9月15日 「ありのままの恵み」 マルコによる福音書
4章26-34節「成長する種」のたとえ
26
また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、27
夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。28
土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
「からし種」のたとえ
30
更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。」31
それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
たとえを用いて語る
33
イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。34
たとえを用いずに語ることはなかったが、ご自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。
今日は、敬老の日―――教会の長い歴史の中で、昔も今も、私共に共通した神の恵みが与えられている。
それは、日々成長し続ける神の福音の種。これを下さった神は尚、ひとときも離れず、ともに歩みつづけていて下さる。
この恵みを、私共は、どの様にして、受けとっているのか。何よりも大切なことは、主を信頼して、努力を持ってみことばを受け入れつつ、日々の信仰生活を歩み続けることである。
主イエスこそ、私共の希望の源であり、神からいただいた無限のビジョンである。一粒のからし種が大きな木となって、枝に実る様に,私たちも又やがて天に帰るその時にこそ福音の種はこぼれて新しい命を生ずる。
これは、私共一人一人が神の国の基礎をになう者として、豊かな恵みにあずかる事である。
この様な「ありのままの恵み」を受け入れて日々を主にゆだねる時、神は一人一人の上に、成長の歩みを約束して下さるのである。
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