9月9日 「神を喜ぶ生活」 ローマの信徒への手紙5章6-11節
詩篇34編2-11節
富士見丘教会協力神学生 東京神学大学 佐野 純
ローマの信徒への手紙5章 「信仰によって義とされて」
6実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
7正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
8しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
9それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
11それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
詩篇34編
2どのようなときも、わたしは主をたたえ
わたしの口は絶えることなく讃美を歌う。
3わたしの魂は主を讃美する。
貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
4わたしと共に主をたたえよ。
ひとつになって御名をあがめよう。
5わたしは主に求め
主は答えてくださった。
脅かすものから常に救い出してくださった。
6主を仰ぎ見る人は光りと輝き
辱めに顔を伏せることはない。
7この貧しい人が呼び求める声を主は聞き
苦難から常に救ってくださった。
8主の使いはその周りに陣を敷き
主を畏れる人を守り助けてくださった。
9味わい、見よ、主の恵み深さを。
いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
10主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。
主を畏れる人には何も欠けることがない。
11若獅子は獲物がなくて飢えても
主に求める人には良いものの欠けることがない。
人々が生きる意味を探している現代において私たちにとっての信仰生活とは何なのかが問われている。それは一言で言えば神を喜ぶ生活である。神を喜ぶとはどういうことだろうか。ウエストミンスター小教理問答書でも人の主な目的は永久に神を喜ぶこととされている。神との和解をイエス・キリストが与えてくれたから私たちは喜ぶことができるのである。紙との和解を成り立たせたキリストの十字架の犠牲を理解すると神をたたえ喜ばずに入られない。
逆に、神を喜べないというのは神のあがないに私たちの救いのすべてを置いていないためである。少しでも自分の力やわざにたのみをおいていると神を喜ぶことはできない。
信仰生活とは自分を見つめる生活ではない。そうではなく主を見上げて歩む時、醜く弱い自分にもかかわらず主が不思議な力を与え、素晴らしい歩みをさせて下さる。私たちも主を見上げて歩んでいきたい。
BGMはBachの作品649番です。