夕 暮 れ 時 の 雷 鳴

 

ほんの少し薄暗くなったことに今、気が付いた。
ヘッドフォンを付け、大爆音でCDを聞きながらささやかなディナータイムを楽しんでいるところに邪魔が入ったのだ。
邪魔者の登場は眩しすぎる光を伴ったものだった。
本当は光が射し込む前に気配で既に気付いていたのだが、敵意が感じられなかったために放って置いたのだった。
《お久しぶりですね。》
直接頭に飛び込んでくる声は、著しく彼の気分を害した。
折角楽しんでいた音の洪水を名残惜しそうに外すと、後ろを振り向いた。
「何だ?俺を呼びに来るなんて。」
果てしなく不機嫌な声に、邪魔者は苦笑する。
《何だ・・・と言われましても・・・。お父上様からの伝言を伝えます。【早急に戻ってくるように。】》
彼は眉をひそめた。
「それだけか?何か妙に引っ掛かるな・・・・。お前、何か知ってるんではないのか?カルエル。」
《さぁ・・・・ただ私は雷神帝様からの伝言をお伝えに来るのが役目ですので・・・。それでは・・・お早めにお戻り下さい。》
含んだ笑みを湛えて、カルエルは消えた。
小さな光の粒子が浮かんではライデンの前で消えていった。
「・・・・・・・・・・オヤジが・・・・・。」
地球に来た頃は何だかんだと呼び出しが多かったが、今では年に1度呼び出しがあればいい方で・・・。
今のも3年ぶりの使い魔だった。
「これからリハがあるってのになぁ・・・。」
隅の方に掲げてある時計を見ると、指定の時間まであと1時間しかなかった。
「遅刻したら・・・・・・・・怒るだろうなぁ・・・。」
デーモンの怒り顔と、ルークの勝ち誇ったような顔が目に浮かぶ。
溜息をつくと、左手を一振りした。
目の前に次元扉が現れる。
「・・・。」
ライデンが扉を開け、中に入るとすぐに扉は夕暮れに染まった茜色の部屋から消え失せた。



「あちゃぁ・・・・違うところに出ちゃった・・・。」
扉を閉めて広がった景色は雷神帝が住む【降雷殿】の緑色の空ではなく、幼い頃に自分がずっと住んでいた【五月雨の屋敷】の庭園だった。
「あんまり力使ってなかったからなぁ・・・。間違っちゃったかな?」
ブツブツ言いながら庭園入口の鉄柵を握りしめる。
まるで森のように広がるその空間は元々の姿の地球のようだった。
雷神界にしかない碧色の薔薇の群生が所狭しと咲き誇る。
そしてその中に決まって・・・。
「あ・・・れ?」
ライデンは自分の目を疑った。
いつもならそこの中に埋まるかのように薔薇の手入れをしているはずの者がいない。
そしてふと、館の空気が独特の緊張に包まれていることに気が付く。
不安になってライデンはもう5年も訪れたことの無かった屋敷の結界の鍵を開いた。



「ライデン様!!」
彼の姿を認めた若い侍従が小走りに近寄ってきた。
「どうした?何があったんだ?」
「おじい様が・・・。」
その後の言葉が続かない。よく見ると目にうっすらと涙を溜めて俯いている。
「じい様が・・・・・・?」
ライデンの顔色が変わる。
【おじい様】とは、彼の物心付いたときからずっと世話をしている侍従長のことである。
ライデンが親しみを込めて【じい様】と呼んでるいるだけで、全くの血の繋がりはない。
「じい様がどうしたんだ?」
不安げに尋ねる。
しかし返事はなく、ただ肩を震えさせているだけだった。
埒があかないと思い、ライデンは彼女の横を素通りして奥の部屋へ急いだ。



「じい様!」
扉を開けた瞬間に鼻孔を突いたのは死の香り。
穏やかな西日が射し込む中に、前に見たときよりも明らかに小さくなってしまった老人の姿。
年輪を重ねた皺の中に軽く閉じられた瞳。
胸が微かに動いていることだけが彼の生きていることの証だった。
「殿下・・・。お待ちしていらっしゃいました。」
そう呟くのは、傍らに立つ白い服の男。
「じい様は・・・?」
囁くように尋ねるが、答えは分かっていた。
勿論男の答えも・・・首を横に振った。
「ただ・・・あなた様に会うことを待っていらっしゃいました。」
どうぞ・・・と席を空けた彼はそのまま部屋を出た。
ほんのりと秋の風がカーテンを翻し、ひんやりと2名の間を通り抜けてゆく。
「じい様・・・?俺だよ・・・。ライデンだよ・・・。」
耳元で強く、そして優しく囁いた。
反応を確かめるために顔を上げる。重そうな瞼がピクリと動いた。
「・・・・・・・・・・ライデン様・・・ですか?」
か細い声が部屋に響く。
「そうだよ。ライデンだよ。戻ってきたよ。」
一言一言、ゆっくりと噛みしめるように語りかける。
「・・・ライデン殿下・・・・・戻ってこられたのですね・・・。雷神帝様も・・・お喜びになることでしょう・・・。この爺の魂が霧散する前に殿下の・・・晴れ姿を見とうございました・・・。」
「じい様・・・。そんな気の弱いこと言うなよ・・・。」
ライデンの声が心なしか震えている。
「私は・・・そんな弱い方に・・・育てた覚えはありませぬぞ。・・・殿下・・・あの布をお取り下さいませ・・・。」
ぶるぶると震える指が、ライデンの真後ろの台座に置かれた藍色布を指していた。
「これ・・・?」
バサリ・・・と大きめの布を取った。顔を出したのは・・・。
「・・・雷神帝様・・・あなた様のお父上から・・・ずっとお預かりしていたモノです・・・。」
銀と空色の宝石をあしらった、かなり大振りの剣だった。
「ちょっと・・・これは・・・。」
柄の部分に彫り込まれた紋章は稲妻を背に天空へ駆け上る【ペガスス】。
代々、雷神界を見守り続ける【雷空神】しか手に取ることも許されない宝剣だった。
「雷神帝様は・・・あなた様を雷空神にと・・・思われていらっしゃいました。その剣は・・・あなた様の身を守ることは勿論・・・あなた様の大切なモノを守る・・・その・・・ために・・・。」
ガボリ・・・と大きく背中が動き、口からは血の塊が吐き出された。
「もういい!もう・・・何も言わないで・・・。」
ライデンは大きく首を振った。
しかし彼は激しく肩で息をしながら、ベッドから起き上がった。
「じい様!!」
「ライデン殿下・・・お父上は・・・あなた様を待って・・・いらっしゃいます。早く任務を終え・・・て・・・戻ってきて下さいませ・・・。私はあなた様の勇士を見ることは叶いませぬが・・・この館の・・・碧薔薇の中で・・・ずっと見て・・・。」
声が小さくなってゆく。
「じい様!!」
ライデンの声も多分聞こえていないだろう。
「じい様!!!待って!!ちょっと待てよぉ!!!」
涙を隠さずにライデンは今、手渡された剣を抜いた。
「見て!!じい様・・・この剣は俺を守ってくれる。そして俺の大切なモノを守るための剣・・・。もう一つ・・・使い方があるだろう?!」
夕暮れの淡いピンク色が、プラチナの剣先を静かに映す。
「この剣は・・・・・本当の目的は・・・。」
ライデンの身体がチカリチカリと光り始める。
その微かな眩しさに、閉じかけていた瞼が再び開いた。
どす黒く染め上げられた口元に、これ以上にない微笑みと、瞳には安堵の涙が光る。
「じい様・・・。大丈夫・・・俺は・・・俺は・・・知ってるから。俺が何をしなければいけないのか知ってるから・・・安心して?」
そう言うと、ライデンに集められた力は剣を伝って細くなりすぎた左胸に淡い光を落とした。
ぴくり・・・と彼の身体は動き、瞬間、ライデンの頬を指でなぞり、伝い落ちて・・・動かなくなった。
「じい・・・・・様・・・・。」
ライデンの涙がハタリとベッドのシーツに落ちて吸い込まれていく。
自分を守り、自分の大切なモノを守り・・・そして【無】を司る剣。
それがこの【零緑の剣】。
魂を無に帰すことが出来る唯一の者が【雷空神】である。
涙に濡れた瞳の奥では侍従長の身体が少しずつ霧散していく。
砂の城が崩れるように、ただただ静かに・・・音もなくその現象はライデンの前で行われていく。
「じい様・・・。」
最後の一片が塵と化した瞬間、強大な風が薄布のカーテンを切り裂くように部屋を占拠した。
まるで何かの意志を得た生き物のように、ライデンの身体をその勢いとは裏腹に優しく撫でまわすと、外へ一気に逃げ出していった。
風を追いかけて彼は窓に走り寄った。
碧薔薇の群生の中で風は急に静まり、キラキラと夕焼けに彩られた魂の欠片達がそこに落ちていった。
ライデンの手の中にあった剣が独りでに動き、鞘の中に収まると再び彼の手の中に帰って、つい・・・と消えた。
袖口で涙を拭き取り、立ち上がった。
「・・・。」
何も言葉が見つからず、ライデンは次元扉を開けた。



「おや・・・遅かったね。ライデン。」
帰り着いたいつものスタジオの一室。
先程まで食べていたディナーのモスバーガーがすっかり冷め切ってしまって、テーブルの上にそのまま取り残されていた。
「ゼノン・・・どうしたの?」
勝手に入ってベースで遊んでいたゼノンを見つけ、目を大きくさせる。
「ん?リハの時間なのに、君が来ないから。時間だけはいっつも守るライデンが来ないから、デーモンが見て来いって。そしたら次元扉を使った匂いがあったから・・・。待ってようかな・・・と。」
他悪魔を包み込むように笑いかけるゼノンにライデンは必死で止めてきた涙が溢れてくるのを感じた。
霞んでくる視界に、ゼノンの笑顔とすみれ色の夕暮れがダブって見えた。
「そうそう、ライデン?デーモンがねぇ・・・。」
振り向いたゼノンの胸にライデンが突如として飛び込んできた。
「?!どうしたの?!ライデ・・・・・・・・・・。」
呼びかけて・・・止めた。
小さな嗚咽を漏らして、細い肩がゼノンの胸元で揺れる。
「ライデン・・・大丈夫?」
ポンポンと肩を叩くゼノンの身体は妙に安心できるほどの暖かさだった。
ゼノンの肩越しに見える、ほんの少し開けられた扉の向こうには小さなキャンドルの揺らめきが見え隠れする。
冬はもう、目前。
11月21日に吹き上げられた晩秋の風は少しだけ・・・冷たかった。

                                                           F I N

                                                         Presented by 高倉 雅

                                                             RaidenDAY 11/21

 

Postscript

   ライデン湯沢殿下、御発生日おめでとうございます。
   私の中でライデン殿下のイメージは、一言ならぬ一曲で表すと【ARCADIA】です。
   黙示録を読んでからそうなりました。
   優しくて、とても切ないカンジがします。
   私の書く話の中では、雷神界というのはちょっと魔界と違うところにあります。
   天界に似た、ちょっと神サマ系統です。
   だからこの話の中にも【雷空神】なんて者が出てきたりしてます。神と名付けてはいますけど、厳密に言うならば神ではありません。
   どういう風に言えばいいのか・・・。
   雷神界を雷神帝サマより一段上に立って見守る・・・征夷大将軍の上、天皇ってなカンジにとらえてみてください。そんなカンジです。
   掟破りに言い訳がましいことをしてしまいました。(^−^)
   少しRXよりな話ですけど・・・・。ま、暖かく寛大に見守ってやって下さいませ。
   もちろん、この話のイメージソングは【ARCADIA】です。