうことだ?」
「三角さんの化粧用具一式の中に、口紅がないのはおかしいと思いませんか?あの口紅は三角さんのものだったんです」
「荻原本人のものじゃないのか?彼女が握っていることから察すると」
「鏡も見ないでどうやって化粧するんです?それに円鐸和尚の訪問の目的を思い出してください」
「引篭っている被害者を外に連れ出すためだろう?」
「外にも出ない女性が化粧なんてします?必要ないと思いますね。この点は少し曖昧ですが、被害者の所持品に鏡がなかったことから簡単に推察できると思います」
「でもなぜ荻原が三角の口紅を握っていたんだ?」
 私はコーヒーを一口飲んだ。もちろん、冷め切っていた。
「ここからは僕の憶測ですが」
 と一言断ってから、
「恐らく五芒星を書き終わってから荻原さんが書いたように見せかけるために三角さんが握らせたのではないでしょうか?」
 私がそう言うと、警部は重たい身体を「どっこいしょ」と上げた。そして鞄を手にして、
「三角を引っ張って話を聞いてみる。またな」
 と、警部はオフィスを出ていった。窓の外を覗くと、パトカーが走り去っていくのが見える。ふと、カレンダーに目を向けると、今日は十三日の金曜日で仏滅だったのだ。不気味な事件の話にはもってこいである。
 鴉が遠くで不気味に啼いている。それを聞きながら、私は冷めたコーヒーを飲み干した。

2003年6月21日 創造部部誌「さむらい」掲載

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