2007年(平成19)年3月24日(土)晴→雨

 

突然、鎌倉に行きたいと思った。

理由は…前から一度、鎌倉七口を歩いてみたいと思ってたから。
コース的に、遥か巡りも出来るし…と♪
鎌倉の切通し。
亀ヶ谷、朝夷奈、巨福呂、仮粧坂、大仏切通、名越、極楽寺坂。
切通し。。。
山や丘などを切り開いて通した道のこと。
三方を山、一方を海に囲まれた軍事都市鎌倉にとっては、その防御の拠点の一つが切通しだったとか。
入るのが大変なら、出るのも大変だったろうに。
そうやって考えると、ここ鎌倉は要塞都市か牢獄かと思えなくも(^_^;)

 

行き先を決めた途端、どこぞで適当なルートとかを書き込みをしてたら友達も行くと。わ〜い(^_^*)/
早めに行くつもりが初めに聞いた時間がゆっくりだったので、すっかりのんびり気分になっていた。

 

21日水曜は春分の日だった。
私自身がちょうど夏以来、墓参していないこともあってお彼岸だしと行ってきた。
足元にいるのに素通りしては流石に怒られるだろうと、丘の上へ。
お花はないけど、私で我慢して…と(^_^;)
ちょうど朝、到着時間をメールしてバタバタとでかけて、まずは丘の上にある墓前でご先祖に一人ブツブツ…挨拶を。
作業中の方もいたけどいいよね、お爺ちゃまに話してたんだから…。
お寺の前の道が砂利から舗装されて、歩きやすくなってしまったのが残念。
だけど、最近の高齢化事情としては、下から車で上がりやすくなって助かるんでしょう…。
寂しさもあって、いつから出来たのか訊ねたら、昨日からです…と。あは(^-^;)
さて、円覚寺は待合わせの弁天堂の茶店へ。
丘を駆け下り、丘一つ分の階段を上り切りお参りを済ませると、見慣れた人が。
階段を上がってる時に気付き、追いつこうとしたらしい‥。
健康だと思ってるけど、普段イスに座ってる私なので、ここの階段で体力の低下を感じさせられた瞬間でした。
あのペースで息が上がるなんて…。
初めて茶店が空いてる時に来ました。ここは高台にあって良い景色ですよね。
お抹茶をブランチ代わりにいただき、さて出発。円覚寺を後にしました。

 

元は尼寺の縁切り寺としても有名な東慶寺を見せていただき、亀ケ谷(かめがやつ)切通へ。
勾配が急で亀も後戻りしたことから付いたと謂われる坂。
今では足元は舗装され幅もあり、当時の面影を残すのは左右の岩肌のみ。
車両通行止めにした方が良いのではないかと思われる道であった。

 

亀ケ谷は扇ガ谷(おうぎがやつ)の古称。
室町時代に関東管領上杉定正がこの地に住み、扇ガ谷殿と呼ばれたことから、現在この辺りは扇ガ谷と呼ばれている。
坂を下り薬王寺の前を通り過ぎ、岩舟地蔵堂。T字路の突き当たりに来る。
左に折れると鎌倉方面、右に折れると海蔵寺方面。
右に足を向け高架線を潜り、海蔵寺方面の途中で、左手に化粧坂(けわいざか=仮粧坂、気和飛坂)へ向かう道がある。
ここ周辺には遊び女がいたとか、落とした首に化粧を施したとか。
根気がなくてチラとしか読まなかったけど、石に彫られた文字を見ればガイドマップ以上のことが読み取れたかも。
次に行く時には、これを読みに行こう…。
山道‥というほどではないけど、歩く靴を履いて行きましょう。
私はパンプスでも行けるけど、流石にしっかりと汚れるのでから遠慮しますね…。
舗装されていないので、亀ケ谷なんて問題にならない程の急勾配といったところでしょうか。
ゴツゴツした地面にしみこんだ雨水が、流れ伝っていたりして。

そのゴツゴツしたS字の道を上に歩いて左手に抜ければ、源氏山公園(白旗山、旗立山)へ到着。
気の早い花見客…なんでしょうか、お弁当を広げていました。

ここを歩いてる時に本で読んだことを思い出しました。
昔の鎌倉は泥湿地だったと。
その頃の鶴岡八幡宮は一の鳥居、材木座の付近にある今の由比若宮(本八幡)がそれであったと。
海岸線も今より手前で、その直ぐ先であったとか。
泥湿地ではさすがに参拝も出来なかろうからここから遥拝したであろう…と。その後、鶴岡八幡宮に遷宮してるし。
こんど行く時には、鶴ヶ岡八幡と本八幡の場所を探してみよう。見えるかな???
もしかして、頼朝像の向いている方角が、そのどっちかかもしれないね…。

 

頼朝像に挨拶して、ヒノエくんと一緒に「猫と戯れていた場所」にてリスを目撃。
脳内は急遽「リスとリズ」に変換…なんて(^_^;)
いえ‥やっぱり、(Q_Q)↓ここで、ヒノエくんと戯れてきました。
そして、銭洗弁財天宇賀福神社へ。

 

祭神は宇賀福神、水波売神。
ザルでお金を洗えば何倍にもなって返るなんて迷信があるけど、ありえないと分かりつつ洗ってしまいます。
ここ鎌倉で力を得るには。
銭を洗うと…でなく、洗って銭にする…。
その頼朝を助けた、昔からこの地に住まうタタラ製鉄技術を持つ一族がいたらしい。
山から取った土をザルで洗い、その中から蹉跌という資源を取り出し、鉄を作って財を成したとか。
財を成したこその、弁財天なんでしょうか?
「弁」「財」「天」ですから…

宇賀福神社の裏手から、佐助稲荷に通じる道があります。
稲荷は鋳成りに通じる。
頼朝の官職、佐殿を助けた鋳成りを祭ったと。
そういえば小学校の通学路にお稲荷さんがあったけど、漢字を深く考えたことがなかった。
お稲荷さんとは、きつねのお社。としか思ってこなかったなぁ‥と(^_^;)
文字が意味を持ってるからには、つける言葉にもやっぱり意味があるはずだもんね。
時に、文字を掏りかえることもあるけど。
佐助稲荷には、泉もあり。

この泉、記憶にあるますよね…。
はい、あのゲーム中に出る泉です。

長谷方面に抜け、御霊神社へ。
ここには梶原景時の曽祖父である、目に弓を受けても奮闘したという鎌倉権五郎景正の弓立の松がありました。
神社正面には江ノ電の線路があり、これを抜けて道に出たところに「権五郎だんご」のお店がありました。
ふかふかのお餅で漉し餡を包んだ一品。お餅と求肥の二種類あります。
ご馳走さまでした。

そこを右に折れ、極楽寺方面へ。
途中で雨が降り出し、本格的な雨になってきました。
極楽寺はまだ桜には早く、その傍にある熊野神社へ行ってみました。
この名前を見ては頭領好き〜としては、素通りは出来ません。
友達が、あっらしになれ〜♪とフレーズを歌いだした途端、雨足が速くなり…。
これは…ご祭神、速玉男命の神さまに、よ〜し良く来たと歓迎されていたのかもしれません。

予定では江ノ電で、江ノ島方面に行きたかったけどこの雨模様。
一人でもないし、また来れるしで、とりあえず鎌倉へ戻ることにしました。
4時という遅い時間の昼食をキャラウェイでいただき、鶴岡八幡宮にご挨拶。

友達に言われて初めて知りました。
ここには御祖社(みおやしゃ)というところがあり、ここでも伊勢神宮で感じたような感覚が。普通に好きな場所がお気に入りの場所に…。

北条時房邸跡を見せるだけで、友達を泣かせてしまった場所でした。
思い入れが深く、とっても行ってみたかった場所だったそうです。
まさか知らなかったなんて、思ってもみなかったのよ〜。