Another Side Stories  〜風輪〜

 

 

 

 正式名称・シェラード・・・通称・シェリーがどうしても苦手なモノがこの世界に2つある。
1つは、虫。
特に目の前を煩くブンブンと飛び回り、馬鹿にしくさったような音で耳元を駆け抜けていく蠅。
段々苛々してきて、その辺の手近なモノを投げつけて退治してしまおうとするのだが・・・残念ながらその技術は無方向性(ノーコン)。
従って、彼がよく存在する場所には装飾品その他一切投げられそうなモノは置いていない。
これ以上、先代、先々代が残してくれた高価な装飾品を壊されるのはたまったモンじゃないからだ。
そしてもう1つが・・・。
続き部屋でティータイムの用意をしているミュー。その者だった。
【彼女】こそシェリーが、虫より更に苦手とするモノ。
見た目はシェリーより少し若いぐらいに見えるが、実際年齢は全く不明。
本人に聞いても実は・・・不明。
分からない・・・イヤ、正確には覚えていないらしいのだ。
発生日も、発生場所も、自分の名前さえ。
いわゆる記憶喪失・・・である。
随分昔、暴風雨の最中シェリーの屋敷の前で茫然と座り込んでいる彼女を発見し、そのまま住まわせたのだ。
捨て猫を拾った・・・言い方は悪いがそれが一番しっくりいく状態だった。

 

 

 

 

「おい、名前は?」
震える肩にタオルを掛けてやり、暖炉の前に彼女を座らせ、シェリーは尋ねた。
「・・・っ・・。」
唇をほんの少し開けて何かを発しようとするが、首が大きく横に動く。
「覚えていないのか?」
自分もタオルを受け取りながら、ずぶ濡れになった甲冑を簡単に拭いた。
彼が動くたびに、見た目よりずっと重たそうな鎧がガシャガシャとうるさい。
その音に反応して、彼女は身体をビクつかせ、恐怖を表情に張り付かせた。
それに気付き、すまなさそうにシェリーも断る。
「すまない。今、戦の最中なんだ。お前も地獄(ここ)に存在する者なら一度は聞いた事あるだろう?天界が大魔王陛下の病に気付き、艦隊を送り
込んできた。彼奴等、武力では我等に敵わぬ事を分かった途端作戦変えやがって・・・この地方にある地獄で一番でかい湖・・・知ってるだろう?
アクんア一族や、スイフ達が住んでる湖・・・あそこを涸らしやがった!!!もう許せねぇ!!ひとっ走り俺が行ってその場にいる全員を吹き飛ばしてやらのねぇと腑煮えくりかえってしょうがねぇや!!!!・・・と、ここでお前に言ったってそれこそしょうがないんだよな。悪かった、そんなに震えるな。
屋敷の達にちゃんと言っていくからお前は安心してここに居ろ。記憶が戻るまで此処にいれば良い。」
者じゃぁ・・・と手を挙げてタオルをその辺の椅子に引っかけると素早く部屋を出ようとした・・・が。
マントの裾が何かに引っかかってあわやそのまま顔面から倒れそうになったのを必死で踏みとどまる。
「なんだ???」
見ると、裾で妨害してたのは彼女だった。
必死の形相で裾を捕まえ、彼を行かせまいとしていたのだ。
「何してんだよ、放してくれよ頼むから。あそこには俺がチビの時ずっと遊んでた奴等が居るんだ。まだ間に合うかも知れない・・・直ぐに助けに・・・。」言いかけ、シェリーは口を噤んだ。
彼女が悲しそうに首を横に振るのを見たからだ。
「・・・もう・・・何も・・・誰も・・・どこにも・・・居ない・・・。」
初めて発された彼女の声はシェリーに痛烈な事実を告げた。
「な・・・に?」
彼女は更に大きく頭を振るった。
「もう・・・何も・・・残っていないの・・・空も・・・土も・・・水も・・・風も・・・。」
そこまで息を潜めたように吐きだし、小さな嗚咽が混じった。
暖炉囲み、豪雨の中暖かい空気を作っていた部屋が、彼女が泣き出した瞬間急激に冷え込んだような感覚に囚われる。・・・錯覚だろうか?
シェリーが近付こうとしたその時、階下から騒がしい声が聞こえてきた。
「・・・何だ?!こっちは取り込み(?)中だ!!少しは気を遣え!!」
騒ぎの主が誰なのかを既に察知していたシェリーの口からでかい声が飛び出す。
「シェラード!!一体此処で何してるのだ?!お前が勢い込んで飛び出していったモンだからエースもルークも慌てて追おうとして・・・必死で押さえ
つけてやっと吾輩だけが此処まで来たってのに・・・・・・・・って何だ?この者は・・・。」
扉を開いて閉めてシェリーの傍で立ち止まるまで約10秒。
副大魔王・・・軍事部総司令官であるデーモンは血飛沫を装身したままの甲冑に身を包んで遠慮無くズカズカ上がり込み、捲し立てるだけ捲し立
て・・・やっと彼女に気がついた。
「・・・っつか、普通、お前が来るって方がヤバイんじゃないのか?総司令官が居なくなって俺に責任とれってエースもルークも腹癒せに言ってこないだろうな・・・?」
腕を組んで睨み付けるシェリーにデーモンはカラカラと笑った。
戦闘中の為か、太陽に近い金の怒髪は少し情けなく落ちかけてはいたが・・・美しさは変わらない。
細いリボンできつく束ねられた後ろ髪が、右の肩口から垂れ下がってるのに気付き、邪魔くさそうに後ろへと跳ね除けながらデーモンは眉を顰めた。「で?この女は何者だ?お前が此処に戻ってきたのは湖の為じゃなく女をナンパするつもりだったとか?」
結構マジな顔で尋ねるデーモンに向かってグーで・・・事も有ろうに副大魔王をグーで!!!殴った。
「あほな事言うな!!此奴は俺が屋敷の前で拾ったんだよ。この雨の中この格好でうろちょろしてたらぶっ倒れちまうからな。それに記憶もない
らしんだ。名前も年齢も・・・住んでた場所も覚えてないみてぇだな。」
・・・と、自然に彼らの視線は彼女へと向けられ・・・無言となった。
彼女はと言うと・・・相変わらずシェリーのマントを引っ張って放さない。
「・・・何故お前は知っているんだ?湖にはもう何もない事を。」
しゃがみ込み、彼女の視線の位置に合わせ、シェリーはズイッと顔を近付けた。
・・・が、両の目から瞳と同じ色のアイスブルーの涙が溢れて止まらず、彼女は何度も何度も頭を横に振るばかりであった。
「・・・とにかく俺は行ってみるから・・・。デーモンも来るか?」
ここまで追っかけてこられて待っていろと言ってもどうせ聞くまい。
言ったら最後・・・耳にタコオンリーで水族館が・・・支店まで出来そうなくらいの延々とした文句が繰り広げられる事となろう・・・。
溜息をつき、どうせ追っかけてくるのならデーモンが必死扱いて止めてくれた(多分自分が行きたかったから尤もらしい理由を何とかこじつけて
きたのであろう・・・が、それは兎も角として)エースかルークがやっぱり良かったな・・・とデーモンを少なからず恨んだ。
「頼むから手を放してくれ。もし、お前の言う通り、湖に住む者達がいなくなってたとしても・・・。俺は行かなきゃいけない。そんな気がする。
それに、湖を涸らしてくれたお礼だけでもきっちりしないと気が済まない。」
「吾輩もそうだ。あそこは吾輩達が発生するずっとずっと太古の昔から存在していたモノだ。精霊達が住み、スイフ達が舞い、我等も一緒に遊んで
いた・・・少なくとも我々の思い出の地を侵害されたわけだからな。キッチリと落とし前をつけさせてもらおうではないか。」
キッパリハッキリ・・・これ以上にないくらいの決意を言ってのけた2名の顔を彼女はマジマジと見つめた。
もう、頬にも瞳にも涙の跡はない。
彼女は握りしめていたマントを放し、立ち上がった。
「私も・・・一緒に連れて行ってください。」
細い声ではあったが、意志のしっかりしたものだった。
先程のまでの吹けば飛びそな蚊蜻蛉(かとんぼ)の声とは全く違う。
「・・・でもお前・・・。」
これ以上荷物を増やしてたまるかとばかりに、それこそ必死で押し止めようとしたシェリーだったが次の瞬間、彼女の行動を見て言葉を忘れた
かのように口を開いたまま固まった。
目を閉じ、小さく聞こえないような呪文を唱えたかと思うと彼女の身体から霧のような煙が吹き出し、身体を全て隠してしまった。
「霧・・・・・と言う事はこの者は【水】に属する者か?」
呟くようなデーモンの台詞がシェリーの耳を素通りし、彼女を隠してしまった雲が晴れるのを待つ・・・と。
そこに現れたのは、先程まで座って震えていた彼女とは打って変わった軍服姿の美青年がこちらを見つめていた。
琥珀を基調に銀のメッシュが入った髪と、アイスブルーの瞳の色は変わらない。
明らかに同じ場所にいた・・・シェリーが拾った彼女・・・イヤ【彼(?)】であった。
「水の種族にはその特性同様にどちらともつかない身体・・・いわゆる両性具有の者があると聞くが・・・お前がその・・・?」
デーモンの問いかけに頷き、肯定をする。
「私が覚えているのは水の一族であると言う事・・・。後は・・・すみません、覚えていないのです。」
少しだけ低くなった声で彼は答えた。
「・・・では行こう・・・おい、おいっ!!!シェラード!!!立ったまましかも目を開けっぴろげて寝るなんて何と器用な奴なんだ!!!!!とにかく
起きろ!!!シェラード!!!」
先程殴られた仕返しとばかりにバゴッと鈍い音を響かせてシェリーを殴りつける。
「あ・・・すまん。じゃ、行こうか・・・。」
まだ呆気にとられたままのシェリーに首を傾げ、デーモンは引きずるように連れ出していた。

 

 

 

 

モザイク模様に彩られた森の中は常に変化する。
一度入って道を覚えたからと言って次に同じ道が正解とは限らない。
空を飛んでも無駄。
瞬間移動を使っても無駄なものは無駄。
あちこちに隠された移動ポイントの位置を力の波動によって探し目的地まで辿り着くのだ。
力無き者、邪気に満ちた者、永遠にこの迷路から抜け出せない。
そこまでしてこの森が守ってきた・・・守りたかった湖は・・・死んでいた。
水は涸れ、この土砂降りの雨に底が曝されようと水を湛えようとする意志は全く見受けられず、ただされるがまま。
いつまでもいつまでも・・・雨をさらけ出した土塊(つちくれ)が飲み込んで・・・空虚で巨大な落とし穴と化した湖は髑髏の目玉のようだった。
「・・・もう誰もいないのか?」
もし誰かがいたときの用心にデーモンは小さく尋ねた。
先程から目を閉じて、何かを探るような気配を漂わせていた彼は首を振る。
「いえ・・・まだ何者かの気配があります。5名・・・いや7名でしょうか?」
目を開き、彼はデーモンに伝える。
「シェラード、お前は?」
「俺はとにかく誰でも良いから殴りたい。こんなに・・・こんなに酷い状況だと思わなかった。あれじゃ・・・湖に住んでいた者達は・・・。」
悔しそうに唇を噛み締めて、シェリーの琥珀色の瞳が怒色に光る。
その時、デーモン達が隠れている反対岸の木立の隙間に、白い何かが視界に飛び込んできた。
月に反射するそれは、艶めかしいクリーム色の光を放ち、一発で天界の者・・・しかもかなり高位の者であることが分かる。
「デーモン・・・見たか?」
自分が見た者を確認するかのようにシェリーはデーモンを見た。
「ああ・・・見た。」
既に誰なのかを確信しているのか、デーモンは残酷な喜びに満ちた微笑みを浮かべている。
「誰だ?」
「あいつは・・・上級・・・しかも第一級の熾天使・・・多分今回の総大将だ。・・・でも・・・何故このようなところに奴が自ら・・・?」
「この湖は天魔の中枢だからでございます。」
突然口を挟んできた彼に、驚いて2名は彼の顔を凝視する。
「この湖は、天界にも住めなくなり、逃げてきた精霊、シルフ、その他の小さな生命が存在する場所。独自の技と能力を持つ彼等はどちらにも
属さず、どちらにも従わず・・・。それが今、魔界(ここ)にいる。もし、その力を我等が為に使われたとなると・・・天界の状態はかなり苦しいものに
なるはずです。その前に先手を打ったと・・・湖を涸らしてしまえば精霊達は生きてはいけない。湖が復活しなければ、彼等はもう二度とここには
戻ってこない・・・。その間に天界側が精霊達を取り込み、我等に攻撃を仕掛ければ・・・一体どうなるでしょうか?」
話し終えた彼は悲しそうに枯れ果てた湖を見つめた。
「彼等は誰にも従わない。誰の命令も受けない。ましてや一度自分達を裏切った者の頼みなど・・・聞くわけもないのに。ただ、無益な殺生を繰り返すのみです。彼等は・・・。」
俯いた彼の様子を、デーモンは注意深く眺めた。
何かに気付いた様子で・・・が、何もそのことには触れず、シェリーを見た。
「さてどうする?シェラード。総大将の首でも持って帰って出世でもするか?」
まるでゲームのように楽しそうだ。
それにつられて、シェリーも楽しそうに両手の指関節を激しく鳴らし、首を振った。
「冗談でしょ。俺が出世なんて望むワケないだろ?大将首はお前にやるよ、デーモン。俺はやられた分を倍返しに出来ればいいから。」
茶目っ気タップリ、シェリーは呟くのを聞いて流石のデーモンも吹き出した。
「そうだったなぁ・・・御家騒動がイヤになってお前は家を飛び出したんだっけ?」
そう言いながら、シェリーの左耳に2カ所開けてあるピアスの上の方を軽く弾いた。
美しい緑色の宝石が反応するように光る。
「さぁな。俺は何もいらないから。それにしても風の守なんて邪魔なだけだ。」
ふぅと軽く溜息をついて、思わず忘れていた彼の存在を思い出した。
「辛気臭ぇ話を聞かせてしまったな。」
バツが悪そうにシェリーは頭を掻いた。
その様子に、彼が出会って初めて微笑みを漏らした。
シェリーも少し安心して笑い返した。
「シェラード、じゃあ吾輩が彼奴の首を狙う。援護を頼む。そして・・・お前はどうする?」
振り向いた時のデーモンの表情は、先程の楽しそうだった欠片も残っておらず、総司令官としても冷たいそれだった。
少し考えた素振りを見せ、彼はシェリーを見た。
「私もこの方と援護にまわらせて頂いてもよろしいですしょうか?」
「仇は・・・己の手で討たずとも良いと・・・こう言うのか?」
一瞬の沈黙の中で、2名の思惑と感情が交錯し、先に彼が下を向き薄く笑った。
「私の手で討ちたいのはやまやまではございますが・・・・私の力あまりに非力、そして元来戦闘用に作られた身体ではありません。犬死にするより
あなた様に確実に討って頂きとうございます。」
聡明なこの青年は、デーモンをただ見つめた。
氷色の瞳には涙はもう無かったが、強い意志と深い悲しみを宿していた。
「そう望むのなら・・・。」
デーモンは頷いた。
「じゃ・・・俺と此奴は裏手に行く、デーモンは1名で十分だな。」
「ああ、気を付けろよ。」
まるで遊んでるような表情でシェリーは手を振った。
彼もその後に続き、いよいよデーモンだけになった・・・。
枯れ果てた湖の中から、呻くような声がしている。
実際のものではないが、多分それは湖が最期に残した断末魔の記憶。
精霊達が逃げまどい、悲鳴を上げる声。
必死でデーモンに伝えようとしているのだろう。
恐らくシェリー達にも・・・いや、特に彼には自分よりも更に大きく、悲しく響いているであろう。
目の前には嫌らしく勝ち誇った目つきで辺りを彷徨く天使どもが居る。
無性にデーモンは腹が立ってきた。
そして、屈んでいた身体を起こし、内側から沸き上がるエネルギーを押し殺すことを止め、相手を睨み付けた。
途端に、敵の動きが止まった。
「誰だ?!」
デーモンと同じ金糸の髪の主が反対方向を見つめ返してくる。
ユラユラと陽炎のように放つオーラに気付き、ニタリと笑ったかのように見えた。
「・・・ほほう・・・副大魔王閣下直々のお出ましとは・・・私も出世したものだ。」
鼻で笑うと、戦闘態勢に入る。
「吾輩はな・・・今どうしようもないくらいに怒っているのだ・・・。お前が達が此処で行った所業をどうしても許せない。」
決して怒鳴りはしない、が、静かに響き渡ったその声は、相手を威嚇するには十分だった。
余裕さえ見せていた微笑に一瞬だが翳りが見える。
「ではどうなさいます?私も馬鹿ではない、ここに1名で来ると思いますか?」
「いや、思わない。」
呆気ないほど簡単に肯定され、天使は眉を顰めた。
「此処に連れてきているのは天界でも指折りの豪士達、感ぜられるあなた方のパワーを見ても敵うとは思いませんがね。」
天使の背後から、何名分もの影が飛び、湖を囲むように着地した。
成る程、どの顔も戦いの最中で何回も見たことある者ばかりだ。
「どうするも何も・・・倒す。それだけだ。」
次の瞬間、彼らの背後から風が舞い上がった。
森の木の葉を吹き飛ばし、土煙を上げて風は一瞬にして彼らの動きを封じ込める。
「な・・・なに?!」
振り返る間もなく、数名の天使は胴体を裂かれ、反撃を仕掛ける術無く微塵となった。
「・・・相変わらずの馬鹿力だな・・・。」
のんびりと呟き、思わず笑みを零す。
押さえていたパワーを完全に解放したシェリーが巻き起こした風は空を裂き、徐々にある形を成していった。
大きく獰猛な口を開けた三首龍が涸れた湖の底を這い、天空へ向かって昇り上がる。
一瞬停止し、地上の天使達に向かって急転直下で落ちていった。
凄まじい爆音・・・四方八方に鎌鼬(かまいたち)が発生して、肉を抉り、迸る血液さえも切り刻んでいく。
「シェラード、あんまりエキサイトするなよ。森までぶっ壊したら後で吾輩がお叱りを受けるんだからな。」
デーモンはゆっくりと岩陰から出て歩き始めた。
それに合わせて、総大将の歩が無意識のうちに後ろへと下がる。
デーモンが対岸へと近付く度に、一名ずつ確実に力を過信した天使達の姿が消えていく。
「そろそろ良いだろう?吾輩と戦う準備は整ったか?」
瑠璃色の唇が残虐性を持った微笑を浮かべる。
スルリと剣を抜き、無造作に振り上げ、また乾ききっていない血を振り払った。
同胞の血を浴びて、ますます総大将の顔は青ざめる。
「来ないのか?折角チャンスを与えてやったのに・・・ではこちらから・・・・。」
左足で軽く地面を蹴ると、舞い上がった。
「参る!!!」
それにようやく己を取り戻したか、たった一名残った天使は剣を抜き、頭上ギリギリのところでデーモンを受け止めた。
「なかなかやるな。そうでなくては面白くない。」
息も乱さず、ただ微笑みを浮かべてデーモンは剣を上げながら後ろへと飛んだ。
「あなた様の様に後ろから不意打ちをするような私ではございませんので。」
「ふん・・・不意打ちとは異な事を・・・お前が此処でやったことは何なのだ?」
短く息を吐き、一瞬止めて再び、今度は横から叩き付ける。
が、それもかわされて互いに一旦距離を取った。
「此度の戦には何の関わり合いもない非力な者達を大量に殺し、挙げ句に湖まで涸らしてしまうお前達のやり方は吾輩には解せぬ。」
霧雨だった雨が少しずつだが強くなってきた。
地の底から沸き上がるオーラに髪も空へ向かって突き上がったデーモンの姿は鬼神と呼ぶに一番相応しい。
ポタリと、前髪から雫が落ちてきた。
さほど冷たいとは思わない。
寧ろ、今にも煮えたぎり、爆発して相手を八つ裂きにしてしまいそうな怒りを程良く冷ましてくれていた。
お陰で相手の動きは目を閉じていても分かる。
一本のピアノ線がキリキリに巻き上がって今にも切れそうなくらいの緊張が流れていた。
「勝負・・・!!!」
突然、雨が土砂降りになった。
互いの姿を覆い隠して、雷を写した剣先がシリウスのような光を放ち、視界を奪う。
少し離れた大木の影に身を潜ませていたシェリーの目の中に、天使が左手に隠し待っていた短剣の煌めきが入った。
「デーモン!!!」
荒れ狂う風の龍を放つが、間に合いそうもない。
自分を呼ぶ声で短剣がデーモンの目にも映ったが、正直避けられる自信はなかった。
それでも・・・一瞬でも良い、早く相手の心臓めがけて剣を突き立て、1ミリでも深く、刃を穿つ。
卑劣な手口に自嘲気味の舌打ちをしてデーモンは覚悟を決めそのまま突っ込んでいった。
「デーモン閣下!!!!!!」
耳慣れぬ声が聞こえたかと思うと辺り一面に霧状の水滴が飛び散った。
「うあっ!」
思わず声を上げてバランスを崩し掛けた体制を立て直し、目の前を見た。
あと僅か・・・と言うところで、デーモンの脇腹目掛けた短剣の先が停止している。
そして自分の剣は深々と相手の心臓を貫いていた。
「な・・・なんだ?」
大量の血を吐いた天使の胸には水の刃が背中から刺さっていた。
そして一瞬遅れて、風の龍が深々と抉っていた。
その出所を捜すと、少し離れた岩の向こうに彼が立ち、その手の中から水を迸らせていた。
「・・・ひ・・・卑怯・・・者・・・。」
絞り出すような声を発し、敢然とデーモンを睨み付けている天使にデーモンは微笑んだ。
「お互い様だろう?お前には調度良いだろうが。」
両手の武器が地上に向かって落ち始める。
デーモンは素早く剣を一度引き抜くと、再び・・・今度は動くのを止めた天使の首に狙いを定めて薙ぎ払った。
鈍い音と共に天使の首は跳ね上がる。
「・・・心配掛けさせるなよ・・・。」
足下に落ちてきた首の長い髪を掴んで、シェリーは降りてきたデーモンに向かって苦笑した。
「すまんすまん。」
ちっともすまないとは思っていない顔でデーモンはベッタリ貼り付いた剣の血を、憎々しげに見つめた。
「本当は八つ裂きにしてやろうと思ったのだが・・・まぁ、この辺で許してやろう。」
生きることを一斉放棄した天使の傷、口、目からはまだ生きているかのように血が滴り落ちていた。
「お優しいことで。」
我慢できなくなってシェリーは吹き出してしまう。
その様子を見て、つられたデーモンも声高らかに笑い始めた。
その時、ドサリと向こう側に主を無くした胴体が落下してきた。
「ああ・・・さて・・・これどうする?」
邪魔くさそうにシェリーは首を掲げた。
見開いたサファイア色の瞳は徐々に濁り始め、醜く歪んだその表情を見て、この首が天使だと誰が気付くだろうか?
「お前が持って帰ってもどうせ邪魔なだけだろう?言った通り吾輩が引き取る。それと・・・お前、どうするか?」
ずっと湖を見つめていた彼が振り向いた。
「記憶が戻らないんだろう?俺のところに来いよ。俺以外には煩いジジイと2名の使用魔しかいないんだ。のんびり暮らしてたら思い出すかも
知れねぇし。」
ニッコリと笑って、シェリーは手を差し出した。
どうしたものかとはかりかねて彼は手を出せずにいることを察したデーモンは無理矢理その手をシェリーの手に握らせた。
ビックリして彼はデーモンを見つめる。
「デーモン閣下・・・。」
「どこにも行く当てもないのだろう?どこにも・・・帰れぬのだろう?だったら遠慮することはない。なに、シェリーの屋敷は田舎も田舎、ド田舎にある
からだだっ広いだけで退屈するかも知れぬが、のんびりする『だけ』なら良いところだぞ。」
「・・・・・・・他悪魔(ヒト)の住処にケチ付けんなよ。お前の所なんてガラクタだらけで足の踏み場も寝るスペースもないくせに。ちょっとくらいは
部屋の発掘は進んだか?」
言い返してやったと得意げな顔を見せるシェリーにデーモンは更に鼻を膨らませて威張ったような顔をした。
「僻むな僻むな、お前には芸術的センスはないんだ。吾輩が苦労して集めたコレクションを見てもガラクタにしか見えんだけだ。」
「アホウ!!俺に芸術的センスがないだと?俺はなぁ、自分の軍服ぐらい自分で作ってるぞ!!!」
・・・それは自慢になるのだろうか?
「道理でセンス無いと思った!お前がその緑色した髪をツンツン立てさせている頭は帽子置きにしか活用してないらしいな。頭はある内に使って
やらないとそのうち冬眠するぞ!!」
「お前のように日長一日伏魔殿でどうやったら脱走できるかの計画をたてているよりは有効活用してるわい。」
「あの・・・。」
「なんだ?!」
日常茶飯事の文句の言い合いをぶった切られてシェリーとデーモン、同時に不機嫌丸出しの返事をする・・・と、互いにこれまた同時に我に返った。「あ・・・忘れていた。すまない、で?どうだ?シェリーの元にいては・・・。吾輩もたまに遊びに来るし、他にも同じような仲魔が4名ほど居る。
此奴等も白いぞ。」
「・・・・・イヤだって言うなら・・・そりゃ、他にも色々とあてがないわけでもねぇしな。」
シェリーはボリボリと頭を掻いた。それを見て、彼はクスリと笑い頷いた。
「お世話になります。」
「よし決まった!!!・・・で・・・あ、そっか・・・お前名前も忘れてるんだったな・・・。」
名前を呼ぼうとして、今更ながらまだ聞いても居なかったことを思い出す。
「はい・・・。名前も・・・何も・・・。」
俯く彼を見て、シェリーは思い出したように呟いた。
「でも、お前、何も覚えていないとか言いながら湖のこともよく知ってたし、さっきデーモンを助けた時も【デーモン閣下】って叫んでたよな・・・。
マジで何も覚えていないわけ?」
怪訝そうにシェリーは眉を顰めた。
が、彼もそれに対して困ったような表情しかできない。
「分からないのです。確かに何も覚えていないのですが・・・何故かあんなことが口から転がり落ちた感じがするのです・・・。」
「・・・【ミュー】・・・。」
突然発された言葉にデーモンの方を見遣る。
腕組みして、彼の顔をじっと見つめていたデーモンがそのまま続けた。
「お前の名前は【ミュー】。これなら男でも女でも、どっちでもおかしくないだろう?記憶を取り戻すまで【ミュー】と名乗ったら?」
「ミュー・・・?何だその炭酸抜けたソーダみたいな名前は・・・やっぱりお前のネーミングセンスにはついてけねぇなぁ・・・。」
シェリーが笑うのと裏腹に何か考え込むような仕草を見せる彼・・・。
「何だ?お前もやっぱり吾輩のセンスを疑ってるのか?」
明らかに不満げな口調でデーモンは尋ねる・・・が、そうでもないらしい。
「いえ・・・何故かその名前に妙な親近感を覚えて・・・。」
「じゃ決まりだな、ミュー、今からお前はミューだ。」
うっすらと顔を見せ始めた太陽が、デーモンの後ろから輝き、その笑顔を一層際立たせている。
悪魔にしておくには勿体ない、かといって天使などと言うのは以ての外、何か別の・・・自分達の手の届かない遠い存在のような気がするデーモンを改めて見、確認するとシェリーは溜息をついた。
「何だシェラード?溜息なんかついて・・・疲れたのか?お前ももうトシだな。」
「何を言うか、このうすらトンカチ。俺の方がテメェより年下だろうが。」
肘でデーモンを小突きながら、負けてたまるかとばかりに言い返すシェリーの姿があまりにも滑稽で彼・・・ミューはとうとう声を上げて笑い出した。
「笑うなバカっ!!俺の屋敷に住む者は俺の味方にこそなれど笑い者にする奴は居ないんだぞ!!!聞いてるのか?!」
「聞いてない聞いてない。全然聞いてない。」
ヒラヒラと手を振って、デーモンは勝利を確信した笑顔でシェリーを見る。
「何でいつもこうなるんだ?!デーモン!!!コラ勝手に俺を置いてさっさと行くな!!!待ちゃぁがれ!!!」
ウダウダと放っておけば五千年ぐらい続きそうなシェリーの文句に慣れたもんのデーモン、ソッポを向いている隙にさっさと行ってしまった。
「行くぞ!!ミュー!!・・・ああ、そうそう。俺の屋敷ってマジで男ばっかりなんだ。全然色気無いからお前女で居てくれない?」
出会って数時間・・・しかも唐突で無遠慮な申し出に・・・ミューは困惑した。
「・・・はい?」
「いや、だからさ・・・。俺も女が居た方が何となく居心地良さげだしな。だから俺の前では女性体でいてくれないか?」
「・・・・・・・・あの・・・それってどうでも良くないですか?私が男性体であろう女性体であろうと・・・どちらかと言えば私は男性でいたいのですが・・・。」「俺にとっては重要なことだ。」
キッパリと本当はどうでも良いこと重要だと言い切ってしまうあたり・・・ミューは頭痛がしてきた。
フラフラと彷徨い、自分がどこにいるのかよく分からずに座り込んでいた屋敷だったが・・・・。
実は、座り込む場所選択にとんでもない間違いを冒してしまったのでは無かろうか?
が・・・こうなってしまった以上仕方がない。
何が何でも女性体になるのだけは勘弁して頂かないと後々恐ろしいことがこの身に降りかかるに違いない。
いな、絶対に降りかかる!!!
そんな固い決意をしているミューなどお構いなしに、シェリーは女性体でいることの素晴らしさをトクトクと説明しまくっていた・・・。

 

 

 

 

・・・その後の話は先にお話しした通り。
彼しの必死の説得(???)に折れたミューは女性体で生活しているし、そのシェリーの説得工作中に売り言葉に買い言葉、ドツキ漫才コンビが
発生たのは言うまでもなく・・・。
そのドツキ漫才のお陰でシェリーがミューに手を出す心配などミジンコ分もなくなり。
(主にシェリーがミューの本性を見た時に気が萎えたという説がある)
斯くしてシェリー&ミュー、未だに同じ屋根の下で暮らしている。
ミューの記憶が戻るのは、それからずっとずっと先の話。
天界の策略によって涸れた湖がとある事件を切っ掛けに復活してからのこと。
誰も知らなかった湖の名前もその時明らかになる。

                                                                  F I N