「ナウシカは終わらない」
− 「思考実験」で追う原作ナウシカの実像 −
by 佐藤クラリス (PC-VAN宮崎駿ネットワーカーFC)
2000年10月05日アップデート → メールアドレス変更
このページは、PC-VAN宮崎駿ネットワーカーFCの佐藤クラリスさんが、そこで掲載した作品 ナウシカは終わらない の全文を掲載しています。なお、無断転載等は厳禁です。(編集者)
仮定1:ナウシカは科学を否定し人類を滅ぼした。
ナウシカとは「木々を愛で、蟲と語り、風をまねく鳥の人」であって、墓所に於ける殆ど「暴力主義的破壊主義」の虜の様なナウシカは本当のナウシカでは無いのではないか?と云う指摘が有りますが、それにはワケが有ったと思います。
一つはナウシカが「新生ナウシカ」であったと云う事です。「新生ナウシカ」とは何か?かつて、粘菌と合流すべく王蟲の群れは死ぬ為に走りました。ナウシカは自分も同じくなりたいと願いました。しかし、その望みは叶えられずナウシカは王蟲達の死の意味を双肩に担ったまま死の縁を彷徨い、森の人セルムによって青き清浄の地が実在する事を知り、やっと人間の世界に戻る事が出来たのでした。これが「新生ナウシカ」です。彼女は生まれ変わったのです。王蟲の心=博愛を現実の物とし、大海嘯によって生み出されたとてつもない苦しみ、王蟲達や人間の苦しみをこれ以上繰り返さない為に、諸悪の根源たる墓所の完全破壊を決心したのです。彼女は以前の弱さを捨て、心を鬼にして、目的達成の為に働きます。チヤルカの処刑場を襲撃した(第6巻)際の「生首蹴飛ばしナウシカ」からして既に昔のナウシカでは有りません。
さて、ナウシカが破壊した墓所とは何だったのか?それは科学です。科学とは何か?それは人間の欲望を実体化する為の技です。綺麗な言い方をすれば「夢をかたちに」って奴ですね。欲望に限りは有りません。古人の言葉に「人間の欲には限りが無い。人間の寿命には限りがある。或いはそれが欲望の限りか?」と云う物が有ります。無数の人間が無数の欲望を幾何級数的にエスカレートさせ、科学の力によってそれを具現化する。その結果はゴミと毒と病人の山です。アニメージュ85年12月号に「天空の城ラピュタ」の紹介が載っていますが、その中に「科学がまだ人を不幸にするとは決まっていない頃、そこではまだ世界の主人公は人間だった」と云う様な文章が有ります。40年前の核融合爆弾の発明や第2次世界大戦での核分裂爆弾の使用、第1次世界大戦での化学兵器の使用よりももっと昔、ノーベルがダイナマイトを発明した頃から、科学の発達が人間を不幸にすると分かっていたのです。その辺で科学の進歩を止めておけば、人類の苦しみは遥かに少なくて済んだかも知れません。しかし、現実はそれとは逆に科学の加速的発達によって、世界を辛い物に変えてしまったのです。例えば昔から殺戮は有りましたが、一人の人間が腕力と簡単な道具で殺せる人間の数はせいぜい100人でしょう。しかし、「偉大な科学の力」を使えば、一人が、しかもたった1本の指を使い30分で10億人を殺す事が可能です。両者を同じ言葉で云って良いのかどうか疑問な程、愚行は酷くなってしまっています。
何故か?何故人間は抑える事が出来なかったのか?「知識とは麻薬である。知れば知るほど知りたくなる」と云う様な言葉も有る様に、科学と云う道具を手にした欲望は暴走を開始したのです。かつて、人間は科学と云う道具を使っていました。あたかも麻薬の魅力に取り付かれ始めた人間の様に夢中になって。しかし、今や主客転倒。人間は科学の奴隷です。「オレが居なかったら、お前は生きてゆけまい」と脅されながら、身も心も煩悩の髄までも科学に汚染され、じわじわと病化され、生きながら殺されているのです。
その麻薬から人類を解放する者が現れました。それはナウシカです。ナウシカは黒い巨塔=墓所=科学を重大な決意によって破壊しました。人類はもはやその麻薬を手にする事が出来なくなりました。科学が失われた事により、多くの便利さや利益も消滅する事でしょう。しかし、ナウシカはそれを敢えてやったのです。科学と云う麻薬の恐ろしさが、逆にそれで証明されたと云えるでしょう。確かに、墓所を破壊するシーンのナウシカはナウシカらしくないでしょう。それは、ナウシカにそこ迄思い詰めさせ、追い込んだ理由が墓所に存在していたのだと云う事です。つまり、科学=悪なのだと云う事です。
では、破綻しつつある現在の世界で科学が無くなれば人間は幸せになれるのか?それは保証出来ません。科学が無くなる事で唯一保証出来るのは、人類が種としてちょっとは生き延びれると云う事です。但し、科学の力で生きながらえてきた大多数の人間はその恩恵に与る事が出来ません。つまり、現在の地球人口の大半は死ぬ事になります。そして、科学を捨て無くともやがて地球人口の大半が死ぬ事もまた明らかです。人口爆発による食糧危機とそれに起因する地域戦争、重化学工業による汚染物質の放出、原子力発電による放射性廃棄物の放出。世界は飢餓と疫病に覆われ、戦争は頻発し、兵器は高度化し、核兵器、生物兵器、化学兵器が使用される事になるでしょう。「火の7日間」が現実化するワケです。極端な云い方をすれば、人類の叡智なる物が兵器開発しか出来ない事をさらけ出し、世界を支配するのが恐怖と野心だけだと云う事を歴史(<−焼け残っていれば)に刻する事になるでしょう。そうなってからでは遅過ぎるのです。ナウシカは追いつめられて科学を破壊しましたが、我々にはまだ時間が有ります。少なくとも科学を凍結し、重化学工業を縮小し、兵器産業を解体し、原子炉を封印しなければならないでしょう。不便さと苦痛が伴います。しかし、今やらなければ、将来はもっと辛くなる事を理解する必要が有ります。
問題はそれからです。小手先の対策ではなく、人間の考え方を根本的に変えない限り、つまり風の谷の生き方をしない限り、愚行は何度も繰り返され最後は滅亡してしまうだろうと云う事です。あの「2001年宇宙の旅」の続編である、「2010年」のエンディングに次の様な台詞が有ります。
「人間は宇宙の一部を借りているに過ぎず、この宇宙をみんなで懸命に守らない限り、 やがてそこを追い出されてしまうだろう、と」
追い出されてしまうとは、つまり人類の滅亡と云う事ですね。「火の7日間」以前の世界では、人類は命さえ自由に操れる存在だったのです。しかも、地球を浄化すると云う傲慢な考えにより、世界を滅ぼしさえしたのです。正に「俺は神だ。文句が有るか」のやりたい放題と云う所です。その、恐ろしい迄に肥大した傲慢さを捨てる事が、ナウシカ云う所の「全てをこの星に託して生きて行く」の意味だと思います。存亡を含む人類の運命を決定するのは地球であり、人類では無いと云う事です。つまり、植物人間から生命維持装置を取り外すと云う事ですね。植物人間とは滅びるかも知れないナウシカ世界の黄昏の人類であり、生命維持装置とは旧世界の奇跡の技、つまり科学技術となります。
更に、連載54回でナウシカは語っています。
「わたしは何の為に(墓所に行くのか?)…。ひょっとすると人間を滅ぼしに行くのかも知れない。だとしても(行かなきゃ)…」(括弧内はわたしの補足)
連載56回でナウシカは語っています。
「貴方(セルム)が案内してくれた腐海の尽きる所。世界は甦ろうとしていました。たとえ私達の肉体がその清浄さに耐えられ無くとも、次の瞬間に肺が血を噴き出したとしても、鳥達が渡ってくる様に全てをこの星に託すべきだと…。あの黒い墓所はおそらく(高度産業文明の)再建の核として遺された物です。わたしはそれを破壊し闇に帰します」(括弧内はわたしの補足)
何故、墓所を破壊し闇に帰すのか?それは旧世界の奇跡の技(高度科学技術)を封じる為です。それが存在し、生き残っている限り、旧世界の過ちは何度でも再現され愚行は果てしなく続く事になるでしょう。しかし、高度科学技術は、旧世界の人間に取って一体不可分の物であり、更に、浄化した世界に人間を適応させる技でもあるので、それを破壊する事は、或いは人類の滅亡を意味するのかも知れない。ナウシカはそれをはっきりと意識しながらも、破壊したのです。
墓所の主「お前は悪魔として記憶される事になるぞ。希望の光を破壊した張本人として!!」
ナウシカ「構わぬっ!そなたが光なら光など要らぬ」(連載59回)
人間が滅びても構わない。人間はひたすら生きるだけ。生き残れるかはどうかは地球の決める事。ナウシカは人間の生き残れる可能性をちょっとだけ高めただけ。高度科学技術を破壊する事によって。人類の滅亡を容認するナウシカ。墓所を破壊する事によって、それは実現しました。もし、将来、人類が愚行の果てに滅亡する事が有ったなら、そのきっかけを造ったのは結果的にナウシカだと云う事になるかも知れません。そうなると「ナウシカは人類を滅ぼした」とさえ云えるでしょう。
仮定2:墓所を創った人間は旧世界の人間を皆殺しにしようとした。
環境問題の本質は「地球を救う」のでは無く、「人間の棲み易い環境を守ろう」と云う事であり、この目的のすり替えの動機は「行動の美化」と、わたしは理解しています。しかし、人間って奴は先住生物の生活環境を破壊して、自分専用のコロニーを創る事に意義を感じている「ガロン」(手塚治虫作品)の如き存在なので、この惑星では既に「癌」と定義されている様です。正に、「とうの昔から俺達はこの星では要らなくなった生物なのさ」(ナムリス,第6巻)
地球の癌化が進み、有毒物質が放出され、地球以前に癌その物が死滅しそうになっている。癌の立場としては自分の「業(ごう)」は譲れないとしても、何とか延命出来ないだろうかと云うのが今日の「環境問題」だと思います。ですから「癌の、癌による、癌の為の環境問題」と云う事ですね。
癌の行くべき道としては、宇宙に転移するか、それとも制癌剤を使って地球内で規模を縮小すると云う事になるでしょう。この制癌剤には階層化による制御が最も適しているでしょう。つまり、選別ですね。遺伝的或いは機能的に優れた少数の株を優先的に遺し、劣等な大多数の株は、優秀な株の餌にする。そう、文字通りの食糧にすると云う事です。(宮崎駿「シュナの旅」参照)今まで癌細胞は地球を喰らっていましたが、その消費者を供給者に転換する。癌が癌を喰らう。これがポイントです。これによって癌細胞は急激に縮小し、それに伴い、有害物質の放出も激減、環境は急速に回復して優秀な癌細胞にとって棲み易いものとなるでしょう。癌細胞の縮小目標としては現在の1/100程度が望ましいと思います。しかし、制御不能になって滅亡するかも知れません。所謂「薬が効き過ぎた」と云う奴ですね。でも、地球はそれを惜しむ事はしないでしょう。かつて恐竜が滅びた様に、今、もう一つの種が滅びた。それだけの事です。全ては闇へ帰ったのです。
「火の7日間」直前の世界と云うのは、癌細胞の階層化及び食糧化に失敗して制御不能となり、自称優越癌細胞が地球もろとも自爆したとも考えられます。こっちの方が地球に対する害が大きく、許し難い事です。
かわぐちかいじ「沈黙の艦隊」によれば、独立国「やまと」は国連に全ての軍事力を集中させる事を提唱しています。所謂「政軍分離」です。これが実現すると、世界は武装解除され、名実共に国連が世界の支配者となるでしょう。国連が「政軍分離」の次のテーマを「人口爆発及び環境破壊対策」としたらどうでしょう。そして、世界人口定員制を持ち出したら…。国連の主導権を握る欧米列強が国連の旗の下、世界の管理人として君臨し、その他の国々は国連の軍事力に脅かされて、軒並み強制収容所化されたとしたら…。人類のサバイバルを掲げる管理派と、余剰人員扱いで食糧化目前の被管理派との戦いは激烈を極めるでしょう。何と云っても、後者は地獄以外に行き場が無いのですから。或いはそれが「火の7日間」なのかなと思います。
わたしは、墓所を建造し「火の7日間」を引き起こした連中は考えられる限り最も傲慢かつ卑劣な人間と定義していますので、彼らの行った事は、極めて緻密かつ理性的な計画の下に実施された彼らの環境汚染に対する「最終的解決」、即ち「汚染源である人類の完璧なる絶滅」と「自分達はタイムカプセルで未来へ逃避」だと思います。つまり、神とノアの二役をこなした自作自演の「ノアの方舟」ってワケです。
墓所を創った連中がそれ程極悪でなければ、生き残った人間にチャンスを与える為に「環境適応処理」(汚染された環境で生きられる様に身体を改造する事,連載54回)を行ったのでは?と云う意見も有ります。で、世界が浄化した時には「環境適応処理」の影響で生きれなくなるから、墓所の技を使って再度人類を改造するはすだったと。しかし、たとえそうだとしても、墓所を創った連中には、環境を破壊し尽くした元凶が科学と云うか人間その物であると云う認識は無いのではないでしょうか?単にゲームが負け(人間の文明が破綻)そうになったので「リセットボタンを押した」と云うだけで、何でゲームに負けそうになったかとか、何でゲームをやっているのかなんて事は考えていないと思います。負けそうになったら何度でもリセットボタンを押すでしょう。ナウシカが問題としているのは、ゲームの存在と在り方その物なのですね。墓所を破壊したナウシカはつまり「リセットボタンを押さずに電源を切った」(^_^;)ああ、メモリー(科学文明)が…。
わたしの視点から描く墓所の目的はもっと醜悪かつ極悪で「たどり着いたらそこはアウシュビッツだった」計画だったと云う事です。「環境適応処理」は「トロイの木馬」なワケで、腐海の目的が達せられ世界が浄化されたら、そこで人間は生きて行けない。ざまあみろというワケです。地獄の「火の7日間」を生き延び、破壊し尽くされた世界を無数の業苦の中でやっとの事で生き延び、世界が清浄になったらマスク無しで生活出来ると、それだけを生き甲斐にひたすらはいつくばって生きてきたのに、その終点で待っていたのが「確実な死」だったとは。ひどい…、余りにひど過ぎる。そして、全てを計画したのは墓所を創った連中だったのです。更に彼らは云う。「我々の奇跡の技を使えば身体を改造し、浄化した世界で生きる事が可能だ。我に従え」正に、悪魔の計画と云えるでしょう。かつて、パレスチナに建設するユダヤの国(計画は実際有ったそうですが…)に輸送するとして、多くのユダヤ人が「死の行軍」を強制され、やっとの事でたどり着いたらそこは人間の「最終処理場」だったと云う歴史が有りますが、それも計算し尽くされた物でした。「死の行軍」で生き延びた者こそ遺伝的に優れた者であって、それらこそ生かす事は出来ないと云う論理です。目的は全員の死だったのです。墓所を創った連中も旧世界の人間の生き残りに配慮していたワケでは無く、初めから全員殺す積もりだったと思います。で、万一生き残った奴が居ても「環境適応処理」を盾に奴隷化する事が可能だと。
宮崎監督の考えはともかく、読者は作者の予想外の反応や感想を持つのが常なので(^_^) 、わたしは「ナウシカ=科学の破壊者」と云う感想を持ちました。そして、「風の谷のナウシカ」とは次の様な作品であると総括しました。
最終戦争後千年過ぎた世界に生まれた一人の少女。彼女は自分を取り巻く腐海と蟲達を愛した。そして、ついに腐海の生まれたワケを知った。トルメキア戦役を通じて、バイオテクノロジー及び科学が如何に戦争を引き起こし、世界の人々や蟲達を苦しめているかを知った。彼女はナウシカ世界を造った原因である巨神兵の生き残りを引き連れ、諸悪の根源=墓所を攻撃、これを完全破壊した。科学は滅び、更に千年後人類は森の人となり、浄化した世界でマスクを付けながら食べる為に生きている。それが幸せかどうかは別として、生き残ったほんの僅かの彼らは疫病と組織的戦争から解放されたそうだ。(遺伝的優越種しか残らなかったので…)
★付録1.「光と闇」と「ヤダモン」と。
ゾロアスター教の経典Zend−Avestaによればこの世は善神と悪神との戦いの場で、最後には善神が勝つんだそうです。所謂二元論って奴ですね。最高神にして善の神の名はオーマズド(Ormazd=Ahra Mazda=光の神)、悪の化身の名はアーリマン(Ahriman=悪い魂)オーマズドはオーマを連想しますね。光の癖に闇の味方をするなんて…なんて奴だ。(^_^)
さて、闇有ってこその光。生がはかない物であるからこそ、輝けるのだ。ガラスは割れるからこそ、美しいのだ。…とまァ、闇の方に肩入れした宮崎監督は二元論の最終戦争を闇(ナウシカ側)の勝利で決着させ、世界は「対決」から「共生」の時代へ。つまりはカオス(渾沌)へとなだれこむ事になったのでした。では、ナウシカは何故墓所の主と戦ったか?それは運命なのです。二元論の世界を飾る光(墓所の主)と闇(ナウシカ)の最終決戦だったのですから、話し合いの余地は微塵も無かったのです。
NHK「ヤダモン」再放送の最終回「瞳の中の地球」を観ましたが、結構凄い内容だった様な気がします。光と闇を逆にして、ナウシカをヤダモン、墓所の主をキラにすると、結構納得してしまったりして。(^_^)
妖精の滅びを容認する女王と、闇に進化する事によって生き延びる事を主張するキラ。キラはヤダモンに対して自分の主張を支持させようとするが失敗、両者は光と闇の戦いを演じる事になる。明確な論旨によって迫るキラ。しかしヤダモンは「やだもんっ!」と云う一言で蹴散らしてしまう。これは結構痛快ですね。(^_^) キラの方は受け入れられないと悟ると「嫌いだ」と云う事で一気に地球の消滅を図る。月を地球にぶつけようとするが、タイモン王子とヤダモンによって阻止される。ヤダモンのペンダントの光で形状崩壊したかに見えたキラだが、逆襲に走り、ついに自分自身を消滅させる事によるダークパワー?の解放(核融合か?)で地球を爆発消滅させる。ヤダモンは全生物を宇宙空間に退避させ、自らを消滅させる事により地球の再生を図る。
地球の一日は何事も無かったかの様に始まる。しかし、ジャンの心にはヤダモンの記憶が残ったのだった。
(一部思い込みで書いていますので、事実と違うかも知れません)(^_^;)
「命は闇の中に瞬く光だ」消える事の無い光など有り得ない。生命を意のままに操り、不死の生物を創り出し、一方では億万の人間を殺戮して止まない。ナウシカの叫ぶ「否!」とは、つまりは「そんなのやだもんっ!」って事。墓所の主の反応はキラと同じで、相手が受け入れないとなると次は相手の抹殺に掛かる。「わたしは神にも等しい輝ける人類を永劫未来へ伝えようとしているのだ。それを踏みにじろうとは悪魔の仕業。嫌いだっ!闇の子達は消滅してしまえっ!」しかし、パワーバランスはナウシカ側に大きく傾いていたワケで、「光と闇」と云う二元論的世界の最後を飾る戦いは、あっけなくも闇の勝利となったのだった。うーむ、ヤダモン的な終わり方からするとナウシカは墓所と共に消滅すべきだったのでしょう。しかし、ナウシカは生き残った。いや生きる必要があったのです。それは人類の未来を滅ぼしてしまったと云う業罪を償う為かも知れません。不死の技が失われてしまった現在、人類は生きようと必死に努力しなければすぐに滅びてしまうのだと云う、緊迫した状況なのです。「生きねば…」正に重くのし掛かった言葉です。
★付録2.「ナウシカ」に対する疑問
粘菌と大海嘯の最後が余りにもあっけなくて、わたしは実に不満です。粘菌が合体したら、球状化して破裂、無数の胞子を出して世界は滅びるみたいな事を提示(第5巻64ページ)しておきながら、結局は王蟲の群れになだめられて泰山鳴動ネズミ一匹の有り様。「遠い南の森が救いを求めている」(127ページ)なんて云う伏線を第1巻に張っておきながら、その結末がこれじゃあ、あんまりじゃござんせんか。ここは一度粘菌が破裂して欲しかったと思います。合体して臨界に達した粘菌は核分裂じゃなかった胞子を噴き出します。火山弾か雹(ひょう)の様に降り注ぐ粘菌の胞子。これで50Km四方は粘菌化する。確かに生きた水爆だ。で、放って置くと再び憎悪をみなぎらせて2次分裂を始めてしまう。正に世界滅亡の危機。そこに現れた大海嘯。王蟲達は粘菌に喰われる事で一体化し、粘菌は大人しく緑の腐海と化して行く。ナウシカは為す術も無く王蟲と行動を共にするだけ。…こう云う緊迫した展開が欲しかったと思います。
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著者:
佐藤クラリス/
nausicaa@msa.biglobe.ne.jp
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