Oの悲劇〜専門店編〜  僕と母親はその日の午後、少し遅めの昼食を取った後コンタクトランドというコンタクトレンズ専門 店へと入っていった。  最初に問診票のようなものに記入してから、併設されている眼科へと行く。しばらく待ってから順番 が来て診察室へ足を踏み入れ、 「いかにも先生でごわす」  と自己主張している眼科医の診察を受けた。病院でやったのとほとんど同じ。だが病院と違うのは、 「あなたは目を上に挙げたりしたに下げたりする筋肉が弱くて・・・」  とかなり専門的な(専門だから当然だけど)事を話してくれる。なかなか好感の持てる人だった。そ こで僕は、一番の目的である、免許を取るための視力回復はどうなのかを早速聞いてみる事にした。 「あのぉ、視力って戻りますか?」 「はあ?」  いきなり怪訝な顔で聞き返されて、今までの事を話して聞かせると、 「ああ、どうだろうね、無理かなあ」 「無理ですか?」 「いや、そのあたりは実際にコンタクトをつけてみないとね」  眼科医は笑いながらそう言って、カルテに記入したあと、看護婦さん風の店員さんにそれを渡した。 「こちらへ」  看護婦さん風の店員さん(面倒くさいなあこうやって書くの)に連れられて、早速ハードコンタクト レンズをつけてみましょうと言う流れになった。 「待ってください!」  僕はびっくりしてつい大きな声で言ってしまった。何の心の準備も出来ていないのである。それなの にいきなりコンタクトレンズを目玉にグリグリ押し込めと言われるんだから、小心者の僕としては怖く て仕方がないのだ。 「大丈夫ですよ」  看護婦さん風の店員さんが営業スマイルでニッコリ笑うと、レンズケースを出してきた。蓋をクルク ル回して、中からコンタクトレンズを出す。 「それじゃ入れますよ」  彼女はそう言うと僕の瞼をぐぐっと押し上げて、ちょんとレンズを載せた。 「あれ、おかしい」 「何かありましたか?」 「いや、痛くないんですよ」 「ああ、大丈夫ですよ。痛くないんですから安心してください」  内心アホだこいつとでも思っているのだろうか。笑顔がぎこちない。  そのまま両目にコンタクトレンズを入れた僕は、一旦待合室へと戻された。  不思議である。僕は眼鏡がないとほとんど周りがぼやけてしまってよく分からないのである。それが 、四車線道路を挟んだ向かい側の店の小さな金文字がはっきりと読みとれるのである。 「凄い。はあ、凄い。なるほど。うん。凄い」  しきりに凄い凄いを連発して喜んでいたのだが、どうにも目の中が気持ち悪い。なんだかだんだん痛 くなってきたのである。左目は装でもないのだが、右目のコンタクトレンズがずれたのだろうか。徐々 にジンジンと痛みを感じてきて、五分としないうちにズキズキ。耐えられなくなって立ち上がった時、 見覚えのある顔がそこにあった。 「おりょ?」 「あれ?」  以前僕がひいきにしていた眼鏡屋のお兄ちゃんがいたのである。しばらく僕は痛みを忘れて、 「お久しぶりですねえ」 「そうですねえ」  なんて言葉を交わしていた。そこではたと気付いた僕はすぐに、 「目が痛いです」  と不調を訴えると、さすがは店員さん。顔が急にシャキッとする。すぐさま検査用の機械の前に僕を 座らせると、目の中を覗き込んだ。 「ああ、ずれてますね。うわー、痛いよこれは。ハッハッハ」  笑い事じゃないだろう。ちょっと想像していただきたい。目を覗く変な機械に顎を乗せて口を半開き にしている僕と、双眼鏡をでっかくしたような機械に目をくっつけて大笑いしながら僕の目に指を突っ 込む店員の姿。ちょっと不愉快である。 「それじゃ、ソフトコンタクトレンズにしましょうか」  そう言うと、僕をコンタクトレンズ装着用の椅子(と言っても普通の丸椅子だけどね)に座らせて、 ちょいちょいとレンズを外して、また別のレンズケースをもってきた。 「それじゃつけますよ」  ソフトの方が痛いのだろうか。そう思っていたがやっぱり痛くない。なるほど、コンタクトレンズは 全然痛みを感じないのか。そう思って納得していると、 「それじゃ視力検査をしてみましょうか」  お兄ちゃんはそう言って、僕を視力検査用の機械の前に座らせた。よく目にする「C」が上を向いた り下を向いたり右を向いたり左を向いたり斜めになったりしているのかと思いきや、「いろはにほへと 」と平仮名が並んでいる。 「これ分かりますか?」 「ほ」 「じゃこれは?」 「い・・・かな?」 「に、ですね。じゃこれは?」 「豆粒?」  下の方は点にしか見えない。 「ちょっと免許無理ですねぇ・・・。0.6までは出てるんですよ。でも0.7が見えてないですねえ ・・・」 「ダメですか?」 「はい。ダメです」 「あの、もっと度の強いコンタクトってないですか?」 「うーん・・・。コンタクトレンズはそう言うものじゃないんですよ。だから無理ですねえ」 「はあ・・・」 「まあ、年ですよ」 「え、老けてますか?」 「いや、そうじゃなくて、年齢で視力は変わってくるんです。ただ今すぐにはどうにもならないですね 」  決定的だった。今どうにもならない。この日の翌日は自動車学校入校日である。せっかく27万円用 意したのに・・・。  僕はちょっと沈んだ気持ちで、母親にダメだったよと力無く笑って告げた。そのあと、コンタクトレ ンズを洗う洗浄液三本を受け取って、お金を払うと店を出た。  家へと向かう車の中、元気のない僕を励まそうと母親がしきりに話しかけてくる。 「まあ、大丈夫やて」  岐阜弁の訛りの強い口調で、母は笑いながら言った。 「まあ、そう気をおとさんでもええて」 「うん・・・」  別に気を落としているわけではない。27万円で何が買えるか、考えていたのである(バカだ)。  翌日、自動車学校へ入校を断りに言ったその足で、僕の部屋と母親の部屋のクーラー二台、閉めて十 万八千円、携帯電話の機種変更二台で5万円前後を使って、免許は取れなくても当面の生活に影響が出 ないような環境を整える事は出来たのである。  現在、免許を取る予定だったお金で買ったクーラーで部屋をガンガンに冷やし、買い換えた携帯電話 で猫の写真と取って大喜び。そして今、コンタクトレンズをつけてこのエッセイを書いている。さっき からコンタクトレンズがずれて気になっているところだが、やっぱり不思議だ。字がくっきり見える。  まあ、しばらくはコンタクトレンズと点眼治療で視力の回復を計るつもりである。 (了)