帰 虚
彼がそこに立ちつくした瞬間、風がピタリと静まった。
あたりを見回しても風景は変わらない。
見渡す限りの荒野・・・。
千年前、ここに大都市があったとは、誰が信じるであろうか?いや、だからこそ信じられるのかも知れない。
黒服に身を包み、その行き場を失った表情の他には一分の隙も見られない彼は、そのまま身を大地に預け、座り込んだ。
千年前のあの日、あの時、あの瞬間・・・。
どうして手を離したのだろう・・・?未だにあの選択をした自分の行動が解せなかった。
こうして永久に失うことになるのは分かっていたのに・・・。
天と地を裂くような激しい戦乱の世が、千年前に存在していた。
既に崩壊し尽くされたこの荒野を巡り、何千、何万という生きとし生ける者がまるで泡のように消えては散る。結局、勝敗は未だに付かずにいた。
互いの様子を見て、寝首をかこうと身を潜めている。彼も、その任務を担う、重要なポストにいた。
千年前の戦いの中で、その力量を認められ、今は伏魔殿に直属する最高司令官の片腕とも言われている情報局長官にまで昇り詰めた。
・・・が、もう彼の横には誰もいない。彼が片腕となるべき者がもう・・・ここには居なかった。
「畜生・・・どこへ行っちまったんだよ。」
小さく呟く。その声は不安と哀愁に満ちていた。今でもここに来ると思い出す。
それはまるで。昨日のことのように・・・。
紅蓮の炎を操り、反面、氷の刃のような冷たい視線で敵も味方も魅了していた彼は、最後の総攻撃の最中にいた。
ふと、横を見ると、彼とは正反対の印象を与える者が戦っていた。
「なにやってるんだ?!こんな所で!!お前は早く退避しろ!!本部の方へ戻るんだ!!」
彼の罵声をモノともせずに、奴は薄い口の端に笑みを浮かべた。
「吾輩は吾輩の意志で今、ここにいる。ここで戦っている!!お前も吾輩にばかり気を取られているとやられるぞ!!気を散らせるな!」
瞬間、彼の背後に迫っていた敵を消滅させ、再び笑う。
彼は諦めたように微笑んだ。
「・・・勝手にしろ!!」
「勝手にさせてもらう!!!」
そう言って、奴の心地よく響く声と笑い声が聞こえ、それを合図に二手に分かれた。
しばらくして・・・仲魔の悲鳴で彼は振り向いた。
「どうした?!」
さすがに思わず呆然としてしまった。
時空を越えて、ブラックホールのような奇妙な亜空間の世界が敵も味方も飲み込んでゆく。
それが何かの怪物のようなモノだと分かるのに呆然とした頭では時間がかかった。
ふと、その中に見知った顔を見つける。
「セルフィー!!!」
彼の声に気付き、セルフィーがそちらを見る。
「セルフィー!今行くからな!!」
「来るな!お前は来るんじゃない!!分かるんだ、俺には。これに飲み込まれたらもう二度と戻ってこれない、お前には【あの方】を守る役目がある!!お前は来てはいけな・・・!!!」
最後の言葉はセルフィーの身体もろとも闇の中に吸い込まれていった。
「あ・・・あ・・・あ・・・。」
言葉にならない。見ている間にも闇は次々と獲物を取り込んでゆく。
戦争で惨殺された仲魔を何千と見るより、気が触れてしまうのではないかと本気で思わせる光景だった。それほどあっけなく、全てが消えてゆく・・・。
・・・と、セルフィーの言葉を思い出し、我に返った。
奴は・・・奴はどこだ?!
五感を全て働かせ、探す。
「・・・見つけた!!」
彼はその気配の方へ視線を向けた。
そしてそこには信じたくない光景があった。
全てを飲み込む闇に、敢然と立ち向かう奴の姿があった。
「何をしている!やめろ!!」
「大丈夫だ!吾輩は死なん!!とにかくこいつをなんとかせんと、天界はどうなろうと構わないが、魔界まで全てを食らい付くされてしまう!こいつは化け物だ!!我々の戦いで膨大な力が飛び交い、その力に引き寄せられたモンスターだ。生を吸い、死を吸い、意志や感情をも呑み食らう、哀れな生命体だ!!吾輩はこいつを何とかする、頼む・・・エース!!後始末しておいてくれ!!頼んだぞ!エース!!」
「デーモン!!!!!」
悲鳴にも似た叫び声が・・・こだました。
そして、その化け物と奴の姿は永久に消えた。
彼は目を開けた。
あの日のまま、あの化け物が消えた後、そのままの形でここは残っている。
確かに、あの時、自分が奴の手を取っていれば、自分もあの中に閉ざされ、永久に彷徨い続きけていたであろう。そして、うまく逃げられたとしても、天界、魔界、その他の世界も全てあの化け物に食い尽くされていただろう。でも、今、ここに自分は存在する。
そのための代償はあまりにも大きすぎた。
彼は手の中にグラスを二つと酒を出した。
あの戦いが終わったら、奴と一緒に飲もうと・・・考えていたモノだ。
なみなみと注がれたその酒は、あの時と同じ夕焼け色の空をしている。
一つを地面に置き、一つは彼の手の中へ。
そのまま一気に流し込んだ。
「・・・デーモン・・・。」
「それは吾輩の分か?」
不意に後ろから声を掛けられる。
聞きたくても聞くことの出来なかった甘く、少し低い声。
彼は振り向けないでいた。
自分の予感がはずれていたときのその気持ちに愕然としないために。
「誰・・・だ?」
震える声で問う。
「『誰だ』はなかろう。吾輩の声を忘れたのか?」
それでも振り向けないまま、彼は言葉を続けた。
「忘れなどしない・・・忘れるものか、その高慢ちきで自信家な声、忘れたくても忘れられない。」
「ふふっ・・・貶されれてるようにしか聞こえんが・・・まぁいい。吾輩も忘れなかった。そのド派手な紅い髪、ジジむさい背中、そして嫌味ったらしいそのでっかい図体はなぁ。」
『ハハハ』と高らかな笑い声。
「よくも・・・!」
彼は思わず振り向いてしまった。
「やっとこっちを見た。吾輩だ。約束守って律儀に帰ってきたぞ。・・・なあんだ・・・吾輩が帰ったから飲もうと思ってた酒、開けちまったのか?・・・相変わらず酒に関しては辛抱が足らんようだな。」
風が吹いた。
奴の黄金の髪が舞い上がる。
黒いマントも、翻った下に見える戦闘服も、その笑顔も、全てあの時のままに彼の目の前で笑っていた。
「・・・お・・・遅かったじゃないか・・・。」
「すまない、あやつを連れて異空間まで飛んだはいいが・・・。それまでの戦闘と、あれだけ巨大なモノを運んだだろう?力を使い果たしてしまってな。そのまま意識を失って、一体どのくらい浮かんでいたのか・・・。気が付いたらとんでもない場所まで来ていた。そこから力を取り戻して、ここに帰り着くまでに千年もかかってしまったようだ。悪かった。」
・・・もう止まらなかった。
どちらが先に走りだしたかなんて分からない。
気が付けば二名の両腕は互いの背に絡まって離さなかった。
「エース・・・。」
「デーモン・・・。おかえり・・・。」
小さい背中、特有の上品な香り、見かけよりも華奢な身体・・・。エースの両腕にすっぽりはまり込んでしまう。
デーモンの瞳が涙に濡れてエースを見ていた。
いつもはエースよりもさらに恐ろしく、冷酷な瞳と冷静沈着さ持った、最高指令・副大魔王閣下だが、本当は涙もろくてお人好し、素直な感情を持った、そんなエースしか知らない素顔もそのままだった。
「ただいま・・・エース・・・。」
presented by 高倉 雅