時事対談>ナウシカVSナムリスの首(^_^;)
by 佐藤クラリス (PC-VAN宮崎駿ネットワーカーFC)
2000年10月05日アップデート → メールアドレス変更
このページは、PC-VAN宮崎駿ネットワーカーFCの佐藤クラリスさんが、そこで掲載した作品 時事対談>ナウシカVSナムリスの首(^_^;) の全文を掲載しています。なお、無断転載等は厳禁です。(編集者)
- 司会
- 「本日は、愚行を続ける人類の未来を危惧する観点から、2大世界観の代表たるナウシカさんとナムリスさんにおいで頂きました。忌憚の無いご意見を披露して頂きたいと思います。先ず、世界を動かしている原動力は何かと云う事から」
- ナムリス
- 「それは云う迄も無く力だ。俺は強い者が好きだ。男も女もな。世界には2種類の人間しか居ない。既に死んだ人間と、これから死ぬ人間だ。これから死ぬ人間には2種類しか居ない。支配する人間と支配される人間だ。国家は支配する為の組織であり、支配対象は他国民及び自国民だ。国家の力は軍事力で決まり、つまりは殺した人間の数の多さが国家の偉大さなのだ。JFKの話が出ているが奴は大統領でありながら、軍縮と云う、国家の基幹に反する事を計画した。殺されるのは当たり前だ。軍人と軍需産業が犯人だと云われているが奴らは自分達を守ろうとしただけだ。医者は人間が生きる事を願っているが、棺桶屋は人間が死ぬ事を願う。じゃあ、棺桶屋は悪人で医者が善人なのか?違う。両方とも自分の職業に忠実なだけだ。戦争は巨大なビジネスチャンスなのだ。ベトナム戦争の戦費は2200億ドル以上。レートの問題が有るが、今で云えば50兆円は下るまい。ぶっこわれたヘリコが5千機以上。ヘリコの会社は笑いが止まらん。投下した爆弾が6.7メガトン。化学会社も儲かった。新たに造った工場の稼働率を上げる為には、次から次へと仕事が必要だ。つまりは無限に戦争が必要なのだ。冷戦による緊張は全世界に巨大な兵器需要を生んだ。しかし、ソ連が崩壊した後、需要は落ちてきている。湾岸戦争も100年続けば良かったのだが、あっと云う間に終わってしまった。次は東アジアだ。緊張を煽り、南北朝鮮、日本に兵器を売り込めっ!これはセールスマンの常識だ。誰が兵器のセールスマンか。それは大統領だよ。映画を観ていないのか?合衆国が民主主義の国だなんて嘘も百年くり返すと本人まで信じる始末さ」
- ナウシカ
- 「まだ殺し足りないと云うのですか!?ベトナム戦争ではアジア人だけでも200万人が殺されています。20世紀では1億人もの人間が殺されているんです。軍人と軍需産業が生き残る為に、これからも無数の死が必要だと云うのですか?不信と恐怖故に兵器を買い求め、それらが野心を煽って戦争を引き起こす。そう云った愚行を、世界が滅びる迄続けようと云うのですか?自分の国が燃えなければ、殺された人々の痛みが分からないと云うのですか?それは既に人間では有りません。人間は死ぬ為に生きるのではなく、子々孫々により良き物を伝える為、より良き事を成し遂げる為に生きる物なのです。山と積まれた水爆の残骸、壊れた戦車。そんな物を未来の人間に、人類の誇りとして見せる事が出来ますか?20世紀の人間が膨大なエネルギーを使って成し遂げ、得たのは、ほんの少しの平和ですら無かったと云う事を恥と思うべきでしょう。武器を捨てなさい。戦うなら素手でやりなさい。話し合う事を恐れないでっ!」
- ナムリス
- 「平和とは何だ?戦争しない事が平和か?お互いに相手のこめかみにピストルを突き付けながらも引き金を引かなければ、それが平和か?それは冷戦と云うのだ。人間はお互いに殺し合う事を運命付けられた種族なのだ。人間の持つ過剰な繁殖力の結果は今人間が直面している環境破壊ではないか。その安全弁は人間同士の殺戮であり、結果は個体数調整なのだ。オーストリアの動物行動学者コンラート・ローレンツはその著書の中で語っている。怒りから同族を殺すのは犬と人間だけだ、と。戦争と殺戮は人間の本性であり、軍需産業を必要としているのは他ならぬ人間その物なのだ。戦争と殺戮を愚行と呼ぶのは勝手だ。しかし、人間の歴史を顧みる時、その愚行とやらのリストで歴史の図書館は一杯だ。何故だ。愚行こそが人間の本性だと悟れば、その疑問が氷解するだろう。殺戮は自然発生ではなく、実行される事なのだ。何故、拒否せずに実行するのか?殺される人間の恐怖や苦痛と同じだけ、殺す側の優越感と安堵感が存在するからだ。殺し足りないのか、だと?人間の存在する限り殺戮は存在する。人間の誇り?そんな物が有るとすれば、死体の山だけだ。そうとも、とうの昔から俺達はこの星では要らなくなった生物なのさ。人間は地球の癌だと?我が名にふさわしいではないか」
- ナウシカ
- 「何て、惨めで哀れな生き物なの。世界はこんなに美しいと云うのに、惨たらしい殻の中に閉じ込もって、その中だけが世界だとでも云うの?世界を悲惨に語る事だけが現実主義だとでも云うの?殺戮と戦争だけを語り、生きている人間や生きようとしている人間の事を語ろうとはしない。世界を決め付ける癖に、世界を動かそうとはしない。それはあなたの弱さの表れ。現実主義と云う言い訳で、自らが決め付けた世界に土下座している。世界は固定した物では無いし、未来は可能性に満ちているわ。未来の姿を決めるのはわたし達の心。今、生きているわたし達の心。それに気付かないあなたは虚無の奴隷だと思う」
- 司会
- 「お二人のご意見を聞いておりますと、結局は人間をどう観るのかと云う命題に行き着く様に思います。つまり、性善説と性悪説ですね。人間は本来善き物であり、それが劣悪な環境によって汚染され、悪くなってしまうと云うのが性善説とすれば、性悪説は、人間とは本来悪しき物であり、教育しなければ先天的な悪いままになってしまうと云う物でしょう。後者を歪曲したのが韓非子らであり、人間は悪しき物だから刑罰でビシバシ縛り付けなければならないと云う事になったワケですね。それが富国強兵策と合体する事によって、法術論(国民は法律で縛り、家臣はテクニックで操縦しろ)が生まれ、始皇帝の超大国『秦(しん)』が誕生したって事です。で、法術は世界各国の王朝の基盤となり、王朝は代わってもやっている事は2500年前と同じと云う有り様なワケです。ナムリスさんのご意見は、正に国家と権力と云う観点に立脚した物であったと思います。一方、ナウシカさんのご意見は冷徹非情なパワーゲーム(権力闘争)の生み出す殺伐とした精神世界とは別の観点から為された物だと思います。そう、例えて云えば、戦場に咲く一輪の華。闇の中にまたたく一条の光。愛、勇気、希望…。それは人間を戦争の道具として一山幾らで計るのではなく、一人一人を掛け替えの無い物として慈(いつく)しむ事から始まるのでしょう。それは宗教と云えるでしょう。戦いで疲れきった人々に救済をもたらす事が出来るでしょう。それがナウシカさんだと思います。ナムリスさんのおっしゃられる事は力と云う観点から世界を的確に描写しているでしょう。しかし、力は大きな犠牲を人々に強いているのも事実だと思います。それを癒すのがナウシカさんの役目となっているのかも知れません。原作ナウシカの終盤に於いてナウシカさんがナウシカさんらしくないと云う批判が出たのは、ひょっとするとナウシカさんがナムリスさんと同じ土俵に登ってしまったのが一因かも知れませんね」
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著者:
佐藤クラリス/
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