The poem of some LOVE

 

 

 

今、幸せなの。

だから良いんだ。

私だって、結構打算で動いてるわよ。

傷つける相手が彼の後ろに居るのは分かっている。

でも、離れられない。

「今」が幸せなら、それで良い・・・。

 

 

 

そういう「好き」の形があるのは分かる。

でも、第三者から見て辛そうに感じる。

だから、手放しで応援できない。

ただ、本人が「幸せ」だと言い切るのであれば、それはそれで良いのではないかと思ってしまった。

例え、誰かを傷つけたとしても。

だって、「誰か」が傷付か無ければ傷付くのは彼女だから。

 

 

 

私、子供嫌いなのよ。

結婚・・・しても良いけど子供は欲しくないわね。

だって、子供って邪魔するじゃない?

私は彼だけを見つめて、彼だけを愛したいの。

そして彼も、私だけを見つめて、私だけを愛して欲しいの。

子供が出来たら、それは到底無理でしょ?

子供を介した話しか出来なくなるのは耐えられない。

私、そんなに器用じゃないから。

 

 

 

なんでも器用にこなす彼女が、自分を「不器用」と称した。

そう言う意味で言えば、私はもしかしたら器用な人間になれるかもしれない・・・なんて思った。

でも、彼女は正直だ。

私の「器用さ」は何処かに臆病な自分と打算と妥協が共存している・・・ような気がする。

そんなに正直にぶつけられない。

いや、彼女も臆病なのだ。

だって最後に付け加えた。

「だから結婚したくないの。そんな事言えないじゃない。子供欲しくないって。」

 

 

 

結婚したいの。

もう3年よ。

でも私が何を言っても、「そのうち。」なのよ。

もう待つの疲れちゃった。

別れようかな・・・。

借金があるらしいの。

どれだけあるか知らないけど、でも、2人で頑張れば、絶対返せると思うし、返したいし、返す自信あるの。

そう言ったの。

でも・・・自分でなんとかするって。

そう言われるかなって思ってた。

「3年で返すって。」

その3年は過ぎたけど、借金は全く返せて無いみたい。

最初は優しいんだって思ってたけど、ただの優柔不断だって分かった。

だから私が彼の事、嫌いになってしまわないうちに、好きなうちに別れたいの。

 

 

 

彼女の彼は、確かに優しい人だ。

そして、優柔不断でもある。

彼女が焦っている環境も知っていたし、理解できた。

彼女の言った「嫌いになってしまわないうちに別れたいの。」という言葉。

一度好きになった人を、そう簡単に嫌いになるはずも無い。

しかし、そう言わしめるほど、彼女の中では限界が来ていたのだと感じた。

彼女の恋は、もうすぐ終わりを告げる。

 

 

 

「じゃあ、また。」

私は、この言葉が大嫌いである。

この言葉の後、2度と会わなくなった人が居るから。

たった一言。

「行く。」

それが言えなかった為に終った恋。

それは消える事の無い傷跡となっている。

だから

「じゃあ、また」

という言葉は、私の中では禁句。

それは、次を約束する言葉ではなく、さようならの代わりの言葉だから。