- ショートストーリー「Bouder Line」 -

(…今日も雨、か)
 ここ一週間はずっと雨が降っている。
 季節も今週で6月。梅雨入りの時期に入ったと言うことだろう。
(そして季節はまた一回り、だな)
 21:00に駅の入り口に現れて、ずっと改札を見つめる。
 最終電車からおりてくる人を待ち、その人混みも完全に途絶える頃に、ここから消える。
 そんな毎日を過ごし始めて、7回目の梅雨入りだ。

『いつもの時間にいつもの場所に』

 そういって自分の前を去っていった愛しい人の為に…。
 俺は今日も同じ時間、同じ場所に立つ。

ショートストーリー「Bouder Line」

(次の電車が最終か)
 傘に落ちてくる雨の音が激しさを増す。
 響く雨音を聞きながら、俺は駅の改札口を見つめている。
 春も夏も秋も冬も、同じ事をして過ごしてきた。
(来てくれ)
 電車が駅に着いたのだろう。
 人がぞろぞろと出てくるのが見える。
 今日こそは、次こそは。
 そう思って7年間も同じ事をして過ごしている。
 最初はぞろぞろと出てきた人達もまばらになり、最後の一人も家路につく。
 いつもと同じ結果。
 ―――今日も、俺の願いは叶わない。
(やっぱり、来なかったな)
 多少の落胆と共に溜め息をつく。
 いい加減にするべきなのだろう。
 心では分かっている。
 でも、それを納得することは出来ない。
「ねえ……」
「っ!」
 後ろからかけられた声に反射的に振り向く。
 だが、振り向いた先にいたのは俺の知らない人物だった。
 母校である恍龍学園の制服に身を包んだ女子高生だ。
「何か?」
 俺には女子高生の知り合いなど居ない。
 声をかけられる理由が分からなかった。
「いつもこの時間に一人で立ってるけど。あなたは何をしてるの?」
「えっ?」
 初対面の人間に随分と不躾な質問をしてくる子だ。
 これが今時の女子高生なら(みなまで言うまい、各自で判断してくれ)無視している所だが
 この女子高生はどう見ても「援交目当て」には見えなかったので正直に答える。
「人を待ってる。
 あんたこそ、こんな時間に何してるんだ?」
 すでに時刻は深夜。制服を着たまま歩いていたら、確実に補導されるだろう。
(しかもこいつが着てるのは特進クラスの制服じゃないか)
 母校の恍龍学園には二つの制服がある。
 普通クラスの制服と特進クラスの制服だ。
 特進クラスに居る人間は、いわゆる上流階級の人間だと思ってくれればいい。
 なんせ我が母校では校舎や施設、それどころか自動販売機まで普通と特進で分けているのだ。
 住む世界が違う―――暗にそれを思わせる位の差別化。
 それはこの町に住む人間に根付くくらい浸透している。
「私も似たようなものかな」
 この謎のお嬢様(多分)はそんな自分の身分を気にもしていないのか、
 質問に答えた後、俺の横に並ぶようにして立った。
 もう終電も終わったので、駅の入り口に注意を払う必要もない。
 俺は少しだけこの女性に興味を引かれ、横目で彼女を観察した。
 眠そうな瞳が気怠げな印象を与えるが、美人の部類に入る子だろう。
 左手にブランド物の傘を持ち、右手には恍龍町の名物でもある「桜小町」のケーキの箱を持っている。
(……変な奴)
 人のことを言えた義理ではないが、変わった人物だ。
 はっきり言うが、この町はあまり治安のいいところではない。
 普通の神経をしていたら、こんな時間に学生服でうろつくような真似はしないはずだ。
「もう深夜だぞ。帰らなくていいのか?」
「帰ってもする事ないから。もうちょっと此処にいる」
『そうか』と、だけ言って俺は駅に視線を戻す。
 もう見慣れてしまった駅の光景。
 何の変哲も変化もない。
 これが俺の日常だ。
「さてと……」
 何処か嬉そうな声。
 横でゴソゴソ何かをする音が聞こえる。
(………何の音だ?)
 その音に興味を引かれ、少し視線を戻してみるとケーキの箱を開けている彼女が映った。
「あっ……あなたも食べる?」
 俺の視線に気付いたのかケーキ箱の中身を俺に見せる。
 中には多種多様、10種類ほどのケーキが入っていた。
「いや、いい。 のども渇くしな」
「そう……美味しいのに」
 そのまま箱の中から苺ショートを取り出してぱくつき始める。
(な、なんなんだ。こいつは?)
 雨の降ってる中、傘を肩で受話器を取るようにしてケーキを次々にたいらげていく。
 家族と一緒に食べるのかと予想していたが、どうも自分一人の為に買っていたようだ。
「お前……本当に変わった奴だな」
 こんな時間にこんな人物に出会った偶然に微苦笑を漏らす。
「よく言われるよ。
 あと私は柊冬華(ひいらぎとうか)
 名字でも名前でもいいから、そう呼んでくれない?」
「分かった。
 俺は氷神仁って言う。よろしくな、柊」
 ケーキを頬張りながらコクコクと頷く。
 それが、この不思議な少女。柊冬華との出会いだった。

 そして―――この日からこの奇妙な女子高生との関係は始まった。

「こんばんは」
「やぁ」
 俺が駅の前にある噴水に現れるのが、9:30
 遅れること15分くらいすると彼女が俺に声をかける。
 それが俺の日常になった。
 この不思議な関係が始まってから二週間。
 夜食の替わりか、彼女はまず持ってきたケーキを食べて、ペットボトルのお茶を飲む。
 それから俺に話しかけてきて、丑三つ時も超えたころに帰っていく。
 これがずっと続いている。
「ねえ、氷神さん」
「何だ?」
「あなたの待っている人ってどんな人?」
 ……とうとう聞かれたか。
 それも当たり前の事だろう。
 毎日人を待ち、そしてその待ち人が一度もやってきたことがないのだから。
「戯れ言だと思って聞いてくれ。俺がこの世で一番大事に思ってる人だ」
「恋人?」
「……でもある」
「どういう意味?」
 彼女の方を向いて、その顔を見る。
 毎日、何処か気怠げな風体をした美人。
 いきなり現れては一人ケーキをぱくついて帰っていくお嬢様。
 じっくりと彼女の顔を見たのはこれで二度目になる。
 俺の視線はいつも駅の入り口を見つめていたから。
 この子が俺に声をかけてくれるまで。
「姉貴でもある。血の繋がった、な」
 これでこの少女が俺の前に現れることはなくなるだろう。
 今まで一度たりとて他人に「自分の彼女は実の姉だ」など言った覚えはない。
 言えば、どんな反応が待ってくるかなんて誰でも想像がつく。
 だが、彼女の反応は俺の予想外のものだった。
「ふ〜ん、やっぱりね」
「どういう意味だ?」
 まるでそう答えられるのが分かっていたような返事をしてくる彼女に聞き返す。
「いわゆる『許されない恋』って奴でしょ?
 私ね、何となく分かるんだ。そういうの」
「第六感って奴か?」
「そんなもんかな〜。実はこれに何回か救われたこともあるのさ」
 言葉はふざけ半分だが、その瞳は真剣その物だ。
 それが事実か偶然か知らないが、少なくとも自分の勘を信じているのが分かる。
「で、なんでその人は来ないの?」
「俺も理由はよく分からんのだが。
 もう7年も前になる。この街で一人の女生徒が行方不明になった。
 それが俺の姉貴で恋人だ」
 姉が『遊びに行く』と行って駅まで送ったのが最後になる。
「7年経って、家族すら死んだと思って諦めてる。
 ……だけど俺は信じない。
 姉貴は自殺するような奴でもないし、殺されるような奴でもない」
「―――そう」
 そこで会話は途切れた。
 彼女もどう答えればいいか分からないのだろう、口を閉じている。
(姉さん。今、何処で、何をしてるんだ?)
 瞳を閉じればその顔がすぐに思い浮かぶ。
 誰よりも近く、そして永遠に結ばれることはない愛しい人。

『11時には帰ってくるから……いつもの場所でね』

 桜色に頬を染めて、姉は駅のホームに入っていった。
(必ず帰ってくると信じてる。例え、みんなが忘れても俺だけは覚えてるから)
 萎えそうになる俺の決意をもう一度強く縛り付け、俺は沈黙を破った。
「約束は必ず守る人だ。以来7年間…俺は毎日ここで待ってる」
「そうなんだ。重い話しだね」
「そういう事だ。どうだ…珍しい話しだろ?」
「ちょっとね。ドラマみたい」
 面白い女の子だ。
 俺の話しを聞いても嫌悪の色一つ見せやしない。
 俺は正直に彼女、柊冬華と知り合えた事を嬉しく思った。
「さて、と…私はそろそろ帰るね」
「ああ、気をつけてな」
 それだけ言うと、俺はまたいつものように駅の入り口に視線を戻した。
(……俺はいつまで待ってればいい?)
 心の中に居るもう一人の人物が聞いてくる。
(下らないことを言う)
 心の声に当たり前の返答を返す。
 いつまででも待てばいい。
 俺にはあの人しか残ってないのだから。
 俺が甘えてすがれる唯一の人なのだから。

 梅雨の時期に入っても、俺と柊の関係は何も変わりはしなかった。
 よく考えれば彼女はどうして此処に立つのだろうか?
 そんな疑問を思いついた日もあったが、何となく聞きそびれているのが現状だった。
「どうかしたのか?」
「えっ?」
 此処最近だが、彼女は黙ってここに立ち、そして帰っていく日が続いている。
「落ち込んでいるように見える。手は貸せないがアドバイスくらいなら出来るかも知れない」
「……分かる?」
 彼女の質問に「勿論だ」と答える。
 今の彼女を見て落ち込んでいないと思える奴が居るなら見てみたいものだ。
「二つほど、悩み事があってね」
「学校の事か?」
「ううん、違う。学校は楽しいよ……もっと別のこと」
「恋愛か?」
 彼女が沈黙の答えを返してくる。
 この年頃の娘が悩むことと言えば、大抵は恋愛や学校の事だと見当をつけたが、当たりらしい。
「長い間、側にいたから分かるの。
 その人が好きな人は、私じゃない誰かなんだなぁ、って」
「で、そいつはお前以外の女と上手いこといきそうなのか?」
「どうなんだろ?……分からない」
 大方の事情は飲み込めた。
 俺が助言できるとしたらこの一言しかないだろう
「横からかっさらえ」
「えっ?」
「自分が欲しい物を他人に譲る奴をまぬけって言うんだ。
 お前さんの性格からして、思っていても言えずにお終いって感じに見えるからな。
 私じゃない誰かから力ずくで奪い取れよ。俺ならそうする」
「それが自分の親友でも?」
「親友なら尚更だな。自分の目の前でいちゃつかれてみろ、俺なら我慢できないね」
「一応、助言として聞いておくね」
 彼女の声が少し軽くなったのを聞いて、口の端で笑みを作る。
「なんてな。実は……単に経験談だ」
「えっ?それって……」
「高校時代、一番仲のいい友人がいてな。
 そいつが俺の姉貴の事を好きだ、って言ったんだよ」
 弟としての独占欲?
 それとも姉貴と付き合うために友達になったのかもしれない疑惑?
 違う。
 そんなのじゃない。
 たんに其れがきっかけになった過ぎない。
 姉弟を演じていた自分が一歩踏み出すための。
「どうしても、あいつに姉貴をやれなかった。
 姉貴があいつと付き合って所なんざ、想像するだけで顔が歪む。
 結局、俺が横からかっさらった」
「で、その後はどうなったの?」
「別に。あいつは姉貴にふられた。
 姉貴が俺の告白を受け入れてくれたからな。
 で、あいつはそれから俺とも顔を会わさなくなった」
「―――そうなんだ」
 結局、あいつはあれからどうなったのだろう?
 俺がした事は酷いこと、だっただろうか?と偶に考えることもある。
 自分の一番仲良い親友の恋を横から奪い去った予想だにしなかった人物。
 それが俺なのだろう。
(だが、俺にはあの人しかいなかった。どうしてもあの人でなければいけなかった)
 俺は自分でした事を間違ってるとは思わない。
 言い訳にしか聞こえないかもしれないが……柊に誤解されたくないと思う自分がいる。
「本気でそいつしかいないと思ってるなら、どんな手を使っても奪い取れ。
 もし、お前が心の何処かで誰でもいいと思ってるなら、ふられても諦めがつく筈だ」
「……うん」
(こりゃ本気、だな)
 まぁ、彼女の深刻そうな顔からして、相当好きなのだろう。
 しかし大半の奴はそんな事をすぐに忘れてしまえる。
 それが女という生き物だと俺は思ってる。
 すこし元気がなくなった彼女の肩をポンッと叩いて、俺は明るく言ってやる。
「俺の秘密って奴をここまで話したのはお前だけだぜ。
 だから手に入れて見せろよ。どんな男か見てやるからさ」
「……うん、そうだね」
「で、もう一つは何だよ?ついでだから聞いてやるよ」
 しかし、彼女はかぶりを振った。
「これは、まだ言えないよ」
「まだ? って事はいつか言えるのか?」
 ……………。
 彼女が俺を見つめる。
 其処には。
 複雑な感情を宿した瞳が俺をじっと見つめていた。
 あわれみ?かなしみ?……とにかくあまり楽しい事情ではないのが分かる。
 だが、どうして?
 どうして『俺』を見て、そんな顔をする?
 疑問を口に出して聞きたい。
 なのに口から言葉が出ない。
 言葉を出す気になれない。
 いや、出したくないと思う自分がいる。
「氷神さん」
 俺は口をパクパクと開けるだけで何の言葉も出せないでいる。
 何を言えばいいのか…俺にも分からない。
「また来るね」
 そんな俺を寂しい瞳で見つめたまま、彼女はそれだけ言う。
「あっ。―――ああ」
「さよなら」
 俺を見つめた彼女の思惑が分からず、俺は始めて去っていく彼女の後ろ姿を見えなくなるまで見守っていた。

「ふぅ―――」
 人通りも途絶えた場所で俺はずっと立っていた。
 終電の時間など、とうに終わり…今、この場所に立っているのは俺だけだ。
(今日は柊は来ないみたいだな)
 よく考えれば毎日来ていた方がおかしいのだ。
 来ないとしても別にそれは普通の事だ。
(情けない。いつの間にかあの子と話すのも目的の一つになってたみたいだな)
 ほんの少し落胆している自分に苦笑する。
(今日は帰るか)
 なんらかの事情があって来れないのかもしれない。
 そう見当をつけた時に、後ろで足音がした。
「おい! もう3時だぞ?」
「そうだね」
 俺の言った言葉などさほど気にしていないのか、スタスタと此方まで歩いてくる。
 その足音が妙に冷たく聞こえる…いつもは穏やかなのに。
「…どうした? 機嫌が悪そうに見えるぞ?」
「私『ある仕事』をしてるの」
 有無を言わせない迫力のようなものがその言葉にはあった。
 いつもと違う柊の声が、それを現実だと証明しているような気がする。
「……仕事って」
「数週間前にある人から依頼を受けてね。
 調査をしてた……それは私にも関係のある事だから」
「お前、女子高生なのに探偵か何かの仕事をしてるのか?」
「似たような事をしてる。あなたは『これ』を覚えてる?」
 そう言って柊は小さな袋からガラス製のサイコロを取り出した。
「なっ! それは!?」
 覚えてる?忘れるはずもない!そのサイコロは
「覚えてるの?」
「当たり前だ!
 それは姉貴が俺に送った揃いのピアスだ!
 同じものなんて幾つもある…だろうけど。お前、なんでそれを!?」
 何処か現実離れしたところのある姉。
 周りの奴らはどうせ「足りない奴」だとか思っていただろう。
 そんな姉だが、周りの者が思っている以上に色々な雑学に長けた人物であった。
「賽子……英語でダイス。ダイスとは正確性の象徴であり、死を暗示する言葉。
 わたし、これが子供の頃から大好き。
 だから持っていて。
 私達は間違ってるかもしれない……けど、これは何時だって公平で正しいものだから」
「これの持ち主に心当たりは?」
「だからそれは俺の姉貴のだ!
 そうなんだろ? 答えてくれ、柊!!」
「そう……覚えてないの」
 彼女は白くて細い指を俺の視線より少し下の方に向ける。
「……?」
「其処、今度噴水を改修して大きくするんだよ」
 よく見れば俺の目の前に『立入禁止』のロープが張られている。
 俺は驚いて後ろに飛び退いた。
「うわっ、気付かなかった!
 ん?……って何で誰も何も言わなかったんだ!?」
 俺は9時からずっと此処に立っていたのだ、なのに誰も俺に何も言わなかった。
 それどころか奇異の視線一つよこす者もいなかった。
 俺の心の中に疑問に柊はあっさりと不思議な答えを返してきた。

「それはそのロープが境界線だからよ」

(……っ!)
 背中に氷の壁を押しつけられるような感覚がしてゾッとする。
 それくらい彼女の声は恐ろしく冷たく俺の耳に入ってきた。
「そこが私と貴方の立っている世界の違い」
「何を言ってる?
 …どういう意味だ? 柊」

「まだ分からない? あなたは、死んでるの」

 時間が止まった。

「誰も貴方を注意しないのは貴方が見えないから」
 嘘だ。
「私は頼まれて貴方を天上に送るために来たの」
「ふざけるな!
 柊、俺が死んでるだと?
 そんな事信じられるものかよ!」
 もしも彼女の言うとおり俺が死んでいるのだとしたら、俺はどうやって死んだ?
 それを俺が覚えていないはずはない……と思う。
「殺された。お姉さんを待っていた貴方は後ろから包丁で首の急所を刺されて、死んだの」
「じょ、冗談はやめてくれ!
 暴漢に襲われて死んだ? 俺が?」
 そんな。
 そんなつまらない事で俺の人生は終わったって言うのか?
「全て納得がいった。貴方を殺したのは貴方の友人。動機は……分かるでしょ?」
 ……。
「あなたは許せないと言った。自分の愛しい人が他の男に抱かれるなんて。
 親友だったら尚更だ、と。だからあなたは横からかっさらった」
「……そして、俺は逆恨みで殺された、と?」
 また、雨が降り始めてきたんだな…心の中でそう決めつける。
 彼女の頬を伝っている雫は雨によるものだ。
 決して泣いているわけじゃない。
 泣いているわけじゃ……。
「待てよ―――」
 そこで俺の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。
「姉貴は! 姉貴はどうなったんだ、柊!!」
「……………」
 柊の肩が軽く、しかし確かにビクッと震えた。
「まさか……まさか!」
「死んだ、の」
「どうして!!」
「自殺した。『わたしもあなたの後を追う』遺書にはそう書いていた」
「!! ……そうか」
 フッと、俺の全身から力が抜けた。
 張りつめていた糸が切れるような感じで、俺はアスファルトの地面に膝をつく。
「とうの昔に………俺達は終わってたのか」
 だから、来なかったのか。
 あの約束に厳しい姉が来ないのも頷ける。
「なら……もう、俺がここにいる理由はなくなったな」
「氷神さん」
 彼女の頬を流れる雫は未だ止まっていない。
 俺はただ、彼女の流れてる涙を拭いてあげたいと思った。
 瞬転。
 そう思っただけで俺の身体は数メートル離れた彼女の横に移動していた。
 軽い驚きが胸を横切り、すぐにそれもおさまる。
「泣くなよ。女を泣かしたくないんだ」
「うん……ごめ、ん」
 柊はゴシゴシと自分の瞼を拭い、涙を拭く。
 生憎、俺の指では彼女の涙を拭ってやることは出来ないらしい。
「……柊」
「なに?」
「ありがとな。俺、やっと安心出来る。天上とやらに行ける」
 俺の言葉を聞いた彼女の瞳がまた曇る。
「……ホントにそう思ってる?」
「どうして?」
「あなたは死んだのよ………死んだとも気付かない殺され方をして。」
 ……………。
「いっそ気付かなければどんなに良かったか」
 気付かなければ俺は確かに存在していたのかもしれない。
 存在の停止が死と言うならば、人は死を避けて当然だ。
 でも、俺は違う。
「いや。あの人が来ないなら此処は俺の居る……居たい場所じゃないんだ」
「……………」
「俺は弱いから。あの人が全てなんだ。だから……死んだなら、この世に未練なんかないさ」
 我ながらハッキリと、軽すぎる口調で俺は言う。
 初めて彼女を見たときの感想が今更ながらに思い出される。

「お前……変わった奴だな」

 なんてことはない。俺も充分変わった奴だ。
 どこか明るい俺の表情を見た彼女は少しずついつもの調子に戻っていく。
「そっか、そういうのもアリかもね」
 一度上を見上げてから、柊は完全に調子を取り戻して俺に言った。

「氷神さん……そろそろ時間みたいだね」
「そうだな」
 どうやら自分が死んだと自覚すると強制的に天上に行くようだ。
 俺の身体が少しずつ重力に逆らい始めていく。
「柊!」
「なに!」
 その速度が緩やかに上昇していく。その前にどうしても伝えたい事があった。
「捕まえろよ。絶対捕まえて見せろ! あの世から見ててやるからさ!」
 俺の言葉に彼女は一瞬呆けたような表情を浮かべてから。
「もっちろん! ちゃんと見ててね!!」
 グッと親指を突き立てた。
 その光景もどんどん遠ざかり、視界が光で満たされていく。
(これから先は……どうなるのだろ?)
 そう思いながら、俺は今一度あの少女の願いが叶うようにと祈った。

「はい。噴水広場の霊障は解決しました。……いえ、危険もなく。
 それでは明日も学校がありますので失礼します、お母様」
 ピッと携帯電話の電源を切り、私は片手に持った箱からケーキを取り出した。
(ふん……こういう時だけ母親面しないでよね)
 折角買ってきたケーキがまずくなる。
 それに私は久方ぶりに機嫌もいいのだ。
「今日もお仕事ご苦労様です」
 それだけ自分に言ってやると手に持ったチーズケーキを頬張る。
「ふぁてと、ふぉろふぉろ、帰ろうっと」
 そして夜の闇の中、私は学校の寮に向けて足を進めた。

 私の名前は柊冬華。
 私立恍龍学園特進クラスの二年生。
 そして霊能研究部に所属する学園の変わり種として有名。
 でも、その道では結構名の知れたプロだったりします。
 すなわち……霊能者として。

 この世とは、大きく分けて二つの世界があって。
 それらは「目に見える世界」と「目に見えない世界」に別れている。
 私の仕事とはその「目には見えない厄介ごと」を解決すること。

 この仕事をしていると色々と辛いこともある。
 死んでしまった人相手の商売だけあって、私も色々と辛い目をあってきた。
 でも今回の様なケースもある。
(氷神さん……あの世でお幸せにね)
 星が浮かぶ天上を眺めて、それだけ祈る。
 きっと私の想いは届いた筈…そう信じて。
「さて、帰って宿題しよ」
 明日からも色々なことがあるけれど。きっと頑張っていけるだろう。
 今日の仕事はこれで終わり。
 また明日から私の少々非凡な青春が始まる。


 あ・と・が・き「Bouder Line〜この世とあの世の境界線〜」
 最後に氷神が実は幽霊だった、というアクセントを加えた作品。
 短編で、かつ面白くまとめようと挑戦してみたが、それなりの出来だと思う。
 そして作品は「現代幽霊事情」へと続いていくわけだ。
 さすがに今回の作品に「現代幽霊事情」なんて書いたら氷神の正体もばれてしまうからね(^-^;
 実のところ、彼女「柊冬華」は幽霊事情の主人公ではなく、単に主人公の幼馴染という脇役。
 で、主人公が柊冬華の思い人という設定である。
 それでは、また次回の作品で会おう。


《 良ければ感想くださいね 》