9月28日  「私達のうちに刻まれているもの」 マルコによる福音書121317

「皇帝への税金」

 

13 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ党の人を数人イエスのところに遣わした。

14 彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、心理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。収めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」

15 イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ,わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」

16 彼らがそれを持って来ると、いえすは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、

17 イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。

主イエスは今朝の聖書の箇所“皇帝への税金”の場面で、皇帝の像が刻まれている銀貨を前にして「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と明確に宣言された。神のもの、即ち神の像、神のかたちが刻まれているもの、それは正しくキリストの十字架によって神のかたちが回復された我々人間のことであり、神の支配にあるものは神に返しなさい、即ち神の支配の中での歩みを歩みなさいと主は言われているのだ。

我々人間は、それぞれ国家との係わり合いを持ち、現実の生活のなかで色々な失望、落胆に当面する。しかし、全てが神のご支配にあることを信じて歩む者であれば、常に輝きをもって強く歩むことが出来る。何故ならば、自らのうちに神の像、神のかたちがしっかりと刻まれているからである。その一人子をたもうたほどに世を愛された神の愛が刻まれているのである。それは、他の人への愛、心が触れ合い、癒され、一つとなる愛、真の愛であり、この絆によって人間が結ばれる時に、人間の本当の姿があり、香りとなって隣人に伝えられ、真の平和が訪れるのである。

今日、神のかたちがしっかりと自分自身に刻まれていることを確信し、真の愛の力に輝き豊かに満たされて歩んで行きたい。

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