イースター(復活祭)が毎年異なるのは?
2007年の復活祭は4月8日ですが2006年は4月16日で2008年は3月23日
となっております(いずれも日曜日)。
このようにイースターの日付が毎年変わるのは何故でしょうか?
(1)復活祭は,キリスト教がイエス・キリストの十字架上の死と
復活により人間の罪が贖われ永遠の命にあずかる事ができる
と言うことが信仰の根底にある事から
初期キリスト教以来(2世紀頃)守られてきた最も古い儀式・祭
であると同時にキリスト教の儀式の中で最も重要なもの(儀式,祭)
であります。
初期キリスト教時代は、毎週キリストの死と復活の儀式を
行っていたようです。
即ち,金曜日にキリストの死をしのび,
日曜日にはキリストの復活を祝っておりました。
その後,キリスト教の布教の地域的広がりと共に,
儀式(祭)も様々なかたちをとるようになり又自然と年間の行事として
教会の行事に採り入れられるようになりました。
2)キリストの復活までの一週間(Holy Weekと言われます。)
を振りかえってみましょう。(主としてルカによる福音書を参照しました。)
ルカによる福音書 |
備考 |
曜日 |
時刻 |
名称(英語他) |
エルサレムに迎えられる |
ナツメヤシの枝を持って大勢の群集がイエスを迎える |
日曜日 |
Palm Sunday |
|
イエスを殺す計画 |
イスカリオテのユダ祭司長と謀る |
水曜日 |
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主の晩餐 |
パンとブドウ酒で弟子を祝福する |
木曜日 |
夜 |
Moundy(Holy) Thursday |
十字架につけられる |
金曜日 |
午後12時 |
Good Friday |
|
イエスの死 |
午後3時 |
|||
墓に葬られる |
安息日の直前 |
夕刻 |
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復活する |
週の初めの日 |
日曜日 |
早朝 |
Easter Sunday |
これらの出来事と季節などとの関連付けを調べてみましょう。
(3)ユダヤ教の暦・祭との関連
当然のことながら,当時のイスラエルはユダヤ暦でした。
ユダヤ暦は、明治以前の日本と同じく太陰・太陽暦を採用していましたが,
①一日は日没で始まり,日没で終わる
(例えば、安息日は金曜日の日没から土曜日の日没まで)。
②旧約聖書時代の月名は,第1月,第2月と数字で数えられていましたが、
バビロン捕囚(前6世紀)以降,バビロニヤ月名を使用するようになり
キリストの時代に至っております。
尚,第1月は,正月ですが,太陽暦では3月末から4月初めの季節にあたります。
聖書の出来事 |
曜日 |
ユダヤ暦の月日 |
ユダヤ教の祭 |
ユダヤ祭の説明 |
主の晩餐 |
木曜日 |
ニサン |
過越しの祭 |
モーゼによるユダや民族のエジプト脱出を祝う |
イエスの死 |
金曜日 |
15日 |
除酵祭 |
上記に関連,種無しパンを食べる(一週間) |
墓に葬られる |
金曜日夕刻 |
15日 |
安息日に入る |
|
土曜日 |
16日 |
安息日 |
||
復活する |
日曜日早朝 |
17日 |
(4)初期キリスト教時代は,復活祭やそれらに関連する行事をユダヤ暦,
即ち復活祭はニサンの月の17日としておりましたが,
キリスト教が地域的な広がりを持つに従い,復活祭の日取りが
地域や暦によりまちまちとなりました。
例えば,オリエントのキリスト信徒たちは,曜日にこだわらず
ユダヤ暦の正月15日にキリストが十字架にかけられ17日に復活祭を祝い
ゴール地方(現在のフランス)ではローマ暦(太陽暦)の3月27日を
復活祭と固定しておりました。
太陽暦を採用していたローマが支配していた大半の地域では,
太陰・太陽暦(旧暦)に基づくユダヤ暦での復活祭を太陽暦の月日に置換えて
復活祭を守っておりました。
その変換の方法は,
春分を過ぎた最初の満月のすぐ後の日曜日を復活祭
とするものでした。
こうした中、325年にニカイア(Nicaea 現在のトルコ)で開かれた
第1回キリスト教公会議でローマの方法が採択され、
春分は3月21日と決められました。
復活節の日にちが毎年変わるのは以上のような理由からです。
しかし,その範囲は3月22日から4月25日を超える事はありません。
満月とイースターとの関係を見てみましょう。
年暦 春分を過ぎた最初の満月 イースター
2007年 4月2日 4月8日
2008年 3月21日 3月23日
2009年 4月9日 4月12日
2010年以降のイースターは次の通りです;
2010年 4月4日
2011年 4月24日
2012年 4月8日