9月1日  「神不在の時代の信仰」  東方敬信牧師

ヨハネによる福音書141-14

  

1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。

2 私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがは知っている。」

5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、

9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。」

10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。

11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。

13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。

14 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

    

 一九世紀末ニーチェはその著作の中で「神は死んだ」とショッキングな言葉を記した。この言葉の意味は明解で、世の中の最高の根拠・目標が無くなり、混沌とした中で人々は果てしない虚しさを感ずるといるものである。高度に科学技術が発達した現代においても、最高位の価値・目標が空位で二位以下の座を争っており、それはあたかも出エジプト記に記された金の小牛の偶像を崇拝しているようなものである。

 私達も日常生活・教会生活においても、自分自身の満足のみを考え、心の中に金の小牛を造っていないだろうか?では、金の小牛を造らないためにはどうしたら良いのだろうか?本日の聖書の箇所で、主イエスは神様が永遠の居場所を用意してくださっていることを示している。そして究極において神様の真実な愛に包まれていると実感してこそ、他者の存在を心の底から喜ぶことができる。

また神様の「道」であり、真理である主イエスに結びついて生きることにより、私達にとっての最高の価値を見出すことができるのである。

 神不在の時代といわれる現代、私達は主イエスに結びついた者として、キリスト中心の生活をし、志を共にして生きてゆきたい。

    

BGMはBachの作品544番「オルガン前奏曲とフーガ」からです。

   

ホームページに戻る       み言葉に聞くに戻る