H  O  T

 

街路樹が見えるいつもの喫茶店のいつもの2人用の窓際へ腰を下ろした。
見知ったマスターがニコリと微笑んで挨拶をしてくる。
こちらも軽く手を上げてそれに応じた。
エースの向かい側の席に座るはずの待ち人は・・・。
まだいない。
「いらっしゃいませ。・・・いつもので宜しいですか?」
マスターがアイス用のグラスを拭き終えてこちらに呼びかけてくる。
「ああ・・・いつもので。」
曖昧にエースは答え、それっきり無言になった。
ほんの少し気まずかったのか、マスターが「いつものように」を装い、声をかける。
「相手の方も・・・いつもので宜しいですか?」
しかし策は失敗に終わり、エースは斜め45°の視線を崩さず、首を横に振った。
「イヤ・・・今日は違うヤツなんだ。だから。」
そう言い放った声は何処かしら寂しそうだった。
軽く溜息をつき、マスターは『いつもの』準備を始めた。
深入りの珈琲の良い香りが小さな店の中に広がってゆく。
幅広のカップに琥珀色の珈琲を注ぎ、エースの前に運んだのと、扉の軽やかな鈴の音が鳴り響いたのはほぼ同時だった。
ドキリとしてエースはその方を見る。
「うわぁ・・・暖かいねぇ・・・。あ・・・・そうだ。」
エースの方には真っ直ぐに向かわず、寄り道してマスターに何かを耳打ちした。
マスターは少し驚いたようだったが、すぐに笑って頷いた。
「ゴメンね、エース。遅れちゃって。」
黒いコートをさっさと脱いで、鮮やかな紫色のセーターが現れる。
ただでさえ人目を引く綺麗な天然パーマの長髪に、そのうえ色を金色にまでして・・・。
目立っていることに何か自覚があるのだろうか?
イマイチ疑問に思ってしまうエースだった。
「どうしたの?エース・・・。何ボケッとしちゃって。」
ルークがヒラヒラと右手を彼の顔の前で振る。
「イヤ、何でも。遅かったな、ルーク。まぁお前と遅刻は切っても切れない仲にいるけどさ、たまには時間というモノを守ったらどうだ?」
濃い目のサングラスの下から覗く目に睨まれる。
しかし、動じずにルークも笑って手を振った。
「やだなぁ、それよりもエースも器物破損は止めた方がいいよ?自分のモノだったらいいけど、貸しスタジオのモノはさ。」
あっけらかんと言い放ったルークの台詞に、さすがのエースも言葉を詰まらせた。
「昨日は酷かったからねぇ・・・改めてエースって根っから炎の悪魔なんだと思ったわ。」
いつの間にか運ばれていたお冷やをぐいっと飲み干すルークは、昨日の夜のことを思い出していた。

 

がちゃ―――――――――――ん!!
夜もかなり遅く、もういい加減、脳みそも眠りにつこうとしているのを必死で誤魔化し、曲を作ってる真っ最中。
派手な怪音はスタジオ中に鳴り響いた。
「何だぁ?!」
両耳に軽く当てていたヘッドフォンを突き抜けて届いた音にルークも慌てて部屋を飛び出す。
全構成員が集まるミーティングルームにはいつもなら我関知せずで出ても来ないゼノンまでもが「何事か?!」と言う顔でこちらを見ている。
「ゼノン・・・・・・・・。」
ルークは不審そうにゼノンに尋ねようとする。
「驚いて出てきたって事は、あの音はルークでもライデンでもないって事だね。・・・と、すると・・・。」
言いかけて一番奥の扉に注目した瞬間・・・。
バンッ!!!!!!!!!!!!
またもや、今度は何かを力任せに叩きつけるかどうかした音だった。
「・・・・・あの2名の内どちらかだよね・・・。」
「まぁね・・・。」
何だかイヤな予感に苛まれつつも、とりあえず音がする部屋の前まで3名、近付くことにする。
「何だか・・・・怖いんだけど・・・。」
すっかり怯えてゼノンの後ろで震えるライデン。
ゼノンはどうか知らないが、少なくともルークは既に心臓バクバクだった。
あと三歩でその部屋のドアノブに手が届くと思われたその時。
勢いよく扉は開いた。
中から出てきたのは、この上なく不機嫌で怒り心頭のエース。
ともすれば頭から湯気が出てきそうな勢いだった。
「エ・・・・・・・−ス???」
階段を登る足音までもが不機嫌をコレ以上にないほど表している。
2階は寝室になっていて、多分エースはあの精神状態のまま怒りをどこにぶつけようもなく寝てしまう予定なのだろう。
案の定、一つの部屋の扉が先程と同じ様な勢いで開き、渾身の力を込めて閉められた。
思わず茫然のそれまでの様子を見送ってしまった3名だったが、はたと気付き、エースが出てきた部屋の中を覗き込んだ。
楽譜を立てるスタンドが奇妙な形に歪み、防音加工を施した木の壁に大きな傷を作って隅の方でご臨終している。
結構広い部屋のほぼ中央には俯いて立ち尽くしたデーモンの姿があった。
長い髪が邪魔して顔の様子はよく分からない。
「デーモン?どうしたの?」
ゼノンが近寄って肩を叩く。
しかし何も言わない。
「あ〜あ・・・・・・・・もう使えないね。」
ライデンが壁の隅に転がる、ホンの1分前までは楽譜スタンドであっただろう鉄屑の持ち上げ溜息をつく。
瞬間、ネジが緩んで鉄の一部は床に落ちてこれまた派手な音を響かせた。
それに反応してデーモンの肩がブルル・・・と震える。
「とりあえずミーティングルームへ行かないか?」
ゼノンが優しく言葉をかけ、4名はその現場からとりあえず離れた。

 

「何をそんなに怒ってたの?」
ルークはお冷やの氷を口の中で転がしながら質問した。
「いや、別に怒ってたわけではないんだ。ただ・・・最近何だかデーモン見てるとイライラしてさ。」
カップを口に付けるエースの表情はサングラスに遮られて全く読めない。
少し困ったようにルークは顔を覗き込む。
「確かに・・・最近エースとデーモンの喧嘩は絶えないよねぇ・・・。」
思い出すのは、昨夜以前から続いている言い争いの数々・・・。
しかし、大抵エースが一方的に怒って、デーモンがへこんで終了・・・と言うのが常だったが。
これからも分かるように、エースがどれだけデーモンに対して何か快く思ってないことがあるという証拠であろう。
「大体さぁ・・・何がそんなに不満なわけ?エースがデーモンに対して不満に思う以前に、不満を起こす時間がデーモンにあったかどうかが俺にとっては疑問だけど?」
ルークが2つ目の氷をくわえて、今度は噛み砕いた。
そうだった。エースにちょっかいを出す以前に、エースとまともな会話をする時間さえ、ここ半年のデーモンにはなかったはずである。
それだけ彼はスーパーハードスケジュールだったのだ。
昨日だって、曲作り合宿中にも関わらず、合宿が始まって10日目、ようやくデーモンが合宿所としているスタジオに初めて顔を出した日であった。
「何でだろう?あいつが居なければ居ないほど俺、マジでイライラするんだ。昨日だって、あいつに対して本気で怒ったの、初めてなんだ。」
それはまた意外・・・だった。
ルークがこの2名と付き合い始めてドエライ年月は経っていたが、てっきり自分が居ないトコロではこんなにド派手な喧嘩の2回や3回は起こってても不思議はないイメージを2名に対して持っていたのだから。
口の中で小さくなった氷をコクンと飲み込んで、ルークは楽しそうに呟く。
「へぇ・・・それは意外だったな・・・。てっきり俺は・・・。」
「何が可笑しい?」
思わぬエースの睨みに、慌てて笑みを引っ込める。
ルークの顔が真剣に戻ったのを確認してエースはまた言葉を続けた。
「何でだろう?あいつが居ると、なんか面倒は起こしては俺が尻拭いさせられるし、つまらないことにいちいち付き合わされるし、俺のこと影でジジイ呼ばわりしているみたいだし・・・。ルークも気を付けろよ。あいつと始終一緒にいるとロクな事が・・・・・って、おい、何だよ、その微笑み方は・・・。」
目の前には引っ込めさせた筈の笑みを満面に湛えてこちらを見ているルークがいた。
「いや・・・。エース・・・気付いてないわけ?」
今にも吹き出しそうになるのを必死で押さえ、ルークは尋ねる。
「・・・お待たせいたしました。」
その時、マスターが真っ白のマグカップをトレーに乗せて運んできた。
カップの口から暖かな湯気が2名の間でまっすぐ上に流れていく。
「ありがとう。」
笑顔で言うと、ルークは左端のシュガーポットを取って、砂糖を1杯半、カップに落として混ぜた。
微かに甘い香りが鼻孔を擽る。
いつも・・・デーモンが入れる量と一緒だな・・・。
ふいに思い出して、エースはハッとした。
何を考えているんだ?!
思いだしたデーモンの顔を掻き消すようにぷるぷると頭を振る。
「全然気付いてないの?」
再びルークが尋ねる。
「何を?!」
不機嫌にエースは珈琲を一口、飲み込んだ。
何故だか・・・味がしない。
「教えて上げようか?」
両手を頬に当て、肘を付いてこちらを覗くルークに、思わず椅子を下げる。
「な・・・何だよ。」
いつの間にか震えているカップを握りしめ、エースは出来るだけ強気に言い放った。
「寂しいんだ。」
瞬間、エースの口から珈琲が吹き出る。
しかし勢いはあまりなかったのか、珈琲の被害はエースの目の前だけで終わった。
「げほっ!!がはっ!!!ル・・・ルーク!!!何を言ってるんだ?!言っていいことと、悪いことが・・・・・!!」
今にも掴みかからんとするエースに、ルークはなおも楽しそうに続ける。
「だって・・・そうじゃない。デーモンがいないと酒は増える、煙草も増える、寝不足で目の下クマは出る・・・・・。」
と、エースの顔が不機嫌の頂点に到達しようとしてるのに気付いて、ルークは咳払いを1つ。
「まぁ、それは冗談としても。別にエースが寂しがり屋サンなんて誰も言ってないよ。」
エースの心臓がバクバクと音を立てていた。
寂しかった・・・????
この俺が?
デーモンと暫く会えなかっただけで???
たったそれだけのことで???
エースの脳味噌はフル回転していた。
ただ必死でその答えを求めて、ポッカリと暖かいホットミルクのような気持ち。
初めて見つめた、苛立ちの奥。
「エース。寂しいと言うことは決して悪くないよ。それに気付かなくて、認めたくなくって・・・その思いを勘違いするかも知れない。でもね、それを認めてあげなきゃ、自分も可哀想だし、それ以上に・・・。とばっちり食らったデーモンが一番可哀想だよ。」
ルークの優しげな瞳が、エースの中のイライラをす・・・・と消していった。
でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・認めたくない。
エースの眉間に少ししわが寄る。
「認めたくないよね。だって、寂しいなんてそんな弱そうな気持ち、他人に見透かされるのも嫌だけど、自分で肯定するって事が一番許せないもの。」
まるでその気持ちを経験したかのようなルークの口振り。
エースは不思議そうにルークを見つめた。
「ルーク・・・・何でそんなに知ってるんだ?」
2つだけになった氷でカラカラと遊びながら楽しそうにルークは下を向いた。
「さぁ・・・何でだろうね・・・。何でこんなにこんな事に詳しいのかな?」
意味深な言葉。
ふと・・・空を見上げた。
暗い空。
今にも雪が降りそうな・・・・・。
「おい・・・今、何時だ?俺の予想としては今の時間はこんなに暗い予定では・・・。」
時計を見ようとしたエースの視界が突然遮られた。
「ほら!そんなモノ掛けてるから何も見えないんだよ。」
そう言ってサングラスを鷲掴みにすると、あっという間に外してしまった。
「うわぁ!」
突然に広がった幾万の光。
それまで曇りがちな夕焼け色だった景色が逆転する。
飛び込んできたスカイブルー。
そしてもう一つ。
ルークよりも鮮やかな金色の髪が窓の外で風に広がっていた。驚いたような瞳が金のカーテンの影でゆらゆらとこちらを見ている。
「ルーク・・・!!!」
声の出ないエースに微笑みを返し、ルークは席を立った。
「じゃぁね、あまり遅くならないように帰って来いよ。」
カララン・・・と入り口の鈴が軽やかに鳴る。
ルークと入れ違いにどことなく不安気な表情のデーモンが入ってきた。
目の前のテーブルに、エースの飲みかけの珈琲と、一口も手を付けていない少し冷めたホットミルク。
猫舌のデーモンには丁度良い温かさとなっているはずだ。
「や・・・やぁ・・・エース。」
呆然としている自分にふと気付いてダウンコートを脱ぎ、先程までルークが座っていた席に置いた。
「・・・座れよ。そんなところで突っ立てないで。」
既にリラックスした状態のエースが笑う。
彼が少なくとも昨夜のように不機嫌ではないことを確認したデーモンは太陽の欠片のような笑顔を見せて大きく頷いた。
そして、目の前のホットミルクに手を出した。

 

「世話が焼けるお二名サンだ。」
中の様子をずっと覗いていたルークはクスリと笑った。
ふと、マスターと目が合う。
ルークはにっこりと笑うと手を挙げた。
中からも二名に気付かれないように小さくお辞儀をされる。
「さってと・・・遊んで帰るかな?」
ぐんっと背伸びをして掌を握りしめる・・・が、右手の中のモノに気が付いて手を下ろした。
「あれ?・・・・あらら・・・持って来ちゃった・・・。」
濃い目のダークブラウンのサングラス。
さっきまでエースの視界を奪っていたモノだ。
「まぁ・・・いっか。帰ってきてから返そう。」
そう呟くと、ルークはそのままそれを自分で掛ける。
一瞬にして景色は夕闇に染まった。
コートのポケットに手を突っ込み、下を見る。
足下に転がる少し拉げた空き缶。
ルークはそれを蹴っ飛ばした。
店の鈴と同じような音と共に、目の前に広がる
疑似夕焼けの向こうへ小さくなっていくのを見送った。
「行くか・・・。」
ルークは後ろを振り返ると、表通りの方向へ歩き出した。

 

                                                            F I N

                                                         Presented by 高倉 雅