朝、みんなが目覚めて大食堂に集まると、使用人が用意した食事をパクつき始 めた。全員重苦しい空気に包まれ、無言である。いや、ただ一人文句を言ってい る人間がいた・・・ 「トースト一枚じゃ死ぬ」 「コーヒー温い」 「トーストおかわりできないの?」  次々と文句を垂れるのはもちろん京介である。トーストにバターをたっぷり塗 りつけてそれを二口で平らげ、コーヒーを一気に飲み干した。 「静かに食べなさいよ」  注意しているのは香である。 「だって、少ない・・・」 「うるさい」  眞司は温くなったコーヒーを一杯飲むと、カップを弄び始めた。 「中山さん」  ナフキンで口を吹きながら、健児が口を開いた。 「なんです?」  無関心を装ったまま、眞司はそう答えた。 「もう、捜査を打ち切りにしてもらえませんか?」 「なぜです?」 「私もそろそろ仕事に戻らなければなりませんし、もう調査する必要もないでし ょう。父が死に、妻も死んだ。あなた方がここにいる理由は、何もないはずです が?」  眞司は眉毛をつり上げ、コーヒーカップをソーサーに戻した。 「全然。忘れてもらっては困ります。二人は殺されたんですよ」 「はい?」 「美佐江さんは、殺されたんです」 「待ってください、遺書があるんですよ。おかしいじゃないですか」 「おかしいのはこめかみと遺書なんです。拳銃を押し付けて撃ったのに皮膚が焦 げた形跡がない。遺書はワープロ打ちですが、本人のサインがないと無効です。 明らかに殺人事件だと思いますが?」  健児はコーヒーを一口飲むと、席を立った。廊下へ出るドアへ歩きながら、 「お金は払います。とにかく出ていってください」 「お金はもらっています。まだはっきりさせなきゃならないことが沢山ある。あ なたがワープロのインクリボンを息子に取りに行かせた理由とかね」  健児は振り返って、 「何を言ってるんです?」 「息子さんから聞きましたよ」 「インクリボンなんて知りませんが」 「そうですか」 「あなたね、人を侮辱するのもいい加減にしてください」  眞司はポケットから小型のカセットレコーダーを取り出して、再生スイッチを 押した。 「親父が百万円やるから、見つからないようにインクリボンを盗って来いって。 それで俺、金が欲しかったし・・・ これを上手くやったら、あとでたかれるだ ろ?」  眞司は停止ボタンを押すと、口元に笑みを浮かべて、 「竜太君、もう一度説明してくれるかな?」  竜太の隣に座っていた京介が、竜太の肩に手を置いて微笑んだ。 「あの、親父が、インクリボンを取ってきたら金くれるって・・・」 「嘘じゃないんだよな?」  京介が相変わらず微笑みを湛えたまま、聞いた。 「うん」 「さて」  眞司が立ち上がって、健児の背後に立つと、 「お話、聞いていただけますね?」  健児はコーヒーをもう一口啜ると、ゆっくりと頷いたのである。 「関根隆吉さんを殺した凶器は、おそらく高志君の用意した誕生日プレゼントだ と思うんです。心臓が悪いとこぼしていた彼を殺すのに打ってつけだったはずで す。誕生日プレゼントにびっくり箱を贈ったんですよ。それならあの紅白の紙切 れの説明が付きます。事件当日、高志君のプレゼントを取り上げるか何かして、 隆吉さんのプレゼントの中に混ぜた。たぶん一番上に。すぐ手に取れますからね 。そしてそれを開けた。まさかそんな物が入っているとは思わないでしょう。相 手を傷つけることなく殺せるんです。あとは秘密の通路を使って片づければいい 。そうすれば心臓麻痺として片づけられる。次は美佐江さんです」  眞司はそこでいったん言葉を切り、名探偵よろしく部屋の中を歩き出した。 「彼女は何らかの形で、健児さんが隆吉さんを殺した事をかぎつけた。健児さん 、あなたは美佐江さんが邪魔になった。それで彼女に罪を擦り付けて殺す事を考 えた。そこで問題が出てくる。彼女が殺されたのは夜中だ。庭にはライトもない 。それに彼女は庭の真ん中あたりに倒れていた。そうなると家の明かりですら届 かない事になる。暗闇の中で彼女に気づかれずに射殺し、そして何食わぬ顔で現 場に現れた。これには共犯者が必要になる」  眞司はゆっくりと一周して、また健児の背後に立った。 「桂千恵美さん、あなたの協力が必要になる」  千恵美はハッとして眞司を見た。 「私・・・」 「猟銃免許をお持ちだとか」 「あなたはおそらく、眼帯か何かをして片方の目を塞いでいたのでしょう。あら かじめ暗闇にならしておき、美佐江さんの姿を確認したら眼帯を外して射殺する 。あなた方二人は罪に問われず、めでたしめでたし」 「いくらなんでも・・・ひどいじゃありませんか!」 「ひどい?」  千恵美はぽろぽろと涙をこぼし始めた。 「そうですよ・・・身よりのない私を娘のように可愛がってくれた人を殺す手伝 いをしたなんて、いくら何でもひどいですよ!」 「そうは思いませんがね」 「どういう事よ」 「僕、よく考えてわかったんです。健児さんを襲った犯人が。それ、あなたです 」 「私が?」  眞司は満面の笑みで頷いた。 「走り方です」 「走り方がどうしたの?」 「さらしを巻いて胸をごまかしても、走るそぶりまでは無理みたいですね」 「私・・・」 「涙まで流すとは、あなた女優にでもなった方がいいですな」  健児はケラケラ笑っている眞司をじっと睨むと、そっと上着の中に手を入れた 。脇の下に収まっている鉄のかたまりの感触を確かめてから、口を開いた。 「中山さん、レーザーポインタをご存じかな?」 「レーザーが変わりに照準をつけてくれるんでしょ」 「その通り」  健児は立ち上がると上着の中から手を引き抜いた。その手には拳銃が握られ、 レーザーポインタの赤い光の筋が、眞司の額に当たっている。 「彼女は関係ない。美佐江を殺したのは僕だ。これに暗視ゴーグルがあれば完璧 だよ」 「お前・・・」  京介が立ち上がろうとした時、テーブルの上にあったコーヒーカップが、銃声 とともに砕け散ったのである。弾丸は机を貫通し、京介の膝を撃ち抜いていた。 「京介!」 「動くな!」  健児が拳銃を眞司に向けた。 「千恵美は悪くない。千恵美は関係ないんだ!」 「黙れ」 「黙るのはお前だ」  香はゆっくり右手を挙げた。 「なんだ」 「京介君、怪我してるんだから手当位させてよ」 「ダメだ」 「いいじゃない」 「ダメだ。座ってろ立つな」  香は立ち上がりかけたが拳銃を向けられてまた座った。京介は足を押さえてう めいている。床には赤い血だまりが広がっていく。 「早く止血しないと・・・」 「ダメだ」  眞司は、そっと千恵美の顔を見た。ちょうど目があって、眞司は必死に自分の 腰に視線を向け、もう一度千恵美の顔を見た。千恵美も事情を飲み込めたようで 、わからないように眞司の腰にそっと手を伸ばした。  実は事前に千恵美と話をしていたのである。そして事の真相をすべて彼女から 聞き出した上で、手伝ってもらっているのだ。まあ、京介が撃たれたのは予定外 だったが。  千恵美は眞司が腰につけているホルスターから催涙スプレーガンを抜き取り、 そっと手渡した。よし、香の話に集中してるな。眞司はゆっくり左に体を動かす と、スプレーガンを握りしめた。 「動くな!」  健児は拳銃を眞司に向けた。 「お前・・・」 「これ、何かわかるだろ?」 「銃、だな」 「今すぐそいつを捨てろ」 「ダメだ。だいたいお前、それオモチャだろ。そんなに銃身が太いんじゃ、一発 でばれるぞ」 「どうかな?」  眞司が引き金を引いた。銃口から白煙が勢いよく吹き出し、それは暴発するこ となく正確に健児の顔に吹きかかった。続いて眞司がスプレーガンを放り出して 飛びかかったのである。健児の首を両手で絞めて、一緒に床に倒れる。そのあと 、立て続けに三発の銃声が響いたのである。そのうち二発は健児が発砲し、眞司 のお腹と左腕に、もう一発は、健児の肩に当たっていたのである。 「警部・・・遅い・・・」  ドアから警官を多数引き連れて突撃してきた大谷がとっさに引き金を引いたの である。その一発が健児の肩に当たったのだ。 「すまん、ちょっと手間取ってな、大丈夫か?」 「大丈夫なわけないでしょ!」  香が立ち上がって眞司に駆け寄る。続いて千恵美。 「おい! こっちも少しは心配しろ!」  叫び声を上げてワーワー喚いているのは、京介だった・・・  救急車三台が玄関に横付けされ、眞司、健児、京介の三人が担架に乗せられて 運ばれていく。サイレンをけたたましく鳴り響かせながら山を下る救急車を見送 った大谷は、千恵美の肩にそっと手をかけた。 「詳しい事情は聞いていないが、あんたも罪に問われる。わかるな?」 「はい」 「どうして、あんた人殺しなんか?」 「隆吉さんを、愛していたんです」 「ちょっと待て、なに?」 「好きだったんです、あの人の事。でもね、私、あの人のオモチャにすぎなかっ たんですよ。ある日、私の事を罵ったんです。健児さんにね。そりゃあもうひど い言われようでしたわ。身よりのない私を引き取ってくださった事は感謝してま すけど、私我慢できなかった」 「それで、健児と共謀したというわけだな?」 「ええ。高志の誕生日プレゼントを利用したのよ。上手く行ったと思ったのに、 今度は美佐江さんがそれに気づいたの。彼女を自殺に見せかけて殺そうと考えた のは健児さんよ。彼女を撃ったのも健児さん。私は健児さんへの疑いを他へ向け るために滅茶苦茶に拳銃を撃ったわ」 「わかった。詳しい事は、地元署のやつらに話してくれ」 「ええ」  大谷は側にいた制服警官に彼女を預けると、覆面パトカーに乗り込んでアクセ ルを思い切り踏み込んだ。タイヤが白い煙を上げて、車が急発進する。大谷は病 院に向けて車を走らせた。 エピローグ  都内某所の病院のベッドでは、中山眞司と神山京介の二人が、ああでもないこ うでもないと騒いでいた。 「病院の飯は何でこんなにまずいんだ!」 「文句言うなよ・・・」 「みそ汁は冷めてるし、ご飯はぐちゃぐちゃしてるし、だいたい俺は足を撃たれただけだぞ! もっとまともなのが食べたい!」 「俺はどうなる」 「別にいいだろ? 眞司は悪食だし」 「そりゃお前だ・・・」  いつものような元気が、眞司にはない。当たり前だ。お腹と腕を撃たれたので ある。京介は膝を撃ち抜かれただけだ。当然食事だって双方違う物がでてくる。 元々病人の食事というものは栄養バランスを考え、さらに個人にあったものを出 してくるわけで、眞司と京介の食事は違うものの、不味い事は同じだった。 「少し寝かせてくれ」  眞司は顔をしかめて目を閉じた。傷が痛むのである。 「もうすぐ俺は退院できるからいいけど、眞司はどうなんだ?」 「寝かせてくれよ」  病院のベッドに横になっていると、どうも眠たくなってしまう。だいたい夜遅 くまでぼんやりと考え事をしていたわけで・・・ 「眞司」  二人部屋のドアが開いて、香と大谷が姿を現した。 「京介を黙らせてくれ。眠いんだ・・・」 「京介君、大人しくしてないと眞司に八つ裂きにされるわよ」 「まさか!」 「普段大人しい奴ほど、怒ると怖いんだぞ?」  大谷がにこにこしながら言った。 「でもさ、格好良かったぜ? 犯人に飛びかかってさ」  京介はにやにやしながら眞司を見た。眞司の表情はどことなく虚ろで、本当に 眠そうである。 「撃たれてるけどね」  眞司はそう呟いた。 「だけどそうそう出来るもんじゃないだろ? 拳銃持った奴に飛びかかるなんて さ」 「かもな。だいたい警部、遅いよ。なにしてたのさ」  大谷はそう言われると恥ずかしそうに頭をかいた。 「実はあの時な、俺混乱しちゃってさ。どこをどう行けば大食堂に行けるかわか らなくなって・・・」 「冗談だろ?」 「本当だよ」 「警部の、馬鹿!」  と体を起こした眞司は、カッと目を見開いたのである。 「イテテテテテテ・・・・」 「眞司!」 「なにやってんだ馬鹿!」 「寝てなきゃダメだろ!」 「痛い!」  にわかに病室が慌ただしくなり、やがて看護婦数名、主治医もその騒ぎに加わ って、大騒動になったのだった・・・  数ヶ月後、事務所の運営が再開された。眞司が退院したのである。 「一千万の報酬か・・・おまけが鉛玉なんてツイてない」  眞司は社長よろしく椅子に深く腰掛けてふんぞり返ると首を傾げた。 「京介、ここにあった茶封筒知らないか?」 「茶封筒?」  カツ丼をかっ込みながら京介が言った。 「そうだ。お前さっき掃除してただろ」 「ああ、あれか。ゴミじゃなかったの?」 「なに?」 「ゴミだと思って捨てたけど、違った?」 「あれは小切手だ!」  眞司は飛び上がるように椅子から立ち上がると慌てて外へ飛び出していった。 コンクリートむき出しの階段を駆け下り、外のゴミ集積場に向かって全力疾走す る。ちょうどゴミ収集車が最後のゴミ袋、<中山探偵事務所>と下手くそな字で 名前の書かれた事業用ゴミ袋を収集車に放り込むところだった。 「嘘だろ・・・」  眞司はその場にぺたんと座り込んだ。後ろから香と京介が走ってくる。 「眞司・・・」 「ごめん!」  眞司は両手をあわせて謝る京介をじろりと睨むと、 「お前は・・・クビだ!」  と叫んで京介めがけて突進したのである。当然京介は逃げた。事務所の前を何 往復も、京介と眞司のおいかけっこが始まったのである。 「馬鹿みたい」  香はため息をつくと、また階段を上っていった。  よく晴れた、朝の出来事である・・・ (了)