11月5日  「優秀な生き方

マタイにより福音書第5章17節から20節

主イエスは、
「私は、律法や預言者を廃止するために来たのではなく、完成するために来たのだ。」
と言われた。
この言葉の背景には、律法や旧約聖書のみ言葉は、神のみ心をあらわすものであり、
真剣に向き合わなければならない、という考えがある。
また聖書は、神のみ言葉を通じ神のみ心に向き合うことが、
私達の命にとっていかに大切かを語っている。

主イエスは、自ら十字架に懸かることにより、
神のみこころである律法や預言を完成させたのであり、
そのイエスを信ずることにより神の愛に包まれ、赦されている人々の義は、
当時偽善者と呼ばれていた律法学者やパリサイ派の人々の義に勝っていなければならない。
律法や予言は、永遠に変わらない神のみこころである。
信仰とは、これらの神のみこころに向き合い、神と私達の関係を確立することであり、
主イエスの十字架は、神とのつながりをしっかり結びなおしてくださるのである。
信仰生活とは、神が私達と契約を結びたいと願っていることに対して、
私たちが心を開いて応じることであり、
神のみことばを大切にした生きかたを確立することである。


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