W I L D L I F E
小さな小さな雪が、後から後から降りてくる。
初雪だった。
すっかり白くなってしまった窓ガラスを掌で拭き、外界が見えるようにする。
しかし、湯気が立ち上るマグカップを持って近くに立ったもんだから、あっと言う間に窓はまた、曇ってしまった。
「あ〜あ・・・。」
諦めてナイトテーブルにそれを置くと、また、視界を明るくした。
都会の喧騒からほんの少しだけ離れた高層マンション。
それが今現在のエースの住処だった。
夜景がよく見えるように・・・と考えてワザワザ最上階に引っ越したというのに・・・その直後から、お隣りさんに自分のマンションより1階だけ
高いマンションが建設中だとか・・・。
まだ半分ぐらいしか出来上がっていないので、夜景は今のところどうにか見えるが・・・そのうち、夜中に忍び込んで破壊してやろうか?
・・・とまでは本気で考えた。・・・が、そんな馬鹿馬鹿しいことに魔力を使うより、金がかかっても出来上がった隣りに引っ越した方が懸命だ
と思い直して止める事にした。
多分雪はそのまま今夜中降り続けることになるだろう。
そう思い、エースはベッドに入った。
そしてその夜から・・・・。
部屋の中の何かが破壊される現象が始まった・・・。
眠っているはずなのに眠れない。
日常では見ないように制御している夢を毎晩見るようになった。
夢の中で何かの気配を感じるのだが、瞼が開かない。
決まって目を覚ます直前にふわりと揺れるような風の匂い。
そして、錆びた鉄の香り。
現実の世界に引きずり出された時の視界は日を追う毎に凄惨なモノへとなっていった。
憎しみを込めて叩きつけられたかのような、床に散らばった破片。
げんなりとして辺りを見回す。
「またかよ・・・。」
掃除するのもバカらしくなってしまった。
今夜こそは・・・。
エースは床に落ちていた破片を拾い上げてグッと・・・握り締める。
指と指の間からじんわりと溢れて、真珠のような珠を作り、ポタリ・・・と落ちる紅い血液。
それはエース自身の例えようもない苛立ちと怒りと、何故か・・・焦りを表しているようで・・・。
ベッドから降り、窓際に立つ。
破片を握り締めたままエースは、まだ雪が積もったまま溶けきっていない下界を見つめた。
・・・音も無くその気配は突然侵入してきた。
暗闇の中、気配の主はゆっくりとベッドへ近付いて来る。
とりあえず眠ったフリをしたまま、エースはその様子を肌で感じていた。
ちょうど自分の真横に立ったと思われた瞬間、目を見開き、額の邪眼に定められていた銃口を握り締めた。
「誰だ!」
銃を持った腕が黒いマントの中から顔を出している。
雪のように白く、女のように細い腕を力任せに引いた。
フードの下に隠れた顔を拝もうと布地を握ろうとしたが、相手の身が軽すぎ、あっと言う間に距離を開かれてしまう。
「待て!」
「・・・。」
しかし何も返事は無く、侵入者の影は両手を重ね合わせると銀色の光を集めた。
この【気】は・・・。
最高の力を兼ね備えた者だけが操れる大地の気配。
考えこんでいる彼に向かってその光は放たれた。
ベッドを離れ、空中に浮いたその瞬間・・・鉄パイプ製のベッドは炎に包まれる。
「こんなところで・・・!」
エースは体勢を立て直し、舌打ちをした。
影はほんの少し顔を上げ、エースの位置を確認する。
そしてもう一度、大地の気を集め始めた。
「だからこんな所でやるなと言ってるんだ・・・!」
かなり危険な賭けではあったがエースは攻撃の光が放たれる直前、影の肩に掴みかかり、炎の力を開放した。
エースの身体から開放された灼熱の炎は影の肩の肉を削ぎ、骨を砕く手応えがあった。
「やったか・・・?」
ガクリと首が後ろへ倒れる。
その拍子にフードが浮いて、影の素顔があから様になった。
バラバラと黄金の糸が重力に逆らい、高層ビルの隙間風に煽られ、一瞬だけ宙に停止した。
「な・・・に・・・?」
我が目を疑う。
見覚えが有り過ぎる紺碧の瞳が鋭い輝きでこちらを睨んだ。
肩の傷は尋常ではない早さでもって元の皮膚に戻る。
再び降り出した雪混じりの轟風がマントを全て取り去ってしまった。
「デーモン!」
マントの下は一糸纏わぬ状態で彼はまた、エースに襲い掛かってきた。
「どういうことだ?!」
今度はとめどなく放出してくる力を必死で受け止めながらエースは叫んだ。
しかしデーモンは何も言わない。
ただ、怒りと嫉妬めいた狂気の瞳でエースへの殺気を剥き出しにしてくる。
「操られ・・・てる訳ではさそうだ・・・。」
いくらその攻撃がエースを仕留める為のものであっても、遠隔操作されている天使のきな臭い匂いは身体から感じられない。
明らかにデーモンの気であり、デーモンそのものだった。
でも・・・何故?
「デーモン!!目を覚ませ!!何故俺を殺そうとする!」
答えはないのが分かっているが、とにかく声をかけてみる。
勿論・・・なし。
「デーモン!」
一瞬の隙を狙って、エースはデーモンの目の前まで飛んだ。
驚いた様子でデーモンはエースの突然の出現に僅かの間だけ攻撃の手を休めた。
「デーモン!」
大地の気を消さないままのデーモンの両手を握り締める。
「うあっ!」
直接入り込んでくるその膨大な魔力にエースはうめく。
「止めろってんだ!」
みぞおちを強烈な勢いでヒットさせ、やっとデーモンは止まった。
ガクリと身体が二つに折れる。
「・・・・・なんだってんだ・・・。」
とにかく彼はデーモンを担ぎ、部屋の中に入った。
壊れてしまったベッドを消火し、エースは近くのソファーにデーモンを横たえた。
意識のない彼からは先ほどまでの殺気は微塵も感じない。
ただ・・・何故?
「世話の焼ける・・・。」
事情を聞くためには起こさねばならない。
だが、起こした所でまた自分を襲いはしないか・・・。
襲われることは怖くなどなかった。
自分を襲ってくるデーモンの姿など見たくなかっただけ。
しかし・・・。
エースは肩を優しく抱いて、彼を起こそうと力の放出を仕掛けた瞬間。
カッとデーモンの目は開き、右手の銃をエースの胸に突きつけた。
が、エースは無抵抗だった。
その代わり、掴まえていた肩を自分の方に引き寄せて抱き締めた。
デーモンの身体がピクリと震える。
「・・・撃ちたければ撃て。俺は消滅しようとも最期の瞬間までお前を抱いて離さない。それくらいは許してくれるだろう?」
ほんの少しずれた銃口をエースはわざわざ左胸に突きつけ直した。
そしてデーモンが引き金に掛けた指の上からエースもそっと手を置いた。
「・・・さぁ撃て。」
グッとデーモンの背中に添えた手に思いがけず力が入る。
せめて殺されるくらいなら・・・。
お前に消えない傷を・・・。
エースの細く整った爪がデーモンの肉を傷つける感触。
滲んできた血液が長い指を伝う。
「さぁ・・・・・・・・。」
覚悟を決めてエースは目を閉じた。
しかし・・・いつまでたっても胸を貫く衝撃はこない。
「デーモン?」
再び開けた目に映ったのは涙に濡れたデーモンの表情。
「どうした?何故撃たない?」
エースの肩に掛けられた左手が先ほどデーモンを傷つけたものと同じ行為を繰り返そうとしている。
「つぅ・・・・。」
背中に響く、微かな痛み。
「エース・・・。お前は・・・お前は・・・。」
正気の色をした目がこちらを見つめている。
「正気に返ったか・・・。」
ふうと溜息をついて、エースはデーモンを引き離そうとした。
「いやだ!」
デーモンは銃を握り締めたまま、エースの胸に擦り寄ってくる。
「デーモン・・・。何があった?」
仕方なくエースはそのままの姿勢で尋ねた。
「お前は・・・お前だ・・・。吾輩ではない・・・。吾輩の・・・元をいつか離れてゆく。・・・いやだ・・・お前は吾輩のモノだ。どこにも行くことは許さない・・・。
吾輩の傍を一瞬でも離れることを・・・。絶対に許さないんだ・・・。」
「なに?」
思いも寄らぬデーモンの言葉にエースは驚いた。
無言の詰問をよそにデーモンはなおも言葉を続ける。
「この計画が全て終了したらお前は情報局へ、そして吾輩は中央へ・・・。離れ離れになってしまう。そんなのはいやだ。やっと・・・こんなに長い時間
を掛けてやっとお前を傍に置いておける事ができるようになったのに・・・。」
「・・・だから・・・この計画が終わる前に・・・。お前は俺を離したくないから?・・・俺を殺して俺を永遠にお前のものにしようと思ったのか?」
怒りを露にしたエースにデーモンは俯いた。
「・・・毎朝、気が付いた時には吾輩は自分の部屋にいた。傷だらけのまま・・・。自分が何を毎晩やっているのか?よく分かっていなかった。
でも、日を追う毎に吾輩の中でお前の存在は大きく、そして自分の感情は醜くなっていった・・・。」
溜息をついてエースはゆっくりとそしてこの上なく優しく、デーモンを自分から少しだけ離した。
「・・・お前の顔が見たいだけだ。」
そう言うと難なくデーモンは手の力を抜いた。
「・・・俺はお前のモノではない。残念だが。」
エースの言葉にデーモンは驚愕と絶望を浮かべる。しかしエースの表情は変わらない。
「すまない。でも・・・ずっと永遠に・・・。共に進む事ができる。俺はお前のモノになることはできないが、これから長い時間、ずっと一緒だ。今この場
でお前に誓う。俺はお前と共にある。」
「エース・・・・!」
デーモンは再びエースの胸の中に戻ってきた。
右手から銃が転げ落ちる。
確かな温もり。
「さぁ・・・もう今夜はここに泊まっていけばいい。ベッドは・・・お前が壊したから・・・。」
ジロリとエースの視線がデーモンを射る。
幸せな気分の中にいた彼を後悔の念が取り巻く。
それを察してかエースはすぐに笑顔を戻した。
「嘘だよ。あんなものはすぐにどうとでもなる。かなり狭いけど、そのソファーで一緒に眠ろう。・・・待ってろ、暖かい物を作ってやるから。」
そう言ってエースは立ち上がった。
キッチンへ向かう彼に不意に後ろから声を掛けられる。
「エース・・・。」
「ん?」
振り向いた先にはデーモンが少し頬を赤らめてこちらを見つめていた。
「・・・ありがとう。」
改めて言われた感謝の言葉にエースも照れくさかったのか、すぐに顔を前に向けて手だけを上げた。
銀色のケトルに水を入れて火に掛けた。
沸騰するまでガラス張りの棚を漁り、ホット用のグラスを二つ用意する。
そしてバターとシナモンスティック、ゴールドラムをテーブルに置いた。
程なくしてお湯が沸き、グラスを満たした。
ホット・バタード・ラム。
眠り薬代わりには丁度良い。
出来上がった寝酒を持って、エースはデーモンのところへ戻った。
「・・・・・・・・この野郎・・・。」
安らかに肩が揺れている。
どうやらキッチンに行っている間に寝込んでしまったらしい。
「これどうしようってんだよ・・・。」
溜息をついてエースは自分の分を一気に飲もうとした。
「うわっじぃ!!」
叫びかけて慌てて口を押さえる。
・・・起きた気配はない。
息をついてエースは改めてグラスに口をつけた。
「・・・あ〜あ・・・。」
滑り落ちた薄い毛布を掛けてやるとデーモンは気持ち良さそうに寝返りを打った。
「ま、いっか・・・。」
飲んでしまったグラスを辛うじて無事だったサイドテーブルに置いて、遠慮がちにデーモンの隣りに入り込んだ。
「お休み・・・今は・・・せめて今だけは・・・ゆっくり眠れ・・・。」
呟くとエースはこれからの永遠とも言われる時間を生きていく為の・・・数瞬の安らぎに身を投じていった・・・。
F I N
presented by 高倉 雅