- 現代幽霊事情「影の獣と一人の少女」 -
 幼馴染なんて言葉と、そういう存在が居る。
 その大概が家の近所に住んでいるか、両親と仲の良い連中の子供だったりする。
 初めて子供を育てる人は大変なのだろうと思う。
 だから、同じ様な境遇を持つ人物同士で助け合うのだろう。

 そして俺にも一人「幼馴染」が出来た。

 一式和美と言う女の子だ。
 和美は母の古くからの友人の娘さん。
 そして俺とは同い年。
 子供の頃にちょっとした事故で顔と左手に火傷を負った子。
 幸いと言っていいのかは知らないが、
 熱湯をかぶって出来た火傷は皮膚が紫に変色する程度で済んだ。
 が、それだけで和美はとても変わった子という認識を受けていた。
 だからなのかも知れないが彼女はとても強い子に育っていった。

「男のくせにどうしてやりかえさないのよ!」
 子供の頃。
 友達にいじめられても反抗しない自分に和美はそう言って怒った。
 正義感が強いわけでもないが、とにかく彼女はそういう事を許さない子だった。
「えっと……」
「えっと、何!?」
 両手を腰に当てて彼女は聞く。
 本当の所を言うと彼女も自分に言わせれば「いじめっ子」だった。
 とにかく『よく怒る子』というイメージがすっかり定着していたのは秘密だ。
 彼女の剣幕に押されて、自分は思った事を言ってみた。
「相手を叩くと痛いだろうな、って思って」
「……は?」
 彼女が目をまるくさせて呆けたように自分を見る。
「だって、貴方叩かれてるのよ? やり返せばいいじゃない」
「そしたら相手もやり返してきて、結局終わらないんじゃないかな?」
 自分はそう思う。
 和美は俺の意見に「む〜〜〜っ」と唸っている。
「相手が泣けば其処で終わるでしょ!?
 悔しくないの? 腹が立たない!?」
「腹が立つよりも悲しい、かな」
 いちいち喧嘩なんかしなくても皆で仲良くすればいいのに。
 自分にはどうして仲良く出来ないだろ?という疑問が先に来る。
「うな〜〜〜〜〜〜!!」
 だけど、和美ちゃんはその答えが気に入らなかったらしい。
 猫が泣くような声を出して和美が自分の腕を掴む。
「来なさい! うちの道場で鍛えてあげる」
「別にいいよ、和美ちゃん。それより僕は遊びたい」
 にこやかに笑う僕を和美ちゃんは「キッ」と睨む。
「駄目! そんな事じゃ、このまま一生あんたは『負け犬』よ!」
(そんなに怒らなくてもいいのに)
 胸中でそんな事を呟きながら、
 和美ちゃんに手を引かれて「空手道場」まで連れていかれた。
 その日だけ我慢すればいいか、とか思っていたのだが。
 僕の父さんも和美ちゃんと同意見で
「男のくせに軟弱すぎる」と言って空手道場に通わされる事になった。

 とても穏やかな性格をしていた母さんは『いつでも辞めていいのよ』と言ってくれたが。
 何となく『負け犬』になるのは嫌だったので頑張ってみることにした。
 そしていつの間にか自分が強くなる事が楽しくなっていき。
 中学入学前にはかなりの腕になっていた。
 和美は、俺の人生を変えてくれた人として。
 あの頃には……きっと好きになっていたと思う。

「あんた……これから勉強しなさい」
「??」
 道場稽古が終わった後、和美ちゃんはいきなりそんな事を言い出してきた。
「今年から中学に入るのよ。これからは勉強がその人の力になる時代なの」
「ええっ、嫌だな。勉強は好きじゃない」
 空手一辺倒の自分は学校の成績など下から数えた方が早かった。
「あんたは空手をやりすぎなの!
 まったく、私はちゃんと宿題もしてるのに。
 結局、三学期は三回しか宿題しなかったでしょ?」
「それくらいかな、多分」
 自分が空手を始めろ、って言ったから熱中してたのにえらい言いようだ。
「とにかく! これから勉強するの。
 中学じゃ、あんたみたいな生きかたは通らないわよ!
 力をつけないといけないの」
「でもさ、勉強してて力がつくの?」
「頭がいいってのはね、それだけで大きな力になるのよ。
 頭が良い人間は力の強い人間を押さえ込む事だって出来るんだから!」
「ふうん」
 この頃には僕はすっかり彼女の尻に敷かれていた。
 彼女が昔、言ったように嫌なら『力』で反抗すれば良かったのだろうが。
 和美が言った事に間違いがないのは分かっていた。
「今年から私は塾に通うの。貴方はどうする?」
 胸を張って彼女は言う。
 だが、その目はとても真剣で、すでに脅迫じみていた。
「ま、頑張ってみる」
 勉強なんて……随分、昔からしていないので心配だったが。
「よろしい」
 いつでも気の強い和美が偶に見せる優しい笑顔。
 これが見れるなら、頑張って行けると。
 あの頃は信じていた。

 しかし、俺の考えは甘かったと思い知らされる事になる。

 中学に入ってからの一年間はまだ良かった。
 が、二年に入る頃には受験に対する学校の姿勢はどんどん強化していった。
 毎日、テストを行い。
 毎日、結果順位を張り出す。
 先生の口をついて出る言葉は二言目には「受験に響くぞ」
 偏差値を上げろ。学業を怠るな。大学に入れば幾らでも遊べる。
 お前達は先生の言う事を聞いて学歴社会の波に飲まれればいい。

 俺は、いつの間にか『学歴社会』という物を憎むようになっていた。
 少しも油断の出来ない生活。
 お互いを蹴落とし合おうとする級友。
 成績下位の人物を見る大人の態度。
 その全てに嫌気が差していた。

「貴之! あんた、どういうつもりよ!?」
「何がだ? 和美」
 それは冬のある日の出来事だった。
「あなた恍龍学園に入学願書出すそうじゃない!?」
「ああ、そうだよ」
 ここから電車で10分ほどしたところの町にある学園だ。
「何、考えてるのよ? 貴方の偏差値なら聖鐘学院でしょ?」
 聖鐘学院。
 ここの近辺ではまず間違い無くトップレベルの実力校だ。
「あ、まさか。恍龍学園の特進クラスに入る気?」
 恍龍学園には普通科と特進科が存在する。
 特進科は受験専門のクラスで、聖鐘学院よりはレベル落ちするが一流校だ。
 だが……。
「違う」
 俺の疲れたような答え方が気にいらなかったのか、和美が怒りの気配をあげた。
「普通科? 何考えてるのよ! 最近、成績が下降気味だから?
 それにしたって、あんな学校よりいい所なんてあるじゃない!」
 初めてだ。
 和美の言う事が何から何まで、的外れで、間違ったことを言ってるような気がしたのは。
「和美。俺。気付いたんだ」
「何によ?」
「恍龍学園は部活動が盛んだから。俺、もう一回空手を始めようと思う」
 彼女が眉がピクッと上がる。
「和美を見て思ったんだ。
 休み時間も勉強して。
 学校が終わったら走って帰って。
 すぐさま予備校に行って。帰ってきたら家で勉強。
 俺には、もう無理だ。ついていけない」
「あ、後少しでしょ! 弱音なんか吐いてないで……」
「違う!」
 俺のあげた声に彼女がビクッと震えた。
「なあ、和美。答えてくれ、お前の夢って何だ?
 聖鐘学院に入ったら、何かあるのか?
 それは聖鐘学院に入らないと叶わない夢なのか?
 俺はみんなが必死になって勉強するのが理解出来ない。
 俺は……別にどんな学校だっていいんだ」
「馬鹿! 頭が悪いってことは人生の上で選択する道を狭めるという事なのよ!
 私だって正しいとは思ってない。でもね、日本は何よりも学歴が大事なの!」
(お前からそんな言葉聞きたくなかったよ)
 やっぱり変わったな。
 昔、俺を助けてくれた和美じゃない。
 俺は、ただそれが悲しかった。
「悔しくないのか?」
「はっ? 何が?」
「学歴社会って敵にいじめられてさ。
 和美が俺に空手を教えてくれたのは………
 自分を押さえ込もうとする敵と闘うためじゃなかったのか?」
 …………………………。
 彼女が息を飲む。
「俺は、恍龍学園を見に行って来た。
 あそこは俺達の通ってる腐りきった学校とは違う!
 みんなイキイキしてる。先生もいい人達だった。
 何かを強制したりしない人達だ。俺はあそこで学びたい!」
「…………………………っ〜〜〜」
 和美が下を向いて拳を振るわせる。
 そして顔をあげる
「好きにしなさいよ! あんたはそうやって辛い事から逃げてるだけじゃない!?」
 そう言って彼女は走り出した。
 学歴社会というレールに向かって。
 俺は、今日、この日に其処から外れた。

(和美……俺は)

「分かって欲しかった、だけなんだよ」
 それとも、俺は本当に疲れてて…逃げてるだけなのだろうか?
「何も今日言う事じゃなかったかもな」
 鞄から数学ノートを取り出して溜息ひとつ。
 昨日、彼女から借りたのだ。
 よくノートを貸し借りするのだが、昨日は事情が違った。
 そこには一通の手紙がはさまれていた。
「もう……返事をいう必要もなくなったな」
 俺の初恋は見事に破れた。
 恋敵は受験ってところだろうか。
 この日を境に俺達は話しもすることもなくなる。

 俺にとっての和美の記憶など、この程度のものだった。

 そう……俺と和美が再び会うことにならなければ。


現代幽霊事情「影の獣と一人の少女」

「おっし! 今日の練習はこれで終わりだ」
「おつかれさまっしたぁ〜〜!」
 主将の言葉に暑苦しい男共の声が唱和する。
 恍龍学園普通科の受験は順調だった。
 中学当初に目指していたランクよりかなり下だったからだ。
 それのお陰で学校の授業も楽して進ませてもらっている。
「おう、貴之。これから陸上部の女子達とカラオケにいかねぇか?」
 高校に入って出来た親友、山川が声をかけてくる。
「いや、やめておくよ。お前達で楽しんできてくれ」
「そうか? お前に興味があるって先輩がいるのに。
 来るだけ来てみないか? いいもんだぜ、恋ってのも」
 こいつはしきりに俺に恋愛を勧めてくる。
 友達の世話をするのが好きなのか、部内でよく合コンの話しを持ってくるのもこいつだ。
「俺はいいよ。行ってくれ」
「分かった。まあ、その先輩の事が気になったら言ってくれよな?」
 山川の言葉に適当に頷くと、俺は更衣室に向かう。
(馬鹿だな、俺は………いつまで経っても)
 汗で濡れて気持ち悪い胴衣を脱いで学生服を着る。
 高校に通い始めて、既に3ヶ月。
 俺には彼女など作ろうという気にはなれなかった。
「……あれ?」
 親に買ってもらった携帯電話にメールの着信表示が出ている。
「誰だ?」
 ズボンのベルトを締めてから、メールを確認する。
『貴之。なるべく、至急に帰宅するように。母』
 と書かれてある。
(なるべく、至急って。どっちだよ?)
 母さんのドジに思わず苦笑する。
「ま、すぐに帰るとするか」
 携帯電話を手提げ鞄に直して、それを担ぐ。
(にしても……何かあったのか?)
 少し焦りながら、俺は恍龍町の駅までの道のりを走る。

 これが、よもや。
 俺が信じようともしてなかった世界の出来事で。
 あの癖だらけな連中との長い付き合いのきっかけになるなんて。
 俺にはまったく想像もしていなかった。

「ただいま〜」
 駅から家までの道を駆けてくる。
(よく考えれば電話すりゃ良かったよな)
 ここら辺が多少間抜けな自分らしい。
「あ、貴之。大変なのよ」
 パタパタとスリッパで床を踏む音を鳴らして走ってくる。
「どうしたの?」
「和美ちゃんの容体が悪くなってね」
(容体が悪くなった?)
「ちょっと待て! 和美って病気か何かしてたのか!?」
 俺の声量に驚いたのか、母さんは呆けている。
「言わなかった? 和美ちゃん、学校に通ってないって」
「聞いてない! なんでそんな事、もっと早く……………」
 そこで言葉を切る。
「貴之?」
(……馬鹿か、俺。今更あいつが俺と顔を合わすわけないじゃないか)
「それで? 和美は……悪いの?」
 俺の神妙な眼差しを受けて母さんの顔が曇った。
「ええ、かなり。それでね、優子に頼まれたの」
 優子と言うのは和美のお母さんだ。
「和美ちゃんの顔を見に来てください。お願いしますって」
「!!」
(そ、そこまで悪いのか?)
 視界がふらついて、無性に気分が悪い。
 いつの間にか和美が手の届かないところにいったような気がしてゾッとする。
 俺の幼馴染が。
 俺に『空手』って生きがいをくれた友人が。
 俺の初恋の人物が。
「分かった。直ぐに行く」
「家に居るらしいから……後悔しないように、ちゃんと会ってくるのよ」
 母さんの『後悔しないように』という意味が妙に重く圧し掛かる。
「……ああ」
 力無く返事して、俺は和美の家を目指した。

 和美の家は俺の家から少し離れた所にある。
 かなり大きな邸宅で、敷地内には親父さんが経営する空手の道場もある。
「…………………………」
 立派な門構えの前に立ち、呼び鈴を鳴らす。
 まだ梅雨前だというのに妙に息苦しい。
「あ、貴之くん。ごめんなさいね、呼び出したりして」
「はっ、いえ……大丈夫です」
 何処か疲れたような優子さんの顔を見て、和美の事が夢ではないと思い知らされる。
「とにかく、入って。あの子も喜ぶと思うから」
「はい、お邪魔します」
 本当に久しぶりに、俺はこの家の門を潜った。

 ………………。
 …………。
 ……。

「和美、入るわよ」
「…………………………」
 中から返事はしない。
 いつもの事なのか、おばさんは構わずドアノブを回して中に入った。
「お邪魔します」
 一応挨拶してから部屋へと乗りこむ。
(…………………………なっ!)
「……………」
 俺と和美の目が合った。
「和美、お前……それ」
「…………………………だ、れ?」
 途切れ途切れの言葉で疑問を投げかける和美。
 その肌が漆黒に包まれていた。
 まるで墨を塗りたくったかのように真っ黒だ。
 とても日焼けなどでなるような肌の色じゃない。
「……おかあさん?」
「なに? 和美ちゃん」
 まるで子供のように無邪気な声。
 おばさんの声が涙でかすれる。
「…………………………」
 ふうっ、と息を吐いて和美は静かに目を閉じた。
「この子、どんどん記憶が子供の頃に戻ってるの」
 そしてベットで眠っている和美の布団をはいでみせる。
 顔だけでなく手や足も闇色に染まっている。
「記憶を失うごとに身体が黒く染まっていくの。
 お医者様にも見せたけど……………匙を投げられたわ」
 確かに、その気持ちは分かる。
 身体が変色すると同時に記憶を失う。
 こんな病気聞いた事もない。
 和美の身体が全て闇色に染まった時、彼女は全てを失うのだろうか?
「それに……貴之くん、あの子の影を見て」
「影?」
 視線を和美から床へと移して絶句する。
「な、なっ……」
 和美の影を覆うように何かの影が揺らめいていた。
(猫? 何かの獣か……)
 細くて長い尻尾のような影が床に映っている。
「これ、一体?」
「貴之くん、もう降りましょう。少し話しがあるの」
「……………」
 何か得たいの知れない寒気を感じながら、俺は頷く。
(何があったんだよ? 和美)
 瞳を閉じてうなだれている和美を見て、俺は胸をつまされる思いだった。

 次の日の放課後、俺は学校の廊下を歩きながら悩んでいた。
「う〜〜〜ん」
 腕を組んでうなだれる。
 和美の家に見舞いに行き、尋常でない幼馴染の状態を見た俺。
 あの後、俺は優子さんから『ある相談』を受けたのだが…。
 その相談とは大凡、異常で突拍子もない内容だった。
「……………ここか」
 恍龍学園には普通科と特進科というのが存在する。
 そして普通科と特進科では校舎と施設を二分化して運営している。
 本来、一つでもいいだろう保健室も普通クラスと特進クラスで分けている。
 そんな学園の中、特進クラスの校舎にしか存在しない唯一の部室というのがある。
 その名を「恍龍学園霊能研究部」といい、通称は「よろず相談研究会」と呼ばれている。
 何でも部費が出ないと言う深刻な状況から、
 学園内でのトラブルやもめ事の仲裁など、多方面に渡る活動をして部費を稼いでいる。
 恍龍学園で一番、実績の無いクラブ、だそうだ。
 そして俺は、この学園の卒業生である優子さんに頼まれたのだ。
 ここに相談してきてくれないか?と。
 もう彼らに頼むしかない、と。

(和美の様子が尋常じゃないのは分かる。けど、お化け…ねぇ)

 俺は幽霊や妖怪なんて信じていない。
 理由は単純で、見た事がないからだ。
 だから、おばさんの言う事も「霊能研究部」も信じれない。
 しかし、医者も匙を投げた以上
 頼れるのは神か、あるいはそれに近い物しかないのも事実だ。
 それに昨日見た奇妙な影も気にかかる

(とにかく不安だが……行くぞ)

 心の中で決心してドアを開ける。
 涼しい冷気が頬を撫でる。
「ようこそ、少年。歓迎するよ」
 中にいた女性がハスキーな声で招き入れてくれる。
「どうも」
 特進クラスの制服に身を包んだ女性。
 かなりの長身でほっそりとした体つきをした美人さんだ。
 暑いと言うほどではないが手に真紅の扇子を持って、ゆっくりと扇いでいる。
(しかし…なんつー趣味だ)
 普通に使う扇子よりはかなり大きい。
 30センチはあろう扇子には「盛者必衰」と書かれてある。
「で、何の用だい?」
 扇をパチンと閉じて、女性は問いかける。
「あの……知り合いの女の子が、ちょっと普通じゃない状態なんです」
「ほおぅ、霊能相談の方かい。そいつは珍しい」
 女性はにま〜っと猫のように目を細めて笑う。
「お前さんの名前は?」
「普通科一年の千葉貴之です。あの貴方は?」
「特進科三年、桐生鈴那。俗に言う霊能者さ」
(……………マジか?)
 頭で音速の突っ込みが入る。
「信じてないねぇ。まあ、気持ちも分からないではないが」
 少々、気を悪くしたのか桐生さんは眉を寄せた。
「いや、すいません。幽霊なんて見た事ないんで。
 どうしても本当に居るのかな?とか思って」
「中々どうして素直だねぇ。
 気にいったから、特別に私の力の一端を見せてやるよ」
 パチンと桐生さんは指を鳴らす。
 途端、後ろからニャ〜と猫の鳴き声がした。
「……………?」
 サッと後ろを振り返って、そのまま凍りつく。
「可愛いだろ?
 紅の瞳をしたのが『九龍』
 蒼の目をしたのが『凍牙』って言うんだ」
 名前なんかどうでもいい。
 問題はこの猫だ。
 白色の体毛をした猫には頭が二つあった。
「どうだい? こんな物、そう見れる物じゃない。
 これで身の証は立っただろう? それじゃ、本題に入ろうじゃないか」
「あっ、はい」
 尋常じゃない物を今、この目で見た。
 これなら、この人なら和美を助け出してくれるかもしれない。

「なるほどね。記憶を失うと同時に体が変色していく、ねぇ」
 桐生さんは俺の話しを瞳を閉じて聞いていた。
「やっぱり妖怪とかお化けの仕業なんですかね?」
「さあて、そいつはどうだか」
 不意に『にゃ〜』と頭を二つぶら下げた猫が鳴く。
「……なるほどね」
 視線だけ猫に向けて桐生さんは呟く。
(猫の言葉がわかるのか?)
「まあ、いい。正式な仕事として依頼を受けてあげるよ。
 霊障じゃない場合は1000円。
 もし霊障なら成功報酬は10万でいい。どうする?」
「いっ! な、10万ですか?」
 学生の財布に10万なんて大金が入っているわけがない。
「まあ、一介の高校生には痛すぎる値段だね。
 が、こいつは商売でねぇ。私は自分の技術を安売りはしない」
 はっきり言って痛い。
 が、それで和美が助かるなら安いものだ。
「分かりました。何とか用意します」
「そうかい、あんたは優しい子だねぇ。
 幼馴染の為にそこまで出来るなんて、いい子、いい子」
「わっ! ちょっとやめてください!?」
 いきなり頭を撫でてきた桐生さんに驚いて身体を逸らす。
「くっ、くっ、くっ、初心だね。
 冗談だよ、金なんていらない。うちの部員を一人貸してやるよ」
「えっ?」
「ちょっとあんたを試したのさ。
 ここで金を出し渋るようなら放っておくつもりだった。
 この商売は辛い事がこれでもかって程に多くてね。
 だから可愛い部員を気にいらない奴の依頼で傷物にはしたくないんだ」
 俺には想像出来ないが、本人がいうなら辛い事が多いんだろう。
「この業界は需要に対して供給が追いついてない。
 だから、力のある者は受ける仕事を選ぶ。あんたは合格だ、良かったね」
 そこまで言うと扇子を広げる。
「今夜、うちの部員を一人送るよ。
 あんたは家で待ってりゃいい。話しは終わりだよ」
「はい、ありがとうございます!」
「あいよ、達者でね」
 頭を下げてから俺は部屋を出る。
 早くおばさんに伝えてあげないと。

 …………………………。
「柊はいないし、私はこれから別件だ。
 九龍。悪いが響野に行くように伝えてくれないかい?」
 しかし九龍は「ふわぁ〜」と欠伸をするだけで返事しない。
 それを見かねたのか凍牙が「にゃ」と鳴く。
「そうかい。それじゃ頼むよ、凍牙」
 もう一度軽く鳴いて凍牙は部屋を出て行く。
 眠そうな目をしてる九龍の頭を連れて。


「…………………………」
 時間が過ぎるのが極端に遅く感じる。
 部活を休み、俺は自宅で『霊能研究部』の部員を待っている。
 桐生さんは一人寄越してやると言ったが時間は言ってなかった。
 それもあって、とにかく俺は落ちつかない。
 和美から貰った手紙、借りたままの数学ノートが机に置かれてある。

 I lose my way but still you seem to understand
 Now and forever, I will be your parther and lover.
 Ofcourse you accept it,don't you?


 流暢な字で書かれた和美らしい手紙。
(大丈夫、和美。必ず助けてくれる)
 その時、家のインターホンが鳴った。
「たかゆき〜、お友達よ〜」
「すぐに行く!」
 それこそ飛びあがらんばかりの勢いで俺は自室から玄関へと向かった。
「こんばんわ、そして初めまして」
「あ、どうも」
 玄関で待っていた人物は多少俺の想像を裏切る人物だった。
「恍龍学園特進科二年、響野詠です。桐生先輩に言われてこちらに参りました」
 穏やかな顔つきをした先輩だ。
 女装させればそのまま女と言っても通用しそうな容姿をしている。
 右手には竹刀でも入れているのだろうか?細く長い布の袋が見える。
(なんか拍子抜けするな……大丈夫かよ)
 あの桐生という人物は何となくだが『只者じゃない』という気配を発していた。
 が、この人からはそれを感じない。
「さて、直ぐに和美さんの所に案内してもらえますか?」
「あっ、はい。お願いします」
 感じる不安を余所に彼は人の良い笑みを浮かべて、俺を促した。

「……な、なんだ?」
 俺の家から歩いて15分ほどした所にある和美の家。
 住宅地のど真ん中に存在する家を前にして、俺は思わず一歩後ろに退いた。
(何だ? この威圧するような空気は)
 何かいる。
 それも常識では考えられないような何かが。
「……まずいな」
 呼び鈴も押さずに響野先輩は門を押し開ける。
「貴之くん。ここからは僕一人で行くから」
「なっ! いや、俺も手伝います」
 響野先輩の整った顔が少し難しそうに歪む。
 俺は霊能の力なんてない、はっきり言って足手まといだろう。
 だけど、俺は……。
 ややあって。
「無茶な真似はしないこと。いいね?」
「は、はい! 分かってます」
「それじゃ……行くよ」
 言葉と共に先輩は駆け出す。
(行き先は……………道場の方角?)
 彼に遅れないように全速力で駆けながら思う。
 道場の方角から微かな光が漏れている。
 先輩は迷うことなく道場の中へと入った。
 少し遅れて俺も中へと入りこむ。
「うわっ! なんだ、これ」
 道場内部が黒く染まり、辺り一体に黒い靄のような物が浮かんでいる。
 その靄の中心にいるのは……………。
「和美!? それにおじさん!」
「たかゆ…き、くんか? 逃げろ、これは………」
「黙れ」
 板張りの床に倒れ伏している父親を和美は容赦なく蹴りつける。
「ぐっ」
 骨でも折られたのか、おじさんは苦痛に顔を歪めて床を転がった。
「そこまでだ」
「……誰だ?お前」
 聞こえるのは和美の声じゃない。
 まるで熊か何かが人間の言葉を喋ってるような声だ。
「響野封我流退魔士、響野詠」
「退魔士? 私を、殺しに来たか!?」
 建物を震撼させるような声量で叫ぶと、その姿が消える。
(何処に!?)
 タンッと板張りの床を蹴って先輩はおじさんの方に向かう。
 ドガッ!
 それと同時に先輩の立っていた場所が木片を散らした。
「げっ!」
 あの一瞬で飛びあがり、先輩に蹴りを放ったのだ。
 その威力は道場の床を見れば分かる。
 まともに食らえば内臓破裂か骨折は免れない。
「我守護陣即施行!」
 何やら難しいお経のようなものを読んで先輩がこちらに何かを投げつける!
「貴之くん、その結界から外には出るな!」
「は、はい!」
 女性のようにか弱く見えた先輩の雰囲気が完全に変わっている。
 先ほどまで穏やかな人だった先輩に別人のような鋭さが宿る。
「霊刀『夢滴』抜刀!」
 片手に持った布袋を投げ捨て、疾風の早さで刀を抜き、腰のベルトに鞘を差す。
「霊能者。何故、私の邪魔をする?」
 凶悪な視線で先輩を睨みつけながら聞いてくる。
「彼女を心配する人がいる。理由はそれだけで充分だ」
 その視線に臆することなく先輩ははっきりと答えた。
「この娘が死を望んでいたとしてもか?」
「なに?」
「この娘は生きる気力を失った。
 そして私は生に未練を残したまま死んだ。
 要するに利害が一致したのさ。後少しで私は生き返る」
 和美の口元が「にいっ」と嫌な笑顔を浮かべる。
(この、くそ野郎!!)
 こいつは和美を汚してる。
 あいつの顔を醜く歪ませて……笑ってる!
「ふざけんな! 生き返るだと? お前なんかに和美を渡せるか!?」
「ぼうや……貴様の言葉など届かんよ」
 俺に向かって静かに嘲笑を浮かべる。
「なんだと!?」
「見捨てたじゃないか?この娘を」
 ……………なっ……………
「息苦しく、色褪せた生活を必死に生きてきた娘を。
 お前は自分の快楽の為に見捨てたじゃないか?
 元人間の私にも分かるさ。
 受験と言うのは精神をすり減らすからな。
 お前は苦しかったんだろう? 楽をしたかったんだろう?
 だから、こいつと一緒に歩むのを嫌ったんだろう!?」
「ち、ちがう! 俺はそんなつもりじゃ……」
「黙れ。
 暗闇に沈む娘の気持ちを奈落に叩き落としたのは間違いなく貴様だ!
 今更、私の前に顔を見せるなど……おこがましいわ!」
 言葉と共に左手を一閃する和美。

 きぃぃぃぃぃぃぃぃん!

「ちっ、結界を破るのは不可能か」
 スッ
 音もなく和美の後ろに先輩が立つ。
 その顔は無表情。
 手には銀の煌きを放つ刃が握られている。
「和美!」
「くっ!」
 顔に焦りを残して、前転する。
 刃の一閃は際どい所で空を切った。
「先輩!」 「霊能者、貴様は正気か!?」
 俺と和美に取り憑いた幽霊が叫ぶ。
「正気さ。要するに君は『影獣』だね。
 そして身体の様子から見て、君は既に末期症状だ」
「シャドウビースト?」
 影獣(シャドウビースト)
 原理はまだ霊能の世界でもはっきりしているわけではないのだが
 人々の日々ある不満や叶わない欲望が影に影響を与え、人を無気力化させる現象を指す。
「俗に言う『五月病』
 偶にそこら辺の幽霊を強力化し、相手の身体を乗っ取る事もある」
「その通り。この世をさまよう私達が生きかえれる数少ない機会だ」
「ただし、生きかえった。
 この場合、乗っ取られたと言った方がいいか。
 とにかくその人物はひどく破壊的な性格を持つ人物になる。
 それだけでなく一度死んだせいか、超常の力まで持ってしまうんだ」
(そんな事はどうでもいい!)
 俺が気になったのは先輩の一言だ。
 確かに言った。
『末期症状』だと。
「君はもう和美さんに戻る事は出来ない。
 そして、影獣に乗っ取られた者は処分する決まりになっている」
「響野先輩!?」
「くっ、貴様ら人間は……私も同じ人間だ!
 万に一つもない可能性を掴んだ数少ないな!
 何故それを処分しようとする!!」
 先輩は無言で刀を振った。
 銀の光が八の字を描き、そして中段に構えられる。
「可能性を掴んだ? 弱みに付け込んだ、の間違いだろ?」
 言って、響野先輩は獰猛な笑みを浮かべる。
「まさか、本気で殺す気か?」
「本気さ、それに僕は躊躇しないよ」
 そう言って一歩を踏み出した。

「僕は以前に君と同じ様な境遇の人を殺してる」

 その場の空気が凍りつく。

「な、んだと?」
 彼の放つ気迫に押されて和美が一歩退く。
「その彼女も色々と言ってきたよ。
 『人殺し』とか『それでも人間か』とかね。
 しかし、彼女はもう手遅れだったから。
 ……………本体ごと斬り捨てたよ」

『この商売は辛い事が多いんだ。
 だから可愛い部員を気にいらない奴の依頼で傷物にはしたくないんだ』

 桐生先輩の言葉が蘇る。
(まさか、辛い事って……そんな)
「響野先輩! お願いだ、やめてくれ!!
 和美を殺さないでくれ。あいつが死んだら、俺!」
「貴之くん。彼女はもう和美さんじゃない。
 和美さん『だった』人なんだ。
 このまま取り憑いた霊が生き返れば彼女は必ず災いを起こす」
 視界の端に移動しようとした和美をキッと睨みつけて牽制する。
「……仕方のないことなんだよ」
 仕方ない?
 これはもう、本当にどうしようもない状況なのか?
 それに俺には和美を救えない。
 だから………諦めるのか?

「理解しろなんて言わない。好きなだけ恨むといい。
 だけど、僕はいつも自分が一番良いと思った行動をするだけだ」
 それだけ言うと視線を和美に向けた。
「行くぞ!」
「く、来るな!」
 ダンッ!と一際高く床を蹴る音が響く。
 間違いない。
 先輩は決着をつける気だ。
「くっ」
 和美を覆う黒い闇が左手に凝縮され………。
「死ねぇぇぇ!」
 大きな塊となって放たれる!
「無駄だ!」
 向かってくる塊を右手の拳で弾き飛ばす!
 そのまま和美に走りこみ、回し蹴りを叩き込む。
「!!」
 驚愕の表情を浮かべる和美の身体が左に飛ぶ。
「かずみぃ!」
 先輩が一度刃を納め、間合を開ける。
 だが終わったわけじゃない。
 彼の放つ気配は『大技』を放つ其れに似ている。
(俺は………こんな結末認めない!)
 仕方ないから?
 もうどうしようもないから?
 俺にも助けられないから。
 だから、諦めろというのか!?

「ふざけんなぁ!」

 そんな言葉で割り切れるものか!!
 そうだ。
 不意に自分を襲う理不尽の刃。
 それを『仕方ない』と諦めていた幼い頃の自分。
 それに立ち向かう勇気を、きっかけをくれたのは。
 誰でもない彼女だ!

 先輩が夢滴を鞘から抜く。
 刀の刃が淡い燐光を放ち……
「響野封我流 斬魔の太刀!」
 和美の命を絶つ死神の大鎌が光の刃となって放たれる!

「間に合えぇぇぇぇ!」
 ヘッドスライディングで和美の身体に抱きつく。
「なっ、お前!? 死が怖くないのか!?」
 和美に取り憑いた幽霊が声をあげる。
「うるさい! 馬鹿。諦められないんだよ」
 その言葉が終わらぬうちに俺の身体に光の刃がズブリと滑り込む。
「きぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 断末魔の悲鳴が俺の耳元で叫ばれる。
 全身の力が急速に抜け落ちていくのを感じて、俺は床に倒れこんだ。

 ………………。
 …………。
 ……。

「まったく、無茶をする」
 近くで誰かの声がする。
 その言葉が目覚ましかわりになって俺は目を覚ました。
「……………うっ」
 身体が異様に重い。
(重い?)
「えっ、俺………?」
「気がついたかい?」
「響野先輩? …和美は!?」
 もう一度眠ろうとする自分の身体を叩き起こして立ちあがる。
「大丈夫、彼女は無事だよ」
「え? 無事? どうして………」
 もう助からないんじゃなかったのか?
 それに俺は光の刃を身体に受けた筈なのに………。
「あの刃はね、いわゆる気の塊なんだ。
 あれに当たっても魂が衰弱するだけだよ。
 でも、それは幽霊達には死を意味する」
 だから、俺は助かったのか。
「刃が君の身体を通りぬけ、和美さんに接触する瞬間。
 その瞬間に影獣の本体が彼女の身体から抜けた。そこを除霊したんだ」
 …………………………ん?
「って、それなら何で助からないとか脅すんですか!?
 『仕方ない事だ』とか『以前も一人殺した』とか。
 それに先輩は自分が一番良いと思ったことをするって!」
 俺の反論に先輩は苦笑する。
「そうやって脅さないと影獣が身体を出ていかないからだよ。
 それに一番良いのは和美さんが助かることでしょ?」
 先輩の悪びれもしない態度に力が抜ける。
 この人は………確信犯だ。
 俺の顔を見て、先輩は軽く微笑んでから背を向ける。
「僕の仕事はこれで終わり。
 それじゃあ、お先に帰らせてもらうよ」
「先輩……………どうも、ありがとうございました」
「終わったわけじゃないよ」
 先輩は背を向けたまま言う。
「え?」
「確かに彼女の命が危なかったのは影獣のせいだ。
 だけどね、健全な生活をしている人にアレはつけないんだよ。
 本当の意味での問題は別にある」
 …………………………。
 そうだった。
 まだ決して終わったわけじゃないんだ。
(俺、どうすればいいんだ?)
 悩む俺に先輩は一言。
「君が支えてあげないとね?」
「えっ!?」
 肩越しに振りかえって先輩は言った。
「人間にはね、あるんだよ。
 ほんの些細なきっかけで何もかもに見放されたような気持ちになる時が。
 誰もが強いわけじゃない。強い人だって弱くなる時がある。
 そういう時は誰かが支えてあげないと」
「…………………………」
「それじゃ、お大事に」
 それだけ言うと先輩は道場の外へと歩いていった。


 ……………そして。
 あの後、おじさんは直ぐに救急車で運ばれた。
 あの怪我をどう説明すればいいか戸惑ったが、
 何故か詳しい事情も聞かず手当てをしてくれたようだ。
 たぶん響野先輩が手回ししてくれたんだろう。
 容体の方も重症ではなく、一ヶ月もすれば完治するそうだ。
 問題は……………。
「…………………………」
「…………………………」
 和美だった。
 久しぶりに入る彼女の部屋で俺と和美は黙りこくっていた。
 あの後、俺は家に帰ってぼんやり考え事をしていたのだが。
 和美が意識を取り戻し、ついでに話しがあるらしいと優子さんに呼ばれたのだ。
「……………貴之」
 かなりの沈黙の後、彼女が口を開いた。
「ん?」
「私、いつも他人に馬鹿にされないようにって思いながら生きてきた」
 ベットの上で身体を起こしている彼女の視線は外を眺めている。
「私は……こんな顔でしょ?よくいじめられてた。
 だから、勉強もスポーツも必死になって頑張ったの。
 何故かって言うと、それで相手を黙らせることが出来るから」
 和美がふうっ、と息を吐く。
「でも、その必死さ…違う、執念かな?
 とにかく行きすぎたんだと思う。
 いつの間にか油断できない生活を自分に強いてきてた。
 小学校で一番の成績でも中学じゃ、そうじゃない。
 クラスで一番になっても……その時は全国模試で身の程を教えられたりね」
 和美の成績は校内模試で5本の指に入る。
 が、最高順位は2位だった。
 いつもある女生徒が1位を独占していたせいだ。
「だからあの時の貴方が許せなかった。
 戦う事を諦めて逃げ出したみたいで……。
 馬鹿よね、成績がいいとか悪いとかで人の価値が決まるわけじゃないのに。
 そんな事も……忘れてた」
「…………………………」
 和美の肩が震えてる。
 きっと泣いてるのだと思う。
 彼女が他人に弱い所を見せるなんて初めてだった。
「何を、何の為に頑張ってきたのか分からなくなっちゃって。
 もう、どうでもいいや。って思った。結局、私は負け犬だよ」
 寝間着の裾で目を擦り、黙りこくる。
 気がつけば、俺は思ったことをそのまま口に出していた。
「負けるなよ」
「え?」
 こちらを向いた和美の瞳をジッと見据えて、俺はいう。
「誰がお前を負け犬だって言った?
 自分が負けたって認めなけりゃ、負けなんかじゃない。
 たった一度、絶望したくらいで何もかも諦めるな!
 大丈夫、誰にも和美を負け犬だなんて言わせないよ」
 誰かに支えて欲しいときがある。
 そう、誰だって。そんな時がある。
 そして俺は何時だってどんな時だって、彼女を支えていきたい。
 それを聞いて和美は一瞬、難しそうな表情を浮かべてから目を閉じた。

「?」
「初めて見た時の印象はイライラした。
 他の子に叩かれてもやり返しもしないで堪えてるから
 はっきり言って嫌いだった。
 お母さんが仲良くしてあげてね、って言わなけりゃ遊びたくもなかった」
(うっ……)
 普段の調子が戻ってきたのか毒舌が混じる。
「なんでやり返さないの? って聞いたら叩くと相手も痛いからって。
 もう、ホント、どうしようもない奴だと思ったからうちの道場に引っ張ったの」
 和美はまだ目を閉じている。
 だが、その口元は優しくほころんでいた。
「根性の無い奴なのかな? と思ったら道場も休まずに通って。
 それでも喧嘩には力を使わない所は変わらなかったけど、良しって安心した」
「まあ……やめたら怒られると思ったのもあるけど」
「だと思った。で、そんなある日、二人で帰ってた所に道場の連中に会ったのよね。
 あいつらが私の火傷のことを馬鹿にした時、私が怒るよりも早くあんたが殴りかかったの」
 …………………………。
 ああ………あれか。
 あの時の事はよく覚えてる。
 気がつけば相手の顔を叩き飛ばしていた。
 相手よりも無意識に手をあげた自分自身が一番驚いてたんだから。
「あの時、貴方は頼れる人だって、信じれる人だって思った。
 いつの間にか、強くなったんだね……今日だって、命を賭けて守ってくれた」
 そこまで言うと一息ついて目を開けた。
「お願い、貴之。私の事を支えて」
 和美の口から初めて俺を頼る言葉を聞いた。
「必死になって生きてきたけど、私、もう駄目。
 一人じゃ、立っていられないの。
 だから、私が落ちこんだ時は大丈夫だって言って、優しくして。
 ……………お願い」
 スッ。
 自然に自分の手が和美の手を握る。
「当たり前だろ?俺は和美の事が大好きなんだから」
「あ、ありがと……………」
 和美は倒れこむように、俺の胸に顔をうずめる。
 ちゃんと抱きしめて背中を撫でてあげる。
 彼女は静かに泣いていた。


 エピローグ
 幸せな、しかし何かが物足りない学校生活に華が加わって。
 俺は『五月病』などとは無縁の生活をおくっていた。
 これからジメジメとした梅雨の季節に入る。
 だけど、まあ。
 俺は幸せに暮らしていけると思う。
「ふわ〜〜〜〜っと」
 眠い目を擦りながら大きく欠伸をする。
「おやおや…随分、眠そうじゃないかい?」
「え?」
 聞き覚えのあるハスキーな声に俺は視線を向けた。
「桐生先輩じゃないですか」
「久しぶりだねぇ、千葉くん」
 いつものように紅の扇子を持って彼女は立っていた。
「詠から話しは聞いたよ、上手くいったそうじゃないかい?
 それに校内でも噂にはなってるからねぇぇ」
 扇の隙間からニマ〜っと意地の悪い笑顔が見える。
「毎日、放課後になると校門の前に聖鐘学園の制服を着た女の子が立ってるってね。
 いいものだねぇ、若いってのは。いやぁ、あやかりたいもんだ」
「な、なに言ってんですか!
 桐生先輩だって、かなり美人じゃないですか。
 それこそ引く手数多だと思いますけど?」
 俺の発言に桐生先輩はさらに笑いを深くする。
「私『だって』と来たもんだ。
 これ以上あてられちゃ敵わない。
 後ろにいる美人さんの邪魔にならない内に退散するよ」
 パチッと扇を閉じて、桐生先輩は前の車両に乗るためかテクテクと歩き出した。
「ちょっと貴之! 今の人は誰なの!?」
 それと同時に後ろから怒声が響く。
「いや、ただの知り合いだよ。
 それより、何で、こんな早い時間に俺は学校に行くんだよ」
「私の学校は遠いのよ。
 これでぴったりなの。それとも、なに?
 可愛い彼女と一緒に登校したくないっての?」
 静かに、しかし背後にはオーラだか何だかを漂わせながら和美が聞いてくる。
「い、いや、そんなことはないけど………」
「よろしい」
 …………………………。
 和美の顔にいつもの笑顔が戻った。
 俺はそれがただ幸せで、この上なく嬉しい。
 和美は今も進学校である聖鐘学園に通っている。
『勉強だけが全てじゃない』
 その言葉をトップの学校に通っていて言いたいのだそうで。
 やっぱりプライドが高いのは変わりないけど。
 どこか、前よりも余裕があって輝いてる。

 無理をするな。

 昔の和美に言いたかった事。
 今、彼女は自分なりの付き合い方で学歴社会を生きている。
(本当に良かったと思う)
 そういう点では桐生・響野先輩には感謝してもしたりないくらいだ。
「何よ? さっきから黙りこくった上に気色の悪い顔をして」
「微笑んでるんだよ! それに誰が気色の悪い顔だ!?」
「貴方に決まってるでしょ!
 あんな個性的な顔が微笑みに見える奴なんていないわ!」
「なんだと!」 「なに? 私に意見する気!?」

 ………………。
 …………。
 ……。

「くっ、くっ、くっ、幸せでいいねぇ」
「にゃ」
 少し離れた所からでも聞こえる学生達の会話を聞きながら桐生と九龍は微笑んでいた。

 この世には目には見えない、常識の範囲では図り得ない何かが存在する。
 それらを狩り、時には救うが彼らの仕事。

「さて、今日も一日頑張るとするかい」
 そんな普通の人達の平穏を守るために彼らは静かに存在する。

 ―――現代幽霊事情「影の獣と夢追う少女」・完―――


 I lose my way but still you seem to understand
 途方に暮れている私を、それでも理解してくれる
 Now and forever, I will be your parther and lover.
 今より永久に、あなたの恋人、そしてパートナーでいることを誓う。
 Ofcourse you accept it,don't you?
 勿論、断ったりしないよね?

 現代幽霊事情「影の獣と夢追う少女」あ・と・が・き
 前書の文章は作品中で和美が貴之に送ったラブレターの日本語訳です。
 元ネタはリチャード・マークスの「NOW AND FOREVER」
 それを多少アレンジしております。
 和美の性格上、日本語で「好きです!」とかは死んでも書いたりしません。
 プライドが高いし、やはり見た目を気にしてしまうからです。
 まあ、彼女の性格なら詩や歌に準えて出すだろうな、と思ったので英文で出してみました。
 こうすると妙に格好よく見えたり(私だけだろうか?)
 しかし、渡されたら訳さないといけないので大変ね(^-^;
 さて、そういう話しはこれくらいにして
 如何でしたでしょうか?
 私が中学時代に学校や受験に対して持っていた疑問。
 それを利用して物語を組み立ててみました。
 「現代幽霊事情」主人公である響野詠くんの顔見せをするのが、この作品の目的です。
 しかし、かなり影が薄い主人公ですよね=■●_
 次回当たりから存在感を出したいと思ってます。
 評価としては可もなく、不可もなく〜な作品かな?
 そいでは、また次の作品でお会いしましょう〜


《 良ければ感想くださいね 》