シ グ ナ ル レ ッ ド     《前編》

 

 

 

「必ずおまえの元に帰ってくる。」

あいつが、抱き締めていた俺の手から出て行ったのは1ヶ月も前の事。

信じていないわけではない。

信じる事が出来ないのは、あいつが俺の所に帰ってくる事が出来なくなるのではないかと不安になる、自分の心。

 

 

 

1ヶ月前・・・。

 

デーモンが俺の屋敷へ訪ねて来た。

「特別の任務で、明日から留守にすることになった。」

部屋に入るなり切り出した。

「特別の任務?」

そういう話は、大抵、情報局長官である俺の元にも届いて良いはずである。

しかし、寝耳に水の俺は、デーモンの顔をまじまじと見つめた。

ま、副大魔王のこいつから来る情報の流れというのも、筋が通っていると言えば言える。

「どんな任務なんだ?」

俺は、酒の入ったグラスを渡しながら訊いた。

「それが吾輩にも要領得ないんだ。とにかく行ってみない事にはって所らしい。」

「情報もないところに出向くなど危険だ。」

「吾輩もそう思う。」

溜息混じりに言う。

「そうは思うんだが時間がない。取り敢えず行ってみてなければ話にもならないからな。」

「俺も行く。」

俺の申し出に驚きを隠せないらしい。

「そう言ってくれるのは嬉しいが、そう言うわけにも行かないだろう?吾輩が引き受けた任務だ。」

きっぱりと断られる。

予想はしていたけどな。

しかし、どう考えても危険だ。

「では、連絡をくれ。全力で情報を集める。」

「ありがとう、エース。」

デーモンは初めて微笑んだ。

いつも自信に満ち溢れている瞳が、不安に揺れているのを俺が見逃すはずもなく・・・。

思わずデーモンを抱き締めていた。

少しでも、今この時だけでも不安から解放してやりたくて。

一瞬身を堅くしたデーモンも、やがて俺の胸に身を預けてきた。

俺の背中に回された手は、俺の服を握りしめていた。

肩が震えている。

どれくらいそうしていただろうか。

意を決した様に俺から離れたデーモンの瞳は、まだ不安の色が残っていたが、意外にも涙の跡はなかった。

「行って来る。」

「ああ。連絡、待ってる。」

デーモンは、振り返らず部屋を出て行った。

その背中に不安を覚えたが、気のせいだと一笑に付した。

気のせいであって欲しいと・・・。

 

 

 

1週間目。

 

何の連絡もない。

まだ辿り着いたばかりだろうし、いろいろと忙しいのだろうと、さほど気に止める事もしなかった。

俺としては、いつ連絡が来ても動ける様に準備を始めていた。

 

 

 

2週間目。

 

流石におかしいと感じる。

デーモンが最後に見せたあの不安そうな顔。

それ自体からしておかしいんだ。

デーモンがあんな顔をする事自体がだ。

もしかして、デーモンはこうなる事を予測していた?

俺の中に言い様のない不安が襲う。

しかし、悪い方へ悪い方へ進んでいく思考を必死になって止める。

デーモンに限ってそんな事はないと。

もしもの時、俺が気づかない訳がない。

何故かその自信だけはあった。

デーモンが俺に黙っていなくなる訳がないと・・・。

 

 

 

3週間目。

 

俺は伏魔殿に向かった。

ダミアン殿下に謁見する為である。

未だにデーモンから連絡がないのはどう考えても変だ。

デーモンが何処へ行ったのか確かめようと思った。

早くそうすれば良かったんだ。

殿下への謁見を申し出ると、程なく殿下付きの小姓がやって来た。

俺は殿下の私室へ通される。

暫くすると、ダミアン殿下が現れた。

俺は座っていたソファから立ち上がった。

「申し訳ありません。お呼び立ていたしました。」

殿下は軽く微笑まれた。

「いや、構わないよ。私もそろそろお前が来るだろうと思っていたからね。」

殿下の表情は微笑んだまま。

しかし、俺が来るのが分かっていたって?

「あの子からの連絡はまだかい?」

あの子とはデーモンの事。

その言葉からも、デーモンが殿下にどれだけ可愛がられているかが分かる。

そのデーモンが音信不通になれば、当然殿下の心配も増すであろう。

そして、そんな殿下だからこそ、デーモンを情報も何もない任務に就かせるとは考えにくかった。

しかし、辞令を出したのは殿下であり、事実、デーモンの消息は不明。

俺は単刀直入に訊いた。

「デーモンは何処に行ったんです?」

「赤竃だよ。」

先程、殿下が入ってきたのと同時に運ばれてきたお茶を手に取りながら答えられた。

「赤竃?」

噂だけは聞いた事があった。

何もない洞窟だという。

ただ赤いだけの。

「何故、その様なところの調査を?」

殿下の端正に顔に苦渋の表情が表れた。

「何もないはずの場所に、何かの気が感じられるという情報が来てね。何度かその報告は受けていたのだけど、無視する事も出来なっていたところに、あの子が申し出てくれた。私

もあまり気は進まなかったんだが・・・。」

デーモンとの連絡が取れなくなると言うのは、殿下にとっても予想外の展開だったのだろう。

「何故、あいつを1名で行かせたのですか?」

思わずきつい口調になってしまう。

しかし、何の情報もない場所に、副大魔王であるデーモンが伴の者も付けずに調査に向かうというのが解せない。

何故あの日、強引にでも一緒に行く事を承諾させなかったのか。

自分への苛立ちも募っていた。

「あの子がね、1名で十分だと言ったんだよ。私も誰か連れて行く様に言ったんだが、何が起こるか分からないので、単独の方が動きやすいと言ってね。それなら、副大魔王である自

分が行くのが一番良いのではないかとね。何か起こったとしても、自分ならどうにかなるだろうと。そして、逆に自分の手に負えないのであれば、それなりの今後の対策が立てやすい

からと・・・。」

「あの馬鹿・・・。」

「私としても、あの子は失いたくない。しかし、その前に・・・、私は皇太子なのだよ。そして、あの子は副大魔王。あの子自身が副大魔王の責務を果たそうとしているのに、私が私情

に流されるわけにはいかなかった。」

ああ、この方は、デーモンが大切だからこそ・・・。

「殿下、俺に行かせてください。赤竃へ。」

俺は殿下に会う前から決めていた事を口にした。

殿下は別に驚いた様子もなかった。

「デーモンを頼むよ。」

 

 

 

俺はその後の1週間、全力で情報を集めた。

いや、正確には情報を探したと言うべきだろう。

「赤竃」を知るものは皆無に等しかった。

何故なら、「赤竃」に行って戻ってきた者を見つける事が出来なかったのだ。

しかし、確かにデーモンはそこに行ったのだ。

殿下はなんと?

『何もないはずの場所に、何かの気が感じられるという情報が・・・。』

何もないはずの場所に行って、戻ってきた者がいない?

と言う事は、何もないと思っていた場所に、本当は何者かがいて、それを知らずに向かった者が、そこにいた何かに・・・。

すべてが憶測でしかない。

何かに捕らわれたデーモンの姿を想像し、それをかき消す様に頭を振り払った。

明日・・・。

明日一番に、俺は「赤竃」に向かう事にしていた。

 

 

 

朝になれば出発。

その興奮の為か、なかなか寝付けなかった。

寝苦しい。

フッと眠ろうとすれば何かに引っ張られる様に起こされる。

そして、自分が汗をかいている事に気づく。

眠らなければ・・・。

先の見えない明日からの為に眠らなければ。

 

夢?

俺は眠る事が出来たのか?

一面の赤、赤、赤。

自分が今立っている場所さえ不確かな、何処までが地面で何処までが空なのか、全てが赤。

一歩踏み出す事さえ恐怖を感じる様な赤。

目を凝らす。

足を動かすことなく、上半身だけで周囲を伺う。

正面に1点の光?

赤の中のただ1点。

何だ?

黄金・・・。

1点だったのが、だんだん広がって行く。

無風状態の中、その1点だけが揺れている様に見える。

糸?

無数の?

黄金の糸?

なびく様に揺れているのは・・・。

 

俺はそこで飛び起きた。

今のは?

今見たばかりの夢をつなぎ合わせ様とした。

何を見た?

赤に捕らわれる黄金?

 

俺は、妙な胸騒ぎを覚え、居ても立ってもいられなくなり、まだ夜は明けていなかったが、屋敷を出た。

 

 

 

 

to be continude