10月13日 「無限の赦し」 マタイによる福音書
18章21-35節林 完赫 神学生
「仲間を赦さない家来」のたとえ
21
そのとき、ペテロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」22
イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。23
そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。24
決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。25
しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。26
家来はひれ伏し、『どうか待てください。きっと全部お返しします』としきりに願った。27
その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。28
ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。29
仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。30
しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。31
仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。32
そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。33
わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』34
そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、私の天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
今朝の聖書の箇所に出てくる家来は自分の莫大な借金を王に赦してもらったのに、自分に対するわずかな借金を強引に取り立てたために、王に罰せられる。自分が与えられた慈愛と恵みを忘れた姿が描かれている。この家来は私たち自身ではないだろうか。私達が傷つけられたその相手を赦さない限り、私達は赦されることはない。
信仰者は既に罪が赦されているはずなのになぜなおも赦しを求めるのだろうか。私達は生きている限り、罪を犯すものなのである。人は罪に落ちやすく、心の中で犯す罪は多い。たえず神の赦しが必要なのである。そして神の恵みのあかしを自分の中に見出したら、そのときに隣人と新しい接し方ができるようになる。
神の赦しは無限である。十字架を仰ぎ見るときに罪の重荷は落ちる。最後にコロサイ書から「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても,赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
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