GLORIA GLORIA
ここは地中海。
・・・そう、この惑星では呼ばれている。
どこまでも蒼く、吸い込まれそうなビリジアン・ブルー。
珍しく波も穏やかで、優しい小波の音だけがあたりを彩る。
その昔、ポセイドンという気紛れな海の主が、嵐を起こしては罪無き人々を飲み込んでいった。
その威力は、島を一つ打ち砕かんとするものだったという。
地中海を全て見渡せるほどの高台に、その者は立っていた。
潮風を全身に受け、時には吹き飛ばす程の暴風にもものともせず、海を睨み続ける。
と、初めて動いた。
右足で蹴った小石が真っ逆さまに断崖絶壁へ落ちてゆく。
「ゼノン。」
突然の声に、振り向いた。
見慣れた顔がすぐ傍で微笑んでいる。
【ゼノン】と呼ばれた彼はすぐ顔に微笑みを浮かべた。
「僕はもう見付かってしまったのかい?・・・さすが、地獄耳だね。」
「お前が行く場所なんて吾輩にはすぐ分かる。ライデンは見当違いの所を探していたが。早く戻ってこい。皆心配しているのだぞ?」
激しくはためくマントを邪魔臭そうに後ろへ翻すと、デーモンは近付いた。
「・・・珍しいこともあるもんだ。1週間前にたった一言、【帰ってくるから】なんて置き手紙して突然消えるもんだから・・・。冷静沈着な情報局長官までもが相当慌てていたぞ?・・・ふふ・・・お前にも見せてやりたかったな。あんなエースはそう、見られるもんじゃないし。」
デーモンは思い出しながらまた、笑う。
ゼノンは呆れたようにデーモンを見た。
「まったく・・・そんなことエースが聞いたら怒るよ?まぁ、内緒にしておいてあげるけどね。」
「それはありがたいな。」
沈黙が流れる。
ゼノンはまた海の方へ視線を戻した。デーモンも何も言わずにゼノンの言葉を待つ。
「・・・いつからそこにいたの?」
「かれこれ1時間前から。」
視線はそのままにゼノンの笑い声が聞こえる。
「じゃぁ、ずっと僕の様子を1時間も見てたわけ?・・・相変わらず意地の悪い。」
しかし、ゼノンの言葉に笑いは感じ取れなかった。
「本当は声をかけずに立ち去ろうと思ったんだが・・・。危ないと思って。」
「へぇ?危ないってどういうこと?」
デーモンは一拍おいて、ゼノンの問いに答えた。
「そこから飛び込みそうだったから。」
その言葉に別段、意外な気配も感じ取れない。
「・・・別にここから飛び込んだとしても僕は悪魔だし、エースじゃないから泳げるよ?」
デーモンは苦笑を覚えて口元に手をやった。
「まぁな。でもお前は一応【炎の種族】だろう?危ないと思ってね。」
また流れる沈黙。
波の音が少し大きくなってきた。
「また・・・思い出していたのか?」
デーモンが静かに尋ねる。ゼノンは小さく頷く。
「そうだよ。思い出したんだ。何でだか分からないけど、突然・・・ね・・・。」
風に合わせて流れるゼノンの銀糸。何処か寂しそうで・・・。
「ここで消えたんだっけ?あの子は。」
確かめるようにデーモンが尋ねる。
「そうだよ。僕が出した指令に従ってあの子は調査に出かけて・・・そのまま帰ってこなかった。」
ゼノンの声が心なしか震えている。デーモンは目を細め、ただ、彼を見付けていることしかできなかった。
「あれはお前の所為ではない、吾輩が・・・。」
その後、何かを続けようと思ったが、言葉が出てこなかった。何を言っても弁解になる。
「違うよ。僕が最終的にサインをしたんだ。あの島へ調査に行くということは、【死】を意味することも僕は知ってた。それでも・・・僕がゴーサインを出したんだ。」
デーモンは本当に何も言えなくなった。
「あの子はね、大魔王様が滅んでしまった惑星の調査をしに行かれた時に、ただ一人、生き残ったあの子を魔界に連れて来られたんだ。ほんの気紛れだよ?己の名前は消去され、コードネームを付けられた。そして僕が管理する文化局に新兵として派遣されてきた。」
その言葉に、ふと、デーモンも思いだした。そういえば、名前ではなくあの子はイニシャルで呼ばれていた。
「そうだったな。確か、あの子の名前は・・・。」
「・・・G」
呟くコードにデーモンもぽんっと手を叩く。
「そう、Gだったな。」
「本名は僕が持ってた書類の中でのみ存在してる。あの子の記憶は全て資料として図書館の中で残してあるはずだよ。」
ゼノンの言葉が止まった。
少し不審に思ってこれ以上近づくまいとしていたこの距離を破って、デーモンはゼノンのすぐ傍まで歩を進めた。
「ゼノン・・・?」
何も答えはない。不安に思ってデーモンはゼノンの肩を叩いた。
「ゼノン?・・・・・・!」
思わぬことにさすがのデーモンも言葉を失う。
「ゼノン・・・。」
「僕はあの子の名前が思い出せないんだよ。僕が出した指令に何も言わずに笑って従って・・・僕のミスで消えてったあの子の名前が・・・全然思い出せないんだ。コードネームだけはこんなにもはっきりと思い出せるのに・・・あの子の顔も、よく笑って、僕の傍にいたあの子の表情も全部思い出せるのに!!僕は・・・それなのにあの子の名前さえ思いだせないんだ!!」
玉虫色のゼノンの瞳から、今にも零れて落ちそうな水晶の滴。
デーモンに訴えかけるような、そして自分を責める瞳が、デーモンには悲しいくらい分かった。
「ゼノン・・・。」
「ねぇ?デーモン。僕はこんなにも薄情な奴だったっけ?あの子を失った瞬間、僕は自分を呪った。悪魔に生まれ、永遠の命を持つ自分を憎んだよ。この運命を断ち切ろうかとも思った。でも僕は・・・断てなかった。僕がこんな奴だなんて誰も知らない。ライデンも・・・知らないんだ。責めればいいのに、ダミアン殿下も大魔王様もデーモンも・・・僕を責めない!!苦しくて・・・すごく苦しくて堪らないんだ!」
堪えきれずに水晶の滴があふれてくる。しかしゼノンはそれを拭おうともせずに一心にデーモンを見た。
「ゼノン・・・。お前は文化局のトップに立つ者。あの子以外にもほかにも数え切れないほどの部下達がお前を信じて働いてる。あの子だけに執着してたら・・・。」
パンッ!!!
乾いた音が響く。
「デーモンは知らないんだ!!たくさんの者が何かを信じて笑って死んでったことなんて!!君は・・・・!!!」
言いかけて、ゼノンははっとして口を押さえた。
デーモンの瞳が悲しく輝いていることに気付いたのだ。
暴言だった・・・とゼノンは心底後悔した。
掴みかかっていたデーモンの両肩から手を離す。
「・・・ごめん・・・デーモン・・・・・。」
しかし、デーモンはただ、優しくゼノンを見つめる。
「吾輩は副大魔王だ。そして最高司令官でもある。長い戦いの中で数え切れないほど多くの魂を犠牲にしてきた。そのおかげで・・・吾輩はここに、この瞬間に存在する。それは何かにおいてトップにいる者の宿命らしい。」
力無く笑うデーモン。
本当は・・・。ゼノンも知っていた。
デーモンが誰かが死んだとき、それは例えデーモンが面識はなかったとしてもデーモンの指令で誰かが命を落としたとき。
見えない小さな傷から彼が何にも変えられない涙を流していることを。
魔界史上、冷酷で残忍な副大魔王として君臨するデーモン。
その奥は悪魔とは思えない程、他者に優しくできる者だと。
「名前などどうでも良い。ただ、お前が覚えていれば。その傷は一生お前の中で血を流し続けるだろう。しかしそれを乗り越えねば、明日は見えぬ。あの子の笑顔・・・と言ったな。そう、それで良いんだよ。彼の子がどれだけ素敵に笑ったか、それを覚えておけば・・・。」
ゼノンは顔を上げた。
涙の奥にデーモンの笑顔が映る。
強い・・・。
ゼノンは思った。
自分がたった一人のことでこうなのだから・・・。デーモンは一体どれだけの傷を抱え、どれだけの血を流しているのだろう?
「帰ろう、デーモン。」
涙を拭いてゼノンは笑った。
「そうだな。本当にみんな心配してるぞ。早く帰って元気な姿を見せてやろう。」
ゼノンはもう一度海を見つめた。
蒼く、透き通った大海原。
そしてデーモンの後を追おうと振り返った瞬間・・・!
「あ・・・!」
突然のゼノンの声にデーモンは振り向いた。
「どうした?」
不思議そうにデーモンが聞く。
まるで水か染み込むように、それはあまりにも自然に・・・ゼノンの脳裏をかすめた。
「・・・グロリア・・・。」
「え?」
ゼノンの顔を覗き込む。
「グロリア・・・あの子の名前・・・。思い出せた・・・。」
デーモンはとびきりの笑顔をたたえ、ゼノンの肩を優しく叩いた。
「良かったな。」
ゼノンは大きく頷く。
と、上を向いた視線の先に、見覚えのある顔が並んでいた。
「捜したぜ!ゼノン!!」
長い軍服の裾を軽く蹴り上げ、エースが笑う。
「ったく・・・こんな所にいたのか?全然違うところまで飛んでっちまった。」
ライデンが背中の羽を消して降り立つ。
「ライデン・・・エース・・・。」
ゼノンが呟く。
「大丈夫だよ。ゼノンの気配を掴んだら安心しちゃって2名とも地中海だー!とか言って、さっきまで飲みまくってたんだから。」
いつの間にきたのか、ルークがゼノンの傍らで耳打ちする。
「ルーク!!てめぇ!!」
エースが顔を真っ赤にして追いかけてくる。
「やべぇ!!」
笑いながらルークも逃げる。
思わずゼノンの顔に笑みが零れた。
ゼノンが笑ったのを確かめ、デーモンは先ほどまで彼が立っていた断崖絶壁へと歩いた。
マントの中から白い花の束を取り出す。
「お前の愛した文化局長は元気になったぞ。」
海に向かい、小さく語りかける。
と、カモメが一羽、デーモンの肩にふわりと舞い降りた。
「お前が届けてくれるのか?これを・・・。」
何も言わずにカモメはデーモンを見つめる。
「そうか・・・よろしくな・・・。」
デーモンは花を【彼】に渡した。
受け取った【彼】はすぐに飛び立った。
海原を遠く、遠く、遥か彼方に沈んだ島を目指すように。
「安らかに・・・眠れ。」
デーモンはマントを翻し、4名の元へと歩き始めた。
F I N
presented by 高倉 雅