Silence or Violence?
一名の武将が大将首を掲げて凱旋した。
その首はこの世界の中でも有名で、珍しい鳶色の瞳を持っていた。
誰もがそれを見ようと、閉じられた瞳をこじ開けようとしたが・・・どんなに屈強な戦士が力を加えようとも、ビクともしない。
しかし、その瞳は開かずとも、それにはもう一つの愛でるべき点があった。
獅子の様な豪華な金髪。
サラリと流れ、無様な傷口を隠している。
これはとても不思議なモノだった。
切り落とされてから既に幾日も過ぎたというのに、既に細胞は朽ち果て始めてもおかしくは無いというのに、まるで生きたままの様で・・・それは
あまりにも美しすぎた。
王はオブジェと見せしめの為に、首を玉座の隣に、ガラスケースに入れて飾ることにした。
そして。
夜。
暗黒の風に乗り、響き渡る歌声に少なからずの恐怖が広がってゆく。
いつしか『亡霊の歌』と名付けられたそれを解明する為に、一名の兵士が城の警備を命じられた。
彼こそ、前回の戦で大将首を持ち帰った者であった。
夜のしじまを優しく破る歌声は今宵も聞こえてくる。
ただの噂だとたかをくくっていた彼だったが、実際に耳にした瞬間、生まれて初めて恐れおののいた。
今まで聞いたこともない美しいメロディー。
聞いた誰もが魅せられると言う。
狂おしいほどに。
これまでに歌の元は誰も見つけられなかった。
探そうとすればする程、脳随に直接注がれていくような歌に全てがひれ伏す。
何故だか彼は歌声の主が分かっていた。
まっすぐに玉座の間へと歩を向けていた。
どこからともなく漏れてくる光が不必要に広いこの部屋を僅かばかり照らしていた。
昼とはまた違う音で軋む扉を閉め、踵と大理石が重なる音をバックに彼は正面の玉座へと近づいていった。
まるで初陣の時の様な微妙な興奮と緊張。
微かに震えていた右手の中の剣。
歌は耳の中で呪阻のように繰り返す。
そして彼は玉座までの最後の階段を登りきった。
ガラスケースが意志を持ったように小刻みに揺れる。
彼はケースを手に取り、引き上げた。とたんに歌は掻き消える。
ふいに首の唇が動いた。
「剣を収めろ。吾輩は今、戦う事はできぬ。お前が吾輩の首を落とした時に全ての力が消えている。」
少し低めの声が広間いっぱいに響いた。
「お前は悪魔だろう?誰が貴様の言葉など信じるものか。私は剣を引かぬ。」
めいいっぱいの恐怖におびえていることを悟られないよう、彼は精一杯強気な声で首を見つめる。
ともすれば逸らしたくなる瞳をこらえながら。
「吾輩はお前にこの首落とされたことを恨んではおらぬ。だからお前にとても良い事を教えてやろうと、こうして毎晩お前を呼んでいた」
首は目を閉じたまま睦言のように彼に話し続ける。
「悪魔の貴様から聞く事なぞ無い。我ら一族は無敵。現に悪魔であり大将である貴様の首を私は切り落とした」
「そう言うな。吾輩がここでお前に何か邪悪な事を吹き込んだとしても武器を持ち、魔力を操る肉体は既に滅んでいる。何の目的で吾輩をオブ
ジェ代わりにしているかは何となく理由は分かっている。お前にはよくぞ吾が首を落としたと敬意を込めた、まあ吾輩のお節介…そういうことだ」
悪魔は口の端を少し上げ、微笑を作った。
彼はクラリと目眩いを覚える。
惑わされてはいけない。
が、その理性が鳴らす警鐘も空しく、彼はうなづいてしまった。
「信じよう」
後の事は覚えていない。
気が付いた時にはうずくまった自分が引かれっ放しのカーテンの隙間から覗く朝日を拝み、ラッパの音をボンヤリ聞いていた。
首は相変わらず目を閉じ沈黙の中で息を潜めたままで。
夢だと思った。
だが、そう思い込むにはあまりにも昨夜見てしまった微笑が生々しすぎていた。
彼の様子は日を追う毎に変化した。
この世界では何より強い者が正義だと思い込み、明るい内は剣や戦いの稽古をしていた。
それが何かを深く考えている時間が増え、稽古も休みがちになり、ついには剣さえも持たなくなった。
自室に籠もり、窓を締め切り分厚いカーテンで部屋を覆い、誰であろうと来室を拒む。
皆は悪魔にとり憑かれたと噂した。
ただ一度、扉が開くのは全てが寝静まった夜半過ぎ。
まるで夢遊病のように廊下をさまよう姿が目撃されている。
いつものように歌は彼を呼び、何かを語り続ける。
彼はそれを聞く。
辺りが白々となる頃、首は語りを止め、ただの屍と化す。
彼はまた部屋へと戻り、考える。
一体どれだけ繰り返されただろう?
彼を知る者全てが彼を狂人と嘲った。
だが彼はそのことを知らぬ。
意外にも彼の頭も精神も極めて正常であった。
彼は身体の・・・いや、精神の奥の奥で首が毎夜語る事を反芻し、考えていただけだったから。
今まで信じてきた事が正しかったのか?
何が正しく何が誤っているのかを。
この世界では王が絶対だった。
王の言う事がとても正しいと思っていたし、信じていた。
首は王を否定する事は何一つ言わない。
最後にいつも首はこう言い残す。
「己で考えよ。」
この言葉を思い出すたびに彼の手にこびり付いているであろう、彼が殺した者達の呻き声が聞こえ、腐った血の匂いが鼻を突く。
どこからともなく沸き上がってくる涙を拭きながら夕暮れ時に驚き・・・首の元へと向かう。
首が全てを知っている。
きっと自分を救ってくれる・・・勝手にそう思いながら、彼はやはり首に語らいかけている。
それが・・・まだ、あの夜までは続いていた。
夜の柔らかな闇を引き裂く様に紅蓮の炎がこの世界を溶かしていく。
逃げ惑う、この世界の住人達。
城の窓や扉、ゴミの様にチリチリと落ちていく住人達を更に追い詰めるかの様に、炎の手が彼等を引き留め、燃やし尽くす。
一瞬、静かになった様な気がした。
そして・・・。
轟々と音をたてて、この世界のシンボルとも言える白城が炎の壁の中に吸い込まれて消えていった。
唯一生き残った寝巻姿の王の前に突き出された男はあの武将だった。
掴み取られた右腕にはたいまつが一振り。
王は逆上した。
男を押さえつけている兵士の剣を抜き取ると、ギラリ・・・と彼の前でちらつかせる。
そして瞬間の出来事だった。
彼の身体は真っ二つに、縦に裂けて上手に右と左側へ倒れた。
瞳は自分の主が生きていられない身体になった事をまだ認識していないのだろうか?
キョロリと地面と炎を行き来する。
そして満足げにその瞳は笑った。
確かに笑った。
が、しかし・・・。
王は哀れにもその事には気付かぬまま、大きく肩で怒りと絶望を表しながらその場を兵士と共に立ち去ってしまったのである。
完全に鎮火してしまった炎の後から捜索させたのであるが・・・。
首はどこからも見つからなかった。
勿論、男の身体も。
「遅いぞ。」
「すまなかったな・・・まさかあんなトコロでしかもそんな格好でお前が大人しく捕まっているなんて思わなくてな。」
森の外れに切り立った崖の上から、昨夜燃えてしまった城が見える。
赤い髪を靡かせて、その上に立った悪魔は小脇に抱えたモノに話しかけた。
「一体何をしていたんだ?」
興味深げに赤い悪魔は切れ長の目で問う。
「いや・・・大したことではない。実験だ。」
「実験?」
「そうだ。」
満足げにそれはクスリと笑った。
「とある男にな。ちょっとした暗示をかけた。・・・いや正確には男にかけられていた暗示を解いてやった・・・ってのが正しいかもしれぬ。そしたら
その男・・・どうしたと思う?エースよ。」
不意に問いかけられて少し戸惑ったらしいが、赤い悪魔・・・エースはちょっと考えたフリをして・・・取り敢えず答えてみた。
「悪魔になりたいとでも言ったのか?」
今度は問いかけた方が驚く番だった。
「どうして分かった?・・・そう言うことさ。我々の仲間になりたいと思ったらしい・・・・・・面白かっただろうな・・・あやつが我らが元に来たのだったら
・・・が、実験は失敗だ。」
「どうしてだ?」
「・・・思っていたよりもかけられていた暗示が強かったらしい。流石と言うべきか、奴等らしいと言うべきか・・・。あの男・・・城に火をかけた。」
エースはふんっと鼻で笑う。案外思っていた通りだったらしい。
「想像していたのか?」
「当たり前だろう?さっきも言った通り、お前があんなトコロでそんな格好で大人しくしているはずはないと思っていたし、ルークも戦闘が終わって
直ぐにゼノンやライデンと共に極秘プロジェクトチームを組んで、俺が毎日毎日ここで見張っていたって訳さ。あそこにいるってのはお前の発する
【気】で分かっていたし、きっと派手なパーティーを始めるだろうと思ってたからな。期待通りのアクションをありがとうよ。・・・で?お前はいつまで
そんな格好でいる予定なんだ?」
いい加減重くなってきたのか、エースは抱えていたモノを地面に置いた。
すると直ぐに霧の様な白い煙が下から沸き出し、辺りが見えなくなった。
そして全てが晴れた頃には・・・スラリとした長い手足とスレンダーで小柄な身体が現れた。
金色の髪を無造作に掻き上げたところで、全体像が現れる。
ゆっくりと開いた瞳は鳶色に輝いていた。
「お帰り。デーモン。」
「すまなかったな、面倒をかけて。さぁ今宵も良い月だ・・・。」
すっかり白くなった空に残像の様に浮かぶ銀の月。
まるで全ての喜劇を見て、呆れた様に笑う。
その日は【彼】が生まれた日。
【彼】が生まれた事を世界中で祝い、喜ぶ日。
そして天界では・・・。
天使が一名、墜ちて消える日。
悪魔が楽しく嘲笑い踊る日。
今、この夜から。
Bastard Christmas
F I N
presented by 高倉 雅