「種を蒔く人」のたとえ
1
イエスは,再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群集が,そばに集まって来た。そこで,イエスは舟に乗って腰を下ろし,湖の上におられたが,群集は皆,湖畔にいた。2
イエスはたとえでいろいろと教えられ,その中で次のように言われた。3
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。4
蒔いている間に,ある種は道端に落ち,鳥が来て食べてしまった。5
ほかの種は,石だらけで土の少ない所に落ち,そこは土が浅いのですぐ芽を出した。6
しかし,日が昇ると焼けて,根がないために枯れてしまった。7
ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので,実を結ばなかった。8
また,他の種はよい土地に落ち、芽生え,育って実を結び,あるものは三十陪,あるものは六十倍,あるのもは百倍にもなった。」そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
おびただしい群集を前にして主イエスは
,「よく聞きなさい」と譬えで教えを始められた。それは私達に神の国に生きる用意を迫られてのことである。種とは神の御言葉。道端に蒔かれた種のように主イエスの言葉すら私達は聞き流してはいないだろうか。氾濫する情報の処理に追われ聞き流しの習慣にある今の私達のようではないか。石だらけで土の少ない所に落ちた種は枯れた。熱しやすく醒めやすい日本人の特徴のよう。茨の中に落ちて茨に覆われた種は
,主イエスの元に集まった多くの人々が,次々に去っていってしまった主の嘆きの言葉として聞くことができる。イエスキリストの本当の意図とは
,人々の無関心,妨害,無理解に出会っても希望をもって蒔いた種が成長するのを待つことが大切だと語っているのだ。私達をかけがえのない存在として下さる方はどんな人生にも実りを期待しておられる。三十倍、六十倍,百倍の実を結ぶと約束されているのである。BGMは、リュート(註)によるBach組曲 作品996番です。
「リュート」:ハープシコード(クラヴィザン、チェンバロとも言う)の普及(16-18世紀)まで管弦楽の重要な楽器として活用された。マンドリンの形に似ているが遥に大きく弦も20−24本ある。
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