さようなら宮崎駿

by 佐藤クラリス (PC-VAN宮崎駿ネットワーカーFC)

 2000年10月05日アップデート → メールアドレス変更
 このページは、PC-VAN宮崎駿ネットワーカーFCの佐藤クラリスさんが、作った作品 さようなら宮崎駿 の全文を掲載しています。なお、無断転載等は厳禁です。(編集者)

さようなら宮崎駿

 …監督、宮崎アニメの時代は終わりました。だが、私たちは決して忘れません。
 宮崎アニメがまだ認められず、仕事も無く、あらゆる点で最も苦しい時も貴方は最も大きな勇気と愛を示された。
 「カリオストロの城」、「未来少年コナン」、「風の谷のナウシカ」で。
 有り難う監督。私たちは宮崎駿の居ない新しい世界へ出発します。
 どうか、安らかに…。

弔辞を読ませて頂きます。

 宮崎駿監督を送る

 僕等は、彼を監督と呼んで来ました。
 監督は、僕が出会った何十人ものアニメ作家の中でも、屈指といっていい感じのいい仕事をする、腕の良いアニメ作家でした。
 若い頃の彼の作品は、のびやかなものへの本物の憬れにかがやいていました。坂を登り、ついに山のむこうに青い海の広がりを見た時のような、晴れあがった空のようなつきぬけた解放感が、彼の仕事にはありました。
 僕は、彼の才能をもっとも深く、正当に評価した人間だという自負を今も持っています。
 彼の精神には天使と悪魔が棲んでいました。美少女を始めとする、美しい物をこよなく愛する部分と、兵器や破壊、戦争と憎悪をこよなく愛する部分です。
 若かった頃の彼は、美しい物をストレートに表現する事を好みました。暗黒面は作品世界を広げる道具として使われました。
 だが、歳を経るに従って、美しい物をストレートに表現する事が歳相応でない、年甲斐が無いと云う見栄の部分が強くなってしまいました。
 美しい物をこよなく愛し、賛美し、賞賛するのではなく、屈折した表現でそれに対する愛を示す事になりました。
 それは作品に濁りを生じさせ、名声や興行成績の伸びとは裏腹に、作家としての破滅が忍び寄っていたのです。
 精神面だけではなく、実生活の面でも破滅は忍び寄っていました。夢の実現と観られていた「スタジオジブリ」の存在です。
 運営するだけで年間10数億円かかるこの組織を維持する為には次から次へと劇場大作を作る必要がありました。しかも、資金回収の観点から、配給収入は映画1本当たり50億円以上でなければなりませんでした。それは監督が毎年劇場版長編アニメを作らなければならない事を意味していました。
 だが、それは実現不可能でした。
 映画製作の細部まで自分でやらないと気が済まない性格故、体力・気力の消耗は大きく、「もののけ姫」を最後に監督業を辞めざるを得なかったのです。
 しかも、職人気質故、後継者の育成は無く、宮崎駿の監督辞任を以てスタジオジブリは事実上解体していました。解体すべきだったのです。その決断が出来なかった為に、悲劇は起きました。その責任は徳間社長の放漫経営にあります。
 2つの悲劇は同時に起きました。高畑監督の劇場版長編アニメ「ホーホケキョ となりの山田くん」の興行的失敗と、通称「ジブリ美術館」の開設です。
 この結果、徳間社長と運命共同体にある監督は興行的責任を取る形で「となりのトトロ2」の製作を行い、身も心もボロボロとなってしまいました。
 しかも「ジブリ美術館」建設では「議会無視」と云う非難にも晒され、一段とその寿命を縮める事となりました。
 彼には夢がありました。もっと小さな作品で、蟲の話や、んこの話をやりたかったのです。そんな夢を潰し、大作家と云う重石で、その命さえも潰してしまった責任者に、わたしは云いたい!
 一体、誰が、どの様なカタチで、この責任を取ると云うのか、取れると云うのか、この場で明らかにして頂きたい!


 監督

  山の向うの青い海に


  晴れあがった空へ


   光や、風や、木や 水や、土と
   ゆるやかに とけあって 安らかに
               眠って下さい

  僕は 監督のことを忘れません


★参考資料:未来少年コナン最終話
       近藤喜文監督に対する宮崎監督の弔辞
       劇場版パトレイバー2

(NEC BIGLOBE PC−VAN 宮崎駿ネットワーカーFC フォーラム「Winds Talk」に掲載しなかった。(^_^;) 1999.08.01)


佐藤クラリス作品集のホームページに戻る
著者: 佐藤クラリス/ nausicaa@msa.biglobe.ne.jp
HTML作成: 佐藤クラリス/ nausicaa@msa.biglobe.ne.jp