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                         〜 聖 鐘 学 園 四 重 奏 〜             
                          [ B L A C K  O R  W H I T E ? ]
                                     vol.07 03.11.13
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  〜前回のあらすじ〜
   同じ人外の力を持ち、それ故に一般の世界から離れた月見里水月と銀鏡梗華。
   しかし、再び銀鏡梗華は学園に舞い戻り、暗躍を始める。
   その彼女に力を貸していたのは聖鐘学園の副会長であり、学園の有力者、高野原であることを知る。
   水月と梗華の対立は、そのまま学園の二大勢力の代理戦争に発展する。
   具体的な対抗策を見つけられない水月。
   一方、圧倒的優位に立つ梗華。いつものように追いつめられた状況から水月の戦いは始まる。

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   聖 鐘 学 園 四 重 奏 〜 B L A C K  O R  W H I T E ? 〜
   第七楽章「再会」
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  「………………」
   初夏の日差しは乙女にとっては厳しいものだ。
   日焼けするのが嫌いな性分なために日焼け止めのクリームはかかせない。
   それでも前に住んでいた土地よりは大分涼しい。
   やはり、海を渡ってまで北に向かったのは正解だったなとか思う。
   そんな事を考えながら、市街地へと続く坂道をテクテクと下りていた。
   市街地から山の上にある聖鐘学園までを往復するバスは登校時刻を過ぎると到着本数が激減する。
   その事に気付いたのはバス停の時刻表を見たときだった。
   そういうわけで、30分後のバスを待っていられず、かといって寮に戻るのも癪なので歩いているわけだ。
   幸い、市街地まではずっと下り坂なのでくたびれることはない。
   ただ黙々と、下へ下へと歩いて行く。
  「水月さーん」
  「はい?」
   うっかりしていると聞き逃しそうな小さな声。
   私は通ってきた道を振り返る。
  「……早川さん?」
   こちらに向かって手を振りながら走ってくる少女の姿が見えた。
  「……やっぱり、学校に、来てたんだ、ね」
   かなり急いで来たのだろう。
   息もかなり切れているし、額に汗もかいている。
  「大丈夫?」
  「うん。ご、ごめん……少し、待って」
  「ええ、どうぞ」
   胸に手をあてて深呼吸する早川さんを観察する。
   清潔そうな白のワンピースに小さな手提げ鞄。
   そこからハンカチを取り出して汗を拭いている。
  「図書館に用があって来たら、水月さんが帰ってきてるって話を聞いてね」
   意外と回復力はあるようだ。
   早川さんの息は、ほんの数分で整っていた。
   これなら歩き始めても大丈夫だろう。
  「それで、私を探してた?」
  「ん〜〜そういうことになるかな? 何となく会いたかったの」
   なるほど。以前の事といい、早川さんは勘で行動するタイプのようだ。
  「銀鏡さんも帰ってきてるみたいだし、もう何がなんだか……」
  「早川さんは銀鏡を知ってるの?」
  「銀鏡さんと? うん、選択授業の時に席が隣でね。何回か話したことがあるよ」
   あの、銀鏡が生徒とコミュニケーションを取っているとは意外だ。
  「どうだった? 彼女と話した感想は?」
  「そうだね。結構、世間ずれしてて面白かった」
  「あっ、ああっ……そう」
   中々、好意的な意見が返ってきてしまった。
  「一体、どういう事なの? 二人とも退学処分になったんじゃ?」
  「色々と複雑な事情がありまして。銀鏡は復学。私は以前のまま」
  「じゃあ、水月さんが戻って来たのは……」
  「夏休みが終わるまでは学生らしいから戻って来た。さすがに納得いかなくてね」
   興味深々といった感じの早川さんに説明すると、私は再び歩き出す。
  「この夏が終わるまでに銀鏡を退学させる必要があるのよ」
  「ふーん。なんか、かっこいい生活してるね」
  「………………」
   いや、そういう話しと問題じゃないのだけど。
  「月見里って苗字からしてかっこいいし」
  「は、はあっ……どうも」
  「銀鏡さんも綺麗だし。なんか違う世界にいるみたいで憧れるよ」
  「……そんなに楽しいもんでもないんだけどなあ」
   昔から、こういう土壇場崖っぷちに立たされていた気がする。
   時に退魔の巫女としての職務は命懸けのときもある。
   今回の事件も大事なものがかかってる。
  (そろそろ、崖っぷち人生にも終止符打って安定したいもんだ)
   と、厄介事の最中は常々思い、終わって退屈しだすと探し出す。
  「いや、やっぱ普通が一番よ?」
  「なんだか疲れた口調だね」
  「いやぁ、もう毎日が戦争でクタクタなのよ」
  「あははははーー。なに、それ? おかしいの」
   二人で色々と話しながら坂道を下っていく。
   早川さんの話題は主に私自身に関する事。
   どうやら、かなり前から私に興味があったらしく質問攻めだ。
   坂道も終わりが近付き、街も見え始めた頃には質問も尽きかけていた。
  「そうだ。早川さん」
  「どうしたの?」
  「自殺した朝霧さんって人のこと知ってる?」
  「………………」
   幽霊の事を切り出した瞬間、早川さんの穏やかな顔が変化する。
   雑談を楽しんでいた早川さんの眉が、不愉快そうに釣り上がる。
  「別クラスの子。ほらっ、水月さんが家に来た時言ってたでしょ?」
   当たり障りのない返事だが、それ以外にも何かあるだろう。
  「それ以外に知ってることとかない?」
  「偽善者」
  「はいっ?」
   きっぱりと答えると、早川さんは足早に歩き出した。
  「お、おーいっ」
  「へらへら笑ってて、余計な気ばかり使う子。
   別クラスの私にも話しかけてくるような、ね」
  「ああ、そう」
   確かにあの幽霊らしいと言えばらしいような気もする。
   本当はもっと色々と聞きたかったのだが、早川さんは機嫌を損ねたらしく歩く速度が早まっている。
   これ以上は突っ込まないほうがいいだろう。
  (まあ、情報なら七瀬の方が確実だろうし)
   そこから坂の終わりまで、当たり障りのない会話をして乗りきる事にした。   
   早川さんと一緒にいたせいか、坂の終わりまで着くのが早く感じた。
   早川さんとの会話は退屈しなかった。
  「水月さんは駅の方に行くのかな?」
  「んっ? そうだよ」
  「じゃ、ここでお別れだね」
   どうやら、彼女も同じように思ってくれたようだ。
   別れる頃には早川さんの機嫌も会った時と同じくらいに戻っていた。
  「また今度、学校でね」
  「あっ、うん」
  「それじゃ、私はこっちに用があるから」
   早川さんは坂の始まりにある本屋へと消えて行く。
   図書館だけでは足りないのだろうか。
  「私は……家に帰りますかね」
   さっきまで賑やかだったせいか、一人になると空しい気がする。
   祭りの後のような雰囲気を感じながら、私は家へと足を向けた。

   ………………。

   駅から徒歩10分。駐車場完備、近くに若者向けのショッピングモール有り。
   ここから辺では一等地と呼んで差し支えない場所にあるマンション。
   私はそこに部屋を借りて住んでいる。
  「うん、やっぱいい場所だわ」
   改めて、見直して……自分の選択の正しさを実感する。
   元巫女の第六感から言っても、ここはいい土地だ。
   意気揚々と玄関に向かい、オートロックを解除する。
   暗証番号で管理された玄関、中もカードキーを使うと最新のセキュリティで徹底されてある。
   それだけに家賃は高くて、喫茶店のバイトはここの家賃に消えていた。
  「あっ〜〜水月さん。おかえり〜〜」
   玄関を入った所にある管理人室からお声がかかる。
  「どうも、こんにちわ」
  「はい、どうも」
   セミロングの黒髪に、美人の部類に入る顔立ち。
   何よりも目を引くのは、自ら自慢する脚線美を見せつけるチャイナ服だろう。
  「おはようございます。静蕾さん」
  「おはようさん」
   この人がマンションのオーナー、幽静蕾(ユウ・ジンレイ)さん。
   日本語・英語・中国語と三カ国語を喋る芸達者な女性だ。
  「さあさっ、積もる話しは中に入ってしましょう」
  「えっ、ちょっと……」
   挨拶もそこそこに、私の背中にまわって、どんどん押して行く。
  「とっても、大事なお話しなのよ〜〜」
  「……分かりました」
   私とこの人の関係は単なる管理人と住人ではない。
   互いに、もう一つの顔と言うものがある。
  (まったく、次から次へと問題が入るなぁ)
   私は渋々、管理人室に連行されることとなった。

   ………………。

  「はい、熱くて美味しい紅茶でもどうぞ」
  「はぁ……ど、どうも」
   マンション一階は管理人である静蕾さんの貸切だ。
   管理人室も私達の住んでいる三倍はある広い造りになっている。
  「で、一体何です?」
  「実はうちのお得意様が水月さんの手腕を見たいとおっしゃってるのよ」
   幽静蕾には色々な顔がある。
   各地のマンションのオーナーの傍ら、貿易商を営む女商人。
   その正体はチャイニーズマフィアの娘で、ここら辺の売春組織の頭を務めている。
   要するに私の雇い主でもあるわけだ。
  「今は、忙しいと言いませんでしたか?」
  「聞いてます。だから、一時間だけいいの! お願いっ!!」
   神頼みでもするように手を合わせてお願いする彼女。
   見た目や態度からではマフィアの娘と思えないのが、この人の怖い所だ。  
  「……相手の方はどんな人です?」
   ここで無下にすれば、後で厄介な事になるのは分かっている。
   気は進まないが、話しを聞く方向で進めるしかない。
  「かなりの美人よ〜〜」
   静蕾さんが持って来た封筒からファイル化された書類を受け取る。
  「………………」
   その人間のスタイル、嗜好、性格、性癖。
   かなり細かく整理されたものを目を通していく。
  「どうでしょう? 水月さん」
  「急なんですよね?」
  「うんっ!! 水月さんの事情も分かってるんだけど……お願い出来る?」
   この人はビジネスに関しては信頼出来る。
   忙しいので仕事は回さないで欲しいと言ったのに頼みに来るくらいだから、大事な用事なんだろう。
  「顔写真がないのが不服ですが、依頼は受けましょう」
  「ありがとう。助かるわ〜〜」
   この忙しい時期に他のことに構ってる暇なんて無い筈なのに。
   まったく、生活をするというのは大変なことだ。
  「あのね、ついでに男性のお客様も手腕を見たいとおっしゃってるんだけど……」
  「契約が違いますよ」
   ファイルから目を外して、相手の顔を見つめる。
  「うそうそ、冗談。水月さんみたいな導師は少ないんだから優遇するわ」
  「私は導師じゃなくて巫女です」
  「元巫女、でしょ?」
   間違いを指摘する静蕾さんを目線で黙らせる。
  「……これは貸しということにしておきます」
  「おっけ、OK――いやぁ、助かったよ。最高級の術を使ってね? お代ははずむから」
  「………………はいはい」
   私が取得した術の中には感覚を排除・増幅したりするものがある。
   本来は戦闘時などに痛覚を排除する為に用いるものだが、
   これで然るべき感覚を増幅すれば……まあ、後は言わずともわかるだろう。
  「仕事の話しはこれで終わりにして――報酬の話しでもしましょうか?」
  「……随分と気が早いですね」
  「水月さんの腕は確かだもの。この仕事は成功したも同然よ!」
   紅茶のティーカップに口をつける静蕾さん。
   私も喉が渇いていたので飲む事にする。
  「水月さんは最近、何かとお困りだと聞いたんだけど?」
  「と、言いますと?」
  「せっかく特待生として入学した学校から追い出されたとか?」
  「………………」
   何処から学園の情報を仕入れて来たのやら。
  「口利きなんぞしてあげましょうか?」
  「勘違いしないでください。私はあなたの子飼いになった覚えはありませんよ?」
   私が強く警告すると静蕾さんは口元を楽しそうに歪める。
  「必要以上は馴れ合わないってわけね」
  「私達はお互いの利害が一致するから協調出来てるだけの筈です」
   相手はまっとうな商売人でないのだから、信頼するわけにはいかない。
  「水月さんってばつれないんだから、お姉さんは寂しいわぁ」
  「………………」
   どうも彼女は、そのことを忘れている傾向がある。
  「で、話しはそれだけですか?」
  「そうだけどさ。ねえねえ、学校の話しとか聞かせてよ」
  「それはまた今度。私は忙しい学生ですので」
   営業スマイルで微笑むと、私は立ち上がる。
  「もう……分かったわよぅ。んじゃ、今晩迎えに行くから仕度しといてね〜〜」
  「はい」
   この分だと、今晩は寮に帰れそうにない。
  「元気だしてよ。私に出来ることなら協力するからさ〜〜」
  「勿論、してもらいますよ。貸しがあることをお忘れなく」
  「さっきは馴れ合わないて言った癖に調子いいじゃない?」
   私がその事を口に出すと静蕾さんは口をとがらせて抗議する。
  「これはビジネスです」
  「はいはい。それじゃ、また今夜ね〜〜」
  「失礼します」
   陽気な静蕾さんに見送られて、私は部屋を後にした。

   ………………。

  「ただいま〜〜」
   言った所で返事がかえってくるわけでもない。
  「おかえり〜〜」
   仕方ないので自分に挨拶をする。
   四方先輩によく注意されてる独り言の癖だ。
   靴を脱いで部屋に上がると、玄関から一番近くにある洗面所に入る。
  「ううっ〜〜暑いなぁ」
   部屋の中は歓迎出来ない暖気で支配されてる。
   蛇口を捻り、冷水を出すと洗顔する。
   軽く汗をかいた頬に何度か冷水を浴びせると、気分もすっきりした。
  「さてと……気分も一新。次は部屋を涼しくしないとね」
   乾いたタオルで濡れた頬を拭いて、洗濯籠に放り込む。
   そのまま足早に洗面所から出て、リビングの扉を開ける。
  「動け」
   ピッ、と電子音が響くとクーラーが動作を始める。
   しばらくすれば夏の暖気も消えうせて、心地よい空間に変わるだろう。
  「さて、仕事の準備を始めますか」
   長年培って来たプロ意識というのが私にはある。
   どんな仕事でも一度引き受けた以上は完璧にこなさないと気が済まない。
   そこら辺が四方先輩や静蕾さんに一目置かれた所であると私は思ってる。
  「よしっ、始めましょう」
   テーブルに硯と筆、何も書かれてない符を置いて、正座する。
   私は懐から札の束を取り出すと、ペラペラと捲って中身を確認した。
  「これと……これね」
   今日の仕事で必要になるだろう物を取り出すと、書道の手本にするようにテーブルに置く。
   手本代わりに置かれたのは私が力を失う前に書いた符だ。
   私が『退魔の巫女』と呼ばれた頃に書いた符は、今作った符など比べ物にならない威力を秘めている。
   弱いものでも数倍、強いものなら数百倍の威力を持ち、尚且つ補充は出来ない切り札だ
   さすがに切り札の符を仕事に使うわけにはいかないので、今から新しく作るわけだ。
  「ついでだし……他の符も作っておくか」
   これから先、銀鏡と戦うことになる可能性だってある。
   質で劣る分、大量の符を消費する事になるだろう。
  「一枚でも多く作っておかないとね」
   テーブルの端に置いたガラス製の鈴を鳴らして心を落ちつかせる。
   雑念が入れば、それだけ威力は落ちてしまうからだ。
  「……これより始める」
   筆を取って、墨で濡らし、純白の紙に力を込める。
   見本など見なくても書き方は覚えている。
   何十、何百万回と繰り返した行為だ。
   集中した意識は他の音を遠ざけて、暑さも寒さも消していく。
  「………………よしっ」
   十数分かけて一枚の符を作り出す。
  「う〜〜ん」
   見本の符を左手に持ち、右手に新しく作った符を持って見比べる。
  「う〜〜〜〜ん」
   昔の私ならビリビリに破いて捨ててるような貧弱な出来具合だった。
   この符に込められた力は、切り札の十分の一程度だろうか。
   だが、日常生活で使用する分には問題ないレベルだ。
  「補助の符はまだいいんだけど……攻撃系はなぁ」
   私が得意としていたのは主に攻撃などの能力で、力の落ちも激しい。
   筆を取り、試しに一枚を書いてみる。
  「………………駄目だ」
   攻撃の符は百枚かいても切り札一枚にも及びそうにない。
  「こりゃ、本格的に力押し作戦は無理そうね」
   お手上げといきたい所だが、そうもいくまい。
  「私の根性を見せてやるわ」
   この手が折れるまで符を書いてやろうじゃないか。
  「名付けて、水月の一心岩をも通す作戦!!」
   頭の悪そうなネーミングをつけて、再び筆を取る。
   霊能とは思う力。
   それが鉄より強いかは本人次第だ。
   再び、私の意識は周りの雑事から離れて、一心に集中し始めた。
   時間が間延びするのか、刹那で駆けるのかも自分次第だった。

   ………………。

  「水月さーーん。お時間ですよ〜〜」
   出迎えのベルの音が鳴り響く。
  「はい」
   扉を開けて、静蕾さんの前に立つ。
  「うんうん、美人さんだわ」
  「ありがとうございます」
   白の千早に朱色の袴。俗に言う巫女装束というやつだ。
   清楚な衣装には不釣合いな紅い口紅がワンポイント。
   少し妖しい雰囲気を出してる。
  「気合入れてくれてるね〜〜もう、完璧よ!!」
   静蕾さんは嬉しそうに親指を突き立てる。
  「そういう静蕾さんこそ、イブニングドレス似合ってますよ」
  「いやいや、若い人には敵いませんって」
  「とりあえず話しは後にして、行きましょうか?」
   肘で私をつっつく静蕾さんを急かす。
   ここで、他の住人に見つかると色々と面倒だ。
  「そうね」
   その辺りは彼女も同じなのだろう。
   静蕾さんも歩き出す。
   エレベーター前には黒服の男が二人立っていた。
   一般人が見れば明らかに数メートルは距離を取るであろう強面の顔をしている。
   私達の姿を確認すると、左に立っていた男がエレベータのスイッチを押す。
  「御苦労さまです」
   私が声をかけると「はい」と短く返事を返す。
  「どうぞ」
   扉を開くと、二人は私達に道を開ける。
   どうも流れる空気が重々しい。
   私達が中に入ると、男二人も入って一階のボタンを押して扉を閉める。
  「水月ちゃんなら言わなくても大丈夫だと思うけど」
  「はい」
  「今日の相手は特別な人だから、失礼のないようにお願いね」
  「心得てます」
   会話が終わる頃には最上階から一階へとついていた。
   玄関ホールを出て、すぐの所に黒塗りの車が待っているのが見えた。
  「………………あれって」
   車に詳しくない私でもその名前は知っている。
  「リムジン?」
  「そうよんっ」
   日本の道路を走るには大きすぎる車が玄関前に居座っていた。
  「うわっ……大きいですね」
   近付いて見ると、その車の大きさがよく分かる。
  「さっ、目立つから早く乗ってね」
  「は、はい」
   気後れする私の背中を静蕾さんが押して、中に押しこめる。
  (ああっ……すっごい座り心地)
   このシートの柔らかさは犯罪だ。
  「これからの予定なんだけどね」
  「はい」
  「港までお客様を迎えに行って、その足で食事会なんだけど。
   なんだったら、水月さんも来る? 美味いもん食えるわよ〜〜」
  「結構です」
   この人は何を考えてるんだ。
  「なんで?」
  「やることが違うでしょう。私に一体何を期待してるんですか!?」
   冷やかに言う私の顔を見て、静蕾さんは首を傾げた。
  「そうかなぁ。一流は万事に精通してないと務まんないよ」
  「何の一流ですか!!」
  「それは流石に恥ずかしくて、おねいさんの口からは言えないよ〜〜」
  「と・に・か・く! 本来の仕事以外は遠慮させてもらいます!!」
  「ん〜〜そっか。じゃあ、先にホテルで待っといてもらおうかな」
   強く言いきる私を横目にカクテルを飲む静蕾さん。
   この馬鹿でかい車は内部にカクテルバーまで設置されてあった。
  「私は待ちぼうけですか」
  「二時間くらいすれば先方も行くからさ」
  「分かりました。でも、待ち時間も労働時間ですよ」
  「手間かけて、ごめんねぇ。当初は水月さんも一緒に食事する予定だったわけよ〜〜」
   最初から連れて行くつもりだったのか、この人は?
  「どうして、私を?」
  「ん〜〜」
   カクテルを一気に飲み干して、静蕾さんは私を見る。
  「水月さんのことを信頼してるのよ」
   純度100%の人のいい笑みを浮かべて、静蕾さんは話しを締めくくった。

   ………………。

  「暇だなぁ」
  「もう、しばらくお待ち下さい」
   ホテルの一室には私と黒服の男が二名、そして静蕾さんの秘書がいる。
   ここにいる人達は中学の時から知り合いで気心しれた仲間でもある。
   いつものように黒服は私のガード。秘書は私の相手を申し遣ってるんだろう。
  「どうです? 奥さんのご加減は良くなりましたか?」
   このまま何もしないで待つのも退屈なので、黒服の一人に話しかける。
  「おかげさまで、お嬢様にはお世話になりました」
   男の一人、プロレスラーのような体型に似合わない優しい声で頭を下げる。
   私は怪我や病気の治療も副業として受け持ってる。
   この強面の男。鮫島さんの奥さんも以前に患者としてみたことがあった。
   奥さんは慢性的な喘息持ちで、それを治してあげたのだ。
   それから、鮫島さんは私に色々と気を遣ってくれている。
  「うちの若い連中も世話になってるそうで、ありがとうございます」
   40歳を少し過ぎた鮫島さんは武闘派の構成員を束ねる頭を務めている。
   その面倒見のいい性格は仲間内の信頼をかい、静蕾さんの片腕として組織を運営する人だ。
  「私はかまいませんけど、あんまり無茶しないで下さいね」
  「はい」
   こういう商いをしている連中は、普通人より大怪我をして担ぎ込まれる頻度が高い。
   病院には見せられない傷。すでに手遅れの傷などを看るのが、私の副業だ。
  「あっ、そうだ」
   今日は帰れないと伝えるのを忘れていた。
  「どうしました?」
  「いや、ちょっと寮に電話を……」
  「席を外しましょうか?」
  「大丈夫。聞かれて困る話しなんかしないから」
   携帯電話を取り出して、短縮ダイヤルで七瀬に繋ぐ。
   電話はすぐに繋がった。
  「はいはい。七瀬さんですよ〜〜」
  「ああ、七瀬? 水月だけど」
  「どうしたの?」
  「今日は寮に戻れそうにないから、四方先輩に言付けてもらおうと思って」
   電話口から七瀬の「げっ」というあまり美しくない擬音が聞こえてくる。
  「ええっ!? マジで〜〜私がぁ?」
  「貴方以外に四方先輩を手玉に取れる人はいないでしょ?」
  「そうかもしんないけどさ。でもね、私ほど四方先輩に恨みを買ってる人もいないんじゃ?」
  「………………」
   それはひじょうに正しい意見だが、返事はしないでおく。
  「じゃあ、お願いね! あっ、これから電波届かなくなるから」
  「わっ! 待て!! ただで憎まれ役なん……」
   プチッ、と電源を切ってテーブルに置く。
  「はい。会話終了」
  「相変わらず、お嬢様も人が悪い」
   鮫島さんが、私を見て微苦笑を漏らす。
   他の二人も大方の事情は分かったのであろう――楽しげに笑っていた。
  「やはり、お嬢様にはあの学校が似合います」
  「そう?」
  「詳しくは知りませんが、とても輝いて見えますよ」
  「鮫島さん。今日はお説教はなしね?」
   私が学園を退学になったときに一番、憤慨したのはこの人だった。
   頭を下げてでも学園に戻るべきだと、それはもう――しつこいくらいに私に抗議した。
   こんな商売からは足を洗い、まっとうな人生を歩むべきだと真剣に話してくれたのを覚えてる。
  「お嬢様……と、失礼」
   さあ、これから長い説教が始まると思った矢先に携帯電話が鳴り響く。
   この場に居る鮫島さん以外の人間がほっとした瞬間だった。
   放っておけば、朝まで熱烈な説教をしかねない人だ。
  「分かりました。それでは失礼します」
   電話を切ると、鮫島さんが私を見る。
  「これからこちらに向かうそうです」
  「はい。じゃあ、用意しますんで帰っていいですよ」
  「分かりました。隣の部屋におりますので、何かありましたら遠慮なくお声をおかけください」
  「あっ……はい、どうも」
   隣に知った顔がいるというのは……どうにも、対応に困る。
   しかし、相手も好意でやってるのだから無下には出来ない。
   結果、我ながら微妙な顔だな、とか思う笑顔が出来あがった。
  「もうすぐ参られるとのことですから……30分後には来られると思います」
  「はい。分かりました」
  「宜しくお願いします」
   丁寧に頭をさげる鮫島さん達を見送って、扉を閉める。
  「さてと……では、手早く用意などしてみますか」
   用意と言っても、たかが知れている。
   家から持って来た香炉をセットして、符を出すだけで時間がかかることもでない。
   心静かに相手を待つだけだ。
  「………………ふぅ」
   洋風の部屋に巫女装束の女が一人。
   どうにも居心地が悪いのは、私の格好が様になってないからだと思う。
   窓際まで歩いてブラインド越しに夜の街並みを見る。
   はるか下方に存在する街並みは色とりどりの光で覆われ、夜であって尚明るい。
   山深くに住み、電気も通ってない場所で生きてきた私には、その景色が何か奇妙な物に見えた。
  (あの頃はこんな場所で生活するなんて思ってもなかったな)
   技を磨き、稀に現れる人外の魔を討つために一生を捧げる。
   そんな人生に別れを告げて四年になる。

   ………………。

  「……お嬢様? 聞こえてますか?」
   どれくらい、そうしていただろう。
   コンコンとドアを叩く音で私は現実に引き戻された。
   扉の向こうから鮫島さんの声。
  「あっ、鮫島さん。どうしたの?」
  「申し訳ありません。実は、ロビーにお客様が来られたようで――お嬢様の用意はお済みでしょうか?」
   どうやら、先ほどの「もうすぐ」は本当にもうすぐだったようだ。
   ドア越しの鮫島さんの声が珍しく慌てている。
  「あっ、私は大丈夫です。お通ししてください」
  「助かりました。それでは、こちらに呼んで参りますので」
  「はい」
   ある種の緊張感が私を包みこむ。
   テスト前の空気、命掛けの勝負、バーゲンの闘争。
   私が一番楽しみにしている空気だ。
  (……どんな人だろう)
   四方先輩のように凛々しい人か、高野原先輩のように可愛い人?
   七瀬のように何処か親しみが湧くような人かもしれない。
   もしくは、全部外れで、まったく歯牙にもかからないような人物であることもある。
   私は扉の前で、その人が来るのを待っている。
  (………………来た)
   人よりは優れた聴覚が鮫島さんの足音を拾う。
   力強く床を踏みしめる音に相手の女性の足音はかき消されていた。
  「……お嬢様。本日のお客様をお連れしました」
  「通してください」
  「失礼します」
   ドアノブが回り、扉は開かれる。
  「今晩のお相手を務めます。月見里水月です」
   相手の姿を見る前に頭を下げるので姿は見て取れない。
   視界に映ったのは和服の女性だった。
  「それでは、ごゆっくりどうぞ」
   鮫島さんの声を聞きながら、私は少しだけ相手の女性に関心していた。
   大抵は私の服装を見て、何らかの動揺をするものだが相手はまったく反応してない。
   扉が閉まってから、私は顔をあげる。
   さあ、相手の顔を拝見する時だ。
  「なっ!?」
   相手の顔の印象は四方先輩でも、高野原先輩でも、ましてや七瀬でもない。
   私が絶句するのを見てから、相手は深々と頭を下げた。
  「お久しぶりです。お嬢様」
   小柄で何処か儚げな印象を持つ女性。
   其処にいるのは私の母親とも言える存在。
   私が『退魔の巫女』として生活をしていた時の付き人が立っていた。
  「……美冬?」
  「随分と探しました」
   ひっそりと咲く花のような、淡い微笑みを浮かべてから、彼女は私を抱きしめた。

   
   To be continued.....
  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆