- 「Perdition〜恋と呪いの二律背反〜」予告小説 -
幼いときにつけられた心の傷は。
そう簡単には癒せない。
つけた当人は忘れていても。
ずっとずっと本人の心の何処かに残っているものである。
時として、それは。
刃より鋭く、炎より熱く燃えて本人の心を蝕んでいく

「Perdition〜恋と呪いの二律背反〜」予告小説

昼間だというのに空はどんよりと曇っていて薄暗い。
6月の長雨が裏山を歩く私の靴の先をしめらせている。
学校裏手にある小さな山は、この町の者なら誰も訪れようとしない場所だった。
だからこそ人に探されている私にとっては都合が良かった。
誰も来ない・・・そして一人になれる場所が欲しかった。

「・・・・・・・・・」
左手の中指を動かそうとする・・・だけど必至になっても私の指は動こうとしない。
(・・・後悔してるの?)
心の中でそんな声が響くが、私は静かにかぶりを振った。
(何の代償も払わずに何かを手に入れたいなんて虫が良すぎる)
・・・そんな事はありはしないのだから。

上へ向かう・・・ただ上へ、上へ。
目の前を睨み付けながら。
(悔しい)
目の前を睨み付ける・・・私が出来る最大限の努力で、そして強い意志の輝きを宿らせて。
(許せない)
憎しみで人が殺せるなら・・・今の私に殺せない者などいない。
「力が欲しい」
歯を食いしばり、半場言うことを効かなくなった左手で拳をつくる。
「・・・・・・っ!」
不意に訪れる痛みに私は思わず顔をしかめた。
「ブチッ」と肉を裂く不快な音が聞こえる・・・力を入れたために左手の傷口が開いたのだろう。
「・・・・・・・・・」
程なくして左手首に巻かれた包帯は真っ赤に染まり、包帯から滲んだ血は指を伝って水溜まりに朱を作る。
一滴、一滴落ちていく血を彼女は立ち止まって見つめる。
彼女、香月亜由美は昨晩、手首を切って自殺を図った。
亜由美にとって、それは一つの「賭」だった。
自分の全てを捨ててでも勝たなければならない勝負への。

・・・しかし

彼女は賭に負けた。
その代償が手首の裂傷による神経の切断。
彼女の左手は親指と人差し指を除いて動かなくなった。
もはや一生動くことはないであろう、取り返しのつかない傷。
だが、負け犬たる自分に相応しい姿だ。
「・・・・・・世の中って不公平よね」
自嘲気味な笑みを浮かべてから、亜由美はまた歩き始める。

(・・・・・・上手くいかないなぁ)
世の中は平等で出来ているわけではない。
そんな事は知っている。
新調したばかりのカーペットにトーストを落としてしまったとする。
その時、トーストはバターを塗ってる方が落ちる、などと言った話しがある。
(どうしていつも大事な時には運命の女神は微笑んでくれないんだろう)
急勾配な坂を上りながら毒づく。
別に死のうと思ったわけではない。
ただ、医師に身体を調べて欲しかった。
上半身を見ればすぐに自分が「自殺」しようとした理由が分かるはずだ。
・・・だが、医師は無情だった。
今も鈍い悲鳴をあげる彼女の身体中の傷を見ても、
厄介そうな顔を浮かべただけで何の対応も取ってくれなかった。
彼女の全身には明らかに肉体的な暴行を受けた跡があり、
それは性的暴行にまで及んでいたかもしれないのにだ。

(どうして誰かに助けを求めたんだろ?)
大人なんか信用できない。
神様なんか存在しない。
「自分」を救えるのはあくまで「自分」しかいないのだ。
そんな事は分かっていたのに。
分かっていた筈なのに。
・・・それでも頼ってしまった。
自分の心の弱さが、ただ腹立たしい。

「力が欲しい」

呪文のように呟きながら坂を上っていく。
・・・唇を噛み締め、痛いくらいに拳を握りながら。
ただの力じゃない、万物の全てを凌駕する圧倒的な力。
この世に存在する全ての苦痛を与えてやれるくらいの力が。
あいつの声。あいつの顔。あいつのあいつのあいつの。
「殺す・・・あいつだけは私が地獄に叩き落としてやる!」
絶叫と共に傘を地面に叩き付け、手前の樹木に向かって右の拳を繰り出す。
その拳は今年中学生になった女子が放つとは思えないスピード、そして絶妙のタイミングを持っていた。
腐りかけた樹木に拳を叩き付けた瞬間、それを半回転捻る。
拳が樹木に当たる音と拳の内部で鈍い音がするのはほぼ同時だった。

(脆すぎる・・・弱い身体)
右手がじんじんと痛む、皮膚は裂けて血がじんわりと手を染めあげる。
(こんな力じゃ殺せない)
体調が万全でないのに含めて、この坂を上った事で予想以上に疲労している。
手前の木に身体を預けながら、ずるずると力無く座り込む。
誰かに助けて欲しかった。
父親に肉体的・精神的に暴行を受けている自分を。
毎日、同年代に虐められる自分を。
でも・・・それが間違った考えである事にようやく気付いた。

(人は戦わないといけない)
我慢しても変わらない。じっとしても何も始まらない。
誰も自分を助けてくれないなら・・・自分自身が助けるしかない。
「・・・・・・・・・」
細くて繊細であるはずの女の子の手。
でも瞳に映る自分の手は血と怪我で汚れてる。

(私・・・子供の頃は何になりたかったんだろ?)
こんな傷だらけの身体を持つ将来像など想像してなかった。
(どうしてこんなに傷つくんだろ?)
溢れ出る涙が視界を揺らし、彼女の心を静かに傷つけていく。
(私が弱いから傷つくんだ・・・強ければ、こんな事にならなかったんだ)

「今日から変わるって誓う」
幾つもの光景が、自分にとって恥ずべき光景がフラッシュバックする。
誰が悪い?
何故傷つく?
(何もかも・・・全部あいつと自分の弱さのせいだ)

「この左手の傷と右手の痛みにかけて誓う」
自分に敵する者は完全に叩きつぶす。
受けた傷はそれ相応の代価を持って相手に突き返す。
(思い切り泣けばいい、でも今日で泣くのは最後なの)
自分では止められない涙。身を濡らす冷たい雨が不思議と心地良い。
泣いてる自分をあざけ笑う声が聞こえて耳とを塞ぐ。
目を閉じても耳を塞いでも浮かんでくるのは己の父親の顔と声。
(あいつは親なんかじゃない・・・私の不倶戴天の敵)
自分は歩み寄ろうと必至になった、努力した、駄目なところは直そうとした。
そんな自分に自殺した娘に「まねけ」と言ってのけた父親。
親子の情は何よりも強い?そんな言葉は嘘だ。
自分を哀れに思った看護婦が抗議したのを「まぁまぁ」と止めた母親。
この二人の何処に親子の情という言葉がある?
全てが憎かった。
父も母も、こんな家族に生まれた運命も、弱い自分も何もかも。
何故必至に生きている自分がこんな目に合わなければならない?
自分を踏みにじって生きる奴が何故笑って生きている?

・・・・・・。
・・・。
殺すしかあるまい。
自分が受けた以上の屈辱を味あわせて。
そうしなければ前にも後ろにも進めない。
これしか・・・私が選べる道はない。
「うっ・・・ううっ」
そして彼女は声あげて泣いた。



数十分後、雨に濡れながら彼女は裏山の頂上へと来た。
腐りかけた見窄らしい鳥居をくぐる、ここは小さな神社だった。
すでに神主が死に、数十年。誰も手入れをしてないせいか、まさしく廃屋である。
『御剣神社』その名の通り刀の神様を祭ってある神社だったらしい。
(・・・御神刀でもあったらいいのに)
・・・殺すことなら出来るかもしれない。
この辺りの文献を見ると、この神社にはそれらしい物があると書かれてある。
「でも、そんなの誰かが持ち出してるよね」
「・・・・・・そんなのってどんなの?」
唐突に・・・しかも自分の真後ろから女性の声がした。
「!」
驚いて後ろを振り向くが自分の視界には誰もいない。
(なっ!何処に!?)
「さらに後ろに居るの」
少し楽しげで、しかし冷たい声が亜由美の耳元で囁かれる。
「・・・・・・」
今度はゆっくりと、後ろに下がりつつ振り向く。
そこに立っていたのは学生服に身を包んだ女だった。
痩せた頬に色の薄い唇・・・言っては何だが病人のような人物だ。
長めの髪も手入れされていないせいかほつれ、どうにもだらしない印象を与える。
見ようによっては蒼白にも取れる不健康な顔の中で、瞳だけが異様に澄んだ色を放っていた。
(・・・・・なんなのこの人?)
この場所に来ると言うことは自分と同じ「少し波長のずれた人間」だろう。
この神社は40数年前に惨殺のあった場所として有名で、
しかもその後、異常犯罪者が殺した子供の腑分けをしたという呪われた場所なのだ。
地元の者で来る者はなく、また観光客が来ることもない。そんな場所に二人も人が居る。
「ねぇ、何か探してるの?」
「えっ?い、いえ・・・何でもないです」
まるで子供のような妙に楽しげで幼い声色だ。
どこか「壊れた」雰囲気がある。
精神や身体に障害を持つ者が放つ特有の気配を抱いたこの女性。
しかし、閉鎖性の高い小さな田舎の事、そんな人物は大概皆の噂にもなっている。
少なくとも自分の記憶の中で高校生の障害者と言うのは聞いたことがない。
「ふ〜ん・・・じゃあ話しを変えるけど血が出てるよ」
右手は樹木を打ち据えた時に、左手は言うまでもなく自殺未遂の傷跡から血が流れて落ちている。
「拳を正面から打ち据えて、そのまま右に半回転。骨とか間接は痛くない?」
「大丈夫。かすり傷です」
謎の人物の挨拶程度の心配する声に亜由美は正直に答えた。
身体の傷は癒える・・・そして我慢が出来る。
本当に堪えられない傷は身体が傷つくことなんかじゃない。
そんな事はずっと昔から経験している。
「それでも、かすり傷?」
そう言って女性は片手で顔を覆い隠すようにして横を向いた。
「へえ〜、そうなんだ」
手の隙間から見える大きく澄んだ瞳に、一瞬冷たい光が宿る。
「今度はこちらが質問です・・・こんな場所で何を?」
それに気付かない振りをしながら、亜由美は女性に質問した。
「実験してるの」
「実験?」
「そう、趨勢と奇跡に関する実験」
すうせい?学は浅くないつもりだが聞いたことのない言葉だった。
「趨勢とは勢いのなりゆき、ありさま、情勢の事」
亜由美の心の中の疑問に女性が答える形で続けてくる。
「私は高校生活三年間だけ、6月24日の10:35分〜10:38分までに人が来るかどうかの実験してたの」
「・・・・・・・・・」
「この場所は44年前に多数の死者が出た。
 そして数年前に異常殺人者として有名な八重崎香澄が殺した人間の腑分けをした場所」
まるで歌うような口調で言葉を紡いでいく女性。
「山からここに来るまでに徒歩で1時間。
 何もないこの場所に普通、人は来ない筈」
それを言ってから何がおかしいのか「クスッ」と笑った。
「にも関わらず、私の望む人は来た。私はこれを奇跡だと思う」
彼女の言葉に私はきょとんとする。
確かに、こんな場所で人に出会うとしたらそれは運命と言えるかもしれない。
頷けるところもある。
「で、私が来たというわけですか?」
だからと言って、そんなことを三年もためしていたなんて。
私の呆れた声にも気分を害することなく彼女は頷きつづけた。
「私には弟がいてね・・・ある日こんな事を言ったの。
 『奇跡でも起きない限り、今の生活は変わらない』って」
女性の瞳に一瞬だけ正気の光が戻る。
「・・・・・・」
「で、奇跡は起きるんだろうか?って実験したの。
 ただ、それだけの事。でも気休めにはなるかな、と思って」
「・・・・・・お役に立てて嬉しいです」
「いいの、奇跡がどれだけ安っぽいものかを確かめただけだから」
そう言うと女性は鳥居の方へと向かっていく。
「・・・さよなら、お嬢さん。貴方にも奇跡が起きること信じてるわ」
「ぽんっ」と亜由美の背中を叩いて女性は歩いていく。
このまま声をかけずに見送る選択肢もあったが。
「私はそんな物いりません」
亜由美は最後に言葉をかけた。
「・・・・・・なぜ?」
こちらを振り向こうとはせず、ただ背中越しに聞いてくる。
「私は奇跡になんか頼らない。己が成したい事は自身の力で成し遂げてみせる」
そう、大人にも警察にも頼らない。
あいつらは私の手で殺す。
法などに裁かせてなるものか。
それが私の生きる目的。
その結果、この先にある人生全てを失っても構わない。
いつか必ず己の手で裁いてみせる。
「・・・・・・だとしたら」
「何ですか?」
「余計なことをしたかしら?」
振り向いた彼女の顔には笑みが浮かんでいた。
冷たく、無機質な、形だけの笑み。
心の底に強烈に歪んだ攻撃衝動を持っている亜由美を震え上がらせるような冷たさを含んだ瞳。
雨に濡れているのとは違う異質な寒気が彼女の身体を震えさせる。
「あ、・・あなた、一体?」
「一度、ここで死んだ人間。じゃあね」
(何ですって!?)
「ま、待って!」
彼女を追いかけようとした亜由美の視界が急激に歪む。
「ちょ、なに?」
「ばっしゃ」と醜い音がすると同時に彼女は背中に強烈な衝撃を感じた。
「えっ?」
バランスを保とうとした身体はその努力も虚しく濡れた地面に無様に倒れ込む。
(・・・・・・どうして?何が?)
頬にピタピタと赤い雨が伝っていく。
(あれ?・・・なんだろ?)
亜由美の背中には大きな裂傷が走り、そこから人にあらざる異質な物が生えている。
(・・・苦しい)
それは一対の翼。骨だけで出来た右翼と黒く染まった左翼。
生まれたての翼からは血が伝い彼女の身体と地面を濡らしていく。
息が出来ない。
(山から下りないと・・・このままじゃ、死んじゃう)
強烈な眠気が自分を襲う・・・だがそれは甘美なる死への誘いだ。
(死ぬ?死ねない・・こんな所で)
必至に抗おうと、亜由美は濡れた地面を引っ掻いて進もうと足掻く。
しかし、その努力も虚しく彼女の瞳は程なくして閉じられ、意識は深い闇に堕ちた。

・・・・・・・。
チョーカーにつけられた「逆さ十字」のアクセサリーが・・・。
地面を染めていく赤を吸い上げるように徐々に徐々に。
水晶の色からルビーの赤へと、その色を変えていく。
3年前のある日の出来事だった。


「Perdition〜恋と呪いの二律背反〜」予告小説のあとがき
「ふう〜やっとそれなりに完成。そろそろ公開するぞ」
と言った感じです。
香月亜由美より始まるPerditionシリーズ始まりの作品です。
本作品ではЕДИ(進化の扉叩きし者と言う意味)と言う設定を使って書くことになると思います。
いわゆる超能力者みたいなもので、色々な技能を持った人物が出てくる予定。
毎回、色々な形の破滅を皆様にお届け出来るといいな〜とか思ってる次第です、はい。
まずは香月亜由美、通称「あゆみん」の人生をお楽しみくださいませm(__)m

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