解説・内面小説「エフタルの黄昏」

by 佐藤クラリス (PC-VAN宮崎駿ネットワーカーFC)

 2000年10月05日アップデート → メールアドレス変更
 このページは、 内面小説「エフタルの黄昏」 についての著者による解説です。PC-VAN上のフォーラムの内容を再構成したものであるため、当時のPC-VAN宮崎駿ネットワーカーFCに参加していない方には分かりにくい書き方かと思いますが、当時の雰囲気を尊重するために、無変更で掲載します。なお、無断転載等は厳禁です。(編集者)

◆解説:内面小説「エフタルの黄昏」第1回by佐藤
 今までの自分のやり方を振り返ってみると、ストーリー中心で、登場人物の心理とか思想が余り出て来なかったのではないかと反省しました。しかし、ポイントは心理とか思想なのであり、もっと内側に食い込んだ書き方が必要なのではないかと思った訳です。よって、登場人物を絞り、お互いに己の思うところを議論させる事が、「ナウシカ」の主題を再構築させる事になるのではないかと思いました。これが、内面小説「エフタルの黄昏」の誕生の経緯です。舞台が大海嘯寸前の「ナウシカ」の時代ではなく、300年前のエフタルの最後の時となったのは、以下の理由によります。

@大海嘯寸前の「ナウシカ」は「ご本家」がこれから出て来る。
A緊張感は大海嘯寸前の「ナウシカ」の時代と同様である。
B事実関係が少なく、創作がしやすい。

 眠夢さんとの関係は「無関係」と言うことです。
 私は「内側」を中心に書く積もりで、どっちも面白かったと言うのが理想です。ただ、私の書いた「ナウシカ」の主題が、側面から支援することになれば幸いです。


◆解説:内面小説「エフタルの黄昏」第2回by佐藤
 眠夢さん、RES有難うございました。今回はいわゆる「独裁者の主張」を取り上げてみました。
 「いくら法律を厳しくしても、いくら処刑しても、尽きないのは、人間の本性が悪だからではないか。」
 この様な考え方は、「韓非子」を終点とする中国戦国時代の「法家」の中心思想ですね。それ以下の「力」の思想も別段特殊なものではなく、いわゆる「強権政治」のサンプルと言えます。ターキン総督やベーダー卿、皇帝を思い浮かべた方もおられるのでは。恐ろしいのは、そういった人間が、強力な兵器を持った場合です。ラピュタのムスカ大佐を例に引くまでもなく、武器を持たなければ一見フツーの人間なのが、「イカヅチ」を手にすると髪振り乱して阿修羅の様になるのは、力が、人間の奥のおぞましきものに火を付けるからでしょう。
 恐いですねー。私の心の中にも、そしてひょっとすると貴方の中にも、有るんですねー。いやですねー。これじゃあ、戦争はなくなりませんねー。

 所で、眠夢さんから
 「青王女だけがなぜ腐海との共存とでもいった思想を身につけているのか、」とのご質問がありましたが、実は、
 青皇女=王蟲=青い衣の天使
なのです。
 それは、第一回でバレてしまいましたが、彼女の役目は、人間達が戦いを止め、自然と共に生きるよう導くことです。
 第一回で殺されたはずなのに、なぜ第二回で生きているのだと言うご意見もあるでしょうが、それは、他の王蟲なのです。王蟲は「個にして全、全にして個、時空を超えて心を伝えゆくのだから」


◆解説:内面小説「エフタルの黄昏」第3回by佐藤
 今回のテーマは一応「自壊する組織」としました。
 圧倒的な脅威の前に、一枚板であった組織は自ら崩壊して行きます。そこには、良くも悪くも、人間の「生きる事」に対する強い執着を感じます。ここに出てきた、巧皇子、大臣、将軍は烈皇子が『水爆』を持つ前までは、きっと烈皇子の様に、猛々しい野心で眼をギラ付かせていたに違い有りません。ところが、彼らは『水爆』の脅威の前に、単なる「弱い人間」になってしまいました。自分の命と立場のみを考える、「弱い人間」に。
 そこには、世界制覇の「せ」の字さえも見あたりません。自分達を守るために、巧皇子は青皇女を殺そうとします。自分達を守るために、大臣と将軍は巧皇子を殺します。それは、罪悪でしょう、卑怯でさえ有るのです。しかし、誰が、その環境の中で彼らを責める事が出来るでしょうか。生きたい、死にたくないと言う、叫びこそ人間の種としての本能ではないでしょうか。
 それ故、王蟲は正体を見せても、彼らを殺そうとはしないと思います。王蟲は殺りくを好みませんし、彼らが、自然と共生出来るので有れば自ずと助かるであろうと考えているのかも知れません。王蟲は大自然の意志が具現化した様な心を持っています。それは、人間の狭苦しい価値観を超越したものです。それは、人間にとってあるいは恐ろしく、あるいは、優しくさえ感じられるものなのです。


◆解説:内面小説「エフタルの黄昏」第4回by佐藤
 今回はかなり絶叫調になってしまいましたが、テーマは「民衆の叫び」とでも言ったものです。大海嘯に呑まれたのは、町や村だけではなく、そこに住んでいた人々もそうなのです。彼らは、叫び、怒り、そして死んで行きます。彼らにとって、大海嘯はどんな意味があるのでしょう。
 「一体、俺達が何をした?」
 この言葉の意味するところは、考えれば考えるほど重い。青皇女は思い悩むことになります。さあ、次回はいよいよ最終回
 内面小説「エフタルの黄昏」第5回は
 青皇女が年老いた王蟲と対話することになります。乞う、ご期待


◆あとがき:内面小説「エフタルの黄昏」 by佐藤
 5回にわたって掲載致しました内面小説「エフタルの黄昏」は各回毎に以下のような副題とテーマが設定されております。

     番号    副題        テーマ

第1回 #739 哀王の最後     「エフタルの黄昏」
第2回 #750 烈皇子       「独裁者の主張」
第3回 #762 巧皇子とその部下  「自壊する組織」
第4回 #774 流浪の民      「民衆の叫び」 
第5回 #785 年老いた王蟲    「人と蟲と森と」

 この小説の主旨はエフタル王国の滅亡を通して主な人々の心理とその思想を描写し、更に、「青い服を着た人」の運命を通してナウシカの主題を浮かびあがらせようと言うところにあります。形式としては、「ナウシカ」のテーマと固有名詞を基礎にした「討論小説」と言う事が出来ます。
 具体的には、青皇女(=王蟲=青い衣の天使)が様々な登場人物と会話したり、議論したり、あるいは怒鳴ったりして、互いの考え方を明らかにし、読者に対して訴える訳です。その為、状況描写は極力避け、又登場人物も出来るだけ少なくして、論点が明らかになる様にしました。早い話が、少人数でやる芝居みたいなものです。
結果的に、大海嘯の描写とか、烈皇子の最後とかが間接的に述べられているだけと言う事になりました。

 又、第4回での人々が助かったのか、それともそうでないのかは、全く述べていません。これは『手抜き』と言うよりは、『どうなったと思いますか。想像してみて下さい』と言う様な『遊び』の意図です。この様な部分はいくつか有りますが、一応、手掛りとなる言葉は入れて置いたと思います。

 総括的な機能は第5回が持っています。

 又、度々登場した、青皇女の変身は、いわゆるメタモルフォーゼ、或は、トランスフォームと言われる、いもむしが蝶になる例の、変態と考えて頂けば良いでしょう。それによって神話的な雰囲気が出れば、幸いと言うものです。

 最後に、掲載中ご意見を頂いたSIG内外の方々に厚くお礼を申し上げます。

EHF41721 佐藤


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