No.75:切った張ったにゃぁ興味は無いが。
誰しも男なら気になるあの娘のハートをゲットしたい、したい、したーい!(何を?)と思った事があるでしょう。
これは人間の本能から来るものだと思うのでどうしようもありません。女性の場合はどうなのかは知りませんが。当然この私とて例外ではなく、そんな時期があったものです。で、そんな時結構高い割合で雑誌なんかの「こう口説け!」みたいなのを思わず読んでしまうでしょう。少なくとも私はそうでした(^^;
で、そういうのを読むとたいていの場合、「こんなとき○○すると彼女の心はこうなる」みたいな事がずらずらと書いてあるんですよ、ホント。
まぁソレを鵜呑みにして実行に移して玉砕する者、桜咲く者いろいろいるでしょうが、そこは冷静沈着眉目秀麗なDDS250、「ホントかいな?」なんて思ってしまうわけです。恋愛ゲームじゃあるまいし、そんな条件反射みたいに人間の心が動いてたまるかっちゅうに。人間の心にフラグデータなんか無いぞ。まぁみんなそんな事分かっていても藁(わら)にもすがる思いで実行するんでしょうが。ってな所で私の思考は留まってしまい、それ以来私は人の心というものに興味を持つようになってしまったのでしょう。単に男女間の恋愛心理のみならず、もっと「人間の喜怒哀楽、好き嫌い、仲間意識」みたいなものがどういう感じで作られていくのか。なんて事が気になってしまいました。心理学の本を何冊か読んでみたり。すると、やっぱり雑誌の眉唾記事とそんなに変わらないような事が書いてあったりするわけです。まるで数学の公式みたいに(ホントに公式が出てきたりする(w)。で、そんな内容を頭の片隅において暮らしていると、ある時自分がその公式どうりになっていたりする事に気が付くわけです。わかりますかこの感覚!
「自分は今腹立たしい」
「それはあの時のあの体験が私の心理にこう影響を及ぼした」
「そして現在私は腹立たしいと感じている」
なんて事が自分で解析できてしまうのです。う〜ん、文字にしてみると至極当然のような気がしますが、ほんと驚くというか、自分は誰かに操られているのか?もしかしてフラグデータで感情を作り出すロボなのか?!なんて思ってしまうわけです。
本に書いてあることが自分の心理で実証されてしまう。そうなったら次は他人の心理を操りたくなるわけです。「こんな状態のときにこういうことをする(話す)と相手の心理はこうなる」みたいなことを実践してしまう。そうすると相手は脆くも方式どうりの反応をするわけです。
まぁさすがに意図的にそんなことをするのはめったに無いのですが、相手が妙に喜んだり、怒ったりしたときに、後からそれについての解析をしてみるとなかなか楽しいものです。そういう興味の延長線上に私の宗教に対する関心があるわけです。
な〜んてことを前回のコラム書いたときにふと書きたくなってしまったのでした。
最後に少し人間の心理について。人間が情緒(喜怒哀楽)を自分で認識するとき、必ずその要因も認識しているのです。つまり、要因がはっきりしないと人間は情緒の変化を認識できないのです。「なんかよくわからんけどムカツク」なんていうのは実はウソなんですね。興奮剤を知らずに飲まされた人が飲んだ瞬間怒り出す事は無く、普段何も感じないような些細な事で突然「コイツのせいで自分は腹が立つ」と誤認識して怒り出すわけです(専門的には「帰属」と言う)。興奮剤を飲んだと知ってればその事では怒らないわけです。まぁ考えてみれば当然といえば当然なんですが。
この心理を応用して考えていくと、恋人同士が好んで遊園地に行く理由がなんとなく理解できます。遊園地で遊ぶのが楽しいのに恋人と一緒にいるから楽しいと誤認識しやすいわけです。
まぁこんなこと知ってても何の得も無いんですけどね(^^;
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