讃美歌267番「神はわがやぐら、」

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1031日は宗教改革記念日です。1517年のこの日、現在のドイツのヴィッテンベルグ大学教授であったマルテイン・ルター(1483-1546、ドイツ)は、ヴィッテンベルグ城教会の門扉に「95か条の提題」を張り出し、魂の救済を免罪符など金銭で売買するローマ教皇庁に公然と抗議し、宗教改革の烽火をあげました。この改革運動は全ヨーロッパに広まりカトリック教会に対してプロテスタント派として現在に至っています。ルターの「聖書のみ」(聖書のみに忠実な教会)、「信仰のみ」(純粋な信仰のみによる内的救済)、「万人祭司」(神の前での平等)の主張は、宗教改革の3大原理として全てのプロテスタント教会の共有財産となっています。

 

ルターは聖書を自国語(ドイツ語)で読めるために、1522年ヴァルトブルグ城で新約聖書をギリシャ語から翻訳し、1534年には新旧約聖書のドイツ語訳が完成しました。ルターはまた、讃美歌を牧師と聖歌隊だけでなく、会衆全員が歌えるように改革し、自身でも多くの賛美歌を作り聖歌集を編纂しました。「音楽は神の美しい素晴らしい賜で、神学に近い。」ルターの卓上談話の中の言葉です。また、「讃美歌をよく歌い、神の喜びとなることはどのキリスト者にも隠れなきことであると思う。・・・・しかり、聖パウロも・・」と書いております。その聖書の引用箇所は次の通りです。

「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイの信徒への手紙316節)「では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。」(コリントの信徒への手紙T 1415節)

旋律はルターの原作はないとされ、カトリックのラテン語聖歌、改革以前のドイツ宗教歌、民謡等から取材されたといわれています。「讃美歌」にはルターの作品が3曲あります。

 讃美歌の旋律は新たに作りました。

  讃美歌267番 「神はわがやぐら、」

ルターの代表作であると同時に,プロテスタント讃美歌の代表作であり、宗教改革の進軍の凱歌といわれています。1529年の少し前に作られたが、瞬く間に全ドイツ始め,ヨーロッパ各地に普及し、プロテスタントの信仰を広めるのにあずかって力がありました。1529420日、ルターの改革を支援したドイツの福音的諸侯はシュパイエル会議で改めて自由のためにプロテストしたので、この時よりルターに与する新教徒は「プロテスタント」と呼ばれるようになりました。この讃美歌の原旋律は古いラテン語聖歌の中に発見されました。この讃美歌は、ウイッテンベルグの城教会でのルターの埋葬式(1546年)で歌われました。

 

  讃美歌258番 「貴きみかみよ、」

「神はわがやぐら」と共に、宗教改革から生まれた不朽の作であります。

この歌詞はルターがヴァルトブルグ城で新約聖書のドイツ語訳を完成させた翌年の1523年に,彼が「パウロ的詩編」と呼んで愛唱した詩編130編をもとに創作したものであります。カトリック教皇庁から破門され、国会に呼び出されて皇帝カール五世の審問を受け、身の安全が危機にさらされてヴァルトブルグ城に匿われていた時でした。その苦しみ、悩みと心血を注いで完成させた新約聖書のドイツ語訳の喜びと信仰の確信がにじみ出ているのではないかと思います。この曲は古いカトリック教会の旋律からルターが採用したものらしいという説が有力となっています。

 

 詩編と讃美歌の第1節を対比してみます。

詩編130

讃美歌第1

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。

2.主よ、この声を聞き取ってください。

嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。

1.貴きみかみよ、悩みの淵より

呼ばわるわが身を 顧みたまえや。

3.主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら

主よ、誰が耐ええましょう。

み赦しうけずばきびしき審きに

  たれかは堪うべき

 

  讃美歌101番 「いずこの家にも」

ルターによる讃美歌は、1524年ルターが編集したプロテスタントの最初の歌集に含まれた作品を入れて36作品といわれています。このクリスマス讃美歌は、当時流行していた民謡からヒントを得て、彼の家庭のクリスマスのために作ったものといわれ、ドイツ人の愛好してやまないクリスマスの歌といわれています。1535年の作品です。

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