☆★☆ 高田馬場界隈の史跡めぐり ☆★☆ (2010/01/10)


史跡巡りに参加して、地元である高田馬場界隈12か所の神社・寺院をお参りして来ました。
ただし、お賽銭を払わなかったので、ご利益はないかも。(-_-;)


行程は、(JR新大久保駅前)→皆中神社→(高田馬場方面へ)→玄国寺→諏訪神社→(西早稲田方面へ)→源兵衛地蔵→高田馬場跡標識→水稲荷神社→甘泉園公園→亮朝院→面影橋→(豊島区高田方面へ)→「山吹の里」の碑→氷川神社→南蔵院→金乗院→解散(高田馬場駅方面へ)




▼皆中神社(新宿区百人町)

新大久保駅前は混雑するので、皆中神社の小さな境内が、史跡めぐりの会の集合場所となりました。

江戸時代に、鉄砲組与力が射撃の研究に思い悩んでいたところ、稲荷様が夢枕に立って霊符を示されたので、
稲荷神社にお参りをして射撃を試みたら百発百中で、「皆中(みなあたる)の稲荷」と称えられ、
皆中稲荷神社と呼ばれるようになったといわれています。

現在は、よく当たるということで、「ギャンブルの神様」としても親しまれています。(私は当たったことがありません)
また、2年に1度の例大祭には鉄砲組百人隊行列が行われます。

 



▼玄国寺(新宿区高田馬場)

玄国寺は諏訪神社の別当寺ですが、今回は隣にある墓地だけ見学しました。
墓地には、江戸時代に奉納された四基の庚申塔や田植地蔵とよばれる石の地蔵尊などが安置されています。

 



▼諏訪神社(新宿区高田馬場)

昭和55年(1980)に落成した荘厳な諏訪神社の新社殿。
この地に最初に社殿を建てたのは、源頼朝と伝えられています。





▼源兵衛地蔵(新宿区西早稲田)

元禄の末頃、この地にやってきた小泉源べ兵衛が荒地を開墾し、この周辺は源兵衛村と呼ばれるようになりました。
源兵衛の功績を記念して亨保十一年(1726年)に、村の有志者が源兵衛地蔵を安置しました。
このお地蔵様は、「願いがかなうお地蔵様」として地域の人からかなり大切にされています。





▼高田馬場跡標識(新宿区西早稲田)

高田馬場は、三代将軍徳川家光の時に、旗本たちの馬術や弓の訓練所があったのが由来です。
早稲田通り西早稲田交差点角にある寿司屋さんの壁面に、高田馬場跡のプレートが立っています。

 



▼水稲荷神社(新宿区西早稲田)

水稲荷神社は、昭和38年(1963)に、早稲田大学との土地交換により、現在の場所に移転してきました。

元禄十五年(1702)に境内の大椋から水が湧き、この水で眼を洗ったところ、
眼病がたちまち治ったとされ、江戸市中で大評判となったそうです。

裏手には、戸塚の町名の起源になった富塚古墳があります。

 



▼甘泉園公園(新宿区西早稲田)

甘泉園の名前は、庭園の中央からの湧き水が、お茶に適していたことに由来します。
ここは、徳川御三卿のうちのひとつ清水家の下屋敷だった地で、
もとは、現在の水稲荷神社境内と甘泉園住宅までを含む広大な規模を誇っていました。





▼亮朝院(新宿区西早稲田)

亮朝院は、江戸時代は「赤門さん」として親しまれ、現在は、近隣の人たちから通称「赤門寺」と呼ばれています。
身延山久遠寺の末寺で、身延山七面山の七面明神(法華経の守護神)をまつる日蓮宗のお寺です。

石像の金剛力士像(仁王様)は迫力のあるすごい形相で、怒った時の朝青竜関に似ていました。

  

この仁王様は、怒った時の朝青竜関に生き写しでした。ほんと怖い・・・(>_<)
しかも、ガッツポーズもしてるんですよ。朝青竜の利き腕である左で。





▼面影橋(新宿区と豊島区の境界)

面影橋は、神田川にかかる橋の中でも昔から有名な橋で、
その名の由来には、於戸姫伝説をはじめいくつかの言い伝えがあるそうです。





▼「山吹の里」の碑(豊島区高田)

ここら一帯は、通称「山吹の里」と言われていますが、これは、太田道灌が鷹狩りで雨にあい、
農家の若い娘に蓑(みの)を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいます。





▼氷川神社(豊島区高田)

江戸時代の下高田村の鎮守で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)・大巳貴命(おおなむちのみこと)の3神を祀ってあります。

 



▼南蔵院(豊島区高田)

境内には、この近くで死んだ上野彰義隊の隊士9人を葬った首塚や、墓地には江戸時代の有名力士の墓があります。
また、落語家・初代三遊亭円朝(1839〜1900)の代表作の一つ「怪談 乳房榎」の舞台となった寺としても知られています。
ただし、本堂や墓地には入れないようです。





▼金乗院(豊島区高田)

金乗院(こんじょういん)は、真言宗豊山派の寺院で、山号は神霊山、江戸五色不動のひとつ、目白不動尊を祀っていることで知られています。
当寺院は、開基である僧・永順が本尊である聖観音菩薩を勧進して観音堂を作ったのが始まりであるとされています。

  



天候にも恵まれ、けっこう歩いたので、ミニハイキングのようでした。
たまには、歴史に触れる散歩もいいですね。

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