1027  「主は倒れない」 マルコによる福音書535-43

35 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」

36 イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。

37 そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。

38 一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、

39 家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」

40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。

41 そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」と言う意味である。

42 少女はすぐ起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。

43 イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

イエスを迫害こそすれ信じることはありえない会堂長ヤイロは,娘の死の瀬戸際に直面し絶望の中から主イエスの前にひれ伏し助けを乞うた。「恐れることはない。信じなさい」と主は、語りかけ手を差しのべられた。総てを知っている主が私達の隣にいて手を差しのべて下さるように・・・・。

人々が泣き騒いでいるヤイロの家に入ったイエスは、誰もがなし得ない娘の死からの蘇りという事実の前に、死の恐怖に打ちのめされていたヤイロを立たされた。死は最後にあるのではなく蘇りの時までのひと時の眠り、天国への出発である。「なぜ、泣き騒ぐのか。死んだのではない。眠っているのだ」と総ての痛みと絶望から勝利され決して倒れない主は、隣にいて「恐れるな私を信ぜよ」と語りかけておられる。

「タリタ、クム」と主が言われると少女は起きて歩いた。「食べ物も与えるように」とも・・・。

普段の日々の中に主は奇跡を示されている。何によっても倒れることのない主を信じることが赦されるのは恵みである。

 

ホームページに戻る   み言葉に聞くに戻る