F o o l  E n o u g h

 

夢の奥で鐘が鳴る。
警鐘・・・?
何故?どこで?
誰が鳴らしてる?
やめろ・・・やめてくれ・・・誰か止めろ!!
その鐘を鳴らすのはやめてくれ!!!
責めるな・・・俺を責めるなぁあああああ!!!

飛び起きた瞬間に冷たいものが背中を伝う。
じっとりと嫌な汗だ。
毎晩毎晩同じ夢を数分だけ・・・しかも起きる直前に。
誰があの鐘を鳴らしてるのだろう?
そしてどうして俺はアレがとても嫌なのだろう?

エースはゆっくりとベッドから立ち上がって朦朧とした意識を振り切るためにシャワールームへと消えていった。

 

熱湯ぎりぎりのところまで温度を上げたシャワーは、エースの・・・いや、既に彼は清水だ。
悪魔であるもう1人の彼は任務を終えた瞬間に彼の中から消えていった。
まるで用済みとばかりにそれはあっけないものだった。
確かに、何十年も一緒に過ごしてきたのだからある程度のエースの性格は分かっている・・・が。
変な話、とてもつまらないものだった。
いきなり放り出された何も出来ない自分。
ようやく相棒を見つけ、活動を再開した時には2年の月日が過ぎてしまっていた。
それもどうにか軌道に乗り、ファーストツアーも成功。
一段落した。
清水は、シャワールームから出ると何気なくラジオのスイッチを入れ、どっかりとソファーに沈み込んだ。
耳に慣れたDJの声が愉快そうな英語で次の曲紹介をしている。
手元に置きっぱなしになっていたミネラルウォーターの蓋を捻り、水を流し込もうとした瞬間。
聞き覚えのある声とフレーズに手が止まった。
たらりと思いがけずに汗が流れてくる。
夢とは一切関係ないはずなのに。
「・・・デー・・・モン?」
自分はツアー中だったせいか、デーモンが新しいアルバムをリリースしたことを知ったのは既に1ヶ月以上たったつい最近である。
事務所を通してデーモンから渡されたCDは、封も開けずにどこかに置きっぱなしのままだ。
何故か聞く気になれなかった。
そして今、ラジオを通して初めてその中の楽曲を聴いたのだ。
懐かしく、甘美な声。
エースが彼の後ろでギターを弾きながら見とれていたことは微かな記憶の欠片として残っている。
抱きしめたい。
そう思っていたことも。
奪い去りたい、自分だけのものにしたいと。
エースが・・・?
彼の手はいつの間にかカタカタと震えていた。
小刻みな振動がボトルの中で波を作り、波紋を映している。
エースが残していった断片的な記憶。
曖昧な想いの裏側。
彼はエースに感化されているものとばかり思っていた。
エースの気持ちが自分にシンクロし、デーモンを・・・愛していると。
じゃぁ何だ?
あの夢は。
彼の思考は止まらなくなっていた。
夢とデーモンへの想いをどうしても切り離すことなどできなくなっていた。
確かめよう。
会って、確かめてみよう。
デーモンに。
思い立ち、彼は直ぐに携帯電話に手を伸ばした。

 

 

自分で指定したにも関わらず、彼は約束の30分前にその場所に到着していた。
昼から降り出していた小雨が夕方には本格的になり、屋根に隠された目の前をびしょ濡れにしている。
コンクリートが真っ黒に変色し、行き交う人々の足をますます早めていた。
何故か傘をさすことを放棄して、土砂降りの中15分かけてワザとゆっくり歩いてきた彼の姿を奇異の目が通り過ぎる。
オレンジ色にほど近い髪の色はしっとりと発色し、ロングコートを無惨な姿に変えているだから、それは仕方のないことだろう。
彼は 、未だ心臓の大きな高鳴りを押さえることが出来ずにいた。
デーモンに会いさえすれば・・・。
そんな短絡的な行為で果たして自分の心が分かるのだろうか?
答えが見えない謎に、正直苛立っているのも確かである。
が、裏を返せばそれは既に分かり切っている答えを必死で押し殺そうとしているようにも見えるのだが。
雨の雑踏の中で、耳慣れた足音が聞こえ始めた。
規則正しい早い歩き方。
たまに踵が引きずる音さえも正確に聞き分けられる。
顔を上げた時は、にこやかにこちらに向かって手を振っている顔が怪訝そうな表情に移り変わった瞬間だった。
足音が駆け出してくる。
「・・・何だその格好は!!こんなに雨が降ってると言うのに・・・傘はどうした?傘は。まさか川を泳いで渡ってきたわけではあるまい?・・・あ、
泳げないからそれは無理か・・・。」
眉を顰めながらデーモンがポケットからハンカチを取り出し、顔を拭こうと手を伸ばしたのを本能的に彼ははねつけた。
途端に表情は悲しげになり、デーモンはばつが悪そうに手を引っ込める。
「・・・すまん。」
その様子に少し慌てた彼は、今出来る精一杯の笑顔でデーモンの髪をなぜた。
「久しぶり。忙しそうだったから会えないかと思っていた。」
声が震えてはいまいかと、必死で平静を装ったが、それはとりあえずは成功したらしい。
デーモンはまたもとの笑顔に戻り、傘をさしかけてきた。
「ああ、アルバムの宣伝巡業が一段落したところだ。これからツアーのための練習があるまでは少し時間が出来たものでな。」
ヒラリと傘の中に滑り込み、当たり前のようにデーモンの右手に収まっていた傘の柄を取り上げる。
「これからどこへ行くのだ?」
「・・・俺のこの格好ではどの店にも入れないだろうから・・・そうだな、俺の部屋に来ないか?」
デーモンは上目遣いで彼の顔を見つめてくる。
「・・・何か込み入った話なのか?」
その表情に彼はギクリとしたが、それを押し殺して首を横に振った。
「いや、別にそういったことではないのだが・・・少なくともお前の部屋よりも食材と酒はあるだろうし。」
その言葉に機嫌を良くしたのか、デーモンは嬉しそうに笑った。

 

 

部屋に到着し、再びシャワールームに消えた彼は、面倒くさそうに衣服を脱ぎ捨てた。
誘ったのは自分なのだが、一体デーモンはどういうつもりで俺についてきたのだろうか?
安全な男だと・・・そう思っているのだろうか?
そう考えて、無性に腹が立ってきている。
腹立ちの裏側で、彼の心臓は出かける前よりも早く、過激に鼓動を打っていた。
するりと伸びた肢体、流れる金髪、こぼれる笑顔。
どれをとっても彼の平常心を掻き乱すものだった。

デーモンを抱きたい。

彼の心の中はそれでいっぱいだった。
朝とは逆に氷のように冷たいシャワーを全身に受けながら、彼の欲求は炎より熱く、エスカレートしていく。
が、デーモンを失いたくない・・・。
それも事実だった。
それが嫌だったから・・・多分エースは任務終了と同時に俺の中から消え、魔界(こきょう)へと帰ったのだろう。
今なら・・・今なら・・・エースではなく、自分として。
デーモンを独占できる。
もう既に、彼の中には独占欲しかなかった。

 

 

バスローブを引っかけてリビングに行くと、デーモンはまるで我が家のようにくつろぎ、大の字寸前で寝っ転がっていた。
物音に反応して、顔だけが彼を迎える。
「随分遅かったな。溺れたかと思って吾輩そろそろ見に行こうかと思っていたところだぞ。」
全くその気はないことを平気で言ってのけ、デーモンは180度体を回転させてこちらを改めて見た。
「吾輩、食事はまだ摂っていないのだが・・・そろそろ腹減ってきたぞ。」
何か作れと暗に催促してくる。
「分かった・・・分かったから・・・。どうでもいいが、ここは俺の部屋だぞ?少しは遠慮というものをしないのか?お前は・・・。」
「吾輩のものは吾輩のもの、エースのものは吾輩のものだ。」
・・・・・・言っても無駄だったか。
彼は軽いため息をつくと、そのまま台所へ向かった。

 

数十分後。
リビングのテーブルには出来立ての食事が並べられ、デーモンが嬉しそうにそれらにパク付いている姿と、彼がそれを見ながら酒を飲んでいる姿が
存在していた。
「相当腹減ってたんだな。」
チビチビとブランデーを舌の上で転がしながら、彼は呆れたように呟く。
「ああ、朝食べて、あとは・・・これが次かな?」
「ちゃんと食べろよ、そうでなくてもお前はちっこいんだから。」
途端にデーモンの顔が膨れっ面になり、彼を睨み付けた。
「悪かったな、どうせチビだ。どこぞの誰かみたいに図体だけニョキニョキとデカイ親父じゃないものでな。」
どんなに凄んで見せても、今のデーモンでは何の説得力もない。
「ほらほら・・・口に付いてる。」
彼はごく自然に左手の指を口元にやると、くっついたモノを取り、そのままそれを舐めた。
それがあまりにも普通すぎて、逆にデーモンの方の心臓が一際高く鳴りあげる。
「ば、ばかっ!!そんなことをするんじゃない!!」
何故怒ってるのか自分でもよく分からなかったが、とりあえずデーモンの口からは怒り声が飛び出していた。
「・・・あ、すまない。」
そして・・・流れ始めた沈黙。
やけに重すぎる。
2名とも動きを止め、下を向いたまま無言の時間が延々と過ぎていった。
「・・・悪かった。」
沈黙を破ったのは意外にデーモンの方だった。
「別にそんなに怒るほどのことでもなかったのだが・・・何となく。」
理由にならない言葉が漏れる。
「・・・怒ってるのか?エース・・・。」
曇った表情でデーモンが再び彼の顔を覗き込んだその時。
・・・一瞬何が起こったのか分からなかった。
気が付いたら、彼のバスローブからはだけた胸の下に組みし抱かれていた。
その瞳の色は、今まで見てきた表情とは別の、まさに獣色。
「な、な、な・・・・・・・・・・。」
あまりのことに声も出せない。
多分感じているのは・・・恐怖。
自分の感情、それすら正確に把握できなくなっていた。
そう思っている間に、彼の唇がデーモンのそれと重なった。
「・・・っ!!!」
懸命に逃れようと力の限り反抗してみるが、いかんせん相手の力の方が大きすぎる。
・・・と、ふいに抵抗することをやめようと思わせる事態に気が付いた。
・・・・・・震えてる?・・・・・・
カタカタと、唇だけではなく、デーモンを押さえつけている腕も・・・微かではあるが、震えていた。
抵抗しなくなったことに気付いたか、我に返ったように彼は慌ててデーモンの体を自由にした。
「あ・・・俺・・・・・・・・・・今・・・・・・・・・・・・・・・。」
明らかな動揺が、摘んだ煙草の動きにも現れている。
「・・・お前は吾輩にそういう行為をしたいと言うことか?」
冷静な質問に、彼は動揺を隠せずに、素早くバスローブの胸元を閉じる。
「何十年もお前と付き合い、仲間だと思い、お前を分かったつもりだったが・・・。所詮吾輩のつもりでしかなかったと言うわけだな。
吾輩はお前のことをとても好きだ。大切だと思っている。これからもずっと付き合いを続けていきたいと思っている。今この瞬間においても
それは変わらない。しかしエース、吾輩はお前のその想いに答えてやれることは出来ない。吾輩は・・・。」
「エースじゃない!!!」
デーモンの台詞をぶった切って彼の悲鳴が部屋に響きわたった。
「エ・・・。」
「俺はエースじゃない!!!エースは・・・エースは魔界に帰ったんだろう?それはお前だって分かっているはずだ!!俺は・・・俺だ。
確かに俺はお前が大切にしたいと思っているエースの地球(ここ)における肉体だった。だが・・・任務が完了した瞬間、彼奴は魔界に帰っていった。
信じられないほど呆気無くな!!俺は・・・俺だ。何度も言う!俺はエースじゃない!!」
言いたいことを全部ぶちまけてしまい、彼は肩で息を吐きながら初めてデーモンの顔をまともに見・・・ドキリとした。
「エース・・・では・・・無いんだよな・・・。」
まるで自分に言い聞かせているようなデーモン表情は、半身を引き裂かれた抜け殻の如く感情はなく、瞳の色は鈍くなっていた。
「お前は・・・エースではない。そう、エースでは・・・無いのだから・・・。」
睦言の様に恋人を呼び続ける、決して手に入れられることが出来なくなってしまった恋人を。
その様子を見ながら段々彼は腸が煮える思いを覚えていた。
「・・・抱くぞ。」
「・・・え?」
未だ呆然と宙を見つめるデーモンを無視して、彼は今度こそ本気で。
デーモンの体を羽交い締めにした。
「やめろ・・・エース・・・。」
「俺がエースだろうと何だろうともう関係ない・・・俺はお前を今から抱く。俺は絶対に今からやる行為を後悔しない。だからお前もこういうことに
なった事を・・・後悔するんじゃねぇぞ。全てはお前が悪いんだから。」

 

 

断片的には覚えている。
デーモンの猫のような嬌声、肉体同士が重なり合う乱暴な音。
浮きだった腰、壊れたロボットのように反応を示し続けるデーモンの身体。
視界が真っ白になり、欲望の限りを中に注ぎ込んだ。
そして・・・デーモンの泣きながら呟いた言葉も・・・。

 

「やめろ・・・エース・・・。」

 

一層雨が強くなっていた。
窓ガラスに叩き付けるそれは、異常なくらいに部屋の中にこだまする。
静か・・・だった。
グラスが二脚とも砕け、見るも無惨な姿で彼の横で息絶えている。
デーモンは・・・いつここから出ていったのだろう?
もうそれもどうでも良い。
警鐘が鳴る。
それは夢の中ではなく、現実の世界で彼の中で。
いや・・・既にそれは警鐘ではない。
弔いの鐘が。
誰のため?
何のため?
自分のため、犯した罪を改めて認めさせるため。

 

多分もう二度と・・・黄金の化身は笑ってくれない。
ここには・・・来てはくれない。

 

                                                                 F I N

                                                            presented by 高倉 雅
                                                               3/9   Aceday