運 命 の 扉
その瞳は宝石。
極上の黒曜石を湛えて、わずか一点だけ、殆ど気付かれもしないような紅い雫。
その二つの高級品は青い空を見つめていた。
そしてその奥にある扉、天界と魔界を行き来することが出来る唯一の関所門。
それに因んでこの土地は【God’s Door】と呼ばれていた。
宝石の主は扉を抜けて舞い降りる美しき天使たちを好奇心と羨望の眼差しで見つめていた。
開く度に優しげな音を立てる、背中に装着された白い一対の翼。
金色の飴細工の様な髪が束になり、翼の間で揺れる。
ゆったりとした衣を纏い、笑いかけてくれる。
それが何よりも嬉しくて。
少年は自分の肩口で揺れる漆黒の髪を見て溜息をついた。
何故自分は悪魔なのか?
何度のその事を悔やんだだろう。
別に日々の暮らしに不満があったわけではなかった。
むしろ満足度の方が遥かに上回っている。
これといった不自由なく、大公爵の娘である母を持ち、父は今やその力と強固な意志で魔界で一、二を争う程の歴戦の勇者。
自分はその息子。
だが・・・。
扉が開く度にその隙間から覗く黄金色の【太陽】という名の輝きは、魔界(やみ)に生きる者の憧れ・・・であった。
そして。
いつの間にか時は満ちていた。
「皇子様ーーー!!どこに行かれたんですか?!今宵は母上様がお帰りになられますのに・・・。皇子様ーーー!!!」
養母の悲鳴のような叫び声・・・。
かなり焦っているらしく、彼が登っている木の僅か1メートル横を通り過ぎてしまった。
彼女が走り去ってしまった後、彼は半ば呆れ顔で太く迫り出した枝から軽々と飛び降りた。
「あ〜あ・・・俺ここに居るってのに・・・。」
少年はクフフと笑って養母が完全に視界の中から消えるのを確認し、ゆっくりと歩き始めた。
向かう先はいつもの場所。
腰の高さまである黄緑の絨毯のような草原が気持ち良い。
揺れる風に身を任せて、少年はふわりと浮き上がった。
この風の原を抜けた所にある孤独な樹木。
天界への扉を目指すかのように、藍色がかった空へと腕を伸ばす。
少年はその枝に座り、天使たちが下りてくるのを見るのが何よりも楽しみだった。
しかし。
その日、少年の視線はお気に入りの場所の下に立ち尽くしている生命に吸い寄せられた。
穢れを知らない純金の糸がそのまま髪の束となり、背中の中央付近までサラサラと揺れている。
今まで憧れを抱いていた天使たちの美しさなど、その者の前では呆気ないほど色褪せてしまう。
そのくらい、その生き物は美しかった。
本当に生きている者か?
もしかしたら・・・黄金の彫像・・・?
少年は草原の中に降りた。
相手はピクリとも動かない。まだ少年の存在に気が付いていないようだ。
その時、まるで演出のように風が舞い上がった。
初めて彫像の手が動き、踊る髪を耳に掛けなおす。
・・・天使・・・・・・・・・!
「何の用だ?」
しっとりとした艶のある声が少年の耳に入った。
気が付くと・・・少年は彼の頬に触れ、自分の前に顔を向けていた。
「あっ・・・。」
慌てて少年は手を離した。
前髪を掻き上げて彼は少年の顔をマジマジと見つめてきた。
「ふぅ・・・ん・・・。綺麗な顔をしてるな。」
クルクルと少年の周りを回ってまた、正面に戻ってくる。
「お前は誰だ?」
にっこりと笑ったその瞳は、暖かい春の海の色。少年の鼓動が跳ねた。
「・・・A・J・・・と呼ばれてる。」
言ってしまってはっとした。
あれだけ名前を簡単に明かすなと言われていたのに・・・何故だろう?出てしまった。
少年・・・A・Jは後悔していた。その様子に気付いたのか、彼もバツが悪そうな顔している。
「すまない、お前は名前を明かしてはいけない身分のようだな・・・。吾・・・いや、私もそうだ。だからお前に名前を明かそう。」
「いや、いい。聞かない。お前・・・こんな所で何をしてるんだ?」
A・Jは彼の横に陣取って尋ねた。
「・・・空を見ていた。」
「空を?」
彼の瞳には確かに藍色の空を映し出していた。
「空だ。私に・・・何かを見つけよと、誰かが叫ぶのだ。」
困惑を湛えたような声で・・・しかし、その目は確かな意思を持って、彼はA・Jを見つめてきた。
「ここで見つけろと言われたのか?」
A・Jは問い掛ける。
しかし彼は首を横に振った。
「いや、誰も何も・・・。何かを見つけるために彷徨っていたら・・・ここにいた。そしたらお前がいた。」
意味深な台詞。
巴旦杏(アーモンド)の花がピンク色の吹雪を撒き散らした。一瞬、全ての視界が遮られ、彼の姿さえも溶かしてしまうかのように。
「っ!!」
A・Jは淡紅色の壁に手を突き刺し、彼の身体を無意識の内に引き寄せた。
封印されようとしていた彼の表情が驚いた風に現われた。
「どうした?!」
・・・おかしい。
A・J自身も思っていた。
何をやっているのか?この少年に・・・自分は・・・何を感じている?
混乱の渦中にいながらもA・Jがやっとのことで言い放てたのはこの言葉だった。
「明日も・・・ここに来るか?」
「え?・・・」
彼は不思議そうにA・Jを覗き込む。そして・・・A・Jからの束縛から優しく逃れながらふんわりと笑った。
「ああ、来る。お前のことをよく知りたいから・・・。約束する。」
『じゃぁ』と彼は手を上げて風に乗った。
「ああ、また・・・絶対だぞ!!明日ここで・・・待ってるから!!」
彼の姿が地平線の向こうに消えた瞬間、A・Jの脳裏に彼のある言葉がじわじわと染みてきた。
「お前は誰だ?」
突然、身体を突き抜けるほどの悪寒が走る。
「!!!」
自分で自分の身体を抱き締める。
何だ・・・?
「皇子様!!!見つけましたよ・・・さぁ、私と一緒に帰るんです!!」
養母が目の前に立ちはだかっていた。
「うわぁっ!!」
ひょいと襟首を持ち上げられ、軽々と連れ去られる。
「こらっ!!離せ〜〜〜!!!!」
抵抗空しく、A・Jは聳え立つ城に強制送還されてしまった・・・。
「ダメだ・・・『彼ら』を逢わせてはいけない・・・。」
「時は・・・早すぎる・・・『彼ら』は出逢ってしまった・・・今の内に・・・離さなければ・・・時空が歪む・・・全てが・・・境界線が・・・壊れる・・・。」
「『今』ではない・・・。まだ・・・あと少しだけ・・・時間を・・・。」
森の奥に潜む【闇の目】たちがざわついた・・・・。
雨が降り始めていた。
この地区では珍しい・・・冷たい雨。
しかしA・Jは城を抜け出し、約束の場所に立っていた。
炎の種族である彼は水に弱く、少しでも濡れたら・・・命を奪われかねない。
が、立ち尽くしていた。
「来る筈だ・・・絶対に・・・。」
信じて疑わなかった。
・・・何時間過ぎた?
しっとりと濡れそぼった身体・・・。
熱い・・・。
意識が遠のく。
グレイに広がる藍色の空は容赦なくA・Jを突き刺していく。
来ない・・・何故?
何故?
何故?
約束したのに・・・・。
裏切られた・・・?
「エース・・・もう帰ろうよ。」
傘を差しかけてきたのは玉虫色の瞳。
鬼族らしからぬ優しげな表情を湛えて、彼は立っていた。
「ゼノ・・・ン?」
「もう・・・来ないよ。見てごらん。」
指差した方向の空は、森の奥へと金色の月が沈みつつある。
「もう帰ろうよ・・・。エース・・・・・!!!エース!!!!」
ゼノンの声が遠くになっていった・・・。
次に目を覚ました彼の瞳から、宝石の輝きはすっかり消えうせていた。
代わりに装着された鉄色の仮面。
今までクルクルと変えていた表情はごっそりと剥げ落ち、何か冷めた様子を見せ付ける。
初めての裏切り。
それが彼から全てを奪うこととなった。
【もう誰も信じない・・・。】
彼の心は完全に閉ざされていた。
そして・・・。
それは彼の情報局入りを確かなものにし、さして遠い将来ではない黄金色の化身との再会を回り道する結果となる。
【闇の目】たちの思惑を最終的に覆して。
遠くに響く、激しい雷鳴は彼の感情を叩き壊す音に似ていた。
その年の三回目の紅い月が満ちた日から、その9日目の朝だった。
to be continude・・・
presented by 高倉 雅
ACEDAY 3/9
postscript
エース清水長官、御発生日おめでとうございます。
3回目の企画小説・・・。何故かこれだけ「続く」と書いてます。(笑)
何故って?
これって、続きが既に存在しておりますから。(爆笑)
何となく・・・お気付きかもしれませんね。ウラ連載中の「モザイクのLove Maze」の一番最初だったりしてます。
私の中で長官のイメージは冷酷なモノをもってます。
でも、やっぱり表情クルクル変わる長官を書いてみたかった・・・。
発生日記念の小説にしては果てなく暗いですけど。(自爆)
まぁ、先の2名の小説も暗いんです。(笑)
そうです、今回の企画小説のクールは【悲しみと裏切り、そして別れ】をモチーフにしてますので。
和尚まで済んだら次は明るいクールにしますから!!!
さて・・・。
長官は桜が咲いて散る頃、登場してくださるのでしょうか?
待ち望んでるんですけどねぇ・・・。ジレッタイなぁ・・・・もう!!!(爆)
何だかよく分からない後書きですけど、今回も長官のイメージの曲を書いておきまする。
「サクラちってサクラ咲いて」 「BURNING BLOOD」 「彷徨」
そうそう。今回の話に出てきましたアーモンドの木。あれは本当に桜の花にそっくりなのだそうです。ではでは・・・。