赤 い 玉 の 伝 説
魔界の入口である『次元空間』の重厚な城門が、低い音と共に両側へ開いた。
ここから入るのはとても久しぶりだ・・・とルークは思った。
点々と・・・まるで針の穴ほどしかない星々の美しい隙間を縫って辿り着き、開いた先には暗黒の闇夜。
黒く薄い唇から漏れるのは溜息1つ。
もう少し華やかにならないモノか・・・自分のように・・・彼は思った。
しかし・・・ルークのようになったら魔界もへったくれもなく、まるでどこかのナイトクラブにでも入り込んだかと間違える輩がいるかも知れない。
もう少し自分の派手さ加減を認識すればいいものを・・・。
しかしルーク自身、全くその認識は尽く欠けていた。確かにそうだろう。
今から逢いに行く彼直属の上司は派手さにかけては魔界は疎か、天界の連中より抜きん出ている。
しかもルーク同様、自分の風貌に関するいわゆる『世間的』認識は全くないと来れば・・・。
致し方なかろう・・・。
闇の道を抜け、霧の立ち込んだ小路が視覚に飛び込んだところでルークは羽を消し、地面に降り立った。
慣れた風景を散歩がてらゆっくりと歩く。
深い灰白色の霧の中に鬱蒼と生い茂る森。その最奥に鎮座する上司の屋敷・・・イヤ、城と言った方が正解だろう、それが見えてきた。
「相変わらず・・・。」
鳥の歌う声さえも聞こえない、まるでここだけが切り離された世界のように立ち塞がる。
ルークは両手の中に潜めたモノを大事そうに確認し、門の結界に侵入した。
「やぁ、久しぶり。」
ルークはニッコリと笑うと暖炉の前の床に座り込んでいる金髪に声をかけた。
「・・・やっぱりルークか・・・結界に触れたときにもしやと思ったが・・・。どうした?お前が吾輩の屋敷に来るとは珍しいな。」
振り向いた顔は思わぬ客に喜びを讃え、読んでいた皮の本を綴じた。
「うん、ちょっとね。奇妙なモノ拾っちまってさ・・・。放っておくのも何だし、持って来ちまったんだけど・・・。」
そう言ってルークは両掌を開いた。
指と指の隙間からそれは仄明るく光り、生きていることを懸命に表現しているかのように見えた。
「どれどれ・・・?」
金髪・・・デーモンが興味深そうに彼の手の中を覗き込む。
「おやおや・・・。」
何とも言えぬ感想がデーモンから零れた。
「ね?放っておけないでしょ?どうしよっか・・・コレ・・・。」
ルークから手渡され、それはデーモンの中で光る。小さな小さな・・・肉眼では確認できないような生き物が一生懸命に『生』を存続しようと藻掻いている。
「どうしたのだ?どこで見つけた?こんなモノ・・・。」
不思議そうにデーモンが尋ねてきた。ほんの少し言い難そうな顔をしたが、ルークは重い口を開いた。
「うん・・・俺ちょっと用事があってさ・・・地球に行ってきたんだ。」
ぴくり・・・とデーモンの眉尻が動く。
それを見止めたルークは慌てて手を振った。
「べ、別にサボってたわけじゃないよ!マジだって!!・・・ちょっとさ・・・ちょっと用事が・・・。」
しどろもどろになって地球へ行っていた言い訳を延々と述べ始めて本題から逸れることを恐れたデーモンはルークを一睨みし、
「で?地球に行ってどうしたのだ?」
その先の話を催促した。
「ああ、そうそう。それでね、魔界に帰ろうと思って次元を越えようとしたらさ、フヨフヨとそれが近付いてきたんだよ。」
追求を免れてほっとしたルークは、笑顔に戻ってで話を続けた。
「しかし、コレはお前が持ってきてはいかんものだろう?コレは・・・天使共の領分だ。そうじゃないのか?」
デーモンが眉をひそめる。小さなところからでは魂の奪い合い・・・何にしても天界と魔界は敵対関係にはあるものの、互いの領分というものは存在する。
それは原則として侵さないのが無言の約束だった。
「勿論、それは知ってる。俺がそれを見つけたときも周りに天使共はウヨウヨ居た。誰かが持ち帰るだろうと思って放っておこうと思ったんだ。だけど・・・。」
懸命に光るその生命はどの天使の目にも映っていたはずだった。
しかし見て見ぬフリで、誰も近付こうとはしなかったのだ。
「いくら俺が悪魔だって、放っておけなかった。だから・・・連れてきたんだ・・・。」
ルークの水晶の瞳が微かに濡れていることに気が付いた。
デーモンは浅い溜息を吐いた。
軍事局参謀という、魔界に於いてトップクラスの地位に居ようとも、戦場で彼が見せる笑いながら敵を八つ裂きにできる冷酷さを持ち合わせていようとも、ルークはルーク・・・昔からその暖かさは変わらない。
それがいくら彼のウィークポイントになろうとも、彼はその優しさを捨てることはなかった。
昔も・・・そして多分これからも。
「放っておけなくて連れてきたって・・・・そんなこと言われても・・・。」
困ったようにデーモンは手の中を見た。
生まれてくる前にその『生』を断ち切られ、人間のエゴイズムによって捨て去られ、排除された哀しい生命の一片。
「吾輩にどうしろというのだ・・・。」
流石のデーモンも困惑している。・・・と、その時・・・か細い声が聞こえた。
《・・・ユルサナイヨ・・・ボクハ、ゼッタイニ、ユルサナイヨ・・・。》
「誰?!」
ルークは驚いて辺りを見回した。しかし・・・声を発しそうなものは何処にもない。
《・・・ボクヲ、ミステナイデ・・・ボクハ・・・アイツラニ、フクシュウヲ、シタインダ・・・。》
声は続く。
「違う・・・ルーク。コレは生体波だ・・・実質的な『声』ではない。空間を伝わって波長が直接、我々の思考に届いている。」
デーモンがふと、自分の手に視線を落とした。
「コレだ・・・こいつが叫(い)っているんだ・・・。」
より強力な輝きを放ち、それはどんどんどす黒いものへと変化していく。
「デ・・・デーモン・・・。」
心配そうにルークは手の中とデーモンの交互に見つめる。
《ヤット、キヅイテ、クレタ・・・。ボクヲ、ウマレサセテ・・・ソシテ、アイツラニ、フクシュウヲ、シテヤルンダ・・・。》
「そうか・・・・分かった。」
デーモンは両腕を前に突き出し、藍色の目を閉じて呪文を紡ぎだした。
呪文が進むにつれてぼんやりと赤い玉が出現する。
ルークが固唾を呑んで見守る中、生命が発していたどす黒い光はそのまま玉の中に吸い込まれ、殻に覆われていった。
「しばらくの時間、お前はこの中で成長する。お前の意志がそのまま己の力となり、そしてこの殻を破ったとき・・・吾輩はお前にさらなる巨大な力を授けよう。お前はその力で、お前の意志によって復讐を果たすが良い。その代わりお前は吾輩に永劫の忠誠を誓い、吾輩のために尽くす。どうだ?」
殻に覆われていようとも、そのハッキリとした肯定の意志は2名の中に滑り込んできた。
「よし・・・待って居るぞ。」
デーモンは水晶玉ぐらいの大きさの赤い玉を、いつの間にか入ってきた執事に渡した。
「すまぬがコレを吾輩の書斎に置いてきてくれ。」
彼は無言のまま受け取り、礼を取ると足音もなく出ていった。
「これでいいか?ルーク。」
あまりのことにルークは口を半開きにしたまま一回だけ頷いた。
「彼奴が憎しみと怒りに燃え、潜在的能力があの玉の限界を超えたとき、殻は破れ、そしてまた1つの・・・悪魔が誕生する。」
デーモンは楽しそうに笑った。
「皮肉なものだな。人間が恐れ憎むべき悪魔は、実は人間自身が生み出していることに・・・それにまだ気付かない・・・。哀れで愚かなものだ・・・。そうは思わぬか?ルーク・・・。」
堪えきれなくなったかのようにデーモンは高らかに笑い出した。
それは澄み始めた空を突き抜け、次元を飛び越えて全宇宙を嘲笑うかのように・・・響いていた。
そしてまた1つ・・・。
悲しみと憎しみの赤い玉から悪魔が生まれる。
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Presented by 高倉 雅