ミステリの歴史、各時期とその特徴


推理小説の歴史を探る異議

 なぜミステリの歴史をさぐる必要があるのだろうか。これは推理小説に限らずどの分野にも言えることであるが、僕はどのような流れで発展してきたかを探ることで、これからどのように発展を遂げていくかということを予測できると考える。
 特にミステリついていうなら近年、その定義が曖昧になってきている。2000年度のミステリ専門誌「このミステリがすごい」(宝島社)では高見広春「バトル・ロワイヤル」(大田出版)がランクインされているのがその一例である。
 また、前日本推理作家協会理事長の北方謙三氏は、「時代小説、SF、青春小説何でもかんでもミステリなんです」とまで言っている。(大森望・豊崎由美共著「文学賞メッタ斬り」より)
 そこで日本ミステリのこれからを考える意味で、歴史をまとめた。

世界最初のミステリにおける論争から定義を考える(1841-1886年)

 では世界最初のミステリは何だろうか。一般には1841年に発表されたエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」だと言われているが、ギリシア神話に出てくるヘルメスの知恵比べなども推理小説とも言える。また聖書に出てくる「アベルとカイン」も犯罪を扱っている。
 ではポオがミステリの粗とされる根拠は何だろうか。それは、神の信託などに頼らず謎を解くことが中核を担う話だからである。ギリシア神話に出てくるヘルメスの知恵比べも結局はエピソードにすぎないし、「アベルとカイン」は神の信託で犯人を割り出している。

 つまりミステリとは「論理的に謎を解く話」なのである。ポオの「モルグ街の殺人」は数学の確率論を作中に挟んだりと難しすぎて、大衆受けはしなかった。しかし各地の作家に影響を及ぼしたのである。
 例えば、1868年にコリンズがイギリス最初の推理小説、「月長石」を書いているし、フランスではガボリオが1966年に世界最初の長編ミステリ、「ルルージュ事件」を発表している。ガボリオは消去法の生みの親としてその後、今日の推理法の基礎を築くことになった。
 また、ガボリオの影響を受け、オーストラリアでは1886にファーガス・ヒュームが「二輪馬車の謎」を書き上げる。またアメリカでは世界最初の女性推理作家、キャサリン・グリーンが1878年に「リーヴェンワース事件」を発表し、アガサ・クリスティにも影響を及ぼすこととなる。

 ちなみに日本では横溝正史が1921年に「恐ろしき四月馬鹿」を発表したことに端を発している。また、その2年後には、江戸川乱歩が「二銭銅貨」を発表していることにも注目しておきたい。しかしこれ以前も黒岩涙香(くろいわ るいこう)などが海外ものの翻訳を手掛けているし、中央新聞にも南陽外史が翻訳したドイル作品がこの頃から掲載されているという土壌があってのことであることも付け加えておく。
 補足として、このころから警察制度の発達が見られたことも挙げておきたい。

コナン・ドイルの果たした役割(1887-1927)

 しかし、ポオやガボリオは一部の作家には受け入れられたものの、大衆受けはしなかった。ミステリというジャンルを一躍世界に広めたのはアーサー・コナン・ドイルである。
 彼はコリンズや他の作家たちと同様、ポオやガボリオの影響を受けて「緋色の研究」を1887年に書くのだが、彼の違った点は前人たちの手法を平易に書いた、ということだろう。その証拠として、児童書向けにはコナン・ドイルの作品が多い。
 確かに彼は目新しいことはしていないが、ミステリを世に広めた功績は大きい。また一見、冷徹そうに見えるホームズが垣間見せる暖かさなども大衆受けした一つの要因だろう。
 この成功を機にチェスタートンなど他の作家たちも続々とミステリを書き始める。しかし、ここで注目して頂きたいのはオースチン・フリーマンが1907年「赤い拇指紋」を発表したことだ。なぜ意義深いかと言うと、最初に犯人が解るという刑事コロンボのような形式のミステリ(=倒叙)を最初に書いたと言う点にある。
 もう一人注目しておきたいのはイズレイル・ザングウィルである。彼は1892年に「ビッグ・ボウの殺人」で世界最初の密室トリックを発明したのだ。確かにポオの「モルグ街の殺人」は密室だったが、トリックは使われていない。
 また、ハンガリーの作家、バロネス・オルツィのことも忘れてはいけない。純文学では「紅はこべ」の作者として知られているが、ミステリ史においても従来の探偵法とは違う方法を編み出しているのである。それはアームチェア・ディテクティヴという手法で、探偵が現場に赴かずに事件を解決する、というものである。この手法はアガサ・クリスティのミス・マープルや都筑道夫の退職刑事ものにも受け継がれている。
 このころになると怪盗に焦点を当てた小説も書かれるようになる。1899年にコナン・ドイルの義弟、アーネスト・ホーナングが「議賊ラッフルズ」を発表し、後、モーリス・ルブランの1907年「怪盗紳士ルパン」へとつながる。
 またこのころの作品は短編が多いことも補足しておきたい。

黄金期(1913-1930年代)

 さて、これまで短編中心だったミステリのトレンドが1913年、ベントリー「トレント最後の事件」を境に長編がメインとなる。なぜかと言うと、フェア・プレイの精神が芽生え始めたことによるものだと考える。
 そのことを言うために参考として他の文学作品に目を向けてみよう。1848年にシャーロット・ブロンテが書いた「ジェーン・エア」は新潮文庫で2冊に別れる程であるし、1608年にミルトンが書いた叙事詩「失楽園」も岩波文庫で上下巻に渡る長編である。つまり印刷技術の都合、短編しかできなかったと言う理由ではないのである。
 これはフェア・プレイの精神の芽生えによるものではなかろうか。フェア・プレイ精神とは犯人当てを前提として作られた作品に通じる精神であり、一般読者が犯人に辿り着けるか否かというものだ。
 この最も顕著たる作品が1929年にエラリイ・クイーンが発表した「ローマ帽子の秘密」だろう。読者への挑戦状が挟まれており、「犯人を勘などではなく論理的思考のもと、言い当てられる」と明言している。
 さてなぜフェア・プレイの精神と主流が長編に代わることとつながるのだろう。それはある程度情報を公開しなければいけないが、それを隠さなければすぐ犯人が解ってしまうというジレンマから脱却するための策だと考える。つまり必要な情報を不必要な言葉で隠す、というチェスタートンの言ったあれである。

 このころの有名な作家と言えば、「そして誰もいなくなった」で有名なアガサ・クリスティやクロフツの「樽」、ジョン・ディクソン・カーなどがいる。
 アガサ・クリスティは密閉空間での殺人という手法を1939年「そして誰もいなくなった」で使い、また作家自身が小説全体にトリックを仕掛ける叙述トリックを1926年の「アクロイド殺し」で初めて使い、フェアかアンフェアかの論争を巻き起こす。また「ビッグ4」を1927年に発表し、スパイ小説の原形を作った。
 偉大な作家と言えばディクソン・カーが挙げられる。「不可能犯罪」を扱った作品が殆どで、「三つの棺」には密室講義といって密室を七つに分類した。
 また1927年にはフランセス・ノイズ・ハートが「ベラミ裁判」という法廷を最初に舞台にしたミステリを発表したことも補足しておく。

 フェア・プレイの精神の影響は小説のみならず、評論にも影響を及ぼす。ヴァン・ダインが1928年、「推理小説の二十則」を発表したり、1928年にはロナルド・ノックスが「探偵小説十戒」を発表している。その他にもリチャード・ハルの「探偵小説とその十則」、ハワード・ヘイクラフト「ゲームのルール」がある。

 またこの頃、様々なミステリの分野が開拓された。
 例えば、警察の捜査を忠実に再現した警察小説である。本格に陰りが見え始めた1931年に「怪盗レトン」でジュール・メグレ警視ものを発表する。

本格ミステリの低迷とハードボイルドの台頭

 カーは1937年に史実をテーマとした最初の歴史ミステリ「エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件」を発表する。この流れは古くは高木彬光「邪馬台国の秘密」、そして現代では鯨統一郎「邪馬台国はどこですか」やジョセフィン・テイ「時の娘」にまで影響を及ぼすこととなった。
 また、アントニー・バークリーはフランシス・アイルズ名義で1935年「殺意」を発表。主人公の危機からの脱出の様子を描いたサスペンスという分野を開拓する。
 しかし、これはポオの流れを組んだ謎解きゲーム(=本格ミステリ)が行き詰まりを見せたことによるものである。ではなぜあれだけの栄華を誇っていた本格ミステリが行き詰まったのだろうか。それはトリックが出つくしたこと、あまりにゲーム性を追究したためためにリアリティが喪失したことに帰するものである。
 そこで登場したのが、ハードボイルドである。これは「非情な探偵を登場させることで人間関係を浮き上がらせる」と言う考え方のもとに作られた小説であり、この考えはヘミングウェイが根底にある。しかし、それをミステリに応用したのが1927年、ダシール・ハメットによって書かれた「血の収穫」である。
 しかしこの間にもエラリイ・クイーンが細々と本格ミステリを書き続けたことによって火は消えずに済んだのである。
 日本ではこの問題に対して、松本清張がその事件が起きた社会背景にスポットを当てることで解決した。しかし鯨統一郎は「本格ミステリを駆逐してしまった」と指摘している。

イギリス、アメリカ、日本のそれぞれの現代事情(1950-)

 戦後に入ると、様々なミステリの分野が形成された。例えば昨年「アイ・ロボット」で話題となったアイザック・アシモフは「黒後家蜘蛛の会」という王道的なミステリを出すかたわら、1954年に「鋼鉄都市」で近未来を舞台にしたミステリ(=SFミステリ)が誕生した。

 「現代においては、アメリカではすっかりハードボイルドやサスペンス・警察小説が台頭していて本格作家は余り見受けられません。
イギリスではレンデル・ジェイムズの二大女流作家とデクスター、ラヴゼイ、ヒルがその代表的作家と言えるでしょう」


 このN・M卿氏が運営するaga-searchの一言が英米の現代ミステリ事情そのものだ。確かにサラ・パレツキーやスー・グラフトンはアメリカである。
 また1975年に「レッド・ドラゴン」でデビューしたトマス・ハリスにも注目したい。彼は精神異常者の精神科医、ハンニバル・レクター博士を登場させることでグロテスクな場面を描き出し、恐怖小説に新たな風を吹き込んだのだ。
 では我が国ではどうなのだろう。松本清張の影響で一時は、本格派は風前の灯火になってしまったものの、1989年島田荘司が「本格ミステリー宣言」を発表し、起死回生を図る。ここで誤解して欲しくないのは、本格ミステリが書かれなくなったわけではなく、大衆の関心は社会派ミステリに移っていったということである。
 また彼の推薦で綾辻行人、法月綸太郎、歌野晶午、安孫子武丸などがデビューし、地位は安泰になった。
 その一方で、1989年に北村薫が「空飛ぶ馬」でデビューし、犯罪を扱わないミステリが誕生したのも異議深い。

結論

 アメリカで築きあげた本格ミステリがアメリカでは駆逐されてしまっているという事実は遺憾であるが、イギリスや日本が引き継いてくれると思っている。特に日本の場合 はハードボイルドを駆逐せずに上手に共存できると思う。
 なぜなら大沢有昌、馳周一、原寮などハードボイルド作家もまだ元気であるからだ。しかしその一方で綾辻行人、有栖川有栖など本格ミステリ作家も勢いがあるからである。
 しかしその一方で、またトリックが出尽くすのではないかという懸念もある。

参考文献